『打ち上げたー。最後はセンターの東条がしっかり掴んで3アウト。マウンド上の大野、ランナー二三塁のピンチを作りましたがここは何とか無失点で切り抜けます。』
東条のグローブから乾いた捕球音が響くと共に、大野は小さく拳を握りしめる。
マウンドから降りる最中、大野は僅かながら安堵の表情を浮かべた。
得点が動いた、初回。
加えて、再試合で疲労が溜まりつつ、打者としては投手の球筋に見慣れている為、初回から得点が動く可能性は大いにあった。
「ナイスピッチ。よく堪えたぜ。」
帽子を外して汗を拭う大野の背中を、御幸がトンとミットで叩く。
カルロスには初球からツーベースを受け、いきなりピンチを背負う。
白河こそ抑えたものの、早乙女ヒット、盗塁で1アウト二三塁。
犠牲フライでも1点というところで、山岡を空振り三振。
さらに今大会タイムリーヒットの多い多田野に対しても、4球目のインローストレートを詰まらせて、なんとか切り抜けた。
「しかし、捉えられるな。」
「球威自体は落ちてるからな。コントロールがいつもと変わらない分、何とかはなるけど。」
この回のストレートは、最速で134km/h。
初回失点は避けたい為、体感的には出力高めで投げての、結果である。
ただ、しっかりとコマンドできている上に、変化球も浮かずに制御出来ている分、何とか抑えることはできるだろうと踏んでいた。
(寧ろ、1年ちょっと前は捩じ伏せるってよりはこっちだったからな。これはこれで、楽しい。)
疲労が溜まっているからこそ、嘗ての投球スタイルに戻して相手打線を躱していく。
ストレートと、ストレート系の変化球を低めに集めてできるだけ打者の狙いを外す。
あとはカーブとチェンジアップも比率を上げてタイミングもなるべく外していく。
ストレートの3球勝負や、高め要求はできるだけ減らす。
甘く入れば、痛打される。
特に、当たっていないだけで大野の球質は、当たればよく飛ぶ。
厳しいコースに投げても、捉えられれば長打になりかねない。
(しかも、アウトローの目付けがかなり良くなってる。こりゃあ、夏輝でも2.3失点は覚悟しなきゃだな。)
そこを何とか最小失点に抑えたいというのは自身の仕事であると、御幸は心の中で言い聞かせた。
こうなると、欲しいのはやはり追加点。
できれば終盤までリードしている状態、且つ点差に余裕がある状態を維持して欲しいが。
ただ、成宮も疲れを見せながらも好投を続ける。
初回こそ失点してしまったが、続く4回までを無失点で抑え込む。
奪三振は極端に多い訳ではないが、昨日の終盤のようにスライダーとツーシームの比率を上げた打たせてとるピッチングで、中々連打を許さない。
対する大野も、ツーシームや縦のカーブ、チェンジアップを織り交ぜながらコースを突く投球で稲実の打線に的を絞らせない。
互いに昨日の圧倒的な投手戦、捩じ伏せる投球スタイルとはまた異なるものの、粘りのピッチングで抑える様は、これまたエースの投球と言わざるを得なかった。
5回の表。
試合も中盤戦に入り、動きが出そうな頃合い。
リードしている青道も、どうにか追加点を取って大野を援護したい具合。
打順は、2番の白州から始まる好打順である。
チャンスで仕事をするのは勿論だが、チャンスメイクにも優れたハイアベレージのバッター。
対するバッテリーも、この白州に対しては御幸同様、最大級の警戒を払っていた。
(この2人の連打は、確実に試合の流れを変える。まずは白州さんを出さないこと。厳しくいきます。)
(ストレートで押せないのは、癪だけどね。スライダーとツーシームで左右の揺さぶりで行くか。)
インコースのツーシームと、外のスライダー。
厳しく内に攻めるボールと打者の目線から遠くに逃げる、対極のボールで白州の目線を外して打ち損じを狙う。
勿論、ツーシームで早めにゴロを打ってくれたら、儲けもの。
ヒットになったとしても長打になりにくいコースに投げ切れれば、とりあえずはそれでも構わない。
内角のストライクゾーンからボールゾーンに切れ込むツーシーム。
これをしっかりと投げ込み、反応できた白州でもファールにするのが精一杯。
昨日の試合で初お披露目のこのツーシームは、白州と御幸に充てがう為の専用球のようなもの。
長打を打たれたくない2人に上手いことファールでカウントを取るために、用意したボールである。
その要求通り、テンポよくファールで追い込んだ3球目。
最後はシナリオ通り、真ん中付近から外に逃げるスライダー。
ここまでインコースに切れ込んでくるツーシームに視線を慣らされ、反対方向に変化するボールを、上手く振らせた。
「っそ!」
ストライクゾーンの一杯に決まったスライダーは、バットの先端。
鈍い当たりがショートの前へ。
しかし打球はイレギュラー。
僅かに乱れた打球の処理を誤った白河も上手く処理したものの、その僅かの間に白州は一塁を駆け抜けた。
『あーっと、完全に打たせた打球でしたが一塁はセーフ!ショートのエラーが記録されます、ノーアウト一塁!』
イレギュラーバウンドとはいえ、名手である白河のエラー。
青道としては、クリーンナップに繋ぐノーアウトのランナーと、得点へと大きなチャンスとなる。
緊迫した、試合。
特にこういった投手戦は、ふとしたきっかけで乱れ始める。
昨日は、金丸が焦りから起こしたエラーから。
今日は、名手である白河のイレギュラーバウンドから。
たった一つの、それも運も絡んだこの場面。
その一つで、試合の流れは変わってしまう。
更に続く小湊が内野ゴロを放った間に白州が二塁へと進み、1アウト二塁とチャンスを作り出す。
中盤戦に入り生まれた、追加点のチャンス。
しかし、傾きかけたこの流れ。
涼しげな風が吹き抜けたと同時に、王は夏空を見上げて息を吐いた。
(全てを背負うのが、俺の役目だ。甲子園に連れて行くのも、チームを日本一に導くのも、世代最強の名も。)
疲労困憊、連投で出力の上がりきらない再試合。
だがここで、成宮は強引にギアを引き上げた。
「てめえにだけは、絶対負けない。お前ら2人を捩じ伏せて、俺が世代最強を引っ提げて甲子園に行く。」
成宮にとって、どんなに失点しようと、どんなに厳しい試合になっても。
御幸と大野にだけは、負けないと。
勿論、因縁やらライバル意識などもそうなのだが、間違いなくこのチームの軸はこの2人。
2人が試合を決めるようなプレーをすれば。
特に打線の主軸である御幸に一打が出れば、この試合は一気に流れを持っていかれるということを理解していたから。
だからこそ、御幸にだけは死に物狂いでギアを上げて、全身全霊をかけて抑え込んでみせた。
『空振り三振!尽く4番のバットが空を切ります!今大会5割近くの打率を誇っていた御幸をここも真っ向勝負で押さえ込みます!』
最後は外角高めの直球。
146km/hの力の入ったストレートにバットが空を切り、空振り三振に倒れる。
やはり、振った先はボールの下。
連投とは思えない威力のキレあるストレートではある。
しかしそれにしても、率も残している御幸にしては珍しくこの決勝戦では当たりがまるでない。
大野は、そんな御幸の姿を見つめながら、裏の登板への準備を始めた。
最後は金丸をスライダーでショートゴロに抑えて3アウト。
この回も成宮はランナーこそ許したものの、失点には結び付けない粘りのピッチングで、追加点を許さない。
来るべき、反撃のタイミングまで。
5回裏。
試合も丁度半分、折り返し地点まで辿り着いた。
依然、試合は1-0で青道がリードしたまま。
しかし、初回の得点だけに中々青道も突き放せず、拮抗した試合展開が続く。
稲実の裏の攻撃。
打順は1番のカルロスに還る好打順を迎えることとなる。
(とにかくこいつが塁に出ると、得点に絡むことが多い。その上、今日はガンガン振ってきてる。)
(なら、誘う他ないな。)
昨日のエラーからの好走塁で得点、更に大会期間中もとにかく出塁したらホームまで還ることができる脚力を存分に活かしていた。
初回は、厳しいコースだがアウトローを上手く外野まで運んだ2ベースヒット。
2回のチャンスは、2球目のインハイのボールに詰まってセンターフライ。
何れも早いカウントで、且つストレートを狙われている。
恐らく、大野の失投がないことを見越して厳しいコースに狙いを定めているのだろう。
ならば、それを逆手にとる。
初球はアウトローギリギリ。
これもスイングしにきたカルロスであったが、ここは落ちるボール。
低めのストライクゾーンからボールゾーンまで落とす速いツーシームを振らせて空振りを奪う。
さらに2球目。
ここで御幸は、内角の高めに構えた。
(疲れを考えると、正直あんまり使いたくないけどな。悪いけど、ここは押していくぜ。)
先程は詰まっていたとはいえ、外野まで運ばれている。
カルロスの反応速度であれば、長打にもなりかねない。
フロントドアの、カットボール。
真横に大きく曲がりつつ吹き上がるこの変化球で、内野フライを打たせる。
その要求に、大野は頷いて投げ込んだ。
独特なトルネードから、静止。
アーム気味のフォームから全身を目一杯捻転し、その全ての力を右腕へと送り込む。
弾丸のようなジャイロ回転で放たれた直球は、手元で伸びるような軌道を描きつつ真横に曲がり始める。
ストレート狙いのカルロスのスイング。
その芯を僅かに外した打球は、球足速いゴロとなる。
ショート倉持の前に転がったこの打球は、彼によって軽快に捌かれて1アウト。
バッテリーとしては最も出したくないランナーであるカルロスを打ち取った。
が、御幸は大野の放ったボールに若干の違和感を感じていた。
(曲がりがかなり浅かった上に、ノビも少なかった。少し抜けたか?)
本来の彼のカットボールは、ジャイロ成分に加えてマグヌス効果も受ける為、真横に滑りながら吹き上がるような軌道を描く。
それ故に、ブレーキのかかる一般的な変化球と違って、加速するようにホップする為、普段ならばゴロというよりは空振りやフライが多くなる傾向にある。
それが、芯を外したようなゴロ。
所謂、よくあるカットボールを打たせたような打球となった。
今日の試合で使ったカットの数は、5個目。
ここまでは、殆どいつもと変わらない変化をしていた。
たまたま回転が緩かっただけか。
それとも、疲労か。
どちらにせよ、今以上に慎重に攻めなければ行けないということは、御幸自身も再認識していた。
続く白河。
打率もそうだが、何よりバントや進塁打など絡めているのにも関わらず出塁率が高い。
ただ、この大野に対してはまだ当たりはない。
本格派投手も技巧派投手も基本的にあまり苦手ではないのだが、この大野はとにかく打てない。
まあ実際、彼をカモにしている打者もいないのも事実ではあるが。
しかし。
周囲の予想やこれまでの戦績とは異なり、白河が粘りを見せる。
早い段階で追い込んだ大野であったが、球数稼ぎに白河がファールで粘る。
(っそ、ストレートで空振りが取れないのがこうも影響するか。)
(万全じゃなくても何とか出来ると思ったか。驕ってくれる。)
ストレートは勿論だが、高速変化のツーシームや緩急のカーブもまたバットに当てられる。
ヒットゾーンに落とすことは出来るが、それでも敢えてカットを続ける。
フルカウントで迎えた11球目。
低めのボールゾーンまで落ちるカーブにバットが出かけるも、何とかそのバットが静止する。
主審からのハーフスイングの確認。
塁審の下した判断は、ノースイングであった。
「っしゃあ!」
珍しく感情を全面に出す白河に、稲実ベンチもここぞとばかりに盛り上がる。
制球がとにかくよく、与四球は今大会を通じて2度目。
それほど圧倒的な技術を持った相手に対して、何とか食らいついて得たチャンス。
繋がったのは、クリーンナップ。
1アウトランナー一塁で、迎えるバッターはこの試合で唯一の打点を記録している早乙女。
とは言いつつも、完全にボテボテの内野ゴロではあったが。
しかし。
明らかに疲労があることは明確。
無駄球も増えてきた上に、厳しいコースではあれど球威が落ちてきているのは、前の打席でも感じていた。
昨日までは全く打てなかったが、今なら。
そんな淡い期待を抱いた早乙女だったが、その考えが甘かったことを再認識させられたのは、初球のボールを見て間もなくであった。
「ストラーイク!」
投げ込まれた、外角低め。
球速や威力、キレは昨日ほどではない。
それでも高いリリースポイントから角度のある縦振りで投げられる為、普段より勢いが無くてもかなり打ちにくい。
身長はあまり高くないものの、極端なほどのオーバースローで高い位置からリリースされる球は、異常なほどにホップしながら低めへと吸い込まれる。
更に2球目。
今度は同じコースに投げ込まれたのはチェンジアップ。
特に変化をするでもなく、ただスピードの落ちた所謂チェンジオブペース。
しかしこの球が、大野の真っ直ぐと相まり、奥行きで動かす変化球と化ける。
ストレートの勢いが落ちている為、空振りを誘うことはできないものの、ファールでカウントを稼ぐことはできる。
この2球で追い込むことができるのもまた、制球の良い大野の試合組み立ての上手さの一つであった。
追い込んだ3球目。
なるべく球数を減らしたいバッテリーが選んだのは、やはりこの球。
勿論、同じフォームからの投球。
僅かに表情を歪めた大野が、決め球を投げ込んだ。
先程までの投げ下ろしより更に下。
ストレートと同速で、打者の近くで突然伸びずに失速しながら利き手側に逃げるように落ちる。
このツーシームには、早乙女もバットが届かず空振り三振。
しかし、ランナーである白河はスタート。
2アウトながら、ランナーを得点圏に進めた稲城実業は、打席に4番を送り込んだ。
ここまで全く当たりのない4番。
とはいえ、御幸とは違い、率やチャンスでのタイムリーを期待されているというよりは、一発で流れを変えることのできる一撃を放つことを求められている。
ベンチ前。
打席へ向かう山岡を、国友は引き止めた。
「お前が歯がゆい思いをしているのはわかっている。試合を決めたいが、中々当たりが出てくれない。無論、それが簡単に出る相手じゃないことを理解していることもな。」
今大会幾度となく放ってきたホームラン。
そして、この高校野球だけで72ものそれを上げてきた山岡だったが、この試合に関しては、その打棒が振るわれることはない。
強振しても当たらない。
カルロスや白河のように、食らいついてでも出塁することも考えた。
自分だけ、やりたいようにやっていいものか。
芯を曲げるつもりはない。
しかし一瞬、山岡の中にも迷いはあったのだ。
「お前自身が御幸や原田のようになる必要はない。俺はお前に、お前なりの4番という存在を見出しているからこそ、そこに据えている。」
大きな背中に、国友は表情を若干崩しながらその背中を叩いた。
「ホームランバッターなら、品のある綺麗な放物線を放ってみせろ。迷うな、これまでやって来た集大成を見せてみろ。」
国友が言い切ると、稲城実業の4番は迷いなく頷く。
僅かなメッセージ。
確かに迷いを振り切ってくれた国友の言葉を胸に、山岡は打席へと歩みを進めた。