エピソード221
昨年同様、2人の圧巻の投球で幕を開けた西東京大会決勝。
試合は早くも、3回の裏。
大野が白河をショートフライに打ち取り、その攻撃を終わらせた。
「ヒャッハー!ナイスピッチだぜ大野!」
「おう。」
打球を受け止めた倉持に、サムズアップを返す大野。
帽子を外し、長く伸びた前髪を軽く掻き上げる。
そのまま、少し熱で蒸れた頭を軽く横に振った。
「悪くないペースだぜ。疲労感は?」
「余計なランナーは出したが、誤差だな。疲れはまだない。」
小走りで追いついた御幸の言葉に軽く返し、息を吐く。
まずは、立ち上がり。
これに関しては悪くない上に、余計な体力を使わなかった分かなり良いだろう。
当然の如く、失点は互いに0。
成宮は、被安打1の5奪三振、1つの四球。
対して大野は、被安打2つの4奪三振。
「しかしまあ、悔しいがありゃまだ本気じゃねえな。」
マウンドを降りていった大野を見つめながら、カルロスが呟く。
「あれで、ですか。」
先程の初回。
完膚なきまでに叩き潰された早乙女は、僅かに表情を歪めた。
「あぁ。少なくとも自分の力を制御してる内は、ホントの全力じゃねえぜ。」
「あと、もっと煩くなる。」
付け足すような白河の言葉に、苦笑。
しかしそれ以上に、大野という投手の底知れぬ実力を感じさせられた。
それと同時に。
彼と同等以上の実力を持つ自軍のエース成宮。
2人の投げ合いが果たして、どこまで続くのか。
試合は中盤戦に突入する。
4回表。
早めに先制点が欲しい青道の攻撃は、3番の小湊から。
つまり、クリーンナップからの攻撃で始まる。
(懲りないねー、その木製バット。)
マウンド上、左手でロージンバックに手を当てながら、打席に立つ小湊を見下ろす。
卓越したバットコントロールによる高いミート力と、優れた選球眼。
更に、チャンスを一太刀で決める集中力の高さ。
青道高校のバッターの中でも、特に能力の高い選手。
頭の中で整理し、成宮はグローブを胸元まで引き上げた。
(亮さんとは別物。これはこれで、厄介なのはわかる。)
初球、バックドアのカーブ。
縦に割れるこのボールを見送り、1ストライク。
更に続けざま、真ん中低めのストレートを見送り早くも追い込まれる。
2球で追い込んだ成宮。
しかし、ここから小湊が粘る。
(難しいボールを全部仕留めるのは不可能だ。なら、できるだけ可能性の高い球を待つ。)
3球目のストレートを、カットしてファール。
4球目のインコーススライダーもカットしてファール。
5球目の僅かに抜けたストレートを見送り1ボール。
(粘って甘いコースを待つ気か。面倒なことをする。)
再び高く木製バットを掲げた小湊をちらりと見て、多田野はすぐに視線をマウンドへと戻した。
正直、いやらしい。
それと同時に、成宮に対して最も効果的である戦法だと、多田野も感じていた。
現に、マウンド上の成宮は若干気が立っている。
(いい加減に、しやがれ!)
6球目、先のボールよりスピードの乗ったストレート。
148km/hの力のある真っ直ぐは、外角中段へと走る。
(ベルトより、上…!)
刹那、小湊のバットが動く。
先程までのカットではなく、仕留めに行くスイング。
力任せに来た成宮に対して、完璧なまでの流し打ちを返した。
「弾き返したー!右中間真っ二つ、打った小湊は二塁へ!」
この試合、初めて出た長打は青道の小湊から。
監督である片岡の指示通り、甘く入ったストレートを確実に狙った。
中盤戦の開始早々、チャンスを作った青道。
さらに攻撃は、4番の御幸のフォアボールで繋がり、ノーアウトランナー一二塁となる。
試合はまだ、中盤戦。
逆転するチャンスは幾らでもあるが、相手は大野。
簡単に得点ができる相手ではない以上、まだ失点する訳にはいかない。
マウンド上で軽く土を蹴るエースの表情は、若干不服そうなもの。
一度タイムを取り、多田野はマウンドへと駆け寄った。
「球は来てます。ゾーン内勝負で、1つずつ行きましょう。」
指先を弄る成宮を見ながら、多田野は定型文のように言葉を連ねる。
それを聞いても尚、何となく不服そうな表情を浮かべている成宮はため息をついた。
「やーめた。」
突如として口を開いた成宮に。
そして何より、唐突に出てきたその宣言の意味が分からず、多田野はポカンと口を開けた。
「急にどうしたんですか。」
ハッとしたように多田野は聞く。
すると成宮は深呼吸をして、帽子の鍔に左手を当てた。
「こんなに退屈な試合になるとは思わなかった。お互い長期戦になるからって三味線張って、ダラダラダラダラと。うんざりだ、もう。」
つらつらとそう零すと、成宮は空を見上げて息を大きく吐いた。
「ここから先は本気で行く。それでも向こうが来ないってんなら、俺が捩じ伏せてこの試合を終わらせる。」
淡々と言い放つと、鋭い視線を青道のベンチへと向ける。
「俺は俺の覚悟を見せる。奴がどう答えるかはわかんねえけど。着いてきてくれるか、樹。」
そんな姿を見て、多田野も一つ溜め息をついて、肩を竦めた。
「またそんな独りよがりなこと言って。」
「うるせー。どうなんだよ、樹。」
半ば呆れたように返答した多田野に、成宮は不服そうな表情を浮かべる。
しかし続けて、多田野は返した。
「死ぬ気で着いていくって言ったじゃないですか。死なば諸共、独りでは死なせません。地獄に落ちるのなら、共に。」
そう言って胸を叩く多田野。
格下相手に敗戦を喫した、あの秋大。
己の不甲斐なさで、エースを孤独にしてしまった。
もう、負けない。
覚悟は、とうの昔に決めている。
真剣な眼差しで胸を叩く多田野に、成宮はフッと笑う。
そしてそのまま、右手のグローブで多田野の頭をトンと軽く叩いた。
「物騒なこと言うなって。それに、俺となら地獄に落ちることはねーよ。」
「鳴さん…」
「夏輝に投げ勝って甲子園で頂点に立つ。なんてったって、俺たちが最強だからな。」
そうして、少年のようににかっと笑う。
この夏大会初めての笑顔。
そして、昨年以来の表情に、多田野も釣られて笑顔になる。
「はい!ウチが最強です!」
「言っとくけど、俺が最強なだけであってお前は普通だから。」
「すぐそういうことを言う…」
多田野の豊かな表情の変化に、成宮は軽く茶化して、右手のグローブを前に差し出した。
「ほら、行くぞ樹。」
「っ!はい!」
初めて見せる成宮の仕草に、多田野は一瞬固まる。
しかしすぐに、彼の動作の意図を理解して、自分の左手のミットをポンと当てた。
(空気が変わった…?)
一塁ベース上、御幸がマウンドへと視線を向ける。
先程までも、決して手を抜いていた訳では無い。
しかし、何となく気持ちが乗っていない気は、こちらの目からでも分かった。
(あのキャッチャー、何をした。)
気の難しい成宮を、あそこまで手懐けているか。
昨年秋はむしろ振り回されているように見えたが、彼が一度間を取り駆け寄ってから、成宮の纏う雰囲気が、明らかに変わった。
そしてそれは、昨年よりも遥かに実力をつけた上で。
昨年同様の、圧倒的に気持ちが乗り始めている。
球のキレも凄まじい。
その上で、気分屋の成宮が絶好調になれば。
(こりゃ、やべえかもな。)
御幸の予想は、正に的中。
ギアを上げた、というよりは一気に力を解放し始めた成宮に、金丸が三球三振。
最後は、遂に見せたチェンジアップを完全に振らされてしまい、いとも簡単に空振り三振を取られた。
続く降谷も、同様。
ストレート2球で追い込むと、最後は縦のカーブをボールゾーンに放り、空振り三振。
正に斬り捨てると言ったような形で、圧巻の投球を見せる。
ヒット四球から見せた、圧倒的な投球。
そのずば抜けた力に、会場もざわめきが大きくなる。
最後は、東条。
彼に対しては、徹底してストレート勝負。
威力のある直球を立て続けに投げ込み、最後はインハイを抉るボールで空振り三振。
5球目となる149km/hのキレのあるストレートを完全に振り遅れさせる。
ピンチになってからの、圧倒。
彼の最大出力は三者連続三振という最高の形で顕になった。
「っしゃあ!ラァ!」
この試合、初めて吼えた成宮。
ピンチではない。
しかし余りある闘気を振り撒くように。
そして、もう一人のエース。
唯一無二のライバルであり、世代最強の右腕に。
真っ向勝負、全力投球での宣戦布告を叩きつけた。
「やべえな、ありゃ。」
バッティンググローブを外し、ベンチへ向かった御幸がそう零す。
一塁側から見た成宮の投球は、確実に自分が打席で目にした2度のものとは一線を画していた。
球の勢いも、気迫も。
何より、昨年同様に輝く瞳が物語る。
今でこそ見慣れた、その瞳。
昨年の大野と成宮の投げ合いで顕になった、彼らが試合に没頭したときに見受けられる特徴である。
真に実力を発揮し始めた、合図。
所謂、彼らがリミッターを外したときに発現する。
「鳴のやつ、かなりギアを上げてきたぞ。こっちも…」
忙しく防具をつける御幸が、そう言いかける。
しかし、間もなく彼を襲った熱気に気が付き、押し黙った。
熱気の正体は勿論。
「そうか、なるほどな。お前がその気だと言うのなら。」
頭に乗せていたタオルを払い落とし、ゆっくりと立ち上がるもう一人のエース。
前髪をかきあげ、息を吐く。
そして、決意を固めてグローブを掴んだ。
(奴も、覚悟を決めた訳か。なら、こちらも全力で向かわなきゃだよな。)
長期戦とわかっていながら、ここでリミッターを解除した。
おそらくそれは、こちらに対しての宣戦布告。
もうセーブせず、目の前のイニングに全力でぶつかっていくという、メッセージである。
「一也。悪いが、予定変更だ。ここから先は、全力でいく。」
真っ直ぐマウンドを見つめながら、大野はそう呟いた。
陽炎で揺らめく小さな玉座。
輝く青い瞳は成宮同様、さらに深みを増していく。
集中力が高まり、どんどんと試合に没頭し始めていることがわかる。
しかし同時に、御幸は昨年の試合終盤が脳裏に映る。
魅力的で且つ、どこか人を惹きつけるようなプレーを見せるこの状態。
しかしどこか、危なさをも感じる。
熱気と、闘魂。
自然と握りしめられた拳を見て、御幸は大野の肩に手を置いた。
「一人にしねえからな。死なば諸共、進む先が地獄であろうと俺は最後まで付き合うからよ。」
昨年は、一人にしてしまった。
成宮と投げあい、最後の最後まで全力投球してお互いに力尽きた。
あの時何もできなかった自分が、情けなくて仕方がなかった。
もう、負けさせない。
そしてもう、一人で背負わせない。
御幸もまた覚悟を決める。
彼の発言に、大野は苦笑して答えた。
「物騒なことを言う。」
「言葉のあやだよ。それに俺たちなら地獄には行かねえ。だろ?」
アピールするように御幸が大野の目を見ると、彼は笑って返した。
「何を言うかと思えば。まあ、そうだな。」
左手のグローブを顔の高さまで上げる。
そして、そのマウンドから御幸に視線を向けた。
「すまんが付き合ってくれ。俺…いや、俺たちで鳴を超える。」
「当たり前だ。お前は日本一の投手だ、俺もそれを証明する。」
互いのグローブとミットをこつんと当てて、互いに笑う。
「行こう、一也。」
「ああ。行こう。」
最強と名高い、二つのバッテリー。
奇しくも同じような言葉を連ね、同様に覚悟を決めた。
試合は中盤戦。
世代最強の二人が、リミッターをついに解除した。