燃え上がれ青炎!   作:聖戦士レフ

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エピソード234

 

 

 

 

(やばいな。)

 

 

 

二塁ランナーの白河を背にしながら、マウンド上でボールを転がす大野は、額に滲んだ汗を右手の甲で拭った。

 

 

4番とはいえ、ここまで当たりのない山岡。

 

本塁打こそ多いが、特別チャンスに強いイメージもない。

打率は低く、三振も多い。

 

正直、大野にとってはあまり苦手意識のないタイプである。

 

 

 

しかし。

 

熱の篭った、神宮球場。

そんな最中に、涼し気な風が吹き抜ける。

 

 

 

何かが、起きる。

そんな予感が脳裏を駆け抜け、大野はその額に冷たい汗を感じた。

 

 

(ここまで当たりはないからな。徹底していくぞ、夏輝。)

 

(あぁ。わかってる。)

 

 

アウトカウントは、2アウト。

 

転がされても、内野安打の少ない打者だ。

難しく考える必要は、ない。

 

 

 

まず初球要求は、やはり外角低めのストレート。

 

この試合を通じても、このコースを中々捌けているイメージがない。

であれば、カウントを取るのには十分。

 

まずは大野最大の武器であるこのコースを投げきり、1ストライク目をとる。

 

 

山岡の反応は、見送り。

どこか厳しいコースは割り切っているような、そんな見送り方。

 

そして2球目の、真ん中付近のカーブ。

縦に切れ込む鋭い変化のこのボールに、山岡は空振った。

 

 

(やっぱり甘いコースだけって感じだな。)

 

(清々しいほどのアーチストだな。こういうタイプの方が、案外やりにくい。)

 

 

 

厳しいコースは見送り、甘いコースを叩く。

確率は低くとも、それが一発でも起きれば。

 

いくら疲弊した成宮相手とはいえ、そう簡単に得点を奪えるわけではない。

 

 

特に、現状の大野であれば普段ほどの圧倒はできない。

いつもはそれほど苦手ではないが、今日に関しては特に怖さのあるバッターである。

 

 

 

3球目。

投げ下ろしの、外角低め。

 

厳しいコースではあったが、追い込まれているのもあり山岡はバットを出す。

 

 

打球は甲高い音を立ててファール。

これでカウントは変わらず、2ストライク追い込んだままである。

 

 

 

(やっぱり、厳しいコースでもストレートで空振りが取れない。なら、ストレートは見せ球で。)

 

 

 

御幸の目から見た、大野の状態。

そして、山岡の反応。

 

この2つを加味して、御幸は山岡を抑えるだけの道筋を立てる。

 

 

4球目。

今度は、内角低め僅かに外れるボール球。

 

ここまでの外中心のリードに対して、かなり踏み込んでいた山岡。

その為、インコースの速いボールに対応し切れず、詰まってファールとなった。

 

 

 

やはり、手を出してきた。

恐らくストレート狙い、それも外から甘めに掛けて。

 

緩いボールで仕留めるのも悪くはないが。

 

 

(内を見せたんだ。ここで決めるぞ。)

 

 

御幸が構えたのは、外角高め。

 

要求したのは、大野の必殺球の一つであるカットボール。

 

それも、最も打者にとっても視界から消えやすい軌道を走る、スピンが掛かり揚力が出つつ変化も大きくなりやすい対角線の高めである。

 

 

 

僅かな間。

そして、大野が頷いてセットポジションに入った。

 

 

 

 

対する山岡も、バットを掲げる。

 

狙いは、真っ直ぐ。

コースに決まる緩い変化球は、ある程度割り切る。

 

速い変化球であれば、空振りでも仕方ない。

 

 

自分に求められているのは、狙い球を。

そして、仕留めるべき甘いボールを確実に仕留めること。

 

ヒットではない。

 

相手の心を折り、試合の流れを変えるアーチ。

 

 

 

クイック気味のトルネード。

 

風を切る快速球が、投げ込まれた。

コースは、御幸の要求通り外角の高め。

 

 

 

しかし。

 

連投の疲れか。

確実に、大野の身体に異常が出ていたか。

 

 

「っ!」

 

 

彼の、ストレートと共に操る剣の一つは、その斬れ味は衰えを見せていた。

 

 

 

(曲がらない…だと!)

 

 

 

普段であれば、圧倒的な回転数でホップしながら真横に加速して曲がる魔球。

 

 

しかし。

この試合、初めての大野の失投。

 

ここまで我慢強く待ち続けた山岡。

逃げずに振り続けた4番の一振り。

 

金属音と共に放たれた打球の行方を追い、大野は瞬間的にバックスクリーンへと視線を動かした。

 

 

 

「むん!」

 

 

 

快音と共に上がった打球は、左中間。

 

打った瞬間分かると言った弾道に、場内は大盛り上がり。

文字通り、試合の流れをひっくり返す、特大のアーチを描いた。

 

 

 

 

『は、入ったー!4番山岡、打棒一閃!ここまで当たりがなかった山岡でしたが、遂に出た一発が試合をひっくり返す、逆転の2ランホームランとなりました!』

 

 

 

声を張り上げた山岡。

 

拳を握りしめてダイヤモンドを回る彼に、ベンチも大盛り上がり。

 

 

 

そんな姿を背にしながら、大野は打球方向をジッと見て唇を噛む。

 

 

ここまで防御率は、0.00。

昨日の失点も、エラー絡みのものだった。

 

被弾は、春の選抜以来。

 

 

しかしそれ以上に。

バックスクリーンに映し出された『2』の表記に、彼は腰に手を当てて深呼吸をした。

 

打席に背を向けたまま硬直する大野。

その姿に、御幸はすぐマウンドへと駆け寄った。

 

 

 

「夏輝。」

 

「すまん、要求に答えられなくて。」

 

 

 

俯きながら帽子の鍔に触れる大野に、御幸は小さく頷く。

 

ここまで、失投という失投はなかった。

 

最近どころか、この夏の大会。

さらに言えば、春の実戦復帰から殆ど失投自体がなかった。

 

 

 

「いや、俺こそさっきのカット見て察せなかった。俺にも責任はある。それにしても…」

 

 

 

珍しいと言いかけて、御幸は一瞬固まる。

 

器用で且つ、安定感はずば抜けている。

多少のコントロールミスはあれど、変化球が曲がらないほどの失投はほとんど無い。

 

そう、過去にあったのは。

 

 

怪我が発覚した、薬師との練習試合であった。

 

 

 

「お前、肘痛いんじゃないか?」

 

 

 

途端に、走った重い空気。

 

昨年夏に痛めた、肘。

血行障害という、再発の可能性がある上に治癒まで時間がかかる身体への異常。

 

 

責任感が強く、チームを勝たせる為には自己犠牲を厭わない。

最後に勝つためなら、自分自身が壊れようと。

 

 

御幸は、慌てて大野の手を取った。

 

 

 

特に、いつもと異なる部分はない。

 

相応に汗も出ているし、冷えや震えもない。

その事に安堵すると同時に、大野は御幸の手を払った。

 

 

 

「痛みはない。若干違和感はあるが、多分前とは違う。」

 

「…張り、か。」

 

「あぁ。まあこれだけ投げていればな。多分、その影響でカットが曲がらなくなってる。」

 

 

 

元々、ピッチャーの投球動作自体が肘の靭帯の伸縮を活かしたもの。

それ故に、負担が掛かるのは至極当然のことである。

 

 

加えて、大野の決め球であるツーシームとカットボールは、肘の捻りが大きい為かなり負担が大きい。

 

その為、疲労が溜まった今、捻り切れずにカットの回転数が落ちて曲がりが緩くなったのだろう。

 

 

大野のカットボールは、はっきり言って彼の出力任せなところがある。

だからこそ、その出力が落ちたが故に浮き上がらず、曲がらなかったのだ。

 

 

 

「ツーシームはちゃんと落ちる。カット以外は特段問題ない。」

 

 

大野がそう言うも、御幸は険しい表情を浮かべる。

 

 

 

「後ろに沢村も降谷もいる。肘に違和感がある以上、投げさせる訳にはいかねえ。」

 

「何を…」

 

 

 

言いかけた大野の右腕を、御幸は力強く握る。

 

去年の、あの悲痛な姿。

そして、敗戦。

 

自身の見立ての甘さと弱さが招いた、大野の怪我。

 

 

過ちは、繰り返さない。

 

大野が日本一の投手になり、チームが日本一のチームになることを目指すように、御幸も大野が日本一の投手になることを夢としていた。

 

 

その為には。

 

 

 

「お前がこんな所で壊れるのを、見逃せるか。行くんだろ、日本一まで。お前はこんな所で終わっちゃいけないんだよ。」

 

 

 

肘の怪我は、投手生命にも大きな影響を与える。

 

今、ここで。

それを、棒に振る訳には行かない。

 

 

鬼気迫る御幸の表情に、大野は目を瞑り一呼吸置く。

 

 

一瞬の静寂と共に、大野はその覚悟を再び語った。

 

 

 

 

「俺はこんな所で終わらないし、お前が想像した悪い想定にはならない。俺は勝つまで、最後まで投げ続ける。」

 

「だからって…」

 

「全員で勝つんだろ。なら俺は、後ろを信じて。目の前のお前を信じて投げる。」

 

 

 

ここまで大野に言い切られ、御幸は観念したように掴んだ右腕を離す。

 

 

 

「負い目があるなら、お前のバットで埋め合わせてくれ。俺が日本一の投手になるのもそうだが、お前が日本一のバッターになるのも、俺の夢だから。」

 

 

 

そう言って、白球を要求するように大野は御幸の前にグローブを出す。

 

投げ続ける覚悟。

そして、必ず勝つという想い。

 

ボロボロになりながらも、最後まで闘うことを選んだ大野の姿を見て、御幸は差し出されたグローブに力強く白球を押し込んだ。

 

 

 

「必ず点は取る。それに、バックも俺も、全力でお前を助ける。お前の覚悟を、絶対無駄にはしない。」

 

「…わかった。頼む。」

 

 

 

御幸の言葉に満足し、大野はこの試合で初めて笑みを零す。

 

再びグローブを突き合わせた2人はそれぞれの持ち場へと戻り、互いの責務を全うせんと動き始めた。

 

 

 

 

一発を浴びたとはいえ、まだ2失点。

点差は1点、成宮も疲労が溜まっていることを考慮すれば、決して諦める点数ではない。

 

そして何より。

 

 

「日本一のチームになるんだ。こんなとこじゃ、止まれねえよ。」

 

 

炎天下の夏空。

陽炎すら立ちそうなほどの神宮球場で、大野は輝く青空を見上げた。

 

 

 

 

この回、痛恨の2ランホームランを打たれた大野であったが、続く多田野に対してはストライク先行でガンガン攻めていくいつものピッチング。

 

角度のあるストレートを外角低めに投げ下ろして追い込むと、最後は縦のカーブ。

 

ボールゾーンに落ち込む緩いボールを引っ掛け、サードゴロに打ち取って見せた。

 

 

 

 

 

 

マウンドからゆっくりと降り、額に溜まった汗を拭いつつベンチへと歩みを進める。

 

許したくなかった、失点。

それも、ここまで当たりのなかった4番のホームランでの逆転。

 

 

確実に、稲実側は勢い付くだろう。

 

さらに言えば、援護を受けた成宮は恐らくギアを上げる。

先程まで見えなかったゴールが見えたことで、投手が息を吹き返すことは自身の経験上でも推察に容易い。

 

恐らく、この後の攻撃での得点は、至難。

 

 

悔しさを滲ませつつも、大野は帽子を取ってベンチへと腰をかけた。

 

 

 

(疲れは…そうだな、8分といったところか。)

 

 

 

ふうっと息を吐き、目を瞑る。

ここまでは、全体的に厳しい展開が続いている。

 

勿論、最初から想定していたこと。

 

昨日15回を投げきっている上に、相手打線もこちらのボールに目が慣れている。

そもそもキレが落ちてくれば、ただ制球の良い130km/h台のストレート。

 

捉えられても、仕方がないのが事実ではあった。

 

 

 

「流石に疲れが来たか。」

 

 

 

重くなった瞼を開き、その声の主へと視線を向ける。

 

そこにいたのは、コーチである落合。

基本的に片岡監督の後ろの位置からあまり動かないのだが、先程の失点から大野へと声をかけたのだ。

 

 

現実主義で、どちらかというとチームの甲子園出場や実績の為に割とドライな考え方をするこの男。

この試合の流れと大野の疲労、そして沢村と降谷の今大会での状態を加味すれば、落合は確実に交代を進言してくる。

 

大野はそれを分かっていたが故に、今ここで彼が声を掛けてきたことに、若干ながら表情を歪めた。

 

 

 

無言で頷き、手元にあるコップへと口を付けた大野に落合は横へ座って彼に耳打ちした。

 

 

 

「ストレートを軸にする以上、使わないのは無理だが出来るだけカーブとツーシームは被せないようにしろ。あとはチェンジアップで裏をかくのは御幸が上手いことやってくれるはずだ。」

 

 

 

落合の言葉に、大野は目を見開く。

 

確かに、肘を捻らず抜くカーブと、捻ってスピンをかけるツーシームでは回転のかけ方が異なる。

その為、頻繁に交互に投げると若干ではあるが肘への疲労のかかり方は割増されやすい。

 

 

それはわかるのだが。

 

 

 

「…どうした。」

 

「いえ。止められると思ってましたから。少し、びっくりしました。」

 

 

 

意外な返答に、思わず大野もそう返す。

 

コーチのことだから、先程の投球を見て替わることを進言すると思っていた。

 

前述の通り、沢村降谷の2人の状態が良く、特に沢村は元々安定感がある分試合を壊す可能性も限りなく低い。

 

 

そんなことを考えていた大野に、落合は鼻で軽く笑い、冗談目かしく続けた。

 

 

 

「止めて欲しかったか?」

 

「まさか。止められたって、出ていきますよ。」

 

「まあ、どちらにせよだ。勝てるチームのブルペン作りってのが、俺の与えられた仕事だ。マウンド上のエースが最後まで投げるってんなら、それを可能にするのもまた、投手コーチの役割だろ?」

 

 

 

半笑いでそう言う落合。

それに対して大野は、微笑みながら煽るように返した。

 

 

 

「んじゃ、疲弊し切った将兵を労い励ますのもまた、投手コーチの役目ですか?」

 

 

 

そう大野が言い返すと、落合は珍しく破顔しながら大野の背中を叩いた。

 

 

 

「…んじゃ、俺の価値観をぶち壊してくれた魔性のエースさんよ。責任取って、チームに勝ちを運んで来い。日本一のエースが日本一のチームを、片岡監督と俺を、甲子園に堂々凱旋させてくれよ。」

 

「…合点。」

 

「お前は強い。そして、お前を支えるチームもな。全員分、しっかり背負って精算して来やがれ。無論、お前だけの力でなくていい。背中を守ってくれる仲間の力も借りて、な。」

 

 

 

援護を受けた成宮は、ギアチェンジ。

終わりの見えた試合に息を吹き返したもう1人の最強が、この試合を終わりに掛かっている。

 

 

中盤戦。

逆転の一発を許し、対戦相手はその勢いを加速させる。

 

 

ゆっくりとベンチを出ようとする大野に、片岡が呼び止める。

 

 

 

「大野。」

 

「はい。」

 

 

 

最早語るまい。

 

約2年と半年。

メッセージは、言葉は多く伝えてきた。

 

 

 

「頼むぞ。」

 

 

 

ただ一言。

エースに向けての片岡の激励に、大野は笑顔で小さく頷いた。

 

 

 

疲労が溜まり、自慢の快速球もその質が落ち始めている。

魔球と称された彼の剣とも言える武器の一つは折れ、敵の反撃の糸口へとなってしまった。

 

あるのは努力と才能で掴み取った制球と、それを支える鉄壁の守備。

 

 

負け色が濃くなり始めた中でも、エースの瞳は輝きを増し始めた。

 

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