6回裏。
4-0の青道高校リードで進んでいるこの試合も、後半戦へと突入する。
後攻めの創聖の攻撃。
なんとか1点でも詰めておきたいこの回。
しかしそれを許さないとばかりに、青道高校のエースが。
ゆっくりと、そのマウンドへと向かっていった。
『青道高校、選手の交代をお知らせします。降谷くんに替わって、ピッチャー大野くん。6番ピッチャー大野くん。』
小柄ながらも、少し広い背中。
その背中に刻まれた、『1』
チームを象徴し、チームに勝利をもたらす。
エースが。
この試合を終わらせるべく、エースがマウンドに佇んだ。
ぽんぽんと手の平でロージンを揺すり、軽くマウンド横に放るようにして置く。
程々に視線を感じ、創聖ベンチをチラリと横目で見て、先程の片岡との会話を思い出した。
「正直に言ってくれ。肘に違和感や疲労感はないか?」
「ありません。この間投げたとはいえ、70球もなげてませんし。普段のブルペンのほうがまだ、投げてます。」
そうか、と返事をした片岡は投手コーチである落合に視線を向ける。
すると、示し合わせていたように落合も小さく頷き、片岡は大野へと視線を戻した。
「2イニング、お前に任せる。心を折ってこい。」
「わかりました。後ろのイニング全部いけますが。」
「その必要はない。残りのイニングは川上も準備している。」
2イニング。
この9番から始まるこの回と、そのままいけばクリーンナップまで繋がる次の回まで。
特にこのチームの主軸である奈良と柳楽を捩じ伏せることで、相手の心を折る。
それが、この2イニングを任された大野の役目。
否、エースの役目である。
「行けるか。」
聞き慣れた声が耳に入り、意識を現在へと振り戻す。
いつも通り、マスクを外してミットで口元を抑えながらこちらに確認をする女房役。
大野も答えるようにして頷き、朱色のグローブで口元を覆った。
「あぁ。短いイニングだから、隠さず抑えに行く。」
「出し惜しみはいらねえ。ただ全開は、次の回にとっとけ。」
次の回。
三者凡退なら、4番の奈良と5番の柳楽を迎える打席である。
「まずは、3人だ。」
「わーってる。でも、出さねえだろ?」
つくづく、自分を乗せるように挑発してくる。
そしてそれにいつも乗っかってしまう自分もまた、単純なものだと少し可笑しくなってしまった。
若干口角をあげた後、すぐに表情を戻して口を開いた。
「当たり前だ。」
そうしていつも通り、グローブを前に突き出して御幸のミットとトンと合わせた。
まずは、9番の星。
どちらかと言うと守備の人だが、数少ない左打者。
息を吐き、大野がグローブを胸の前へと持ってくる。
手も足も、出させない。
真っ向から完全に、叩き潰す。
舐めているわけではない。
捩じ伏せるなら、見下ろす。
これは大野夏輝だからこその、ある種心構えのようなもの。
少しも付け入る隙がないと。
そして、もう勝ち筋すら見えないと。
圧倒的な力の差を見せつけて、完全に心からへし折る。
(下位に置かれてるけど、しぶといぞ。)
(構っていられるか。ここはストレートで押し切る。)
狩人のような鋭い視線で御幸に訴えかける。
それを見て、御幸は溜め息をつきかけて、飲み込んだ。
(降谷に力入ってるとか指摘してた癖に。お前がムキになってどーする。)
(生憎俺は、あいつと違って力が入っても制御できる。それにここでムキにならなきゃ、エースとして送り出された意味がない。)
そんな大野の訴えに、流石に御幸も耐えきれずに溜め息を零して頭をかいた。
(わーったよ。なら、付き合う。)
そうして、胸元で小さく指を3本立てる。
大胆なサインというか、ジェスチャー。
しかし御幸が大野の意思に同調するということを表すには、十分すぎた。
(それでこそ俺の相棒だ。捩じ伏せるぞ。)
(言ったからには、やってくれよ。)
とはいえ、御幸は大野のこの態度を見るのが、好きだった。
一見してみれば、あまりに自己中で高圧的な意思表示。
しかしその実は、チームを勝たせる術のひとつとして、意識してそんな態度を取っている。
そして何より。
大野史上最高のピッチングは、夏の大会決勝と春のセンバツ準々決勝。
いずれも大野がエースとしてではなく自分の為に、ある意味では自己中的に相手に勝ちたいと考えてきたときこそ真価を発揮してきた。
チームのために腕を振るい、傷を負った。
だからこそ、意図してとはいえこうして大野が自分勝手に投げてくれることは、御幸としても嬉しいことであったのだ。
そして結果は、御幸の想定通り。
星に対して、要した球数はたったの3つ。
それも全てストレート、綺麗に吹き上がるフォーシームを外角低めに連続で投げ込んで空振り三振に斬った。
ガッツポーズなど、浮かべない。
ただ抑えて当たり前と言わんばかりに、悠然と。
投げ終えて反転し、その背中に描かれた大きな『1』を見せつける。
続けて、1番の菊永。
ここまでヒットはないが、いずれもヒットになってもおかしくない当たりを放っている。
(いいバッターだよな。1番に置かれてるのも、頷ける。)
(奈良や柳楽ほどではないが、スイングも鋭い。こいつは。)
出し惜しみ、なしだ。
初球は、内角高めのストレート。
インハイのストライクゾーンぎりぎりいっぱい。
先の2打席は共に、外のボールを打ち返しているもの。
だからこそ、インハイ。
コースを間違えれば長打に繋がりやすいコースだが、それは圧倒的な制球力を誇る大野からすれば、不安要素にはならなかった。
抉り込むような、キレのあるフォーシーム。
全国で数多の打者を捩じ伏せてきた快速球が、唸りを上げた。
(うわ、何これ。)
打者である菊永は、思わず目を見開く。
球速は確かに138km/hと、特段すごい数字では無い。
だがバックスクリーンに表示されたこの数値を、菊永は俄に信じられなかった。
とにかく、速い。
これが降谷のストレートよりも15km/hほど遅いボールとは思えないほどの、スピード感とノビ。
そして何より、おかしな軌道をしている。
純粋すぎるほどの、真っ直ぐ。
あまりに癖がなさすぎる、癖のあるボールは手元で加速するように感じる。
これまで長く野球をしてきた中で初めて見た軌道のボール。
それがまさか、最も多く見てきたストレートだとは思いもしなかった。
降谷のような、轟音ではない。
大野のコントロールの良さと御幸の卓越したキャッチング技術に裏打ちされた、故に鳴り響く快音。
乾いた破裂音が、会場に響き渡った。
(これに着いていけっての?)
初見ではまるで、捉えられる気がしない。
できればもう少し、見たいところだが。
しかし時は待ってはくれない。
2球目もまた、インコース。
同じようなコースにまたも振り遅れ、空振り。
(もっと早く、ね。でも2球も同じコースで見せて貰えりゃ、何となく感覚はわかるって。次はとりあえず、当てる。)
狙いは一貫して、外のストレート。
こういう好投手相手なら、特に狙い球を絞らなければ打てるものも打てない。
3球目。
ノーワインドアップで腰を大きく捻る、トルネード。
そこから全体を縦回転させながら振り下ろされる右腕からは、先程同様鋭くノビのある速球が放たれた。
外角高め。
狙っていた、外の速いボール。
待てば投げてくれると思っていた外のボールがこんなにも早く。
それも、高めに来てくれるとは。
狙いがまだ悟られていないのか。
若しくは単純に、甘く見られたか。
なんににせよ、狙わない手はない。
球速は先程のインコースとさして変わらない。
ならばタイミングも、幾分か測れる。
(もらっ…)
完璧なタイミング、完璧なスイング軌道。
そこから繰り出されるシャープなスイングは。
ボールの遥か内側を通過し、豪快に空振った。
「…えっ、はっ?」
乾いたミットの音と共に掛けられる、スイングアウトのコールを球審から伝えられる。
マウンドには、背を向けてロージンバックへと手を当てた大野。
何が何だか分からないと思いながら、菊永はベンチへと下がりボソリと呟いた。
「何だ今のボール。」
ヘルメットを外し、頭を搔く菊永。
自分の感覚では、というよりスピード感と軌道的にはストレート。
実際に表示されていた球速表示も135km/hとストレートと同速であった。
自分で言うのもアレだが、ストレートであれば完全に当たっていた。
少し振り遅れていたとしても軌道は合っていたし、バットには当てているはず。
なのに、空振り三振という。
「スライダー系だな。」
返したのは、奈良。
遠目で見ていたが、東京選抜の際にアメリカチームが同様の反応をしている姿を後ろから見せられていたからだ。
まあ実際アメリカチームの場合は、バットに当ててはいたのだが。
「あいつ自身はカットボールと自称している。まあ、そんな単純な変化じゃないことは、実際に見た菊永も分かっただろ。」
「カットって…。速度も軌道もほぼストレートだったぞ。」
「大野のカットはおかしいんだ。ストレートとほぼ同じ軌道で打者の遥か手元で曲がる。何より、ストレートと同じように加速しながら伸び上がる。」
特に高めの際は、尚更。
ジャイロ回転を描き、伸びながら文字通り真横に曲がる。
「これに加えてツーシーム。それにカーブとチェンジアップもあるんだろ?どんだけ引き出し多いんだよ。」
基本ストレートで押してくる降谷は、フォークとカーブをたまに投げる程度。
それにカーブは軌道自体が軸にしているストレートとは異なるため、見分けはつきやすい。
対して大野は、かなりの幅の広さ。
ただでさえストレートだけでも手が負えないところに、ストレートに近い球速の2つの変化球。
加えて軌道が近いチェンジアップに、まるで軌道が異なりストレートとのギャップを生み出すカーブと、投球幅が非常に広いのだ。
それをすべてカウント球としても決め球としても使える制球力があるからこそ、狙い球を絞って我慢するというのは難しいことだった。
最後の五島。
彼に対しては、ここまで見せていなかった緩急での勝負。
初球のストレートと2球目のカーブでカウントを取ると、3球目は低めのストレートをファール。
1球インハイにボール球を見せて身体を起こすと、テンポよく間を開けずに最後は外のチェンジアップ。
外角低め一杯、ほぼ変化しない遅い球。
チェンジオブペースとも呼ばれるこの遅球をギリギリ一杯に投げ込んで空振りの三振。
テンポよく。
ある種仕事の様に淡々と投げ込み、打者を斬り捨てる。
その姿はまさに、絶望を呼ぶ投球であった。
「相手側もかなり嫌な空気になってるだろうな。こうもやられちゃあ。」
御幸の言葉に、大野が帽子を外して頭を振るう。
ふわりと銀髪を靡かせて、熱気の籠った頭部を露出させる。
そして、再び帽子を被り御幸の言葉に返答した。
「まだ折れてはいない。こういうチームはとことんやらなきゃ、いつ目覚めるかわからないからな。次の回、柱を折って試合を決める。」
チームの柱。
このチームで言うところの、奈良と柳楽である。
(一時はチームメイトとして戦っていたが、今は敵だ。悪いが、譲歩する訳には行かないぜ。)
三者連続三振という、厳しい現実。
しかしそれでも、諦めなどない。
まだ負けてないと、闘志を燃やしているのが大野にも伝わる。
奈良の鋭い視線を感じ、大野の瞳はきらりと煌めいた。