真夏の甲子園に咲き誇る、大輪。
マウンド上で躍動するエースは、そう呼ぶに相応しかった。
紺碧に輝く瞳は太陽の光を反射し、その虹彩に吸い込まれるように深く濃い。
象徴的なトルネードがマウンドで巻き上がり、またミットの音が鳴り響いた。
「ストライク、バッターアウト!」
勢いで落ちる帽子と、それを待つことなく放たれる咆哮。
色素が抜け落ちた白髪ではなく、太陽のような銀。
脱げ落ちた帽子からふわりと透き通った銀髪が露出すると、その銀が真夏の太陽に反射して輝いた。
天を仰ぐは、四番。
昨年の甲子園優勝校。
そのストライクコールは、巨摩大藤巻高校の主砲のバットが、空を切ったことを意味する。
「OK!ナイスボール!」
今大会のホームランキングであり、甲子園タイ記録となる5本のホームランをこの甲子園で記録している御幸が、受け止めたボールを一塁へ。
この試合での記録は、3打数の2安打にホームラン一本、打点が二つ。
そして、大野が許した唯一のランナーである阿久を刺している。
ボールを回した後に帰ってきた白球を受け取り、ふぅっと息を吐く。
「ワンナウト!次もいいバッターだぞ!」
御幸からの声掛けに、マウンド上の男は小さく頷く。
甲子園大会決勝。
全国で最も強い高校を決めるこの試合。
この舞台に立っている時点で、生半可な打者はいない。
声を張り上げる打者。
それを見下ろしながら、投手は左脚をスっと引いた。
右脚一本で立ちながら、ゆっくりと腰を捻転。
バッター方向に背中が向くほど全身を回転したところで一旦静止。
込められた力を最大限まで我慢し、引き上げる。
全身のエネルギーが進行方向へ向くように逆回転。
高い運動エネルギーを、踏み込み脚によるブレーキで大きな反発を生む。
「んっ!」
絞るような声と共に、投げ出された白球。
純粋な縦回転と高い回転数が、尋常ならざる揚力を生み出す。
強豪巨摩大藤巻のクリーンナップのバットが、また空を切った。
一球、二球と144km/h。
高校球児としてはそれなりに速く、その上で軌道は常軌を逸している。
吹き上がるような真っ直ぐ。
追い込んだその後に、最後のボールを選択する。
真っ直ぐと同様のフォーム、真っ直ぐと同様の軌道。
そしてそこから、急激にストンと沈んだ。
『今度はツーシームでまたも三球三振!ストレートを待てば忽ちこのボールに空振ってしまいます!』
再び、咆哮。
グラウンドという閉鎖的な空間で、確かな声が木霊する。
(くそ、何も出来ずに終わるか。)
打席に経った羽生が、声を張り上げる。
こちらだって、二年半血反吐を吐くような思いで戦ってきたのだ。
今更何も出来ずに負けるなど、考えられない。
マウンドという山。
玉座とも取れるその場所で君臨するは、最強のエース。
ゆったりとモーションに入る。
出処も見づらい訳では無い。
球速だって、同じようなスピードボールは幾度となく見てきた。
リリース地点。
放たれたのは、速球。
コースは高い。
狙い通りのボールと確信し、羽生もバットを出す。
しかし。
確かにそのボールは、羽生の視界から”消えた”。
直後、走ったのは手元への痛みと鈍い金属音。
痺れのようなその痛みは、バットが芯から大きく外れたことを意味する。
『前園がファールフライを掴み取って3アウト!初球のカットボールは打ち上げてしまいました!青道高校の大野、この回もひとつのヒットも許しません!』
打球が上がった瞬間、マウンドからゆっくりと降りて歩き始めた大野。
アウトになることを確信していたかのような立ち振る舞い。
それはまるで、神からの宣告のように。
8回の裏すらも誰一人の出塁も許さない。
「ナイスピッチ。良いぜ、全部要求通り。」
「当たり前だ。お前が選んだ選択、何も間違いじゃないと言うことは俺しか証明出来んからな。」
笑顔でミットとグローブを合わせる二人。
その姿を、観客たちの拍手が見送る。
ただ一人。
彼らが戻るベンチの反対側で待機していた男だけは、その視線を動かさない。
修羅のような顔。
鬼のような、目付き。
まだ負けていないと、闘志が語る。
(まだ終わっちゃいねえんだよ。あんたにゃ、負けねえ。)
例え敗戦だろうと。
決して、屈しない。
本郷の鬼気迫る投球は、最終回にも及んだ。
先程ヒットを打たれた大野は、高めのストレートで空振り三振。
御幸には、ストレートを完全に詰まらせてセカンドフライ。
ホームランの白州には、先程打たれたSFFを完璧なコースに決めきって空振り三振。
最後までその表情を崩すことはなく、帽子の鍔に手を当てながらマウンドを降りる。
本郷にも、盛大な拍手。
何しろ、大野との投げ合いという重圧の中、強力青道打線を真っ向から抑えに行っていたのだ。
敵ながら天晴。
だからこそ大野は、精一杯の敬意を評して、本郷の勇姿を見届けた。
少しの静寂が訪れた、甲子園。
吹き抜ける風はまるで、夏の終わりを告げるよう。
誰もいないグラウンド。
ジッとそこを見つめながら、大野は右手のコップに口をつける。
「何とかヒットを出したい打線。追い込まれるまでは低めの厳しいボールは見送り、追い込まれたら何が何でも振りに来るはずだ。」
低く響く片岡の声に、頷く。
片岡の言う通り、序盤は見逃し三振。
そしてこの終盤は、空振り三振が増えている。
同じ三振とはいえ、狙いは異なる。
恐らく狙いは、高めのストレート。
だからこそカットボールを振りに来るし、追い込まれるまでアウトローも見送ることも多い。
「難しく考えず、強いボールを投げる。追い込んでからはボール球でも振ってくれるぞ。」
「分かりました。」
事務的なやり取りを終え、大野がコップとグローブを持ち替える。
何段かの階段。
コンクリートと金属が擦れる音と共に、片岡が大野の背中に触れた。
「見せてこい。青道のエースを。日本一の投手の姿を。」
笑顔を向ける片岡に、大野も笑顔で応える。
「意識すんなと言っても無理な話だろう。ガンガン意識した上で、やり切って来い。」
「はい。」
落合の、遠くからの声掛け。
それに対しても頷き、大野が改めた。
「監督、コーチ。それに、部長も。ここまで本当にありがとうございました。皆さんのお陰で、俺はこうしてこの舞台に立つことが出来ます。」
グラウンドへと足を踏み入れ、ベンチを振り返る。
ベンチに向けられ、輝く背番号1。
エースは、帽子の鍔を右手の指先で掴んで笑った。
「じゃあ、行ってきます。」
笑顔でメンバー、そして世話になった監督たちから送り出され、ゆっくりとマウンドへ向けて歩き出す。
途端、ベンチ上の屋根から姿が見えた後に多くの歓声と拍手が送られた。
『さあゆっくりとベンチから出てきました。高校生としては類を見ないこの堂々とした立ち振る舞い。誰が日本一かと言わんばかりの悠々とした闊歩。これほどこの姿が似合う高校生がいたでしょうか。』
この甲子園では、大会を通して失点は未だなし。
高校生離れしたストレートのキレと、そのストレートと同軌道から落ちるツーシーム、吹き上がるように伸びながら曲がるカットボール。
緩急を活かすカーブやチェンジアップと、投手として欲しい球種を全て兼ね備えている。
そして、卓越したコントロール。
ストライクゾーンを縦横無尽に投げ分け、相手を完全に捩じ伏せ、試合を制圧する。
決して躱すピッチングではない。
技巧派でありながら、真っ向から相手を薙ぎ倒す様。
誰が呼んだか、無双の狩人。
数多の打者という獲物を完璧に仕留める、青道高校史上最強のエースである。
『昨年優勝校である巨摩大藤巻を相手に、依然ノーヒットのピッチングでこの試合も掌握しています。この甲子園では大会を通して防御率は0.00。今世代ナンバー1の投手は、間違いなくこの男でしょう!』
立ち振る舞いは、正にエース。
試合で投げれば勝ちを運び、チームに勢いをもたらす。
『青道高校、背番号1番!大野夏輝が今、最後のマウンドへと辿り着きました!』
マウンドの手前。
一度大野が、歩みを止めた。
(これが、本当に最後か。)
長きに渡る戦い。
そして、栄光と挫折。
それは、青道高校のエースとしての、軌跡。
駆け巡る記憶と共に思い浮かんだのは、仲間たち。
共に歩んできた相棒、入学から共に闘った仲間、頼りになる後輩、多くの経験をくれた先輩たち。
嘗て憧れ、苦楽を共にした監督。
多くの知見をくれた、コーチ。
多くの人に支えられて、ここにいる。
(今はただ、感謝を。)
目を瞑り、深呼吸。
幾度かこれを繰り返し、ゆっくりと目を開く。
噛み締めるように、マウンドへ。
シャープに研ぎ澄まされた感覚。
周囲の音すらも抜け落ちる普段とは異なり、仲間たちの声だけは鮮明に耳に入る。
迎えるは、7番の山崎。
ここまでは当然、当たりはない。
パンチ力があり、下位打線にいると怖い。
(高め、振りに来るぞ。)
(分かっている。)
まずは、幻影。
一度ふわりと浮かぶ軌道を見せる、縦のカーブ。
大野の身長は低いが、縦回転の恩恵もありリリースポイントはかなり高い。
高めの抜け球がチラついた瞬間、高いスピン量で一気に曲がる。
山崎、このボールにピクリと反応するも、バットを止めてストライク。
(反応したけど打ちに来なかった。)
(まだ4球しか投げていないしな。気にしてはいるけど、これ打ちに来るほどがっつくタイプでもない。)
ちょっと甘かったけど。
そう内心で呟く御幸だったが、顔には出さない。
真っ直ぐが来てる分、抜き球が若干変化が少なくなっている。
ハナから変化しないチェンジアップはまだ良いのだが、カーブが少し高い。
元々ストレート系は完璧な制球こそできるものの、実はカーブに関しては外か内かの二分割。
高さをあまり間違えなかったり、ど真ん中行ったりとかが無いからこれも同程度制球できると思われがちだが、案外そうでもない。
しかし、十分。
ストレートが走っているからこそ、緩急が付けられる遅いボールというのは存在するだけでも厄介なのである。
(もう一球行ってみっか。)
(分かった。ボールだな?)
(そう。入れたら流石に弾き返されるかもしれんぜ。)
頷き、修正。
少しリリース感。
僅かに、遅くするだけ。
続け様のカーブは、外低めのボールゾーンまで切れ込む。
続けられたこともあり、流石にスイングをしに来た。
が、ここまでストレートタイミングに合っている山崎はタイミングを外され、三塁線切れてファールとなる。
(出してきたな。)
(バッター心理からすりゃあ、手を出しに来るだろうな。プライドのあるバッターなら、連続でカウント取りを許さねーさ。)
(そういうものか。)
(そういうもんよ。ほら、手を出しに来るからな。釣り球、ボール気味で良いぜ。)
御幸が構えたコースは、インコース高めのボール球。
身体に、そして顔に近い所に投げ込むことで、手を出させる。
打者との読み合い。
そして、本能にすら働きかける。
続けられた3球目。
143km/hのフォーシームで決めに行く。
しかし、終盤戦。
三度目の対戦で、流石に軌道を焼き付け、何とかバットに当てる。
(OK。)
(誘い球だったのか。)
(そ。万が一も許したくねーんだろ?お前も研ぎ澄まされているとは言え、ストレート一辺倒で抑えるタイプじゃねえ。持ちうる全ての技術をぶつけて、相手を完全に制圧する。それがお前のピッチングだろ?)
御幸が選択したのは、ツーシームファスト。
今度は打者目線から最も遠いコース、外角低めに要求する。
(捩じ伏せろ、夏輝。)
この時。
大野の中で、これまでとは全く異なる感覚が指先に走る。
いつものツーシームの握りのはずなのに、手に馴染む。
指先に張り付くというべきか。
研ぎ澄まされた感覚が、触覚が影響したか。
馴染み過ぎていることが、大野にとっては馴染みがない感覚だった。
投げ込んだ、4球目のラストボール。
大野夏輝を大野夏輝という価値を最初に生み出した、完璧な制球のストレートと対になるボール。
手元でキレよく伸びるストレートとは相反し、同じ軌道から伸びずにストンと曲がり落ちる。
そしてこの一球が。
後の大野夏輝の伝説の幕開けと、なる。
『空振り三振ー!なんとなんと、145km/hのツーシームファスト!ストレートと全く同じ速度で落ちる変化球で奪三振を18個まで伸ばしました!』
マウンドで吼える大野。
反面、捕球態勢から慌てて御幸は自身の左手のミットに視線を向けた。
(っぶねえ、何だ今のは。)
今までとは違うスピード。
変化の仕方こそそれほど変わらなかったが、速度感が普段よりも速い。
幸か不幸か、僅かに変化量が小さくなっていたからこそ何とか御幸は捕球こそ出来たものの、普段キャッチングに不安がない御幸ですらも捕れたことに安堵するほどの、ボールであった。
そして途端に来る、高揚。
相棒の進化。
ここに来て更なる覚醒を遂げようとしているエースの姿に、御幸はまた笑った。
(追いついたと思ったら、まだ成長する。ほんとにすげえよ、お前は。)
焦りや嫉妬などではない。
純粋な尊敬と、成長の喜び。
それを間近で見れることが、ここまで長きに渡る相棒だからこその喜びであった。
(もっと輝け。もっと伸びろ。お前はきっと、どこまでだって行ける。)
8番は代打の、大城。
右ピッチャーに対してより見やすい左バッターではなく、敢えて右打者を起用したのは、新田。
というのも、大野は純粋なオーバースロー。
球筋もそこまで見えにくいタイプではなく、外に逃げるカットボールより逃げながら落ちるツーシームの方が厄介だという判断である。
まあ、当の本人はどちらでも苦にしないし、今の状態では誰であろうと打たれる気がしないという、確信めいた自信があった。
(さて、と。気持ちよくなってるとこ悪いけど、ここで打たれちゃ意味ねえからな。切り替えていくぞ。)
しかし中々、研ぎ澄まされた感覚にある意味で言えば乱れとも取れるズレ。
それが原因か、運命の悪戯か。
大城のバットから、金属音が響いた。
(げっ…)
(あっ、やば。)
リンクする、二人の思考。
僅かに甘く入ったストレートを捉えて、打球はレフト方向へと上がった。
少し差し込まれているのだが、それが功を奏してレフト前へ。
打球の行方を追いながら振り向いた大野だったが、ヒット性。
腰に手を当て、大記録を半ば諦めかけた大野を救ったのは、またしてもこの男だった。
『レフトの麻生がダイビングキャッチ!またしてもファインプレーでエースの大野を助けます!バックも大記録へ向けて猛アシスト!大野夏輝、ノーヒットノーランまであとアウトひとつと大手をかけました!』
地区決勝の土壇場でチームを救った男が、またしてもエースを救う。
「サンキュー麻生ー!」
「こんな時に大仕事作んなくていいんだよバッキャロー!」
レフト方向浅めのフライをダイビングキャッチ。
ここに来て三年生の守備職人がエースを助け、2アウトまで漕ぎ着けた。
(あ、危ねー…。)
(コラコラ、完全に失投だぞ。ここで打たれるとか洒落になんねーんだから。)
コースは外低め。
しかし、若干内に入ってしまった分、差し込まれ気味のバッターからすればコンタクトが容易になる。
初球から振ってきたバッターを褒めるべきか。
そう頭の中で変換し、御幸はトントンと自身の胸を叩いた。
(折角助けてもらったんだ。これで、やらざるを得なくなったぜ。)
御幸がそう意思表示をすると、大野も頷く。
9回裏、2アウトランナーなし。
打たれたヒットは未だなし。
ここで打席には、ラストバッターとなるか、ここまで大野と熱投を繰り広げている本郷が入る。
(終わらせてたまるか。何もかんも負けておめおめ帰れっかよ。)
来いやと声を張り上げる、本郷。
その姿を横目に見ながら、御幸はその本郷にすらも感謝していた。
大野夏輝という投手は、実力が拮抗している選手との投げ合いになればそれだけ実力を引き上げることが出来る。
相手にもそれが伝染するからほぼ確実に投手戦になるのが傷だが、まあ仕方がない。
相手が本郷でなければ、ここまでのピッチングは出来なかっただろう。
この決勝という大舞台。
対戦相手が本郷であったこと。
そして本郷が期待通りのピッチャーだったこと。
だからこそ、大野はここまで輝いているのだから。
(せめてだ。引導を渡せ。)
(決めるさ。みんなに助けてもらった恩、俺はここで返す事しか出来ないからな。)
笑顔と笑顔の18.44m。
記録に向けて。
そして、青道高校エース大野夏輝の最後の対戦が、始まった。
(全部使うぞ。お前の全身全霊で。)
初球の選択は、カットボール。
右バッターから逃げるようにして変化するこのボールを、まずは振らせた。
2球目。
今度は、インローのストレート。
遠く高めのコースから、近く低いコース。
一般的には甘いコースかもしれないが、大野のそれはあまりに厳しいコースに来る分、見極めが難しい。
このボールには手が出ず、見逃して早くも追い込んだ。
(どう思う。)
(流石にストレート狙いだろうな。本郷もバッティングは良い。大事を取ろう。)
要求は、インハイボール球のストレート。
振ってくれれば儲けもの。
当たってもファールにしかならないし、見送っても目線を上にあげることが出来る。
(それに、お前のことだ。最後は三振で終わらせてーんだろ?)
(うるさい。人の事言えるのか。)
(バレてたか。)
(何年組んでると思ってるんだ。)
3球目。
インコース高め、ボール球。
あくまで、見せ球。
しかし豪速球、あまりの圧力に本郷は手すら出すことが出来なかった。
目線は内側。
かなり、寄せた。
(視線誘導はした。三振狙うならそうだなぁ…。)
(お前がコレだと思うボールなら、投げる。)
(分かった。)
御幸の要求は、アウトローのチェンジアップ。
元々反射神経で打つタイプだからこそ、緩急にはそこまで強くない。
恐らく本郷は、ツーシームも意識している。
先程の山崎の三振を見ているからこそ、頭にはチラついているはず。
だからこそ、敢えて遅いボール。
変化はなくとも前のボールの影響で、だいぶ前には出されるはず。
三振狙いの、チェンジアップ。
打者目線から見て最も遠く、長打も打ちにくいコース。
しかしこのボールにも、本郷は食らいついた。
(ほう。)
(速球狙いは間違ってなさそーだけど、これ当てるのは流石ってとこだな。)
カウントは1ボール2ストライク。
依然、追い込んだままの状態が維持されている。
決めに行ったチェンジアップだったが、ファール。
一度大野は、プレートを外して間を置いた。
決して、恐れをなしたわけではない。
ただ、噛み締めるように。
最後に残された一球を握る手に、力が籠った。
鳴り響くは、歓声。
多くの野球人が夢を追い、人生をかけ。
そして多くの人間に希望を与える。
日本中の全ての野球人が注目をする中。
エースは、青く染まった空を見上げた。
(あっという間だな、夢のような時間ってのは。)
走馬灯のように駆け巡る記憶と軌跡。
そして今。
最後のボールを選択し。
息を吐くと共に、これまで一緒に歩んできた相棒へと視線を向けた。
(行こう夏輝。)
(おう。)
大野夏輝にとっての、原点。
これまで最も多く投げてきた、彼の象徴とも言えるボール。
パチリとハマる感覚。
幾度となく繰り返してきた、原点投球。
モーションに入り、全身を捻転。
彼にとっての全身全霊。
大野夏輝の全ての力が籠る臨界点まで達したとき、その力を余すことなく全身を縦回転。
地面からのエネルギー。
そして捻転と溜めによる、大野夏輝からのエネルギー。
彼が最も多く投じ、最も信頼の置かれたボール。
外角低め。
145km/h、キレよく加速するようなストレート。
芸術的で、威圧的で。
象徴的な彼のフォーシームは、これまでと何ら変わることなく。
最後には、本郷のバットをすり抜けて、大野の相棒が待つミットへと収まった。
「ストライク、バッターアウトォ!ゲームセッ!」
ポトリと落ちた帽子。
そこから反射した白銀の髪が靡き。
今、青道高校のエースは。
日本一のエースとして、その空へと両手を突き上げた。