「そうですね…」
監督が記者さんたちの応答をしているのを横目に、俺は会場の入口付近でただぼーっと立っていた。
凄い試合だった。
自分で投げている内はただ必死だったけれど、こうして試合を終えた今まわりの空気を感じると実感する。
鳴は、強かった。
俺も甲子園で色々な投手にも会ったし投げあってきたけれども、それでも一番強かった。
力も、技術も、気迫も。
決して、勝ちきれたとは言いきれない。
今こうして勝利の余韻に浸れるのも。
後ろで守ってくれたみんなや、声をかけてくれた仲間や。
そして、最後まで信じてくれた一也と監督、コーチたちのお陰だ。
まだ、足りない。
みんなに胸を張って日本一の投手だと言うには。
無意識に右手に視線を向けて、手を握る。
力は当然入らない。
まあ、そりゃそうだよね。
肘は重いし、なんなら少し痛みがある。
背中もだいぶ張ってるし、てか痛い。
348球か。
連日の試合とはいえ、改めて投げすぎだな。
降谷も沢村も準備してくれていたのに、俺のわがままを通して投げさせてくれたみんなには感謝しかない。
2人が投げていれば、展開としてももっと楽だったかもしれない。
でも、鳴のあの気迫を前に。
俺が逃げたら、勝てたかどうかは分からなかったと思う。
いつかまた、あいつと投げ合いたい。
その時俺は、また勝ちたいな。
そんなことを思いながらゆっくりと出口へと向かおうとすると、突然呼び止められるようにして声をかけられた。
「大野くん!」
「あ、高島先生。それにコーチも、どうかされましたか。」
「どうかされましたかじゃないわよ。探したんだから。」
慌てた様子の二人の姿に、思わず首を傾げる。
監督もまだ取材受けてるし、まだ時間に余裕あると思ってたけど。
あ、ちょ。
そんなに引っ張らないで。
「貴方ね、自分がどれだけ危ない状況かわかってる?」
「え?」
「肩肘気にしてるけど、全然汗出てないじゃない。ほら、早く行くわよ。」
いやちょっと待って。
ほら、外でみんな待ってるだろうし。
なんかほら、先輩とか待っててみんなで胴上げじゃーとか。
「貴方は別行動。試合では好きにさせたんだから、ここから先は言うこと聞きなさい。」
困惑する俺を他所に、2人は俺をとっ捕まえてとある車へと連行して行った。
「待ってたよ、大野くん。凄いピッチングだったね。」
「先生。ありがとうございます。」
「うん。さてと、ファンとしての僕からの意見は後で伝えるとして。2、3言いたいことは病院で伝えるとするよ。」
車に揺すられながら、コーチ同席の元で病院へ。
約30分という道のり。
何度も経験したこの距離感なのだが。
何時になっても、この空気は慣れない。
「肘が痛み始めたのは、いつ頃だ。」
窓の外を見つめるコーチの質問に、俺は少し考える素振りをしてから答える。
「9回の鳴の打席…ですかね。そこでピリッと。その前から違和感はありましたけど。」
「そう、か。」
今考えれば、その時も大した痛みではなかったかもしれない。
追い込まれた精神状態で、俺の防衛本能がもしかしたら過剰に反応していただけ。
今は実際ほぼ痛みは引いたし、熱を持っている程度。
血行障害のときは感覚自体なくなってたし、その辺は特に心配ないだろう。
「悪かったな。」
「何が、ですか。」
俯きながらそう言うコーチ。
まあ、立場上止めざるを得ないのはわかるからね。
でも、監督もそれを承知の上だったはず。
それに、例え俺がこの試合が原因でもう投げられないと言われようと、後悔なんて感じない。
それよりも、もし途中で替えられて鳴との投げ合いから逃げていたら。
俺は一生後悔していたし、そんな気持ちのまま野球を続けようとも思わなかっただろう。
世間がなんと言おうと。
俺は二人の判断を間違っていたとは思わないし、むしろ感謝している。
この試合は、俺にとって特別なものだったから。
それに。
「信じて任せてもらえるというのは、エース冥利に尽きますから。感謝を伝えても伝えきれない二人から任されて、嬉しかったですよ。」
「そうか。」
何故かブルルと小さく震えたコーチを横に、俺は外を見る。
さて、感傷に浸るのはここまで。
気がつけば病院。
今後の俺の命運を決める、検査が始まる。
約100球というリミットを設けられていた中での、160球。
先生が想定していたよりも、かなり負担が掛かっている。
現状は、痛みは特にない。
張りや重さは各所あるが、それは投げている以上仕方が無いこと。
あとは、実際に診てもらってどうか。
「うん、肘は炎症を起こしてるけど、靭帯には異常ないね。」
先生からの言葉に、まず俺たちは安堵する。
良かった、取り敢えず一番危惧していたところは大丈夫だった。
そんな最中で先生は口元に手を置いてモニターを見つめていた。
「しかし、驚いた。昨日の検査の時も言いましたが、背中の疲労がかなり溜まっている。本来、肩肘に来る負担が広背筋にも分散している証拠だ。通りであの出力を維持しながら長いイニングを投げられる訳だよ。」
「まあ、その為にフォームを見直しましたから。」
冬から着手したこのフォーム。
俺の出力と投げる球の都合上、肘への負担が大きすぎて耐えられなかったのを、背中の大きい筋肉を使って疲労を分散させる為のものだ。
「流石です。肘の炎症はあるけれども、深刻になる程じゃない。痛みはどうかな?」
「試合中に少しピリッと。血行障害のときとはまた違った感じでした。」
「恐らく、緊迫した場面で本能的に異常を感じた脳が無意識にブレーキを掛けようとしたんだろう。」
「それほどお前も追い詰められていた、ということか。」
先生とコーチの言葉を聞いて、俺はうーんと考え込む。
自分自身じゃ、到底わからない。
でも、こうして整理してみるともしかしたら俺もだいぶ追い詰められていたのかもしれない。
特に終盤。
自分の身体が思うように使えないときは、本当に自分で自分の首を絞めていたのかもな。
「とりあえず、深刻になる程じゃない。けど、楽観できる状態でもないからね。」
そうして、コーチを交えて3人で今後のスケジュールを話し合う。
と言うよりは、2人が話し合って決めたことを俺が頷くような形。
まあ流石に、ここは身体のプロと育成のプロに任せた方が安牌ではあるだろう。
以下、今後のスケジュール。
甲子園の開会式は、8/8。
となると、今日から10日空くことになる。
組み合わせにもよるが、初戦まで約2週間空くと考えれば、十分に休養をとる時間はあるのだ。
まずは明日から3日間は完全静養。
その次の日は技術練習は行わず、身体を起こす程度に軽めのトレーニングだけやって午後は休みと経過観察として再度病院へ。
そして完全静養含めて一週間はノースロー。
外野の守備での遠投など負担がかかるものは避ける。
ノースロー期間が終わったら、キャッチボールからゆっくり肩と肘を慣らして行って、残り2日でブルペンに入る形で。
そこで調整を行い、甲子園へ乗り込むことにする。
「歯がゆいかもしれないけど、我慢だよ。」
「分かってます。この試合で相当な我儘をしたので、言うこと聞きます。高島先生にもそう言われたので。」
俺が目を瞑りながらそう言うと、先生はふふっと笑う。
「じゃあ、これだけ渡しておくよ。」
そう言って差し出されたのは、アームスリーブ。
普段着ているインナーよりも絞りが強く、意図的に肘の筋肉の振動を抑えて負担を軽減させる用途のもの。
かなり締め付けは強い。
だからこそ、緩んだ筋肉を抑え込むには丁度いいと思う。
「じゃ、今度はちゃんと守ってね。次はほんと、怒るじゃ済まないから。」
「肝に命じておきます…。」
先生の笑顔(目は全然笑っていない)を見て、俺はそそくさと帰り支度を済ませる。
とりあえず、大事に至らなくて良かった。
あとはゆっくりと静養して、来るべき戦いに備えるとしよう。
そう思って立ち上がり、病室の扉に左手をかける。
すると先生が言い忘れていたように、また呼び止めた。
「あぁ、それと。」
振り返り、先生の顔を見る。
こほんと咳払いをし、中指でクイッとメガネを直すと、俺の目をジッと見て微笑んだ。
「よく、成宮くんに勝ったね。甲子園出場、おめでとう。」
笑顔でそう言ってくれた先生に、俺も笑顔で礼を言い、お世話になった先生に頭を下げて診療室を後にした。
病院を後にし、タクシーで走って幾分。
疲労からか車内で爆睡しながら、気がつけば見知った通りへ出ていた。
「すみません。」
「気にするな。あれほどの投げ合いの後で耐えろという方が酷な話だからな。」
左手の甲で目元を拭い、外を見る。
つい先程まで燦々と輝いていた太陽は身を潜め、淡く光る月だけが空を昇っている。
辺り一面は、既に漆黒。
朧気に小さく光る街灯だけが、街を照らしていた。
「もうすぐ着くぞ。」
コーチの言葉に頷き、俺は自身の右腕へと視線を落とす。
とりあえず、痛みは引いた。
些か大袈裟な固定具に苦笑いしながら、俺は停車したタクシーから寮へ向け、重い足取りでゆっくり歩き始める。
夜風が身体に染みる。
しかし、まだ暑い。
人通りの少ない遊歩道は街灯が少なく、どこか寂しいこの場所。
そこに一点の、明るい光。
見慣れ、そして何度も出入りしたその戸を、俺はゆっくりと開けた。
「戻ったぞ。」
決して大きくない帰宅の挨拶。
しかし、大盛り上がりだった食堂によく通ってくれた。
「おっ、エースが帰ってきたぞ!」
第一声は、茶化すような倉持の言葉。
駆け寄ってきた彼の右手を軽く躱し、返答する。
「馬鹿にしてんのか。」
「してねえって、捻くれてやがんな!素直に喜べ!」
そう言って、バンバンと俺の背中を叩く。
こんなこと言っているが、こいつも試合中はずっと、俺のことを気にかけてくれていた。
「まあ、そうだな。」
正直帰りの道中は、俺の我儘で投げさせてもらったとか、皆のお陰で勝てたとか。
鳴にもまだ勝てていないとか。
色々思ったことはあったけれど。
でも、こうしてみんなの顔を見て。
改めて、実感した。
「みんなのお陰で、勝てた。言葉じゃ伝えきれないくらいに、俺はみんなに感謝してる。ありがとう。」
思わず溢れた笑み。
それを見てか、みんなも笑ってくれた。
「まだまだ通過点だろ。これからもっと感謝してもらうぞ。」
そう言って白州が座ったまま右手を差し出す。
俺もそれに応えて右手を出そうとするが、サポーターやらテーピングやらで固定されたその腕は簡単に動かず、その姿を見てまたみんなが笑った。
「なんだその右腕!」
「さすがキャプテン!ノンデリ!天然!」
「うるさい。」
改めて出された左手に、俺も左手で握り返す。
そうだ。
まだ、通過点。
鳴との決戦は終わったが、本番はここから。
甲子園には、強いチームが沢山ある。
強い奴がまだいる。
いいピッチャーも、いいバッターも。
まだ止まるには、早すぎる。
目指すは日本一のチーム。
そしてその為には、俺が日本一のピッチャーになる必要がある。
鳴には投げ勝った。
あとは。
このチームを、日本一まで導くだけだ。
「そんなことより。」
「?」
「その大層な肘はどうだったんだ。」
そう言った御幸の言葉と共に、視線が俺の右腕へと移る。
あぁ、そう言えば何も言ってなかったな。
「問題なかったよ。とりあえず3日は完全休み、監督にはコーチが伝えに行ってくれてる。投げ始めは来週からかな。」
「組み合わせ次第じゃあ、初戦は沢村か降谷だな。」
まあ、妥当だな。
最後の2日にブルペンに入れるとはいえ、調整は長いに越したことはない。
組み合わせや俺の身体の調子次第にはなるだろうが、初戦の先発はどちらかになるだろう。
何より、今の2人はそんじょそこらの投手よりも仕上がりが良い。
投げっぷりも立ち振る舞いも、もちろん投手としての能力も。
甲子園のエースクラスのピッチャーなのは、間違いない。
後ろにもノリや東条もいるし、初回から飛ばせるとなればまず打たれないだろう。
打線も鳴を打ったのも相まって、状態は上向きだ。
それぞれが自分の仕事を。
出来ることを精一杯やることで、ひとつの線となっている。
「飯は?」
「もうみんな食べたよ。お前、帰ってくるの遅かったし。」
俺が聞くと、御幸がすぐ答える。
見回してみると、1年や2年もいないし、3年だけが食堂に残っていた。
先輩たちも少し前に入れ替わるように帰ったみたいで、また後日来るとの事。
まあ少し遅かったしね。
とりあえず、俺も飯食って寝よう。
来るべきは、本戦だ。
あと10日。
出来ることは、限られている。
まずは休養。
身体を全快まで整えて、過酷な夏へ備えよう。
一旦、毎日投稿はここまでになります。
甲子園編、絶賛書いておりますので頃合いを見て徐々に投下していく予定です。
稲城実業との試合はターニングポイントだったので、書きたいように書きました。
というより、これが書きたくて本作を書いたと言っても過言ではありません。
その辺の部分はまた別の機会に自分の感情だったりとかも、載せたいとは思っています。
おや?ん?という展開かと思う方も多いかもしれませんが、悪しからず。
結びにはなりますが、本当にお待たせ致しました。
ここから先も、引き続き宜しくお願いします。