『始まりました、甲子園準決勝第1試合。今大会も破竹の勢いで強豪校を薙ぎ倒してきたのは、センバツ覇者である西東京の雄、青道高校。対するは昨年の甲子園ベスト8、上位常連校の帝王実業。残り二日となったこの甲子園、決勝へ進むのはどちらになるでしょうか。』
場内で響き渡る、歓声。
準々決勝までもそうだったが、やはり甲子園の大合唱というのは、凄い。
密度が高いからか。
若干狭いと感じるこの甲子園というスタジアムが、よりこの声の密度を高めている気がする。
何より、アツい。
気温的なものもそうだが、地区までの空気や、ましてやプロ野球の試合とも異なる熱がある。
「暑いからな。だからと言って出し惜しみはするなよ。相手は帝王実業、この甲子園での試合に関しては、向こうの方が慣れている。」
高い上背を揺らしながらベンチを出た今日の先発が、こちらに首を向けて小さく頷く。
降谷は、甲子園初戦ぶりの先発。
本当は一昨日の試合でも登板予定だったが、沢村の好投もあってずっとブルペンにいた。
疲労は、ない。
そして、溜まっているはずだ。
エネルギーも、フラストレーションも。
マウンドへ向かう道のり。
グラウンドを前にして、降谷は立ち止まった。
「僕は僕の信じる道を進みます。そこが誰も進んだことのない道だろうと。」
ポツリと。
ただ、俺にだけ聞こえるほど。
だが確かに、それは決意。
消えることはない。
「焦るなよ。出来ないことは、逆立ちしたってできやしねえんだ。だが、俺には出来ないお前だけのピッチングは、必ずある。」
沢村は、俺を目指すと言った。
それは良い。
その立場になれたことも嬉しいし、何より明確な目標となれたのなら。
元々沢村は、俺に近い要素が多い。
最初はアレだったが、コントロールもそこそこ纏まっていた上に、器用さは置いておいて変化球を投げる技術というのはかなり高い。
彼が意図して寄せていたのもあるかもしれないが、ストライク先行でストレート系を纏めるという投球スタイルも、近い。
降谷は、コントロールが悪い。
改善したとはいえ、フォアボールは出すし甘いところにもいく。
だが、余りあるストレートの魅力。
磨けば磨くほど輝き、圧を増し、強くなっていく。
狙って高めに決まればバットは空振り、低めに投げれば打ち損じる。
唯一無二のストレートの魅力が、ある。
そして、抜く系の変化球。
フォークをしっかり落とせる、緩いカーブをヌルッと抜ける。
これも、沢村は勿論だが俺もあまり得意ではない芸当だ。
身体が強く、腕が長く振りがいい軌道で走るからこそいい抜き方も出来る。
俺と沢村は、制圧。
こちらの持ち球を縦横無尽に投げ込み、打者に手も足も出させない。
降谷は、重圧。
相手の都合を考えず、相手を上回る力で捩じ伏せる。
目指すべき道は、違う。
だが何も、どちらが正しいという訳ではない。
自分が信じ、走り。
そして強くなる。
何より勝てること。
それが、何よりの正義だ。
「信じろ。そして、曲げるな。お前が選んだ道ならば、突き進め。負けそうになることもある、止まりそうになることもある。そこは、茨だからな。」
降谷の肩に、手を置く。
大きい。
ポテンシャルは、最高だ。
だがそれ故に、周囲の期待と自分自身の目指す道、そして実際の現状とのギャップもあっただろう。
いや、今も…か。
だからこそ、苦労しているのだろう。
俺とは別の、苦労だ。
「行こう。お前はお前の。俺には俺の道がある。迷わずお前は、突き進め。」
「はい…!」
気持ち、いつもより覇気のある返事。
その背中を、そっと押す。
走る降谷は、振り返らない。
それを見送って、俺も自身の守備位置であるセンターへと向かった。
先攻めは、帝王実業。
鳴り響く歓声が、更に大きくなる。
その理由は、打席へ向かったある選手へ向けられたもの。
『一回の表、帝王実業高校の攻撃は、1番ショート友沢くん。』
拍手と歓声。
仕掛けてきたな。
友沢はホームランもそうだが、対応力が高く打率も高い。
降谷の立ち上がりが不安な初回。
先頭打者にチームで一番いい打者を起用すると言うのが効果的なのは、センバツでの白龍戦で実証されている。
ブルペンでの降谷の状態は、可もなく不可もなく。
一試合目の方が、良かった。
あとは実際、マウンドに上がってどうか。
(球速は出ていなかったが、抜き球は悪くなかった。意図して調整していただけならば、もしかすると…)
出るか、最速。
そんな淡い期待を抱きながら、俺は声を張り上げた。
「降谷!先頭からな!」
振り返らない降谷。
しかし、小さく頷いたのは見えた。
ゆったりとしたモーションで、ワインドアップ。
ただでさえ大きな上背が、両腕を掲げることでより大きくなる。
そこから身体を半回転。
リズム良く、タンタンタンと足を振り上げる。
俺は全身力を使って出力を上げる為に。
沢村は相手がリリースを捉えづらくする為に。
その何れとも異なる、リズミカルな投球フォーム。
もっと高く。
誰も見ていない場所へ。
お前がそこを目指すというのならば。
(止まるなよ、降谷暁。)
縦回転と共に振るわれる剛腕。
生き物のように唸る豪速球に、友沢のバットは空を切った。
「ストライーク!」
甲子園特有のサイレン。
未だ流れるその音をかき消さんばかりに、場内が歓声で揺れる。
いきなり出たのは、152km/h。
近年の球速の高速化は目まぐるしいものがあるが、やはり150km/hを投げる高校生というのは全国でも数える程しかいない。
特に天久など地区で敗退している選手はよっぽどの野球ファンでもない限り把握が出来ていない上、この炎天下の甲子園ではチーム事情的にも疲労した状態で投げている選手が多い。
地区大会で150km/h近く投げていた選手が甲子園では140km/h台前半というのは、珍しい話ではない。
やはりこの甲子園という舞台。
それも二年生が出したこの大台ともなると、自然と盛り上がるものだ。
たった一球のストレート。
それだけで場内を沸かせるというのは、俺には出来ない。
だが、いつまでも楽観はしていられない。
やはり、初球からストレートに対して振ってきた。
ハナから様子を見る気はないようだ。
甘く入れば仕留める。
そんな狙いが、既にこのスイングから見て取れる。
二球目。
続けての、ストレート。
アウトコースの153km/h。
これを、友沢は捉えた。
鳴った快音。
詰まった当たりはセンター後方。
長打警戒で僅かに下がっていた俺が少し追うような形で、掴み取った。
まずはワンナウト。
しかし、いきなり捉えてきた。
(二球目だったがな。いいスピンが掛かった打球だ。)
詰まっていたのに、長打警戒のさらに後ろまで来た。
上手く捉えられたら、悠々バックスクリーンだったな。
スイングが強い。
そして、対応力が高い。
一度しか見なかった降谷のストレートをいきなりここまで飛ばすとは。
とはいえ、どんな形でもひとつのアウトに変わりはない。
二人目のバッターは、2番の蛇島。
バントから待球、フォアボールを選ぶところまで幅の広い戦略を取ることができる選手。
チームバッティングというよりかは、相手投手が嫌がることをするのが上手い。
タイプ的には亮さんに近いが、少しそこが異なる。
この手のタイプは、追い込まれるまで中々手は出してこない。
だからこそ、思い切って攻めきるのが吉か。
ワインドアップから、初球。
高めのストレートに手が出て、空振り1ストライク。
続けざま、二球目もストレート。
今度は外のボール球。
これにはピクリとも反応せず、カウント1-1。
やはりサイドの目付はいい。
降谷の圧力があり浮き上がる軌道のボールでも、横に外れたらやはり見逃されてしまう。
三球目。
ここもストレート。
外低め、ストライクゾーン内の直球を見逃して、追い込んだ。
とはいえ、しぶといのはここから。
練習試合では、沢村が相当投げさせられていた。
決めるなら、早い方が良い。
初めて見せるフォークが安牌だが…。
(まだ上を目指すんだろ。誰も見てない場所にいくのなら、そのでっけえ武器を振り翳せ。)
ワインドアップ。
リズム良く身体を回転させる。
「捩じ伏せろ、降谷。」
放たれたボールは、正に豪速球。
空気を切るなどというレベルではない。
その白球に生命が宿っていると言われてもおかしくない程に唸りをあげる。
鳴るは、破裂音。
豪速球が御幸のミットに突き刺さったことを表す、快音。
子気味よく響いたこの音を皮切りに、場内は再び湧き上がった。
『空振り三振ー!蛇島にもストレート1本で捩じ伏せます!初回からエンジン全開の降谷暁、154km/hのストレートで2アウト!』
チーム内出塁率ナンバー1.2を、ストレート一本。
友沢には完全に力押しで詰まらせ、蛇島にはそのバットにすら触れさせなかった。
続く3番の板橋。
ストレート二球で追い込むと、ここは三球勝負。
最後は真ん中高めで吹き上がる155km/hの釣り球を振らせて、空振り三振を奪ってみせる。
(うは。マジか。)
思わず鳥肌が立ってしまう。
強力帝王実業高校の打線を、ストレートだけで完全に捩じ伏せた。
幾ら降谷と言えど、相手は甲子園常連の名門校。
その相手に対してストレートだけでは、普段の状態では流石に捉えられてしまうだろう。
今日はとことんキレている。
無駄な力が抜けているのか。
それだけでは、ここまでの出力は出てくれない。
この甲子園の舞台が、降谷を。
いや、一昨日の沢村もそうか。
この緊張感と空気が、確実に二人を成長させている。
負けていられない。
自然と口角が上がるのを自覚しながら、俺もベンチへと駆け戻る。
降谷がいい立ち上がりを見せたからこそ、ここでしっかりと点を取って試合の主導権を握りたいところだ。
相手先発は、やはりエースナンバーの山口。
140km/h台後半のストレートに、ストンと大きく落ちるフォークが投球割合の大半を占める本格派投手だ。
コントロールは可もなく不可もなく。
しかし、フォークの制球が良い。
ストレートだけでなくこの大きな落ち球を制御できるからこそ、この甲子園でも勝ち抜いてきているのだろう。
チームを支えるエース。
怪我明けでイニングは食えないが、それでも心の強さと立ち振る舞いでその立場に立っている。
「追い込まれたらフォークが来る。フォークとストレートの軌道は実際に見なければ分からないが、見分けるのは困難と見ていいだろう。鵜久森と違い、後ろにも優れたピッチャーが残っているからこそ、待球はあまり効果は出にくい。追い込まれる前、甘いコースは積極的に強く振っていけ。」
監督の指示を思い出しながら、俺はベンチ前で素振りをする。
ストライクをガンガン取りに来る上に、追い込まれたらフォークがある。
出来ればカウントを稼ぎに来るストレートを弾き返したい。
先頭の倉持は、追い込まれたらところでフォークを振らされる。
やはり、手は出るか。
球速もスプリットと呼ばれるボールよりも遅いのはそうだが、速さはある。
俺も変化球を打つのは比較的得意な方だが、あそこまで落ちるとなるとバットに当たらない可能性がかなり高い。
いつもなら我慢して粘るのだが、今日ばかりはそうはいかん。
出来るだけ早めに、打てそうなボールは打ちに行く。
「どうだ、実際に見た感じは?」
「すげえ落ちるぜ。はっきり言って梅宮の比じゃねえ。俺もフォークと思って振ったが、落ちたと思ったとこからもう一段落ちる。」
倉持の言葉に頷き、打席へ。
サイズ感は、そこまで。
上背は大きいが、本郷のような呑み込んでくるような感覚は、ない。
サインに頷き、ワインドアップの姿勢。
そこから軸足で立ちつつ左脚を大きく引き上げる。
少し後ろ重心になりながらも、背筋を使って回転。
高い打点から放たれるのは、ストレート。
低めに決まるこのボールを見送って、まずはストライク。
球速は、142km/h。
速いが、もっと速いやつはいる。
しかし何となくだが、このスピード感がフォークとの見分けを難しくさせるのだろう。
二球目も、ストレート。
厳しい。
外のボールゾーンっぽい。
少し反応するが、バットを止める。
しかし、球審はストライクコール。
今日は少し外に広いか。
さて、追い込まれた。
真ん中付近ならフォーク。
そうそう失投を投げてくるピッチャーじゃないだけに、そんな甘い球は来ないはず。
球数の削減。
ストレートへの反応。
そして、俺というバッターの評価。
(三球勝負、あるな。)
初見のフォークは、向こうも多分打てないと思ってる。
幸い、前の試合でストレートをホームランに出来ている。
向こうもそれは分かっているはずだ。
そう易々とストレートで来まい。
狙ってみるか、フォーク。
一息吐き、山口を見据えた。
三球目。
やはり、フォーク。
ボールに対してのスイング軌道。
普通のフォークなら、悪くない。
だけど。
(もう一段、下…!)
厳しいコース。
両手じゃ、掬いきれない。
「っん!」
思い切って左手を離し、泳ぎながら手首を返す。
当てただけ。
しかし上がりさえすれば、金属バットなら内野の頭は。
超える。
『粘り打ったー!打球はセカンドの蛇島の頭上!右手一本で上手くライト前へ運びましたー!』
レガースを外しながら、一塁上でベンチへ向けて拳を向ける。
格好こそつけてはいるが、ギリギリ。
最初から狙った上で、粘ってようやく打球が上がった。
これ、狙って打つもんじゃないわ。
そんなことを内心思いながら、俺は打席に入る小湊を見る。
山口、だいぶ足上げるしクイック次第では行けるな。
実はそんなに足が遅くない俺。
倉持が出てるから普段走らないが、裏を返せば向こうもその認識がない。
(行くよ。)
(ホントですか?)
渋る小湊に、俺が頷く。
初球、ストレート。
多分、無警戒。
大人しめのリードで、だが走り出しは思い切って。
「スチール!」
キャッチャーの声。
クイックはやはり、そこまで早くない。
タイミング的には、ギリギリか。
そう思った矢先だった。
俺の耳にも、響いたのは木製特有の抜けるような快音。
(って、打つんかよ!)
スライディングを止め、二塁を回る。
さらっと長打コース。
高めのストレートを弾き返し、打球は左中間へ。
外野の間を抜ける長打となり、俺はホームへ。
本来二塁で滑るはずが、何故かホームベースでスライディングしている。
『初回から仕掛けてきましたー!2番の大野と3番小湊のヒットエンドランでいきなり一点先制ー!』
俺がホームに還った最中、小湊は二塁へ。
ベース上でガッツポーズ。
そして、赤面。
あとで聞いた話だが、盗塁の仕草を見てストレート張り。
ストレート以外なら見送り、ストレートなら全部対応してヒットゾーンに飛ばすつもりでいたと、彼は話していた。
「外から見て、何となくの速度感は分かってましたから。あとは反応に任せて。フォークも大野先輩が打ってるのを見て、あぁ行けるなって思ってました。」
はい、天才です。
というか俺が打てたからいけそうっていうのは些か失礼だと思うのだが。
まあ、良いか。
「ナイスラン。お前、足遅い訳じゃねーんだからもっと走っても良いのに。」
「まあ、何となく牽制のタイミングは分かるからな。怪我さえ気にしなければ、もっと走っても良かったかもしれん。」
とはいえ、後ろが絶対に返してくれるのは分かっていたから。
俺が投手である以上、タッチや接触で怪我をする可能性のある盗塁はあまりしたくない。
2番で入る時は、後ろにクリーンナップ。
9番で入った時も、倉持以降はほぼクリーンナップの為、走らなくても割と返してくれる。
そして、盗塁技術はあまり高くない。
地の足の速さは、速い方という程度。
そうガンガン走るほどでは無い。
さて、小湊以降の御幸、白州が連続ヒットで更に一点を追加して二点先制。
エースの山口に対して初回から二得点。
援護を受けた降谷が2回のマウンドへ向かう。