甲子園。
多くの高校球児が目指す、高校野球の聖地。
しかしその場所に辿り着けるのは、地区でたった一校のみ。
この広い西東京地区で、たった一校のみなのだ。
過程は違えど、目指す思いは、同じ。
その場所に辿り着くために、それぞれの高校が熾烈を極めた戦いを繰り広げる。
今日もまた、二つの高校が激突する。
青道高校と米門西高校。
方や名の知れた私立高校であり、方やごく普通の都立高校。
かけている資金も、使っている機材もまた違う。
しかし、想いだけは同じなのだ。
誰もが、シード校である青道高校の勝利を疑わなかった。
何せ、青道と言えば都内でも有数の強豪校。
強力な打撃陣が売りの、強打のチームである。
しかし、そんな中でも。
この試合に向かっていく米門西だけは、打倒することだけを考えていた。
「どうせあいつら、どっかで都立高校を舐めているからな。」
その油断にこそ、付け入る隙がある。
そう、米門西の監督である千葉は踏んでいた。
その為には、まず先手を取る。
こちらから仕掛けることで、相手をこちらの土俵に引き摺り込むのだ。
地力では向こうが上。
だからこそ、こちらのペースで戦うことがまずは最低条件になってくる。
「まずは君が、奴らを脅かしてやれ。」
千葉の視線の先には、背番号10。
この米門西が、格上である青道を倒すために考えた切り札。
それこそが、彼なのだ。
(この夏のために、俺は。)
この最後の夏のために、今までのフォームだって変えた。
甲子園に行くためだけに、こういう強いチームに勝つために。
夏まで我慢してきたんだ。
ここまでやってきたんだから、勝ちたい。
いや、勝てるんだ。
そう言い聞かせるように、先発である南平は深呼吸をした。
リラックスするために。
勝てると、自分に言い聞かせるように。
「まずは1つずつだ。いつも通り投げていけばいいからな。」
「ああ、しっかりいこう。」
捕手に言われた通り、1つずつ丁寧に投げていけば勝てる。
監督だって、仕掛けがハマれば確実にこちらのペースになる。
そうすれば。
最初の打者である倉持が、打席へ入る。
俊足のリードオフマンであり、内野安打セーフティーバントあらゆることを警戒しなくてはならない。
(難しく考えるな。俺はいつも通りだ。)
そうして、セットポジションに入り投球モーションに移る。
足を抱え込むように身体を丸め、スライドステップ。
地面を滑らせるように足を運び、その前へ進む動きに連動させるようにしたから腕を振り抜く。
通称、アンダースロー。
球速自体は遅いものの、その変則的な投球フォームは、バッターを惑わすにはとても効果的であった。
(フォーム的には、ノリよりもっと下。球速はないけど、やっぱり軌道自体は見慣れない。)
下から放っている分、軌道としてはサイドスローの川上より低いリリースポイントになる。
尚且つ、少しふわりと浮かび上がるようにしてから沈む、独特の軌道である。
(変化球も見たいってのは、少し欲張りか。)
2球目、今度はインサイドのストレートを見逃してツーストライクと追い込まれてしまう。
これで、クサイコースも振らなくてはいけない。
できればチームに情報共有も兼ねて変化球も見ておきたいが、出塁が最優先。
そう思い、倉持はバットを構えた。
投げられたボールは、やはり緩いボール。
しかし今回のそれは、先の2球よりも遥かに遅いものであった。
「っ!」
完全にタイミングをはずされ、空振りの三振。
米門としては、先頭打者を三振で取れたという理想的な立ち上がりとなった。
「すいません、亮さん。詳しい軌道とかは正直わかんなかったっす。」
「いいよ、あの変化球見れただけでだいぶイメージついたから」
そして、2番の小湊が打席へ。
チーム随一のバットコントロールを誇っており、出塁率は非常に高い。
(倉持の反応を見るに、相当遅いみたいだね。変化球は特に。)
それならば、ある程度予想が立てやすいストレートを叩く。
遅い球なら、できるだけ引きつけて合わせてやれば、上手く飛んでくれるはず。
そうして、投げ込まれた初球を狙い打った。
金属特有の快音。
しかしその刹那に、破裂音にも似た捕球音が鳴り響いた。
サードライナー。
流し方向に放たれた強い打球だったが、打球は運悪くサードのグラブにすっぽり収まっていた。
(んー、引きつけすぎた。)
表情では笑っていながらも、小湊は苦虫を噛み潰すような思いでベンチへ戻った。
後に続く伊佐敷は、緩いボールを上手く拾ったものの、予め深く守っていた外野守備に抑えられてレフトフライとなってしまう。
強豪である青道が、三者凡退。
いい当たりも放っていたが、それでもヒットが一本も出ていない。
その事実だけで、球場は少しざわついた
観客もそうだが、何より当事者である米門西ベンチの活気が湧き上がった。
「俺が、あの青道を抑えたのか?」
「ナイスピッチだ南平。これで主導権は握ったも同然だ。どうだお前ら、これが千葉流勝負の鉄則その1じゃ。」
何が何でも、まずは主導権を握る。
その第一関門は、突破した。
後は、マウンドに上がる相手投手を打ち倒す。
「相手の先発はエースとはいえ、球速は菊永と変わらない。相手は初回の攻撃で点が取れなかったから焦っているはずだ。その隙に付け入るぞ、いいな。」
「はい!」
球速は、MAX133km/h。
先発時の平均球速にしてみれば、大体120km/h前半。
お世辞にも早いとは言えない上に、関東大会では炎上しているなど、不安定なのではないかと千葉は予想していた。
しかし。
それが千葉の勘違いであったことがわかったのは、この直後であった。
マウンドに上がった、2年生エース。
身長はそんなに大きくないし、身体も特段大きいとは言えない。
しかし。
「何を勘違いしているかは知らんが。」
そんな彼が見せたのは、まさに「圧倒」であった。
「点が取れなきゃ、勝つことなんて不可能だぞ。」
数字上の球速で言えば、確かに遅い。
が、その並外れた回転数はボールに加速力を生み出し、普通ではあり得ないような軌道とスピードで、ストライクゾーンの四隅に決まる。
遅いはずなのに。
振り遅れる、目が追いつかない。
全く、着いていけない。
気がつけば、3人の打者が連続で空振りの三振に切って落とされていた。
その光景に、千葉は唖然とした。
高々120km/hのストレートに、誰も着いていけないのだから。
打ち崩せると思っていた相手は、早々に圧倒的な投球を見せつける。
そしてその投球は、米門西にプレッシャーを与えるには十分すぎる代物だった。
「これで流れは切りました。あとは、お願いします。」
悠々とベンチへ向かっていく大野がそう呟くと、主将であり4番の結城は笑顔で答えた。
「ああ、任せろ。今度は俺達が持ってくる番だ。」
ヘルメットに手をかけ、素振りを一閃。
場内がどよめくほどの、力強い一振。
大野の圧倒的な投球に、米門西ベンチがざわつく。
というよりは、本当に打ち込めるのかどうか不安が浮かび上がる。
しかし、南平は投げる。
なんとか点を取れることを信じて、自分は投げるだけだと言い聞かせて。
3年間鍛え上げてきた、アンダースロー。
球速はないが、独特の軌道を描きながらコースに決まるストレート。
いつも通り、気持ちを落ち着かせて投げた。
その瞬間、彼の視界から白球は消えた。
いつ振り抜いたのか、いつミートされたのかは分からない。
確認できたのは甲高い金属音と、バットを振り抜き走り始めた結城の姿だけであった。
スイングが速い。
そして、力強い。
これまで南平が経験をしたことのない打球が、レフト線ギリギリに突き抜けた。
「おお!キャプテン結城の二塁打!」
「やっぱりこいつは別格だよな!」
湧き上がる歓声。
何だかんだで、こういう注目選手が活躍する姿が見たいのだ。
盛り上がる歓声、会場中がヒートアップしていく。
が、ただ1人だけ、どんどん冷や汗が出てくる選手がいた。
相対している南平である。
(初回こそノーヒットだったけど、あの2番3番にはいいあたりを打たれてる。こんな打線と、あと何回戦わなければいけないんだ。)
青道高校の打撃陣の特徴といえば、1人の怪物スラッガーが活躍するのではなく、1度打ち始めたら止まらない、いわばマシンガン打線のようなものだ。
結城の後にも、いいバッターは続く。
そして、そんな相手たちにあと24個ものアウトを奪わなくてはならないのだ。
そう気がついてしまった時。
南平は遠すぎるゴールに戦慄した。
そしてかけられたプレッシャーは迷いを生み、迷いはボールを鈍くする。
その球がスタンドに運ばれたのは、増子が打席に経ってから間もなくのときであった。
もう1度始まれば、止まらない。
完成しきった「打の青道」が、南平を燃やし尽くした。