「セカンド!」
鈍い金属音と共に、沢村が大きな声で指差す。
打球は、セカンド頭上。
「わかってるよ。」
笑顔を崩さぬまま、亮さんがグローブを額の上で構える。
そして、乾いた音を響かせて、白球はグローブの中に収められた。
「アウト、ゲームセット!」
勝ったな。
右肩に乗せられた氷嚢を揺らし、ベンチから立ち上がる。
そして、スコアボードに目を向けた。
3−2
前半こそリードを許したものの、7回に一也が値千金の3ランホームランを放ち逆転に成功する。
その後はノリと沢村がピシャリと抑えて試合を終えた。
挨拶を終え、さっさとベンチに引き上げる。
次の試合もあるし、早く退こう。
そう思った矢先、1人の視線に気がつく。
というか、めっちゃ見られてる。
鋭い眼光。
なぜ睨まれている。
まあ、いいか。
「一也。」
「いいよ。俺が見てるから。」
次の試合は、市大三校。
この西東京地区のライバルであり、俺たちと同じ強打が売りのチーム。
試合数もかなりやっているし、今更研究する必要もない。
エースの真中さんに、投げ勝てばいいのだ。
ただ、それだけだ。
ベンチを後にし、目的の場所に向かう。
小柄な少年とすれ違ったが、気にせず階段へと向かった。
「まずは、おめでとう。俺の完敗だ。」
腕を組み、壁に背を預けた楊がそう言った。
その割には、解せないって顔してるけど。
「ありがとう。」
「これで君に負けたのは、2回目になるな。」
ん?2回目?
「お前、忘れたのか?シニアの世界大会で投げ合っただろ。」
あー、あー、んー?
あ、思い出した。
シニアの世界大会、確か準々決勝だったかな?
台湾代表のピッチャーと投げあった。
あの時は確か、1−0でギリギリ勝った気がする。
当時からコントロールがいい投手だったけど、どちらかというと球威でガンガン攻めている印象だったからな。
それが、まさか楊だったとは。
「それはこちらも同じだ。」
「そうだっけ?」
「…まあ、いい。」
溜め息を交えながら、楊が壁から離れる。
そして、少しばかり赤く腫れた目でこちらを真っ直ぐと見つめていた。
「君は凄い投手だ。緻密で、頭脳的で、自分が何をしなければいけないかを完璧に理解している。捕手のリードに応える技術も、度胸もあるからな。」
「そりゃどうも。」
楊のような好投手に評価されているということは、素直に嬉しい。
目付きは悪いけど。
そして楊は、しかしと続ける。
「投手は、わがままであっていいと思う。あの成宮という少年のようにな。」
そう言うと、彼は俺に背を向けて歩き出す。
そして、笑顔でこちらに振り向いた。
「あの時の君が戻ってくることを、俺は期待している。」
コツン、コツンと離れていく足音。
その音を聞きながら、俺はそっと天井を見上げた。
あの時の、俺か。
記憶も曖昧だし、なんのことを言っているか正直わからない。
けど。
「もっとわがままにやれ…か。」
そう呟き、俺は皆がいる観客席へ向かう。
少し、胸に何かが引っかかったままだった。
「すいません、遅れました。」
楊との話も終わり、俺はすぐに観客席へと向かった。
試合は既に2回の裏。
始まる前には待機してたかったけど、仕方ない。
俺はふと、スコアボードに目を向ける。
違和感を感じて、すぐにグラウンドに視線を向ける。
そこには、衝撃的な光景が広がっていた。
「…なぜ、真中さんがレフトにいる。」
険しい表情でグラウンドを見つめる一也に、問いかける。
エースであるはずの真中さん。
今日は先発しているはずなのだが。
スコアボードに表示された、「2」
真中さんから、いきなり2点を奪ったのか?
春大で俺たちと当たった時は、甲子園での疲労があったから連打されていた。
しかし今は、全開である。
寧ろ最後の夏にかける思いは相当のものだったはず。
調子も決して悪くなかったはずだ。
「何があったんだ、一也。」
「4番だよ。あの轟って野郎が、いきなり2ランぶっぱなしたんだ。」
轟…聞いたことないな。
シニアでも特に聞いたことないし、高校で開花したタイプか?
というかこいつ…
1年生じゃねえか。
「大野が知らないのも無理はない。彼はシニアは愚か、ボーイズリーグから軟式野球のどのチームにも在籍記録がないからな。」
在籍記録がないだと?
つまりは、高校から野球を始めたっていうのか。
「確信はできんがな。」
なるほどな。
少々納得はいかないが、注意する打者には違いない。
そんなことを思っていると、噂の轟に打席が回ってきた。
2アウトランナー一、二塁。
ピッチャーは、市大三校の二番手投手である堀越。
まずは初球、外角のストレート。
球は、やはり俺よりも速い。
2球目のカーブ。
外角低めいっぱいに決まるナイスボールなのだが。
これを轟は、振り抜いた。
その瞬間、俺は全てを理解した。
こいつは、やばい。
スイングスピードもそうだが、初見のカーブを確実にミートするコンタクト能力。
そして、緩急にも対応しきれる足腰の強さと反応の良さ。
おそらく、配球なんて一ミリも考えていない。
ただ、来た球に反応して打ち返した。
「同じだ。」
俺が衝撃を受けた、ある打者と同じ打ち方だ。
何も考えず、極度の集中と日々の鍛錬の成果を如何なく発揮するバッティング。
哲さんに近い、バッティング能力だ。
少し、鳥肌が立つ。
それと同時に、俺は確信めいた何かを感じた。
「クリス先輩。市大三校より、薬師を中心に見てもらっていいですか。」
「ああ、わかっている。」
クリス先輩も、俺の発言と表情で察したみたいだ。
次の対戦相手は、市大三校にはならない。
この薬師高校が…轟雷市が俺の前に立ち塞がってくる。
そして。
この後、両者の点の取り合いは続く。
終始市大三校のリードは変わらないものの、点差を広げさせない薬師高校。
試合も7回まで進み、徐々に薬師に流れが傾きかけていた。
そんな時。
流れを変えるべく、市大三校のエースである真中さんが、マウンドに舞い戻る。
リード自体は、市大三校。
しかし、ムードで言えば完全に薬師高校が掌握している。
この流れを断ち切れるかどうかで、試合の流れは決まる。
先頭打者は、3番の秋葉。
こいつもまた一年生、ここまで2安打とマルチ安打を記録している。
そんな秋葉を、自慢の高速スライダーで空振り三振に切ってとると、勢いそのまま4番の轟を迎える。
初球、いきなりスライダー。
初回のそれを見ていないからわからないが、恐らく今日1番のキレだろう。
少なくとも、俺が今まで見てきた真中さんのスライダーの中では1番キレていた。
2球目、同じくスライダー。
これをバットに当てるも、前に飛ばずファール。
「追い込んだな。」
「ええ。ここから遊び球も三球使えますし、どうにかして抑えたいっすね。」
同感だ。
ここを抑えるかどうかで、試合は決まってくる。
エースの意地か。
薬師の爆発力か。
3球目のストレート。
インコース低め、キレもコースも完璧なボールだった。
会心の一撃。
真中の野球人生最高のボールの行方は。
轟から放たれた快音と。
真中さんから放たれた鈍い音と。
その二つが入り混じって決着した。
強烈な打球は真中さんを襲うピッチャーライナー。
エースとしての執念か投手としての本能か、轟をなんとかアウトに抑える。
が。
騒然とするグラウンド。
そして、慌てる市大三校ベンチ。
俺は、ヘルメットに手をかけ悔しそうにする轟の姿をただじっと見ていた。