『全国高校野球選手権西東京大会決勝。昨日は延長15回という死闘でしたが、その果てに決着はつかず。3時間48分という長丁場を経て、この再試合に至ります。』
試合開始を目前に控え、昨日同様の熱気がこの神宮球場の中を蔓延する。
会場は、早くも満員。
立見席にも人が溢れ返り、その注目度を物語っている。
世代最強と謳われた、右腕と左腕。
3年連続この決勝の舞台で接戦を繰り広げているこの2人の最後の闘いは、多くの野球ファンや解説者たちの予想を上回る互角の投げ合いを続けていた。
互いに15回を投げきり、許した失点は1だけ。
それも両チーム得点力が高い強力打線を有しているにも関わらず、である。
試合開始目前。
昨日は両エースが15回を投げ切った。
青道は、次期ドラフト候補である2年生の降谷と沢村のダブルエースクラスのピッチャーが準決勝で投げているものの、休養を取った為回復。
稲実も同様に、好投手である平野と期待のサウスポーである赤松を温存している。
両チーム共に好投手が残っている状態。
しかしそれでも、この試合。
互いの監督は、心中するが如く。
チームを背負うエースを、マウンドへと送り出した。
『さあ、大きな拍手と共に世代最強と謳われたサウスポーがマウンドへ駆け上がります。今日もまた多くのバッターをその手で斬り捨てるか。王の帰還、成宮鳴がその玉座へと腰掛けました。』
昨日の成績は、15回を投げて1失点。
それも、終盤に受けた金丸の一発のみ。
連打を許したことはほとんど無く、ピンチになればギアを上げるため余程でなければ失点をするビジョンを見せないほどのピッチングであった。
状態にもよるが、やはりこの再試合でも大量得点は見込めない。
であれば、立ち上がりが不安定な序盤をなんとか、叩く。
マウンド上で最後の投球練習を行っている成宮を見据えながら、チームのリードオフマン、先頭打者である倉持は昨夜のミーティングを思い出していた。
「明日は今日の疲労がかかる分、より負担の大きい試合になるだろう。そんな中だが、明日の先発は…」
「俺に、行かせて下さい。」
片岡の言葉を遮るようにして、答えたのは大野。
普段真面目で、且つ片岡に義理を感じている彼にしては珍しく踏み込むようにしての主張だった。
「確かに沢村と降谷もいます、信頼出来るのも分かっています。だけどこれは、俺の闘いでもあるんです。青道のエースとして、チームを背負う者として。ここで逃げたら、俺は成宮にも、ウチは稲実にも勝てないと思うんです。」
疲労があるのは、百も承知。
十分休養をとった降谷と沢村の方が安全なのも、わかっている。
それでも大野は、自身でマウンドに上がることを直訴したのだ。
自分が望み、リベンジと甲子園出場という誓い。
独りよがりではない。
責任感を持ち、最後まで逃げずに闘うという意志。
「それが俺の…大野夏輝としての望であり、エースとしての責任です。」
大野が言い切った後、僅かながら静寂が訪れる。
時計の秒針が何度か響いた後、口火を切ったのは片岡だった。
「責任…か。もしお前が明日打ち込まれて負けたら、どうするつもりだ。」
明日はきっと、今日ほどの出力は出ない。
ボールの威力も、コントロールも、変化量も。
今日より数段落ちてしまうのは、あくまで仕方のないことである。
成宮も相当な疲れがあるとはいえ、元々の投手としてのタイプの違いも考慮すると、やはり長期戦になると大野の方が不利なのは否めない。
完全にボールの威力に加え、左腕という独特な軌道による対応の難しさ。
最速150km/hオーバーの威力あるストレートに、チェンジアップ。
疲れが出てもある程度、脅威になるボールである。
比べて大野は、元はといえば緻密なコントロールとスピードボールの投げ分けで相手打者を幻惑し、試合を掌握するのが本来の投球スタイルである。
絶好調時はキレのある高めのストレートでもガンガン三振が取れるが、平均球速は130km/h台。
高校野球の中では、どうしてもよくいる部類に入る。
疲労が吹き出て、球質は愚かコントロールまで乱れたとき。
稲実の強力打線は、大野を打ち崩すことになる。
勿論、片岡自身心にも思っていないことである。
十全な温存と準備に加え、彼自身この試合の為に一年間割いてきた時間も数しれない。
しかし敢えて投げかけたその質問に、大野は間を置くことなくすぐに返した。
「ハナから負けることを考える奴を、エースとは呼べんでしょう。」
間髪入れずに応えた、言葉。
それに対して、片岡はゆっくり頷いて、全員の顔を見回した。
「お前は今の状態で、このチーム全員の思いを背負っていけると、本気で言えるのか。」
「どんな時でも背負い、勝利を運ぶのがエースです。それに今は、ひとりじゃないですから。」
支えてくれる、首脳陣がいる。
後ろを守ってくれる、頼もしい仲間がいる。
背中を押してくれる、声がある。
「日本一のメンバーがここにはいます。声を掛けてくれる仲間がいます。熱い声援を投げ掛けてくれる人達がいます。このチームなら、絶対に負けないって確信してるんです。」
そういって、大野は笑った。
「俺の最後の我儘です。このチームのエースとして、俺は最後、日本一のチームで日本一の投手として、マウンドで笑いたいんです。」
チームのエースとして、自己犠牲する訳では無い。
1投手として、勝負に臨むだけでもない。
彼自身が、自身の望みとして。
大野夏輝という最強のエースとして、チームを背負うことを選んだ。
暫しの静寂。
少しの間が空いて、片岡はまた口を開いた。
「分かった。明日もお前に任せる。その代わり、絶対に成宮に投げ勝つことだ。その為なら、俺たちも全力でお前をサポートする。」
「はい。必ず勝ちます。チームの為にも、応援してくれてるみんなの為にも。勿論、俺自身の為にも。」
1人はみんなのために。
みんなは1人のために。
全員で勝つ。
新チーム結成からずっとコンセプトにしてきた、テーマ。
最後まで変えずに続けてきたこのチーム方針の元、その中心にいた大野にマウンドを託したのだ。
(んにゃろ、また一人でカッコつけやがって。)
打席の横で軽く素振りをしつつ、倉持はブルペンで準備をする大野へと視線を向けた。
また、彼は背負うと言った。
自身がどれだけボロボロになろうが、それでも。
それが自分の望みだからと。
成宮との因縁も。
甲子園の夢も。
チームの想いを背負った上で、全ての決着をつけると言うのだ。
(てめえが自分でやりてえって言ったんだろ。エースがそう言ったんなら、俺たちはそれを全力で支えてやるってんだ。)
嘗て自分らに対して、大野がそうしてきたように。
マウンド上でボールを操る成宮をじっと見据え、倉持は深呼吸をする。
試合序盤が、チャンス。
特に立ち上がりの不安定なところを叩くことができれば、先制攻撃につながる。
やれることは、限られている。
なら、自分ができることを精一杯こなす。
「プレイ!」
試合開始のコールと共に、ワインドアップに入る成宮。
組まれた両手を高々と上げ、身体を半回転しながら右脚を振り上げる。
170cm台の、決して大きいとは言えない身体を目いっぱい使いながら投げ込まれたのは真ん中低めのストレート。
連投を感じさせない威力、142km/h。
まずはこのボールを見送った倉持は、一度打席を外して素振りをし直した。
(その眼。俺たちなんざ眼中に無ぇっていうその眼が腹立つんだよ。)
響き渡る歓声。
こちらを見下ろす、エース。
どうにも、まるで脇役と言わんばかりの態度。
大野は支えると言ったが、脇役に徹するつもりはない。
全員で勝つ。
己は己として、それを集合させて輝く。
主役は、自分自身だ。
(てめぇらもっと、俺らを見ろ!)
2球目。
外からストライクゾーンに入ってくるスライダー。
若干浮いたとはいえ、斜め横に滑るキレのあるスライダーを、捉えた。
『センター前弾き返したー!倉持、成宮から2試合連続で先頭打者としてのヒットを放ちます!』
ノーアウト、ランナー一塁。
次のバッターは、好打者の白州。
昨日は御幸同様、成宮に意図的にギアを引き上げられていた為あまり当たっていなかったが、長打もあるバッターだ。
(昨日はまるで良いところが無かった。一丁前に大野を支えると言っておきながら、あのザマだ。)
安打こそはあれど、得点に結びつけることはできなかった。
寧ろ、初回の取りたいところでのゲッツーなど、不甲斐ない結果に終わってしまっている。
監督が自身を2番に置いてくれているのは、小技や繋ぎの為だけではない。
あくまで、初回から得点を生み出すための、攻めの打順。
(この不安定な初回にチェンジアップは投げてこないはず。多少厳しいコースでも、速いボールを狙う。)
その、初球であった。
成宮が投げ込んだのは、外角高めのストレート。
正に白州が狙っていたと言わんばかりに、逆らわずレフト前へ。
鋭い打球はレフトの神宮寺の前へ。
更に白州が勝負しにいくと確信していた倉持は、迷わず二塁を蹴って三塁まで陥れる。
一塁ベース上、白州はブルペンにいる大野に拳を向けた。
(昨日はお前がとことん作った試合だ。お前の覚悟は分かってる。だから、今日は俺たちにも任せろ。)
倉持、白州の連打により初回からいきなりチャンスを大きく広げたのは青道高校。
ランナー一、三塁で打席にはクリーンナップの筆頭である小湊が入った。
(先輩たちが作ったチャンス。ここで何とか大野先輩を援護する。)
しかし、ここで成宮も不安定ながらなんとか立て直す。
初球から速いボールは低めへ。
140km/h台後半で、低めから伸び上がるようにして決まるボールに小湊も打ちあぐねてしまう。
2球目は縦に割れるカーブ。
真ん中付近からキレよくボールゾーンまで切れ込むボールに小湊もタイミングを外されて空振り。
チャンスながら、早くも2球で追い込まれてしまう。
しかしそんな中でも、小湊は成宮に食らいついた。
3球目のバックドアのスライダーもバットに当ててファール。
さらに4球目のストレートもファール。
5球目の縦気味に落ちたスライダーを見送り、小湊はバットを構え直して息を吐いた。
(せめて、食らいつく。絶対に、洋さんだけでもホームに返す。)
勝負が決まったのは、6球目。
外角に投げ込まれた144km/hのストレートに、ついて行くのが精一杯。
なんとかバットに当てにいく。
木製バットの先、根元から砕けるようにしてバットが割れ始める。
しかしそれをものともせず、小湊は振り切った。
芯から外して折れるバット。
それでも振り切った打球は、一二塁間へと転がった。
捕球した山岡も、ホームへの送球は無理。
打球の音と共に瞬足の倉持が迷わずホームへと突入した。
「っしゃあ!」
打ちあぐねていた成宮からの、先制点。
昨日は15回で1点。
それも、金丸のホームランのみと中々厳しい状況が続いていた中でのこの鮮やかな得点劇は、この試合が荒れる可能性を示唆していた。
青道が有利か。
それとも、乱打戦の予兆か。
しかし、そのどちらでもないことを証明するか如く。
成宮が、自身のリミッターに手をかけた。
御幸に対して、初回からチェンジアップを解禁。
最速148km/hのストレートを低めに集めつつ、4球目に投げ込まれたチェンジアップを引っ掛けさせる。
打球は正面。
セカンドの江川が丁寧に捌き、2アウト目を献上した。
塁審のアウトコールを受け、一塁ベースからベンチへと戻る御幸。
そんな彼を迎え入れつつ、倉持は御幸のヘルメットを預かって言った。
「明らかにギアが上がってたな。」
「あぁ。まさか初回からチェンジアップを使ってくるなんてな。」
守りに備えて防具を身につけつつ、そう答える御幸。
チェンジアップも勿論そうだが、真っ直ぐの威力もスピードも明らかに上がっていた。
どうも、4番という理由だけでは片付けられないほどのギアチェンジをしている。
「向こうには向こうの考えがあるんだろう。まあ、気持ちはわかる。」
ブルペンから戻ってきた大野が帽子を外しながら続ける。
「鳴にとってお前には絶対打たれたくないんだろう。お前に一打が出る時は、大抵試合が決まる時だ。そうでないにしろ、必ず流れが変わる。」
逆もまた然り。
絶対的な4番であり、都内でも有数のスラッガーである御幸を完全に抑え込んだとき、稲実側も大きく流れに乗ることができる。
「去年の雅さんに対する俺たちと同じだ。それに、向こうが哲さんに抱いていたものも同じだろう。一也は今、あのバッテリーからそう見られていてもおかしくない。」
5番の金丸が三振したのを見て、大野は急いでドリンクへ口をつける。
厳しい中、まずは大事な一点を取ってくれた。
これで、ある程度楽に投げられる。
しかし、まあ。
これでは、終わるまい。
そんなことを思いながら、大野は御幸の背中を叩いて言った。
「お前が決めなきゃ、この試合は終わらないってことだ。頼むぜ、一也。」
「プレッシャー掛けやがって。」
「好きだろ、そういうの。」
そう言って互いに笑い合う。
長きに渡る試合の、最初の守り。
自身の調子を探りつつにはなるが、まずは無失点で切り抜けたい。
(行こう。みんなの想いを背負って。俺自身の望みとして。チームのエースとして、稲実に…鳴に勝つ。)
託してくれた、監督のためにも。
支えてくれるみんなの、想いも背負って。
全てを、力に変える。
覚悟を決め、大野はゆっくりとマウンドへと上がる。
僅かに踏み荒らされた、マウンド。
小山の如く盛られた黒土を踏みしめ、足をかける。
両チーム、スターティングメンバーに大きな変更はなし。
青道側が、レフトに入っていた降谷の所に3年の麻生が入ったのみ。
勿論、向こうも成宮の先発は揺るぎないだろう。
いつもの様に投球練習を行い、それを掴み取った御幸がマウンドへと駆け寄った。
「どうだ、ボールの具合は。」
「嘘言ったって仕方ねーからはっきり言うけど、昨日ほどじゃねーな。ただ、抑えられる。昨日みたいにガンガン押すリードじゃなくて、丁寧に行くからな。」
「はっきり言ってくれるな。まあ、俺は一也のリードを信じて投げる。」
「あぁ、信じろ。俺もお前を信じてる。」
いつもの様に出されたミットに、笑顔で当て返す。
互いの思考をリンクさせ、同じ方向を向く。
目の前の打者を、斬り捨てるという。
打席に立つのは、カルロス。
この決勝幾度目かの打席、再試合では初の打席。
主審の合図と共に、大野はサインに頷いてゆっくりとモーションに入った。
御幸が構えたのは、外角低め。
まずは様子見。
カルロスのこともそうだが、実際に試合に入ってからの大野の状態が見たい。
全身の捻転。
いつも通りの投球フォームから繰り出された直球。
コースは御幸の要求通り、厳しいコース。
しかしカルロスは、初球から合わせに来た。
『弾き返したー!レフト前!昨日の試合では全くスキを見せなかった無敵のエースからいきなりチャンスを作り出します、稲実のスピードスター神谷!』
打球はレフトの前。
麻生が無難に処理をする中、カルロスは加速。
迷わず一塁ベースを蹴り、二塁へ。
あわや暴走とも取れる走塁だったが、彼の卓越した走塁技術と打球判断で二塁打にしてみせた。
ジャストミートとは言えない。
だが、高校野球は金属バット。
ミートポイントの広いこのバットであれば、多少芯を外していてもある程度飛んでくれる。
その上、カルロスはこの初球を完全に狙っていたのだ。
(悪ぃがもう見慣れたぜ、そのコースにもな。)
厳しいコースとはいえ、対戦数も多くなっている。
昨日ほどの絶望的なボールでもない。
ならば、コースさえ絞ることができれば手を出すことはできる。
不敵に笑うカルロスを尻目に、大野はマウンド上で再び深呼吸をした。