7月28日。
眩く差し込む朝日を瞼に受け、そっと目を開ける。
小鳥の囀りが心地よく耳に当たり、運命の朝が来たことを知らせる。
少し凝り固まった身体を解すように伸ばし、ベットから起き上がる。
(まだ、早いか。)
夏の朝は、日の出が早い。
既に日こそ上りこちらを照らしてはいるものの、時間にすればまだ5時を少し過ぎた当たりである。
欠伸をしながら少し身体を伸ばす。
まだ寝起きで身体が凝ってはいるが、重くは無い。
やはりここ数日調整させてもらったからこそ、身体自体はかなり調子が良かった。
準備を済ませ、外へと出る。
今日もいつもと変わらず、ルーティンをこなしていく。
まだ、暑くは無い。
だがこの様子だと、今日も暑くなりそうだ。
空は恨めしいほどの晴天。
雲ひとつない、快晴というのは正にこの事を言うのだろう。
腰に手を当て、一息吐く。
昨日の夜の静かなグラウンドは、明るくなってもまだ静かなまま。
軽くストレッチをしてから、大野はゆっくりと走り始めた。
一定のリズムを刻み、身体を起こしていく。
いつもと変わらない、彼の習慣のようなもの。
入学当初に、女房役からスタミナがないと言われて始めたランニング。
今になれば、この習慣のお陰で大野は世代最強に上り詰めたと言っても過言では無い。
確かに元のセンスもある。
大野は元々指先の感覚や変化球を投げる感覚が非常に研ぎ澄まされている為、そこそこ器用に何でもこなすことができる。
しかしそれ以上に、彼の最大の長所である制球力。
これに関しては、この積み重ねた習慣によるもの。
強い下半身と、投げ込みによって培ってきた感覚。
生まれ持った天性の感覚に加えて、並外れた継続力による愚直な努力によって完成しているのだ。
実際のところ、当の本人は既に趣味の一環というか、息抜きのようなものと認識しているのだが。
少し心拍数が上がり、脈が早くなる。
本来の「身体を起こす」という目的は既に果たされていた為、大野はゆっくりとペースを落としていく。
骨盤に手をつき歩く。
同時に、ガサガサと石階段を降りる音と共に感じた視線に大野は目を向けた。
「早いな。」
「お互い様だろ。」
「俺はいつもこうだぞ、寝坊助。」
腐れ縁、そして長きに渡る相棒。
目を擦りながらグラウンドへと足を踏み入れる御幸。
決戦に鼓動早まるエース。
それを支える女房役もまた、緊迫と責任に駆られて高揚していた。
「寝れたか、夏輝。」
「まさか。」
わざとおどけるように肩を竦ませると、御幸は一息ため息をついた。
「勘弁してくれ。タフな試合になるんだから。」
「人のこと言えないだろ、お前も。」
目元を僅かに充血させた御幸に向けて、今度は大野が返す。
お互い様、昨日は寝れていない。
今日の試合のことを考えれば、いやでも高揚してしまう。
「午後からだから、もう少し休んでおいた方がいいぜ。」
「言いっこなしだ。それに、どうせ戻ったって寝られやしない。」
「…だな。」
お互い様少し笑うと、ベンチへと入り座り込んだ。
今はまだ、準備する必要はない。
却って、余計に体力を使ってしまう。
予め持ってきていたペットボトルの水に口をつけ、大野はグラウンドへ目を向けた。
「いよいよ、だな。」
因縁の試合といえば、そこまで。
しかし大野と御幸からすれば、大きな大きな因縁。
高校に入学してから、3度目の夏大会。
昨年と一昨年、即戦力として入学した大野は1年時からそのマウンドを託されていた。
そしてそのいずれも、相手のマウンドには成宮がいた。
2度の敗戦。
それも、惜敗。
エースというには烏滸がましいと思ったことも、大野自身あった。
3度目。
これが、最後の決戦となる。
青道のエースと、稲実のエースとしての最後の試合。
春の甲子園を優勝で飾り、最強のチームと一緒に頂点へと立った。
だがまだ、本当の意味で頂点に立てたとは大野自身思っていない。
何故なら、成宮鳴と闘っていないからだ。
(全て、精算する。青道のエースとして、責任を取る為に。そして、俺が俺としてある為に。)
本当の意味で、日本一の投手になる為に。
そして、最高のチームで最強の称号を得る為に。
大野はベンチで腕を組み、目を瞑った。
「入れ込みすぎんなよ。お前自身がどう思っていようと、大野夏輝は青道のエースだ。」
「わかっている。その覚悟は、勿論持っているさ。」
目を開け、太陽光で綺麗な紺碧の瞳が反射する。
長い前髪の隙間から映る美しい瞳は、キラリと煌めいた。
「必ず勝つ。だから一也、チームのことは頼む。」
「わかったよ。お前は鳴との投げ合いだけに集中しろよ。」
俯き加減で大野は、言った。
「…迷惑をかける。」
「迷惑だなんて思うな。お前が鳴に勝たない限りは、甲子園は見えてこねえんだから。」
実際、この2人の投げ合いになることは必須。
それこそ、沢村や降谷でも間に入れないほどの実力差はある。
勿論、彼らの因縁めいたものもあるが。
実力は、ほぼ互角と見ていい。
実際に投げ合ってみないと分からない部分はあるが、しかし各試合を見ても拮抗していると言える。
両チーム、その打線の強さは長所のひとつ。
しかしそれぞれが最も長けている点で言えば、絶対的エースの存在であるのだ。
このエース2人の出来が試合を左右するのは、誰が考えても想像に容易いものであった。
「俺にとって、鳴との試合は特別だ。正直昨日だってずっと心臓バクバクだった。」
「知ってるよ、そりゃ。お前の様子を見てりゃ、明らかに浮ついてるのも。」
「やり残したことの、ひとつだ。日本一の投手と胸を張って言う為には、俺はあいつを超えなきゃならない。」
あまりの気迫に、流石の御幸も若干ながら気圧される。
逆にこの気迫が空回りに繋がらなければいいが。
そんなことを思った御幸だったが、直ぐに心を切り替えた。
何もするでなく、時間が過ぎる。
もう少し日が昇ってきたところで、グラウンド側が僅かに騒がしくなってきた。
「おはようございます!御幸先輩に夏輝さん!!」
耳を劈く大きな声に、今度は別の意味で気圧される御幸。
慣れてると言わんばかりに大野は身体を逸らし、呆れ半分に挨拶を返した。
「おはよう。相変わらず元気だね。」
「はい!それが取り柄ですから!」
こいつはいつも通りだな、と半ば呆れ気味に御幸は肩を竦める。
その横から鼻ちょうちんを作る降谷を見て、ここにも天然がいたとまたも呆れたのは言うまでもない。
しかし、仕方ない。
前の試合は2人で完全に作った。
何故なら、この試合はほぼ大野に。
エースに、託しているから。
自分たちは立ち入る隙がない。
特に天久とともに同じ領域に片足を踏み込んだ沢村は、力の差を諸に感じたと言えるだろう。
彼らが投げ合うレベルに、自分は5イニングしか持たなかった。
無論、短いイニングとはいえ全国トップクラス2人の領域に踏み入れたのだ。
それも、大野並の突出した集中力で。
だが沢村自身は、まだレベルが足りないと痛感した。
「そんな走りすぎんなよ。試合あんだから。」
「分かってますよ!あくまで準備です!」
やけにコメディー調に走り出す沢村。
それを見て、大野と御幸は微笑んだ。
「変わんないってのも、また才能だよな。」
「あぁ。あれはアイツのらしさのひとつだよな。」
「それだよ、夏輝。」
したり顔で大野を見る御幸。
対して、完全に理解が追いついていない大野は、分かりやすく首を傾げて頭上にはてなマークを浮かべる。
大野を指差し、御幸は続けて言った。
「散々言ってきただろ、お前自身も。自分らしく、ひたすらに楽しめばいい。そうすりゃ必然的に結果は繋がるからよ。」
「それは、無責任ではないのか。」
「馬鹿言え。このチームがここまで来れたのは、間違いなくお前の力あってこそだ。少しくらい、自分勝手にやっても誰も文句は言わねえよ。」
そうして、御幸は左拳を突き出す。
「地獄だろうと付き合ってやるよ。死なば諸共、だ。」
「不吉なことを言うな。まあ…」
応えるようにして、大野も御幸の左拳に向けて右拳を向けた。
「よろしく頼む。」
これから始まる熱戦。
暑い熱い神宮球場へ、バッテリーは合図のようにコツンと軽く拳を合わせた。
次話より稲実戦に突入します。
と言いたいところですが、昨年同様、稲実との試合はまとめて投稿したいので書き切るまではお時間を頂きます。
期間は未定ですが、最後まで書き切るつもりです。
必ず戻ってきます。
気長にお待ち頂ければなと思っておりますので、よろしお願いします。