「しっかり解せよ。んで、調整がメインだからな。明日に疲れを残したら元も子もない。」
動態ストレッチをしながら身体を解す俺に、ベンチに腰掛けている落合コーチがそう言う。
入念に広背筋と肩周りを解していく。
俺の改良後のフォームは大きい筋肉を主導に使うフォームの為、ここを意識して動かす。
高い気温に、高い湿度。
既にほんのりと温かくなった身体を動かす。
身体は、軽い。
しっかりと調整ができている証拠だ。
頬を伝う汗を肩の袖口で拭うと、俺は軽く屈伸してグローブへと手を伸ばした。
「心配し過ぎですよ。そこまで俺もアガっていません。」
「心配にもなる。相手は中学からのライバルなんだろ?気合いの入れようが違うことは、目に見えてわかる。」
ため息混じりに落合コーチがそう言うと、俺は苦笑しながら肩を竦めてみせた。
「お見通し、ですか。でも大丈夫です、その辺の調整は自分の中で上手く制御できます。」
「あまり緩くやりすぎるとそれはそれで明日に影響が出る。短時間で出力出して、確認はやっておけ。」
俺が小さく頷き、朱色のグローブを左手に嵌める。
今日ブルペンで受けてくれるのは、やはりこの男。
小学校からの腐れ縁でここまで苦楽を共にしてきた、文字通り女房役。
青道高校の絶対的正捕手であり、最強の4番。
俺の相棒である御幸一也が、受ける。
「コーチが口酸っぱく言ってるし、お前も分かってるだろうから俺からは何も言わねーよ。」
「おう、頼むわ。」
軽くキャッチボールをして、肩を温める。
夏場ということもあり、既に火照ってはいる。
しかし肩肘をしっかり解す意味でも、徐々に力を入れていく。
5割、6割と力を入れていき、ある程度温まったところで御幸にグローブを突き出した。
「一也、座って。」
「わかった。」
多く交わさなくても、わかる。
ここから、最終確認をしていく。
ひとつ息を吐き、セットポジションに入る。
掌でボールを転がし、ピタリとハマったところで止める。
2本伸びた縫い目に人差し指と中指を添え、ぎゅっと握る。
握りを見せるように御幸へと突き出し、声を出した。
「真っ直ぐ。」
「おう。」
まずは、コースを気にせず。
真ん中辺りに構えられた御幸のミットに目掛けて、投げ込む。
力は、入れすぎない。
意識するのは、回転軸と強いスピン。
指先に力を込めて、投げ込んだ。
スピードは、さほど速くない。
しかし、キレは抜群であり、手元で伸び上がるようにして御幸のミットに収まった。
何球か続けると、俺は右肩をぐるりと回す。
その仕草に察したように、御幸はミットをコースへと構えた。
まずは、右打者の外角低め。
ストライクゾーンの目一杯外に構えた。
全身を捻転して、縦回転。
鋭く突き進んだボールは御幸の構えたミットを動かすことなく、ピタリと決まった。
「ナイスボール。キレもスピードも悪くねーな。」
御幸から投げ返されたボールを受け取り、頷く。
身体の状態は、良い。
それに、感覚も研ぎ澄まされている。
まあ、その為に調整してきたしな。
全ては、ここで勝たなければ意味が無いから。
「もう1球。」
続けて、同じコースに構えられる。
外角低めに続けて投げ込むと、同じように御幸のミットが子気味良い音を立てた。
「OK、ナイスボール!」
御幸からの返球をグローブで受け止める。
グローブの中の白球を放るようにして右手に投げ返して、先程と同じように掌で白球を転がした。
「次、ツーシーム。」
「おう。」
ストレートから縫い目を90°動かし、2本の縫い目に添えるようにして人差し指と中指で押さえつける。
幾度となく投げてきた、俺の相棒。
伝家の宝刀であり、共に歩んできた武器。
感覚を集中させて、俺は投げ込んだ。
フォームは、ストレートと同じ。
しかし感覚はツーシームの時、リリースの瞬間に一気に腕を捻り込み、強く弾きながらシュート回転をかける。
変化はさせなきゃいけないけど、ストレートと誤認させるのが一番大事。
だからこそ、ストレートと差ができないように投げる。
俺の感覚通りボールは左打者の外甘めからボールゾーンへと逃げながら落ちた。
「OK、コースも完璧。感覚はどうだ?」
「悪くない。お前が受けた通り、制御も出来ている。」
コースも変化の大きさも。
そして軌道もまた、俺が思い描いていたものそのものだった。
「次、カット。」
「高めな。しっかり振り切れよ。」
頷き、白球を握る。
握りは先程のツーシーム同様、2本の縫い目に指を添える。
今度はシュート回転ではなく、弾丸のようなジャイロ回転。
僅かに浮力を付けるために軸を少しずらして、揚力を出しながらジャイロさせる。
力強く投げたボールは弾丸のような回転、空気抵抗の少ないボールは打者の手元で吹き上がるようにして曲がった。
「ナイスボール!良い曲がり。」
「おう。」
これが、今俺が軸にしている三種のボール。
キレがあり、加速するような独特な軌道を描くストレート。
ストレートの軌道から手元で伸びずにストンと沈むツーシーム。
2つと同等のスピードで吹き上がりながら曲がるカットボール。
同じくらいのスピードで変化するボールを操り、打者を欺く。
あとは緩急で打者のタイミングを外して優位に進める為の、ボール。
「カーブ。」
一度ふわりと浮かびながら、弧を描くようにして変化。
純粋な縦振りだから、縦に割れるようにして曲がって落ちた。
「チェンジアップ。」
中指と薬指でリリースするようにして、ストレート同様腕を振る。
軌道はストレートに近いが、遅い。
変化は特にしない、所謂「遅いストレート」である。
ここまで、全て要求通りのコース。
やはり主として使うこの5球種に関しては、しっかりと制御制球することが出来ている。
「一応、スライダー。」
そう言った後、今度も右打者の外に構えてもらう。
投げられたボールは緩く変化し、少し外に逃げながら小さく曲がった。
「スプリット。」
続くボールは、小さく沈む。
ツーシームよりも変化が小さいが、それよりもスピードも遅い。
三振というよりは、引っ掛けさせてゴロを打たせる為に使えなくはない。
まあ、幅を効かせるのにって感じだな。
正直使うことはないと思う。
今回の試合でも、あくまでやることは変わらない。
ストレートを軸にしながら、高い能力を誇る2つの変化球を織り交ぜる。
時折緩急をつける為に、スピードの違うボールでスピード感にもギャップをつける。
勿論コースは、厳しく。
それが俺の、持ち味であり「俺らしさ」でもあるから。
ボールの状態も確認できた。
すると、後ろで見ていた監督がブルペンに入り、ヘルメットに手をかけた。
「直に状態を確認させてもらう。」
「えぇ。よろしくお願いします。」
そう言って打席に入る監督に、俺も一礼する。
「15球、力を入れて投げろ。それなら明日にも疲れは残らないし、その方がお前も落ち着くだろ。」
コーチにそう促され、俺は無言で頷く。
少し浮ついていると言われれば、否定はできない。
いつもとは違う、心ではある。
変に気負うくらいなら、今の状態を正確に把握して頭を整理した方がいいはずだ。
「一也。実戦同様、ノーワインドから入る。監督も、宜しいですかね。」
「OK。」
「お前に任せる。好きなようにしろ。」
マウンド横に置かれたロージンバックに手を当て、軽く跳ねる。
気持ちを落ち着かせて、神経を集中させる。
そっと目を開けて、グローブを首元まで持ち上げた。
「まずは外角低め、ストレート!」
御幸の言葉に頷き、左脚を引く。
引っ掛けるようにして右足をプレートに添わせながら、全身を捻転。
左脚を地面に擦りながら腰を捻り込み、最高到達点で一瞬静止する。
それは、捻転による力を最大限まで蓄えるため。
そして蓄えられた力を一気に解放するようにして、全身を縦回転。
風を巻き込みながら、力強く踏み込んでから腕を振り下ろす。
(…ここ。)
振るった右腕。
俺自身の中で通過する「その時」に、力を加える。
先ほどまで溜められた力を一気に指先へと装填。
そこから、引っ掻くようにきてボールを押し込む。
「ッシ!」
純粋な縦回転で放たれた直球は、伸び上がりながら低めへ。
ストライクゾーンの外低めいっぱいにピタリと決まったボールは、御幸のミットを鳴らした。
「OK、ナイスボール!」
投げ込まれたボールを受け取り、再びロージンバックに手を当てる。
先程も言ったように、感覚もいい。
それに身体もキレてるし、状態はいいはずだ。
案の定、ボールもかなり良いボールが行った。
「次はインハイ、ストレート。」
続けて投げ込むのは、先程とは真逆のコース。
打者の目線から最も遠いコース。
対して、今度は打者に対して最も近いコースと、縦横無尽に投げ分ける。
続けざまのボールに監督も若干腰を引くが、ストライクゾーン一杯に決まった。
「次、バックドアのツーシーム。」
ここまでの2球は、混じりっけのないストレート。
本当に純粋な、癖のないフォーシームである。
ここから先は、意図して曲げるボール。
球速が遅く、ボールを制御することで抑える俺の生命線とも言えるボールたちだ。
利き手側に曲がりながら高速で縦に大きく沈む、ツーシーム。
俺の決め球であり、共に戦ってきた剣。
最も思い入れのある球であり、初めて認めてもらえたボールでもある。
ひとつは、外から入るボール。
もうひとつは、内を抉り取るボール。
2球、続けて投げ込んだ。
「スピードも落差も悪くない、何よりキレがいい。ナイスボールだ。」
「えぇ。いつも通り、制御もできています。」
監督と御幸がそんな話をしているのを軽く聞きながら、俺は次のボールに意識を向ける。
「次、外角高めのカットボール。」
次は、スライダー系。
というより、俺たちはカットボールと呼んでいる。
俺のもう1つの、剣。
俺だけが投げる固有変化球と言うべきか、真横に吹き上がるようにして加速するカットボール。
ジャイロ回転から僅かに軸がズレている為生まれる揚力が、この球を魔球とする。
投げ込んだのは、右打者にとっての外角高め。
イメージは、バットの上を通す。
ストレートと同様、そこから更に横に動かしてフライアウトをとるように。
同じく破裂音が鳴り響き、俺はフーッと息を吐いた。
その後はチェンジアップとカーブを投げていき、持ち球の状態をそれぞれ確認する。
どれもキレは悪くない。
最高の状態では無いが、いい状態であるとは言えるだろう。
変化球もしっかり制球できているし、球も意図した通りに動いてくれている。
「最後、ストレートで締めよう。」
監督の言葉にコクリと頷き、俺は初球と同じように縫い目に指を掛けた。
明日で、決まる。
俺たち青道高校の夏が終わるか、夢の舞台へ駆け上がるか。
それも、相手は俺の。
俺たちの、因縁の相手である。
既に吹き出しそうな力を押さえ込み、落ち着く。
大きく深呼吸をして、俺は最後の直球を投げ込んだ。
パチンと決まったボールは、アウトロー。
俺が極めてきた、原点投球で締めた。
「ありがとうございます。」
「ボールの状態は悪くない。今日は早めに休んで明日に備えろ。」
監督にそう促され、早速疲れを取ろうとダウンを始める。
御幸と監督が話すのを横目で見えながら、俺は左手に嵌めていたグローブをベンチへと置いた。