「ナイスピッチ大野。良いねぇキレッキレ。」
「情けない投球はできんからな。」
送別試合の開幕は、前エースの大野が2奪三振を含む三者凡退。
特に前2人に関しては全く的を絞らせない投球で、完全に抑え込んでいる。
この勢いで攻撃に向かう三年に対して、勢いを切るべく現役は先発投手に現エースの沢村を投入。
秋大では帝東高校のエース向井と投げ合い、お互いに完投という熱戦の末に被安打6の失点1で、見事に勝ち投手として投げ勝っている。
連投となった薬師戦でも7回以降を殆どヒットを許さずに投球。
負け投手とはなったものの、エースらしい素晴らしいピッチングを見せていた。
最速は143km/h、両サイドに完璧に投げ分け、ストレートに近い落ち球のスプリームと曲がり球のカットボール改を投球のベースとし、決め球として上記と緩いチェンジアップを巧みに操る技巧派左腕である。
「帝東抑えてっからなぁ。ま、その鼻っ柱折ってオフを迎えてもらおーぜら大野よう。」
「あぁ。折れてから立ち上がる方が、強くなるからな。」
バットを肩にかける倉持に、屈伸をした後に両手でバットを支える大野。
昨年の青道の一二番コンビが、ここで復活する。
打席の倉持は、初球の僅かに甘かったストレートを捉えて三遊間。
すかさず盗塁を仕掛け、いきなりノーアウト二塁のチャンスを作り出す。
カウントは、1ボール1ストライク。
インコースのストレートに差し込まれたファールと、ウエストの2球。
(やはりインコースの反応は良くない。ここは徹底的に攻めましょう。)
奥村のサインに頷いた沢村。
プロセスとしては、インコースのストレートで追い込み、最後はチェンジアップ。
バットコントロールが良く、ヒットゾーンに飛ばすのが上手なバッターではあるのだが、意外と緩急には弱い。
差し込まれ気味のストレートでタイミングを狂わせて、チェンジアップで仕留める。
まずはインハイ。
もう一球使って、完全に目線を上げる。
クイックの沢村。
それに対して、大野もバットを動かした。
(インコースの反応が良くない相手。緩急にも弱いから、決め球チェンジアップでしょ。となりゃあ。)
内角高め、ストライクゾーン内。
このボールを、大野は前で捉えた。
「少々安直だぜ、現役バッテリー…!」
快音と共に、打球はセンター前。
予め前目に守っていた東条が素早く処理をして、何とか倉持は返さなかったものの、これでランナー一三塁とチャンスを広げて見せた。
更に白州が何も言うでもなく犠牲フライを放ち、早速三年生が先制。
尚もランナー一塁の状態で迎えるは、プロで4球団が一位指名、甲子園最多タイとなる5本のホームラン、更には本郷から一本それを放っている青道高校不動の四番、御幸が打席に入る。
ここで奥村は、タイムを一度かけた。
「やっぱり、ボールが全体的に甘いです。」
「悪い。厳しく行かなきゃいけないのは分かってんだけどな。」
薬師との試合後から、どこかコントロールが安定していない。
スプリームの変化は問題ないのだが、カットボール改の変化が小さくなっているのと、何よりストレートが少し甘い。
元々高いコントロールを駆使しして左右に散らしつつ、決め球を振らせるのが沢村のピッチングスタイル。
しかしそのカウントの部分で、上手く行っていない。
「特に御幸先輩は、今の状態ではどうやっても抑えられません。それは、割り切りましょう。」
「情けねーけど、否定はできねーな。」
しかし奥村には、心当たりがあった。
カットボール改の変化が緩くなっているのは、恐らく新球の影響である。
オフから春にかけて時間をかけて安定させようとしている新球種が指の感覚に影響を与えているのではないか。
だからこそ、折角ならばこの機会。
緊張感はあるが、直接何かに繋がる試合ではない。
何より、誰に見られるでもない。
仲間内に見られるだけならば、在らぬ心配も必要ない。
そして相手は、今の高校生と比較できないほどのバッターでもある。
何だかんだ、これ以上ない機会だと。
奥村は、沢村の耳元まで近づいて小声で言った。
「試してみましょう。何とか追い込んで、決め球で。」
「分かった。そこまではまず、任せる。」
「はい。責任は一緒に取ります。」
そうしてミットとグローブを合わせ、定位置へ。
打席に立つのは、甲子園でのスーパースター。
そして、今年のプロ野球のドラフトで最も注目されている天才バッター。
再びプレイの合図が掛かり、御幸がバットを構えた。
初球は、いきなりチェンジアップ。
外角の遠いコースにしっかりと投げきり、まずは1ストライク。
(良い入りだ。)
更に続け様。
今度は僅かに外に外れている、ストレート。
ここは絶対入れない。
安直に入れれば長打になるという共通認識から、確実に少し外して1ボール1ストライク。
続けて、今度はインローのスプリーム。
これも僅かに外れているものの、ライト線切れてファール。
顔を歪めた御幸と、頷く奥村。
御幸からすればインパクトが掛けやすくホームランにしやすいコースのボールだからこそ、食いついてくると奥村は踏んでいた。
追い込んだ。
カウントは1ボール2ストライクと、ボールをあと2つ使えるバッテリー有利のカウントになる。
(行きましょう。腕は振って、曲げる意識は持たずに。カウントには余裕があります。しかし、ここで決める覚悟で行きましょう。)
そのジェスチャーと共に、外に構えた奥村。
それを確認して、沢村は自身のグローブ内で白球を遊ばせる。
縫い目は、ツーシーム。
そこから僅かに横へ動かし、カットボール改と近い位置へ。
しかしカットと異なる点で言えば、指を合わせているところ。
より点で強い力を加えられるように位置を切り替え、その白球に感覚を通わせた。
クイックモーションから、クロスステップ。
出処の見づらいフォームから、放たれた。
ピッチトンネルで言えば、殆どストレート系と変わらない。
若干スピード感は遅いものの、沢村のどのボールにも該当しない。
(カット?それともチェ?)
狙った御幸。
しかしそのボールは、御幸の想定よりも遠く。
そして、バット軌道よりも高いラインを通過していった。
「ストライク、アウト!」
三振に取られ、天を仰ぐ御幸。
しかしその表情には、笑顔があった。
(この軌道、スピード。遂にモノにしたか。)
ストレートよりも明確に遅く、タイミングを外す。
変化は横に大きく、そして縦の落差が非常に少ない。
低めでも高めでもバッターは手を出すのを嫌がるスピードだからカウント取りで使え、追い込めば高めではポップフライ、低めでも空振りが奪いやすい。
スライダーよりも横幅が大きく、縦軸の落差が少ない。
当時の日本球界としてはまだ明らかなボールではなく、スライダーの派生や同類と分類されている。
名を、スイーパー。
近い将来、そう定義されるこのボールを、沢村と奥村は「スライダー改」と名付けた。
回は進んで、4回。
ここまで被安打4の大野はこの回も全く危なげなく、元気に三振を2つ奪ってベンチへ戻る。
その姿を見ながら、金丸は苦笑を浮かべていた。
「やべえわ。相手にするとこんだけ厄介なんだな、あの人。」
ここまで許した失点は、0。
ヒットこそ単打を4本を許しているものの、それも散発。
下位打線に連打を浴びて得点圏までランナーを進めたものの、そこから三者連続三振で一気に斬り捨てられた。
試合本番ではないから、本気でやっているにしろ本人の無意識下でどうしても出力が落ちてしまう。
しかし、それにしても。
スピードは大体140km/h前半。
コントロールは言わずもがな、間違えることはない。
只管に厳しいコースを撃ち抜いていき、的確に狙い球から外してくる。
(そりゃあ打てねえ訳だ。こんだけ良い球投げてんのに全部厳しいところ。何より引き出しが多すぎる。)
単純な球種としても、ストレートにツーシームにカットボール、チェンジアップとカーブ。
更にストレートで言えば、カウント取りの130km/hほどの浮き上がるストレートと、決めに行く140km/h中盤の加速するストレート。
ツーシームもストレートと完全に同速のものと、若干スピードが遅く落差が大きいブレーキの効いたもの。
それに加えて、投球術も素晴らしい。
投げ分けもそうなのだが、連続外や裏読み。
実際の試合では、それこそストライクゾーンを意図的に広げていた。
もはや高校生では手のつけようがない。
故に、巨摩大藤巻という強豪校でも一本のヒットも出せなかったのだ。
「でも、ガチで来てくれてるのは本当だからね。」
副キャプテンである東条の言葉に、金丸も頷いた。
「あぁ。折角本気で来てくれてんだ。どうせなら一矢報いてやりたいとこだぜ。」
「そう。信二はそうでなくちゃ。」
この金丸は、決してキャプテンシーで主将に選ばれた訳ではない。
実力で言えば小湊や東条、沢村も候補に上がってくる。
しかしそんな中で、前主将の白州や同部屋の大野、さらには監督である片岡からも評価されていたのは、負けん気の強さ。
何がなんでも勝ち切る。
どんな逆境でも、立ち向かう勇気と強さ。
エラーと相手の好走塁で先制を許した、稲城実業との決勝戦。
9回表。
1点でも取らなければ夏が終わるという、重要な場面で成宮から放った同点ソロホームラン。
そこでの彼の一撃は、正にその象徴であった。
4回裏。
沢村も何とかここまで粘り、初回の失点以降は1点も許さないままここまで来た。
が、2アウトランナー一塁から。
カウント3-1と不利な場面で投じた4球目。
アウトコースのストレートを、3番の白州が完璧に捉えた。
弾丸ライナーでセンターネット中段に突き刺さる、2ランホームランで一気に追加点を奪う。
何とか立て直したいバッテリーだが、それを許してくれないのがこの男。
さらに続く御幸が、内角高めの難しいコースを上手く回転して捉えると、打球は高々と上がってライトポール際。
今度は打った瞬間わかるホームランでダメ押しの得点を加えて、試合を4-0と一気に引き離す。
その裏、現役チームの攻撃は9番の沢村から。
ここで落合は代打で由井を起用。
秋の大会では、打率.325、そのうち代打打率.667とその高い対応力をアピールしている。
準決勝、決勝と左の横手が続いた為中々出番に恵まれなかったものの、今年としては貴重な左のアベレージヒッターである。
(対右は滅茶苦茶強いらしいぞ。)
(関係ない。向かってくるのなら、全員敵だ。)
大野に許された最後の回。
彼もここで全てを披露するべく、その力を解放した。
初球、いきなりクロスファイア。
内角高めから吹き上がるカットボールを振らせ、空振りによる1ストライク。
(速い。それに、ストレートから軌道が外れたタイミングが全くわからなかった。)
通りで捕れない訳だと、由井は思った。
スピードは大体140km/h前後。
しかし、ツーシームとは異なり、ストレート回転から軸がズレたカットボールは加速しながら吹き上がるように真横に曲がる。
極端なオーバースローながら、その性質はどちらかと言うとサイドスローのカットボールに近い。
が、大野の高い出力による回転数と繊細な感覚による回転軸の立て方で、普通のオーバースローでは起こりえない変化を生み出している。
更に続けた2球目は、速いツーシーム。
142km/hで沈むツーシームを外に投げ込み、ファールでカウントを整える。
(どうする?)
(捩じ伏せよう。とびきりのストレート、外に決めきれ。)
(分かった。)
3球目は、アウトロー。
ストライクゾーン僅かに掠めるほどのギリギリのコースに投げ込む。
由井は見送り。
しかし片岡の右手は、上がらない。
(んーー、監督。流石に厳しくないか。)
ストライクコールが無いことに、一瞬静止する御幸と、思わず苦笑を浮かべた大野。
しかし切り替え、直ぐさま次の選択。
(ストレートで捩じ伏せても良いけど。)
(いや、リードを勉強させてやれ。こういう時にどういう球を選択するのか。)
テレパシーのように2人で意思疎通を行い、今度は御幸が苦笑する。
(プレッシャーかけんなよ。)
(大丈夫だろ。完全に裏をかく。お前のリードなら当然できるし、俺のコントロールなら応えられる。そうだろ?)
(言ってくれるね。)
勿論、この間会話をしている訳でもない。
が、長年連れ添った中。
共に歩んできたからこその、意思疎通。
最後に御幸が要求したのは、チェンジアップ。
それも、インコース低め。
由井は決して緩急に弱い訳ではないのだが、ストレートに目線が向いていたからこそ、思わぬボールに手が全く出せずに見逃し三振。
完全に裏をかいた形で、先頭の由井を見逃し三振で取ってまずは1アウト。
続くバッターは、こちらも一年生の瀬戸。
この試合では二つの空振り三振を献上している。
3度目の対戦となったこの場面だが、漸くバットに当てた瀬戸。
インコースのストレートを完全に差し込み、 セカンド正面のボテボテのゴロ。
しかし、久々の実戦。
更に足の速い瀬戸ということもあり、チャージしてきた木島は処理を誤り、弾いてしまう。
1アウトランナー一塁で、塁上は瞬足の瀬戸。
当然、クイックの遅い大野は走られる。
牽制もかけたものの、しっかりと二塁を陥れて二塁へ。
2番の東条をファーストフライに取ったものの、尚もチャンスの場面で小湊。
追い込んだ所でインハイのストレートを詰まらせて、宣言通りバットをへし折る。
が、却って弱い打球が功を奏してサード前の内野安打セーフ。
2アウトランナー一三塁。
決していい当たりではないものの、エラーとヒットでチャンスは広げた。
ここで打席に立つのは、今年の青道の四番。
東や結城のように打力が秀でているわけではない。
御幸のような、長打力もない。
しかし、燃えるような情熱。
そして、逆境になればなるほど強くなる、力。
打って欲しい、そんな場面に強いのが、今年の青道の顔。
声を張り上げて待ち構える金丸。
その姿をマウンドから見下ろしながら、大野は一度目を瞑る。
先程。
試合が始まる前に、金丸は大野にその思いを伝えていた。
「俺との打席、ガチでお願いします。成宮さんや本郷の時みたいに、全国最強の投手の力を肌で感じて、その上で打ちたいんです。」
その言葉を思い出し、ゆっくりと目を開ける。
開いた目。
瞳孔が開き、煌々と輝く青い瞳。
深く被られた帽子の鍔で見えにくいものの、その青い瞳だけは一層輝いて見える。
過去、大野はギアをあげた時にはその表情に笑みがあった。
真剣勝負を楽しみ、投げることに喜びを感じ。
自然と、口角が上がってしまっていた。
しかし今の大野の表情は、違う。
固く閉じられた口元に、開いた瞳孔。
本当に彼のギアが上がった時、更には相手が強敵だと判断した際に、今年の大野の表情には笑顔が無かった。
(一也、ギア全開けでいく。どちらにせよ、これで最後だ。)
(分かった。力の差を見せつけろ。)
初球の対決。
いきなり御幸が要求したのは、遅めのツーシーム。
外のストライクゾーンからボールまで大きく落ちる、スプリット系のボールで空振りを誘う。
とはいえ、スピードはスプリットよりも速いし落差も大きい。
ブレーキの効いたこのボールに、手が出て空振り。
2球目は速いツーシーム。
インコースの内側を抉る、速く鋭い変化球で差し込み、ファール。
バットに当ててるものの、これはバッテリーの思惑通り。
近さを感じさせ、遠くをより遠く感じさせる。
金丸もそれを分かっていたからこそ、バットに当てながらも顔を歪めていた。
3球目も同じボール。
今度は高め。
これも、ファール。
(見せたぞ。次は?)
(仕留めていいかな。チェで前に出す。)
速い2球(厳密には3球だが、比較的速い)を続けた4球目は、仕留め球。
アウトローのチェンジアップで崩し、空振りを取る。
しかし金丸。
過去にクリスから教わった下半身主導によるの粘りが生き、食らいついてファールとなる。
仕留め球だったが、粘った金丸。
しかしバッテリーに焦りはなかった。
(決めよう。俺とお前の最後の合わせだ。)
(じゃあ、最後は飛び切りのストレート。みんなを唸らせる、お前の最高のボールで終わらせてくれ。)
頷く大野。
天を仰ぎ、僅かに間が空く。
紛れもない。
この青道高校のユニフォームを着ての、最後の登板。
それを噛み締めるように時が過ぎ、僅か数秒。
息を吐ききった大野が、金丸を見据えた。
(ありがとう、青道高校。俺を、日本一にしてくれて。俺に野球を、教えてくれて。)
自然と、右手に力が入る。
約一年前。
マウンドに上がれなかった自分を、ここまでの投手にしてくれたこと。
そして、支えてくれた仲間に感謝を。
(これで…最後だ…!)
約二年半、この高校野球で巻き起こしてきた竜巻。
奪った三振は、数知れず。
チームに齎した希望も、同じく。
勝利の為に、チームの為に。
何より、投手である自分自身の為に。
鍛え上げたこの右腕を、振り抜いた。
「っらァ!」
最後は、外角低めのフォーシーム。
昨今の流行りである動くボールではなく、あまりに素直で純粋な、真っ直ぐ。
まるで現代に逆行するような、純然たる加速するストレートを、彼の原点投球ともいえる外角低めのコースへ決めて空振り三振。
乾いた破裂音と共に落ちた帽子。
それを拾うことなく。
大野は空を見つめながら、本当の意味で終わりを迎えた自身の高校野球生活を噛み締める。
脳裏に駆け巡る、多くの記憶と記録。
二年半という期間は、あまりに濃く、短かった。
一筋。
彼の頬を伝った、光。
それを拭うより先に、彼と連れ添ってきた相棒である御幸が駆け寄り、抱きしめた。