(出したくないランナーを出したな。)
青道のベンチサイドへ向けてガッツポーズを送る倉持を見ながら、松原は僅かに表情を強張らせる。
足が速く、塁上での揺さぶりが上手い。
盗塁の技術も勿論、走塁技術がとにかく高い為、ヒット一本でホームに還りかねない。
しかし真に怖いのは、そこではないのだ。
(この男が出塁した時の爆発力がかなり高い。それこそノーアウトの時は、尚更。)
ノーアウトで倉持がランナーとして出塁したとき、大野は球数稼ぎや粘りに徹することが多い。
恐らく自身がヒットを打たなくとも得点が見込める為、後ろのバッターが決める確率を高められるように粘ってくる。
1点なら、まだ良い。
リードしている状態であれば、梅宮も終わりが見える分打ち込まれることはそうそうない。
だが、一つのアウトを取れても、投げさせられて疲労した手負いの梅宮ではあのクリーンナップを抑えるのは無理だ。
(バッター集中で良い。変にランナーを意識して球数嵩むくらいなら、早々に見切りをつけるべきだ。)
チラリとこちらに視線を向けた梅宮にサインを送る。
(わーってるよ。どっちにしろこいつらに無傷で勝とうなんざ甘い話は無いわな。)
マウンドから、大野を見下ろす。
身体は決して大きくない。
上半身全体のシルエットはそこまで大きくないのだが、背中が大きい。
そして、下半身が太い。
筋肉の輪郭を帯びつつ力強い大臀筋と太腿、そこから細く伸びつつ張った脹脛。
紛うことなき、投手のシルエット。
体躯が大きくないものの、高い出力を誇る理由はここにある。
(強気に攻めよう。主導権を握らせちゃダメだ。)
(応。勝負は俺たちの性分だぜ。)
一塁ランナーの倉持を一瞬射抜く。
フリだけ。
あくまで警戒しても、走られる。
初球、外のストレート。
高め。
甘いが、大野は振り遅れて空振った。
(ストレートには振り遅れてる。やっぱり引き付けて対応するつもりか。)
元々大野は、打撃時のポイントがかなり近い。
変化球の対応力は勿論、ストレートも敢えて詰まらせて逆方向に落とす。
対応力は、高い。
だが、身体の近くで詰まる分長打は見込めない。
(内のストレートを見せてフォークで仕留めよう。)
サインに頷いた梅宮が、再びセットポジションへ。
倉持は大きなリード。
そこへ向け、一度牽制をかける。
鋭い牽制に倉持も帰塁。
その一間に、大野は一度打席を外して息を吐いた。
(いつもの感覚じゃ、このスイングは間に合わない。もっと早く。ポイントはもっと前で。)
大野の打撃時のポイントは、かなり近い。
変化球を引き付けて弾き返すこと、ストレートも基本詰まりながら逆方向に返すことが多い。
ストレートに対しての引っ張り方向も全く無いわけでは無いのだが、それは完全に速いボールを狙った時くらいである。
どちらかと言うと外に対してのアプローチが上手いが、インサイドも腕を畳みながら肘を上手く抜く為かかなり上手い。
変化球攻めは苦にしないのだが、剛腕ピッチャーには弱い。
本郷や成宮に対して全くヒットが打てなかったのはそういう所が要因だったりはする。
速いストレートには、あまり強くない。
梅宮のストレートは特段に速い訳ではないが、スローカーブやフォークといった変化球を使う分、緩急や軌道差で差し込まれるというケースも前の打席では見られた。
打席外で、スイング一閃。
バッテリーの思惑としては、ストレートでファールを取りつつ、決め球はフォークでミスショットを狙う。
多少危険なコースだとしても、内側で振り遅れを狙って目線を上げたところを低めで落ちる球で仕留めたい…というところだろう。
(抜けフォーク…まあそう都合よくはこないだろ。スローカーブは初回で対応されるのも分かってるだろうし。順当に考えればストレートがフォークかな。)
いつもよりもストレートを前で捉えようとすれば、フォークには対応出来ない。
だがそれを怖がっては、長打は打てない。
御幸や白州ほど、対応しながら長打を放つことには長けていない。
全部やろうとするな。
今、俺に出来ることを。
力むな。
考えすぎるな。
そして、恐れるな。
力強いスイングを今から放つことは出来ない。
ならばタイミングと、打球角度で。
人間の身体のメカニズムで最も力が入りやすい位置で、捉える。
マウンドの梅宮が動き始める。
そこに合わせて、始動。
摺り足気味で合わせつつ、バットを少し引く。
コースは内角中段、ストレート。
大野が苦手としているコースのひとつである。
「っ!」
捉えた位置は、普段より前。
いつものアベレージヒッターとしての鋭いスイングは、健在。
下半身からの押し込みに加え、トレーニングと投球で培ってきた捻転力で全身を回転させる。
甲高い金属音と共に、打球は高く上がった。
高い弾道。
そして、突き抜けた金属音。
本来鳴るはずのない人物からの、確信めいた何か。
(バカな。)
(んだと!?)
相手は、長打率が低く単打が多い大野。
その大野から鳴り響いたのは、完璧にコンタクトした証の低い金属音。
高いフライ。
彼の選手としての特性上、外野フライ等のミスショットと捉えられてもおかしくない。
しかし打球を見上げた大野が、右手でバットを立てて高く掲げた。
天を貫く槍は、空を裂き。
ゆっくりと、一本二歩と一塁へ歩みを進めていく。
強いスピンが掛かった打球は高く上がり、それを確認すると大野はバットを軽く放る。
そして空いた右手で、一斉に立ち上がり燃え上がったベンチへと指を指した。
『上がったー!打った瞬間と言った打球は、応援団の待つライトスタンドへー!高校第一号が甲子園での同点の一発!やはり天才、世代最強投手が今日はバットで魅せます!青道高校2-2で同点ー!』
二塁ベースを踏みしめると共に、拳を握りしめた大野。
初めての感触、初めての感覚。
そして高揚しきった気持ちが徐々に冷めていく三塁ベース上で、少し俯きながらホームベースへ。
「やれんじゃねえーかコノヤロー!」
ホームベースで待ち構えていた倉持に蹴られ、ハイタッチを交わす。
少しの恥じらいと共に、大野は自身のベンチサイドへと戻っていく大野。
その最中で、今度はネクストバッターズサークルで打席機会を待っていた小湊とも手を交える。
「飛びましたねー。」
「珍しくな。」
ベンチは大盛り上がり。
肩を、頭を、背中を叩かれながら、大野はその嬉しい痛みに笑みを浮かべた。
「まさか、入るとはな。」
「嘘つけ!確信歩きだけじゃなくてあんなパフォーマンスまでしやがって!ホームランバッターでも中々やんねーぞ!」
「やはり格好つけだな。」
「まあ、仕方ないでしょう。あまり褒められたものではないですが。」
ちなみに上から、大野、麻生、落合、片岡である。
しかし実際、大野自身は本当にホームランになるとは思っていなかった。
高く上げすぎたとも思っていたし、飛んでも外野の頭を超えるのが精々かと思っていた。
「お前の出力があれば、遅すぎるくらいだ。」
「そんなものか?」
「そんなものだ。」
白州からの言葉に笑みを浮かべ、今度は御幸の方に目を向ける。
「どうだ?初めてのホームランは。」
その質問に、大野は肩を竦めながら答えた。
「狙って打てるものじゃないし、それに拘るつもりはない。が、なるほど。皆が狙う気持ちは十分に分かった。」
そして大野は大盛り上がりを見せる観客席を見つめながら、続ける。
「気持ちいいもんだな。これでランナー全員返せるんだから。」
そうして初めての一撃に、大野も思わず大きな笑みを浮かべた。
しかし、驚いているのは梅宮。
一発どころか長打もほとんど無いと踏んでいた相手からのまさかの一発に、スタンドを見たまま腰に手を当てていた。
(冗談じゃねえ。ホームランどころか長打すら少ないバッターだろ。)
2点だが、状況が悪すぎる。
圧倒的劣勢であった状況で、チーム全体で力を合わせた2得点。
それを、次の回でいとも簡単に返されてしまった。
しかも相手は、高校通算0本塁打。
この一発が甲子園で、それも終盤に同点に追いつく一発だと誰が予想できることか。
(天下を獲るほどの奴が奇跡まで起こしちまったら、やりようねえぜ。クソッタレ。)
悪態をつくが如く内心で溜め息をつくと、直ぐさま息を吐いて梅宮は声を張り上げた。
「上等!それでこそ日本一だわ!」
強いのは当たり前。
相手だって、こちらに取り零しまいと全力で闘ってきているのだ。
努力を怠らなかった天才たちが、強い気持ちで向かってきている。
でなければ、日本一になどなっていないだろう。
強くて当たり前だ、敵わなくて当たり前だ。
だが、喰わなきゃならない。
そんな相手に喰らいつく。
折れてしまっては、その万一すら生まれないのだから。
(間違いねえ。お前ら日本一強えよ。だけどな、俺たちだって負けらんねえんだよ!)
続く小湊を、高めのストレートで空振り三振。
スローカーブでタイミングを外した後に、今日最速の144km/hを投げての力押しで今大会打率5割の天才バッターをアウトに奪う。
このまま切りたい。
流れを。
そして、勢いを。
そう思っていたところで打席には、今大会の紛うことなき最強バッターである御幸が入る。
(抑えれば同点。逆転できるチャンスは、幾らでもある。)
まだ、同点。
ここで抑えることが出来れば、まだ勝ち越しのチャンスもある。
流れは、断ち切る。
その、初球だった。
『行ったぁあああー!エースに続き、四番の一振り炸裂ー!僅かに浮いたフォークを見逃しませんでした、青道高校御幸が今大会4本目となるソロホームランでこの回一気に逆転ー!』
弾き返したのは、高めに僅かに浮いたフォーク。
遂に見せた失投を御幸も見逃さず、完璧に捉えて見せた。
打球は右中間。
高く上がった打球が勢いそのまま、スタンド中段まで飛び込んで行った。
ここまで待った、待球作戦。
粘りに粘り、フォークという負担の大きい球を投げさせたことによって生まれたチャンスボール。
正に、全員の力で奪った逆転の一撃。
さらに畳み掛けるように、今度は白州。
チームでも随一の好打者である彼は、高い打率を誇りながらも長打も多い。
その、3球目。
2球ストレートが外れた次。
ストライクを取りに行った低めのストレートを、センター方向に弾き返した。
『に、二者連続うぅぅ!御幸が右中間に打ち返したと思えば、今度は白州がバックスクリーンへー!外角甘く入ったボールを見逃しませんでした、四番に続き主将が二年生沢村を援護します!この回一挙4得点を上げて4-2!』
結果だけ見れば、燻っていた打線が一気に爆発しての4得点。
しかし、実状はそうではない。
初回から1人エースである梅宮にプレッシャーと負担を掛け続け、球の浮き始めた終盤に一気に勝負をかける。
正に青道が取りたかったシチュエーションが、見事にハマってくれた形である。
さて、ここから重要になって来るのは投手起用。
得点が動き始めた終盤、十分に試合を作ってきた沢村をどうするかどうかはかなり鍵になってくる。
大会前半は試合間隔も空くものの、トーナメントが上がってくればその間隔もまた短くなってくる。
加えて、ここから先は強豪との連戦。
出来ることなら、エースを温存できるに越したことはない。
まずは勝たなければいけないが、それでもこの後の試合のことも考えなければならない。
準々決勝に勝ち抜いて来ている巨摩大藤巻との試合は、大野の完投の予定。
そしてその巨摩大と準決勝で当たる可能性も十分に有り得る。
そうなった時に、出来れば大野はこの試合で使いたくない。
予定では、降谷。
相性こそチームの中で最悪ではあるが、そもそもの能力値で言えば一巡で捉えられるような投手ではないからこそ、逆転に焦る鵜久森に対してはかなりいい選択ともいえる。
あとは川上。
左の変則フォームながらストレートを軸にする沢村とは異なり、右のサイドで低めのスライダーを軸に組み立てる彼は、ストレート狙いの鵜久森に対しては最も効果的ともいえる。
動くボールを使う東条は、あまり合わない。
沢村とタイプが近い上に球速もそこまで速くない分、事故が考えられる。
「8回からは川上で行く。沢村、最後の回になるが頼むぞ。」
英断だ、と御幸は思った。
普段の沢村であれば完投もベースで考えられるが、今日は序盤から通して出力を上げて投げている。
今のところ球の力も残っているし、コントロールも決して乱れていない。
だが、試合は終盤戦。
疲れが一気に吹き出したタイミングで、捉えられる可能性もある。
捕まる前に替え、相手に的を絞らせないまま逃げ切る。
そしてその選択肢が、技巧派の川上でいくというのも悪くない選択である。
片岡からの言葉に、マウンドへ向かおうとする沢村の動きが止まる。
向き直り、片岡をジッと見て沢村もまた言い返した。
「最後まで行きますよ。自分はそのつもりで準備してきましたから。」
ここまでの投球内容は、ほとんど完璧。
6回を投げきった上で失点は2。
フォアボールはなく、被安打もほとんど無い。
捉えられたと言っても、コース自体やボール自体が悪い訳ではなく、狙い打たれたものである。
とは言え、監督に対しての直談判。
それも、反対意見。
チームのベンチにピリッと張り詰めた空気が立ち込める。
片岡が僅かに眉間に皺を寄せるも、沢村はその視線を逸らすことなく黙ってその眼を見返した。
「それは、本気で言っているのか?」
「勿論です。」
「投げる為に準備してきた川上や降谷、東条の想いも汲み取っての発言かと、聞いているんだ。」
厳しい表情を維持したままの片岡。
しかしそれでも沢村は、表情を変えずに小さく頷いた。
「想いを背負って、チームに勝利をもたらす。俺が目指すのは、そんなエースの姿です。その思いは一度も忘れたことはありません。」
それは、覚悟。
沢村が言葉を返しても尚、片岡の表情は変わらない。
ブラスバンドの演奏や応援団の声が響き渡る中、この青道ベンチの中だけは静寂に包まれていた。
張り詰め、僅かに生まれた静寂。
それを破ったのは、未だ表情を変えない片岡の声であった。
「受けているお前の目から見てどうだ、御幸。」
「ボールに力はまだあります。制球自体も荒れてませんし、この回の投球次第では、行けるところまで行ってもいいかもしれません。」
防具を付ける御幸にそう問い、続けて投手コーチである落合に視線を向ける。
「良いんじゃないですか。点差は2点。いざとなれば行くとか言っている奴は、多分取られんでしょうし。何より投手を温存できるに越したことはありません。」
そうして今度は、落合が大野に視線を移す。
ニヤリと悪い笑みを浮かべる落合に大野も溜め息をつきながら苦笑すると、肩を竦めながら大野も言った。
「監督やコーチが言うのならば、エースである俺はいつでもいきます。しかし沢村も相当の覚悟を持っての発言だと思いますから。全てを背負い、想いを抱えて投げる。それを目指すと言うのなら、俺は守備で助けますよ。」
最後に大野がそう言うと、片岡は沢村に向き直る。
尚も表情を変えず、その返答を待つ沢村。
彼に、片岡は問う。
「全ての責任を背負い、皆の想いを抱えて投げる。それがエースであり、マウンドを任された投手の仕事だ。いいな?」
「はい。」
間髪入れずに、返答する沢村。
その姿に、周りで見ていたチームメイト、そして監督やコーチも笑う。
「御幸。替えるタイミングはお前の裁量で構わん。川上も降谷も準備している。任せるぞ。」
「分かりました。」
「沢村!」
「はい。」
「背番号はどうあれ、マウンドに上がるからにはその投手がチームを代表する投手だ。」
「分かっています。俺は俺なりに、全力を尽くします。目指すのは、日本一のエースですから!」
そう言って、元気に走り出す沢村。
それに続くようにして、他のナインたちも追って自身の守備位置へと向かっていく。
各選手がそれぞれの持ち場につき、再び静かになったベンチで、闘将の表情に戻った片岡に落合は言葉を掛けた。
「すっかり、顔つきまで似てきましたね。」
「えぇ。目標にすべき人間が近くにいるというのは凄まじい重圧もあるでしょうが、それ以上に大きな役割を持ちますから。あいつがどういう投手になるかはまだ朧気にしか見えません。しかし明確に、目指している道筋は見えてきました。」
「茨の道だからこそ、ですかね。」
目指すは、高み。
険しく高く、そして過酷な道のり。
到達するには、力が足りないかもしれない。
ただ、進まねば届くことはない。
一人の投手が今、原石からダイヤモンドへ。