繁忙期で割とバタバタしておりまして…
まあ、申し訳ないんですけど気長に待って下さい。
(やっぱり”本物”だったか、クソッタレ。)
打席で自分の息子が空振り三振に喫している姿を見つめながら、薬師高校の監督である雷蔵は帽子の鍔に手をかけた。
本物というのは、他でもないマウンド上の投手のこと。
今大会4本塁打、打率.725を誇る怪物スラッガーである轟雷市。
雷蔵自慢の息子である彼ですら、たった3球で料理された。
制球がいいことは分かっていた。
ストレートの質が高いことも、それと同速で大きく沈むツーシームによる奪三振率の高さも。
その上で、雷市なら打てると確信していた。
いくらキレが良いとはいえ、高校生のボール。
都内でも3本の指に入る真中の高速スライダーですら簡単に打ち返すほど、変化球への対応力は非常に高い。
しかしそれは、あくまで予想の話。
彼らが相見えたとき、全てが甘い見立てであったことが浮き彫りになったのだ。
狙っていたストレートに手が出ない。
わかった上で振りに行ったボールにバットが当たらない。
そして、追い込まれれば”視界から消える”魔球に仕留められる。
至ってシンプル。
だが、シンプル故に攻略法が見当たらない。
(まずいな。雷市が圧倒されるような相手に他のやつが通用するはずがねえ。)
とにかく有効な策がない。
今現状ある手札では、大野夏輝という投手を打ち崩す術が思い当たらない。
思考を回転させながらも、彼から得点を奪うビジョンが雷蔵には全くと言っていいほど浮かばなかった。
それほど、今日の大野は研ぎ澄まされていた。
ストレートは指に掛かり、変化球のキレは一級。
初回は完璧なまでの三者連続三球三振という圧倒的な投球を見せつけた。
対する薬師高校の先発は、3年生の三野。
可もなく不可もなくという投手、どちらかというとイニングを稼ぐ安定感のあるピッチャーである。
しかし。
エースの力投に奮起した青道打線を、止めることは出来ない。
先頭打者の倉持がヒットで出塁すると、すかさず盗塁。
俊足を活かして、早速ノーアウト2塁とチャンスを作る。
2番の小湊が手堅く送り、1アウトランナー3塁。
初回からチャンスを作り出す。
このチャンスをしっかり物にするのが、青道。
3番の伊佐敷が詰まりながらもライトへしっかりとヒットを放ち、早速打点を上げる。
まるで得点することが当たり前かのように、あっさりと得点を上げる青道打線に、真田は思わず笑ってしまった。
しかし、青道の攻撃はまだ終わらない。
迎えるは、4番結城。
今大会打率は.712、3本塁打と大当たり。
さらに一発だけでなく繋ぎの打撃も得意とする、正に打撃の柱とも言える打者である。
まだ1アウト。
結城は、繋いでチャンスメイクすることを選択した。
「流し打ちーっ!外のボールを逆らわず右へ!結城、ライト前に落とすシングルヒットでチャンスを広げます、1アウトランナー一二塁です。」
無理に一発を狙わず、繋ぎの打撃。
この止まらない打線こそが、今年の青道高校なのだ。
東清国のような絶対的な4番ではない。
それでも、攻撃力で言えば昨年にも負けていない完成度を誇っていた。
尚も続くチャンス。
5番の増子がしっかりバントを決めてさらにチャンスを広げる。
ランナー二三塁で、迎えるは。
恐怖のクラッチヒッター、チャンスでしか打てない男こと、御幸一也。
裏を返せば。
チャンスであれば、必ず結果を残す。
女房役として、エースを援護するために打点を稼ぐことには特化している。
それが、打者としての御幸一也だ。
「ねーらーいうーちー。」
彼がそう口ずさむと共に、白球が緩く変化を始める。
低め、外角から内に入るカーブを思い切り掬いあげた。
鋭い当たりがライトの頭を超える長打となる。
あっという間にランナーは還り、さらに2得点を重ねる。
この回いきなり3得点を上げる。
尚も、ランナー二塁のチャンス。
ここで打席には、投手の大野が左の打席へ。
(さてと。)
ここでもう少し、突き放しておきたい。
点を与えるつもりはないが、点差があればリリーフに経験も積ませられるだろう。
そんなことを考えながら、大野は打席で足場を作り始めた。
すると。
「ピッチャー交代、真田!」
ベンチから出てくるは、背番号18。
薬師高校で最も実力のある投手が、マウンドへ向かう。
(初回から出てきたか。まあ、こちらとしては好都合か。)
真田の決め球は、インコースのシュート。
右打者の内角を抉る球は得意だが、左打者に対しては特段強いイメージはない。
ましてや、大野は外に逃げるボールに強い。
柔らかい手首を上手く使って流し打つ技術がある為、外に逃げるシュートも使いにくいだろう。
(真っ直ぐ狙い…だな。特にインコース。)
このボールに詰まらなければ、他に怖いボールはない。
そう踏んで、大野はゆったりとバットを構えた。
力感なく緩くバットを少し揺すりながらタイミングを取る。
そんな大野の姿を見つめながら、マウンド上の真田はプレート横に置かれたロジンバックに手を添えた。
(んだよ、雰囲気あるじゃんか。)
打ちそうな打者というか、リードオフマンのような。
少なくとも、投手が打席に入った時の感覚ではなかった。
(ま、関係ねーけど。)
自分がマウンドに上がったからには、目の前の打者を抑える。
それだけが、投手としての役割だから。
真田は、ゆっくり息を吐いた。
初球、いきなりインコースのストレート。
大野は迷いなくこれに対してバットを出す。
カツンと、甲高い音が響くとともに、バットに当たった白球は後方のネットへとぶつかった。
(いきなり振りに来るかよ。タイミング合ってるし。)
(思ってたより威力あるな)
2人が、同時に息を吐き、続けざまに真田は2球目を投げた。
今度は、内から切れ込んでくるシュート。
これを見逃し、2ストライクと早くも追い込まれる。
(こういうこともできるのね。)
軽く打席を外し、息を吐く。
相手が未知の投手なだけに、頭に入っていなかったボールが来ても大野はあまり動揺していなかった。
3球目、4球目とストレートが外に外れて並行カウント。
ここで、大野は決め球に狙いを絞った。
緩いボールはない。
ならば、速いボールとシュートに反応できれば何とかなるはず。
最後は、攻めてくる。
インコースで必ず勝負をかけてくる。
また、大野は息を吐いてバットを構え直した。
クイックモーションから投げ込まれたのは、速球。
速いボールに狙いを定めていた大野は、これに対応した。
ノビはない、つまりは逃げるボールか。
そう判断した大野は、バットを振り抜いた。
しかし、鳴り響いたのは鈍い音。
それと同時に、大野の押し込んだ左手に痛みが走った。
恐らくストレートではない。
しかし、感触としてはシュートのものとは違う。
少しばかり困惑しながらベースを走り抜けたが、無常にもアウトのコールが響いた。
「詰まってたな。手は大丈夫か?」
彼がベンチに戻ると、女房役の御幸が大野に声をかけた。
右手と言えば、投手の命。
「あぁ、幸い左手が少し痺れただけだ。すぐ戻るんだが…」
決め球に使われた、ボール。
待っていたシュートの、反対側に高速変化した。
恐らくは、カットボール。
ストレート系のボールの中でも、利き腕とは反対側に小さく変化するムービングボールの一種。
(左打者からしたら、厄介かもしれないな。)
そんなことを頭の片隅に置きながら、彼は手渡された白球を右手の上で転がした。
(まあ、いいか。)
もう、3点もある。
3点差もあれば、負ける気はしない。
全員の打者を、抑え込む。
それだけで、チームは勝てる。
続く打者3人に対して、大野は三振3つ。
3番をストレートで見逃し三振、4番をカーブで空振り三振、5番もカーブで空振り三振。
ストレートとカーブによる緩急、そして落差の大きさで打者のスイングを崩していく。
これが、大野のもう1つの攻め方。
対する薬師高校の投手である真田。
下位打線から続く打者3人を、三者凡退に抑え込む完璧なピッチングで攻撃に弾みをつける。
が。
そんなことをお構い無しに、大野は三振の山を築いていた。
体力温存の為に少しギアを落としたものの、下位打線を抑えるにはそれで十分。
スライダーやSFFを織り交ぜながら球数を減らし、テンポよく打者を抑えていく。
(こりゃ、今日は手も付けられんな。)
3回、最後の打者を三振で切り捨てた目の前のエースをちらりと見て、女房役である御幸は肩を竦めた。
敵ながら、同情する。
こんなに調子がいい日に当たってしまうなんて。
ストレートはとんでもなくキレており、ツーシームは視界から消える。
そして、カーブの落差も大きい。
リリースが安定しているから、制球も乱れない。
それこそ、いつもなら不安定なボール半個分の出し入れすら可能としている。
構えれば、その通りのコースに期待以上のボールが帰ってくる。
これほど、捕手にとって嬉しいことはない。
4回の表。
この薬師高校で最も警戒しなければならない、1年生トリオ。
(ここは”上げて”けよ。)
(わかってる。)
そうして投じたボールは、3回に投げ込んだそれとは全く別のもの。
今大会屈指のスラッガー相手に、力なんて抜かない。
寧ろ、圧倒的な力で真正面から捩じ伏せにいく。
それでこそ、勢いのある薬師への最大の抑止力となるから。
轟ですら、全く歯が立たない。
そんな意識を、植え付けるために。
また、大野のボールが轟のバットを掻い潜った。
「空振り三振!今大会高打率をマークしている轟に対して2打席連続の三振!」
使っている球種は、2つにすぎない。
しかし、その2つが一級品ならば、どんな大打者でも手玉にとれるのだ。
まあ、変にカーブなど使って打たれるのが怖いだけなのだが。
このまま、大野の奪三振ショーは続いていく。
4回から6回まで6つの三振を奪い、この試合合計で13個の三振。
対する薬師のリリーフエースである真田も何とか粘り、交代してから6回まで2失点と好投を見せる。
しかし。
初回の山内の失点と合わせて、5点。
はっきり言って、今日の大野を目の当たりにしては、遠すぎる数字であった。
そんなこととは露知らず。
大野はベンチにて、監督である片岡と話を交わしていた。
「この回までだ。最後の3人、しっかりと抑えていこう。」
「はい。いい形で、ノリに繋ぎますよ。」
一番安心できるのは、この大野が最後まで投げきること。
スタミナも心配ないし、今日の「ハマっている」状態であれば、正直最後まで間違いはないだろう。
しかし、そうも言っていられない。
それこそ登板回数の少ない沢村や川上といった投手たちの経験値にも繋がらないし、何よりここ一番で使えないなんてあってはいけない。
特に次の試合では大野は投げない。
丹波は基本7回以降は打たれ始める為、できれば継投していきたい。
そうなると、やはりリリース2人は必要不可欠となってくる訳だ。
「いくぞ。」
「ああ。」
短く紡がれる、2人の言葉。
そうして、大野は最後のマウンドへと向かった。