眠りの冬を越え、目覚めの春。
別れの季節でもあり、出会いの季節でもある。
そう、それはつまり。
「今日ですね、入寮日。」
ベッドに寝転びながら白球を真上に向けて弾くように投げ付ける。
回転軸を確認するという名目でやっている、暇つぶしみたいなものだ。
机の前で本と睨めっこをするクリス先輩に返答を少しばかり期待しながら、俺は放られたボールを掴み取った。
「そうだな。確か、推薦入学の金丸と書いているはずだ。」
何故こう、返答に少しラグがあるのだろうか。
まあ、怪我を目の前で見ていた身としては、何も言えないのだが。
「野手ですよね。強豪シニアの4番ですし、期待できるんじゃないですか?」
「思い切りの良い打撃と力強いバッティングが持ち味のサードだな。守備も軽快で且つ積極性もある。来年にはレギュラーに食い込んでくると見ている。」
よく喋るなあ。
たまにこの人饒舌になるんだよなあ。
同室というのもあるし、一時的にとはいえバッテリーを組んだ仲だ。
こうやって話してくれるくらいには、心を許してくれている。
というか、どこでそんな情報を仕入れてきているのだろうか。
まあ、別になんでもいいし、関係ないから良いんだけど。
少しばかりの会話も終わり、俺は再び暇つぶしに戻る。
別に無理に会話を続けようとも思わないし、必要以上に干渉しすぎない。
それが、この部屋である。
無心でボールを弾きながら数分ほど待っていると、申し訳程度のノック音が部屋に鳴り響いた。
「来たか。」
俺がいうより先に、クリス先輩がそう零す。
まあ、後輩の俺が出るのが当然である為、とりあえず玄関を開けた。
「お、お世話になります、新入生の金丸信二です!」
ほう、とりあえず元気いっぱいでよし。
人相は悪いが、礼儀正しくて良い子じゃないか。
「ああ、よろしく。俺は2年の大野夏輝だ。」
俺が出した右手に少し戸惑いながらも、がっちりと握りしめる金丸少年。
少し汗ばんでるあたり、緊張してるんだろう。
「こっちはクリス先輩。あんまり喋らないけど、優しい人だから。野球論とかバッティングはこの人に聞いたら間違いないよ。」
「宜しくお願いします、クリス先輩!」
一度チラリと金丸を見て、クリス先輩は視線を下に落とす。
俺なんかよりも、この人と仲良くなった方がいいと思う。
正直打撃に関しては俺、からっきしだし。
強打の捕手として入学してきたクリス先輩の方が、教えを乞うには丁度いいだろ。
それにしても後輩か。
あの沢村少年は、今頃倉持の部屋でドッキリでも喰らってんだろうな。
まあ、倉持の部屋になったことを呪うんだな。
とりあえず、俺たちの部屋は平和に行こう。
「適当に荷物置いちゃっていいよ。あ、先に言っとくけど歓迎会とかはなしな。この人絶対参加しないし、明日も早いからな。」
冷蔵庫から飲み物を取り出しながら、座る金丸にそう言った。
明日も早いというのは事実だし、決して面倒だからという理由ではない。
「んじゃ、早速自己紹介と行こうか。ね、クリス先輩。」
「滝川クリス優。3年、ポジションは捕手だ。」
それ以上、クリス先輩は何も言わなかった。
金丸が少し気まずそうな目線をこちらに向けてくる。
そのうち慣れるよと内心で呟きながら、俺は敢えて何も答えなかった。
順番的に次は俺かな。
そう思い、俺は訳もなく咳払いをして話し始めた。
「んじゃ、改めまして。2年の大野夏輝、ポジションはピッチャーね。一応、二番手投手でやらせてもらってるよ。」
「二番手って、大野さんがエースじゃなかったんですか?」
驚いたように、金丸がそう言う。
確かに防御率とか安定感でいえば確かに自信あるけど。
「秋大は怪我してたしな。試合に出られなきゃ、エースも何もないし。」
そもそも、出られたからといってエースになれたとは限らない。
補足するように、俺はそう言った。
怪我をしたのは俺の責任だし、注意不足。
そして何より、自覚が足りなかった。
チームを引っ張る、エースとしての自覚が。
「なんにせよ、ピッチャーとして協力できることなら何でも協力しよう。実戦形式でもバッティングピッチャーでもなんでも相談してくれ。」
俺としても、実戦形式が一番練習になるからな。
ついでに、クリス先輩に視線でアピールをする。
そして、クリス先輩はため息をつきながら額を右手で抑えて本を閉じた。
「…配球や打撃に関してはいくらでも教えてやる、これでいいか、大野。」
「バッチリですよ。ということでよろしくな、金丸。」
どう言うことなのかは言っている本人でもわからないのだが、金丸は納得しているからいいだろう。
その証拠に、金丸の表情はさっきよりも落ち着いている。
せめて部屋にいる時くらいは、落ち着いて過ごせるようにしてあげたい。
かつてクリス先輩がそうしてくれたように。
「今日は明日のために早く寝な。朝からミーティングあるから早いぞ。」
「あ、ありがとうございます、明日の準備したら寝ます!」
素直だなあ。
強豪シニアにいたからか、先輩の言うことを聞いていれば間違いないと言うのをわかっているんだろうな。
まあ、その環境で一年長く過ごしている人間の意見を参考にすれば間違いない。
沢村あいつ、元気してっかなあ。
明日の朝、挨拶くらいしにいくか。
そんなことを思いながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
早朝。
わざと物音を立てながら、俺は練習の準備へと取り掛かっていた。
「おはようございます、大野さん。」
2段ベッドの下から眠そうな目を擦って起き上がる金丸。
眠れたようでよかった。
「あぁ、おはよう。さっさと準備していくぞ。」
「はい。」
着替えなど身支度を終え、外へ。
外の日は登り始めているが、視界は悪い。
どうやら今日は、濃霧らしい。
少し不気味な空気感、1年生はもっと不穏に感じるだろうな。
しかし、気になることがひとつ。
金丸ともう1人、唯一面識がある少年が、いない。
どうしたんだ、沢村少年。
まさか初日から寝坊とかじゃないだろうな。
「おい。」
俺は横に並んでいる倉持を肘で小突く。
沢村と同部屋のこいつならわかるはずだ。
「沢村少年はどうした。」
「ヒャハハ、あいつなら昨日徹夜でゲームしたせいでまだお布団だぜ。」
お前が元凶だったか…
俺は目を瞑りながら大きな溜息をついた。
「せめて起こしてやれよ。」
「あいつの自己管理が悪いだけだろ?」
ひでえ。
というか、巻き込んだのはこいつらだろうが。
まあ、自己管理ができていないと言われたらそこまでか。
あとで助言くらいはしてやろう。
「全員揃っているな。」
あらら、監督来ちゃったよ。
こりゃ、本格的にアウトだな。
1年生の自己紹介がどんどん終わっていく。
今年の新入生は丁度40人であり、その内の15人が終わった。
「松方シニア出身、金丸信二!ポジションはサード!チームの4番を任されるバッターになります、宜しくお願いします!」
おぉ、我が金丸。
中々でかいこと言うじゃないの。
分かりやすく、大きく拍手をしてやる。
さて、次の自己紹介者は…
と、俺が新入生に目を向けようとしたとき。
視界の延長線上に、見覚えのある彼が。
沢村少年である。
「あいつ、今頃起きやがったのか。」
「挨拶が終わる前に来れただけ上出来だろ。」
そしてその後ろには、悪友御幸一也。
彼もまた、寝坊してしまったのだろう。
普通なら2人で素直に謝る…のがセオリー。
それが1番のトゲがなく、被害も最小限に済むからだ。
しかしまあ、一也がそんな優しい人間のはずがない。
寧ろ1年生を出汁にして自分が助かる算段を立てるはず。
10年一緒にやってきたからわかる。
何か入れ知恵をしている一也。
きっと沢村を誘導しているのだろう。
(お前の好きにはさせんぞ、一也。)
沢村少年、かわいそうだがここは怒られてもらうぞ。
説教が尾を引くよりもマシだろうよ。
俺は深呼吸をして、腹から大きな声を出した。
そりゃあもう、普段試合でも出さないくらいには。
「沢村!んなとこで突っ立ってねえでさっさと挨拶しねえか!」
全員が、物陰で隠れ…いや、寧ろ立ち上がった瞬間の沢村に視線が集まる。
「なんだ貴様は?」
眉間に皺を寄せながら、沢村の方を向く監督。
その鬼気迫る表情は、俺でもビビるだろう。
というかビビってる。
だって沢村の後はきっと俺にも向けられるから。
「おはようございます!赤城中学出身、沢村栄純!初日から寝坊してしまってすいませんでした!」
気持ちのいい挨拶。
自分のポジション言ってないけど、まあいいだろ。
謝ることが最優先だからな。
「初日から遅刻とは感心しないが、誰しも間違いは犯す。これからチームになる全員に謝罪の気持ちがあるというのなら、さっさと列に並べ。」
「はい!皆、ごめん!」
至って簡潔な謝罪である。
そして監督も鬼ではない、ちゃんと謝罪の気持ちがあれば許す。
さてと、俺も謝んなきゃな。
「監督、それに1年生の皆さん、挨拶遮ってすみませんでした。」
「構わん。良かれと思ってやった事だろう。」
俺も許しを得た為、軽く会釈。
良かった、何とか許してもらえて。
俺だけでなく、沢村少年も。
しかし、1つ懸念点があるとすれば…
「いやー初日から遅刻なんて馬鹿だよなー。」
さりげなく列に紛れ込んでる御幸バカである。
俺と沢村、そして監督とのいざこざの間にひっそりと列に並ぶという畜生振りである。
「お前さあ…」
ずる賢いというか、セコい。
そこまでは言わなかったが、俺は態とらしく溜息をついた。
全く、こんな奴とバッテリーを組んでいる自分が悲しくなる。
まあ、キャッチャーは性格が悪くてなんぼだからな。
「だから嫌われるんだよ。」
「ひどくね?」
「優しい方だぞ。」
また、溜息をつく。
沢村が助かっただけ、まだマシか。
そう思った俺の期待を裏切ったのは、監督であった。
勿論、いい意味で。
「そして、どさくさに紛れて列に入り込んでいる大馬鹿者は後で俺のところへ来い。」
無論、後ろにいる馬鹿だろう。
正直者がバカを見ない、至極まともな高校である。
頭を抱える馬鹿。
しかし、まあ。
「謝るのくらいは、手伝ってやるよ。」
この後、俺と一也の弁解は受領されることはなかった。
寧ろ、一也を援護したことで俺にも飛び火が降りかかってしまう。
そして仲良く走らされたのは、言うまでもない。