「すいません、大野先輩。」
「何を言ってる。まだ負けていなければ、反撃はこれからする。謝ることはないだろ。」
ベンチ前、炎天下のマウンドへと向かう降谷に、大野はそっと肩を叩く。
さらに、近くにいた御幸をチラリと見て、付け加えるようにして言った。
「マウンドはお前たちに任せると言っただろう。だから攻撃は、俺たちに任せておけ。」
「はい、お願いします。」
最後にポンと背中を叩き、大野は自分の定位置へと向かう。
それを見送ると、今度は御幸が降谷と共にマウンドへと歩み始めた。
「去年までのあいつなら、ブルペン行ってたよな。」
御幸がそう言うと、降谷は肯定するように何度か頷く。
以前までの大野は、チームの為になら次回以降の予定なぞかなぐり捨ててでも、流れを変えるべくマウンドへと向かっていた。
エースだから。
たったその一言で、身を粉にしてチームに尽くしてきた。
故に、時には限界を超えることもあれば、身体自体が先に悲鳴を上げてしまうこともあったのだ。
無論、今もその考えは変わっていない。
一度負ければ終わりのトーナメント形式において、次のことを考えすぎて負けてしまえば本末転倒ではある。
だが、今回の大会。
大野の心の中にも、変化があったのだ。
「やっぱり大野先輩にとって、成宮さんはそれほどの相手なんですよね。」
中学からの因縁の相手。
さらに言えば、2度の夏の大会でいずれも大野は決勝で彼に敗北している。
特に昨年の夏は、延長11回にも及ぶ熱闘の果てに、奇しくも同じ球数で互いに力尽きた。
だからこそ、備えている。
必然的に高い出力を出さざるを得ない試合なだけに、できるだけ力は温存しておきたい。
「それだけじゃねーよ。」
御幸の返答に、降谷は首を傾げる。
そんな反応に苦笑い。
付け加えるようにして、御幸は降谷に言った。
「あいつ言ってただろ、任せるって。今まで先輩たちですら信頼することが無かったあいつが、お前たちになら託せるって言ったんだよ。」
「僕たちを、ですか。」
「頼ることを知らなかった奴が、な。唯一お前と沢村になら委ねられるってよ。素直じゃねーから、そこまで言わねーけどな。」
「信頼…任せる…。」
すると、降谷の内から流れ出る、闘志。
炎のように巻き上がるオーラが、まるで目に映るかのように存在感を出す。
それは、任されたことによる責任。
信頼されたということは、認められているということ。
「エースになるんだろ?じゃ、応えなきゃな。」
「はい。」
そこからの降谷は、圧巻だった。
6番の安達に対しては、ストレート。
5球連続で150km/hオーバーを叩き出し、最後の154km/hで空振り三振。
更に高見には、カーブを織り交ぜて緩急。
110km/h代のスローカーブでタイミングを外した後に、155km/hのストレートを高めに投げ込んで空振り三振。
テンポよく2者連続三振で、残した打者は天久光聖。
(沢村は完璧にボールを操ってた。お前はどーなのよ?)
前の打席では、勝ち越しとなった内野安打。
この試合、誰が見ても現状MVPは彼である。
そんな絶好調男の天久に対しての初球。
(どーせ、ストレート。いち、にの、さんでしょ。)
というより、ストレート以外打てない。
フォークは対応しきれないし、カーブはタイミングが合わない。
打ち返すなら、ストレート狙い。
そんなことを内心で呟くと、天久はバットを掲げる。
ワインドアップから、リズム良く身体を縦回転。
それに合わせて、天久もタイミングを取る。
そして。
(いち、にの、さ…ん!?)
完全に振り遅れ、思い切り空振った。
コースは、外角高め。
降谷が強く腕を振り切ったこのボールは、吹き上がるようにして天久の想定よりも遥か上を通り過ぎたのだ。
(これが怪物のエンジンってやつ?明らかに人が投げてる球とは思えない。とんでもねー馬力だわ。)
2球目は、内角低め。
適度に荒れているから、逆に的が絞れない。
(操るってよりは、敢えて暴れさせてる?そう考えたら、沢村とはまた別の凄さ。)
3球目。
最後は高めの釣り球。
少しボール球だが、腕を振り切り力強いボール。
高低の投げ分けで目線が追いつかず、空振り三振。
最後は降谷のストレートを最大限に生かすコースで155km/hをたたき出すと、この回は三者連続の三振で捩じ伏せてみせた。
熱気漂う神宮球場。
ふわりと舞った雫が太陽光に反射して煌めき。
同時に、怪物はマウンドで静かに咆哮した。
「こいつらこれで2年かよ。そりゃあ投手王国って言われるわ。」
ユニークなボールを自在に操る沢村。
高い完成度を誇りながらも、まだ未完。
各チームでもエースクラスの2人との投げ合いは、天久を高揚させ、喜びを与える。
しかし、欲を言えば。
その2人を超える男。
世代最強と言われ、この2人のエースクラスをも優に超える最強のエース。
魔球と称されるボールを自由自在に手懐ける、無敵のエース。
彼がマウンドに上がると忽ち、彼の独壇場になるほどの圧倒的存在感。
(ま、叶わねーならいいや。”今の”俺にとっちゃ、勝つことが一番なの。)
いい投手と、投げ会いたい。
そして高め合いたい。
しかしそれ以上に、今はただ勝ちたい。
1度逃げ出したのにも関わらず、迎え入れてくれたチームの為に。
「天久ボーイ、疲れは?」
「全然、問題ねーよ監督。心配しなくても、ちゃんと連れてってやっから。」
田原からの質問に軽く返すと、頭に被ったヘルメットを脱いで帽子に被り直す。
ベンチに置かれた、草臥れた茶色のグローブに右手を引っ掛ける。
少し重く感じ、それが染み込んだ汗によるものだと考えつくと、左手で持ち上げる。
「てか、2点もありゃあ十分。もう負けねーよ。」
不思議と、左手で持ったグローブは重く感じなかった。
「残り2回。追い込まれているとは言え、まだ慌てる必要はない。」
8回の裏に向け、円陣を組む青道ベンチ。
この回は、上位からの攻撃。
先頭は、試合開始同様1番の倉持から始まる。
終盤にして回ってきた、好打順。
試合展開を見ても、これがラストチャンス。
点差は2点。
天久から奪うには、大きな壁である。
しかし、この炎天下。
天久にとってもかなり応えているはず。
元々コントロールはすごく良い訳では無い。
スタミナも極端に多い方では無いため、終盤になれば抜け球は多くなる。
ラインを上げて、抜け球をしっかり仕留めきる。
「天久のここまでの奪三振は、12個。確かに多いが、それに比例して球数も107球まできている。それにこの炎天下だ。ここから先は、天久にとっても辛いマウンドになってくるはずだ。」
ここまで、軌道は見てきた。
ストレートとスライは見分けがつかないが、スライダーは追い込まれるまでなら我慢くらいならできる。
高めに浮けば、打てる。
スライダーは捨て、ストレートとスライの小さい変化を狙う。
あとは、ゴロ。
先ほどの天久の内野安打然り、転がせば何かが起こる可能性は出てくる。
フライではなく、極端に低く。
打球は上げずに、細かく連打で点を返す。
地道に、コツコツと。
全員で、力を合わせて勝つ。
「目の前の勝利のために、全員の力を貸してくれ。行こう、全員で勝つぞ。」
片岡の音頭に、全員が声を上げる。
打席に向かう、倉持。
彼に対して、大野は軽く耳打ちした。
「難しく考えすぎるな。お前なら、対応し切れる。」
小さく頷き、倉持が打席へと入った。
ここまでの打撃成績は、3-0
未だに、いいところはない。
足のイメージだが、今大会打率も3割越えと調子がいい。
特にすり足気味で合わせて単打を放ち、塁上でプレッシャーを掛けるという搦手が板についた。
(足だけじゃん。要は、出さなきゃいいってこと。)
ロージンバックを指先に当て、馴染ませる。
マウンド上から打席を見下ろし、白球を右手の上で転がした。
(顔こわ。睨み殺す気かよ。)
(ぜってー出る。)
初球、スライダー。
ファーストストライク、そのストレートを狙っていた倉持はバットを止めた。
1ボール。
やはりスライダーなら、見える。
試合も終盤、追い込まれなければ確かに見切れる。
続けて2球目。
今度は、高めから低めにまで滑り落ちるスライダー。
ゾーン内での変化だったが、これを見送って1-1となる。
3球目は、ストレート。
148km/hの真っ直ぐは、外の高め。
しかしスピードボールに狙いを定めていた倉持はバットを出すが、力強い真っ直ぐに打球は前に飛ばない。
打球は球審の横を抜け、ファールとなった。
(今の仕留めたかったな、高めに来たストレート。)
内心軽く舌打ちをしたが、表情には出さずに倉持はバットに目を向ける。
カウントは1-2。
既に追い込まれており、バッテリーが有利なカウント。
ここまでの倉持の反応と天久の状態。
それを擦り合わせ、高三はサインを出した。
(ストレート狙いなのは目に見えてわかる。ただ、スライダーは見えてそうだ。ここは早く仕留めよう。)
(OKたかみん。ここは、スライで。)
ワインドアップから、回転。
高三が要求したコースは、低めのボール球。
ストライクゾーンからボールゾーンに落ちる、奪三振率の高いコースへミットは構えられた。
ジャイロ回転で突き進む、速球。
バットを掲げた倉持は、すり足でタイミングを合わせる。
そして、打者に近いところで手元で小さく曲がり始めた。
(来た、ゾーン内…!)
難しく、考えない。
合わせるようにして、低めのボールにバットを当てた。
「っし!」
金属音と共に、ダッシュ。
打球はショート深いところへと転がっていく。
安達も丁寧に捌いたが、ここは倉持の足が勝って内野安打をもぎ取った。
「っしゃあ!」
終盤にして出塁した、ノーアウトのランナー。
この回詰めなくては勝機が薄くなる青道高校に、最後のチャンスが訪れる。
(まあ、安定感ってか出塁自体はかなり期待できる様になったよね。)
打席に向かうは、背番号1。
そして青道高校の繋ぎの2番、アベレージヒッターの大野が打席へと入った。
(あとは、俺が繋ぐ。)
脱力しながら、軽くバットを揺する。
一発こそないものの、卓越したセンスとバットコントロールで高いヒット性能を誇る選手である。
(ま、怖かねー。)
内心で天久は呟く。
このピンチの場面で、やはり怖いのは同点の一発。
それが限りなくゼロに近い相手であれば、やはりプレッシャーは少ない。
(変化球に強いのはわかってんの。ストレートには全然付いてけねーのも。)
しつこい牽制。
ランナーが、倉持だからというもの。
簡単に、走らせたくは無い。
(大野夏輝。ここで負けて、投げなかったこと後悔しろ!)
そして、初球。
内角高めの力強いストレート。
外の変化球に合わせるのが得意な大野に対して、有効なコース。
しかし。
(それは狙ってなきゃの話…!)
肘を上手く畳み、身体をコマのように回転。
高めを弾き返し、ライト前に落ちる単打で繋ぐ。
(言ったろ降谷、攻撃は任せろって。休ませて貰ってる分は、ちゃんとバットで取り返す。)
一塁ベース上、右手を突き上げる大野。
終盤にして、最大のチャンス。
ノーアウトながら生まれた2人のランナーに、青道ベンチサイドがさらに盛り上がる。
「ありゃー、上手く行かねーもんだな。」
マウンド上で腰に手を当てる天久は、思わずそう零す。
ここからクリーンナップ。
青道で最も得点能力を有する打者たちが、並ぶ。
ここまで我慢されていた分、立て続けに上手くやられている。
倉持もスライに上手く合わせられ、大野も完全にストレートを狙われた。
ここに来て青道の勝負強さが出てきたと、女房役である高三も感じていた。
(まあ、こいつら全国獲ってるんだよな。そりゃあ一筋縄じゃ行かねーよ。)
唇を噛む天久だったが、直ぐに切り替えてボールを受け取る。
ノーアウト、ランナー一三塁。
打席へと向かうのは小湊。
続けてネクストバッターズサークルに入るのは、4番の御幸。
何とか逆転したい、この8回。
自然と身体が強ばることを自覚していたが、4番である以上これも仕方がない。
何度か息を吐き、心を整える。
「御幸先輩。」
するとその背中に、降谷の声が聞こえた。