「均衡を破ったのは、4番の一振り!結城、勝ち越しの2点タイムリーヒット!」
一塁ベース上、右手を突き上げる結城。
歓声を背に、彼は柄にもなく喜びを露わにした。
危なかった。
打ててよかった。
自然と出てしまった右腕を、そっと下ろす。
無意識に出てしまった。
それ程までに、やはり嬉しかった。
好投しているエースを援護できて。
チームのみんなの期待に、応えられて。
自分自身そんなに感情を出すタイプではない。
しかしながら、今回だけは。
ぐっと、もう一度拳を握りこんだ。
打たれた成宮は、がっくりと項垂れる。
己のウイニングボールを、反応されたと。
何より、一番打たれてはいけない相手に一番打たれてはいけないタイミングで、打たれてしまった。
両手を膝につけ、項垂れる。
緊張の糸が切れたように、彼は崩れ落ちた。
受け止めるように、女房役の原田が駆け寄る。
その頬には、額から流れてきた汗と共に。
また別の、光る物が伝っていた。
「おめえ、ほんとすげえよ。よく逃げずに投げきった。」
「ごめ、雅さん。俺、おれ…」
嗚咽を漏らしながら言葉を絞り出す成宮。
それを見て、原田はいたたまれない気持ちでいっぱいになっていた。
「おめえはよく投げた。ほんと、尊敬する。」
「でも…」
「ぜってえ、打ってやるから。心配しねえで、ゆっくり休めよ。」
必ず打つ。
否、打たなければならない。
そうでなければ、ここまで全身全霊をかけて投げてきたエースが、報われないから。
成宮は降板。
1アウトで勝ち越し、尚もランナー一塁。
ここで稲実は背番号10の井口が成宮を継いで投げる。
まずは、5番の増子。
緊急登板ながら、増子に対して切れ味抜群のスライダーで空振り三振を奪う。
また、続く御幸に対して141km/hのストレートでショートゴロに抑えてこの回を最小失点に抑えてみせた。
この後始まる、味方打線の反撃につなげるために。
試合を作り、最後まで味方を鼓舞し続けた、エースのために。
「ファースト山岡が掴み取ってスリーアウト。追加点を許しません、この回から登板の井口が流れを断ち切りました。」
グラブを叩き、声を張り上げる。
そうして井口は、ベンチへと走り抜けていった。
しかし、青一色の三塁側ベンチは歓声。
関東No.1左腕と名高い成宮を打ち崩し、4番の一振りで遂に先制点をもぎ取った青道は大盛り上がり。
打った張本人は揉みくちゃ。
それほどまでに、成宮という好投手は打ち難い存在であった。
「よくあのチェンジアップ拾いましたね。」
御幸がそう尋ねると、結城は少し間を置いて、微笑んだ。
「そうか、俺が打ったのはチェンジアップだったか。」
そう呟く。
すると結城はヘルメットをおき、零した。
「とにかく集中して、集中して、来た球を打ち返した。俺は御幸や大野のように上手く配球を読むこともできない。上手く反応できてよかった。」
つくづく天才だなと、御幸は思った。
緩急も、あの落差にも対応できるのは、並の下半身と反応ではまず不可能。
それをストレートについていきながら弾き返したのだから。
やはり、天性の打撃センスを持っている。
何より。
決めて欲しいタイミングで、決めてくれた。
「逆転したとはいえ、2点。決して油断できる点じゃないことは、お前らもわかっているだろう。」
ナインが、頷く。
あとは、守り切るだけ。
長い長いこの投手戦に、終止符を打つために。
甲子園という、夢の舞台へ。
「行くぞ、甲子園!」
たった一言。
片岡の言葉に、青道高校ナインは大声で応えた。
あと、アウト3つ。
(あと、3つ。)
颯爽とベンチを出ていく野手たち。
その最後尾に、大野はゆっくりと出てきた。
重くなった身体を引きずり、ゆっくりと。
「大野。」
片岡に呼び止められ、振り返る。
できるだけ、疲れを悟られないように。
「最後、行けるか。」
「…ええ、勿論。」
そして、大野はマウンドへと向かった。
身体も、精神も、もう限界に近い。
しかし、ここまで来たのだ。
「大丈夫か、夏輝。」
「…何が。」
マウンド上、ロージンを手に馴染ませながら軽く返事をする。
「甘い球増えてるからな。疲れちまったのかなって思ってさ。」
「そりゃ、疲れるさ。もう11回だぞ。」
「これで最後だ。そうだろ?」
「まあ、な。」
御幸が、そう声をかける。
いつも通りの、冗談を交えたマウンド。
少し話、御幸がミットを胸に当てる。
「みんなで行こうぜ、甲子園。」
「ああ。」
大野がぎこちなく笑う。
御幸も不自然に感じながらも、そのまま定位置へと戻っていった。
彼もまた、結城の一打に興奮冷めやらぬ、と言う感じだったのだろう。
だからこそ、大野の「違和感」に気が付かなかった。
1人になったマウンド上。
その上で、大野は自分の右手を握り込んだ。
なんとなく、力が入らない。
気持ちの問題か、それとも。
少し過り、首を横に振る。
あともう一踏ん張り。
自分にそう言い聞かせ、大野は右手で胸元をグッと掴んで目を瞑った。
勝つんだ、勝つんだ。
ここまでと同じように、抑えるんだ。
言い聞かせる。
そして、ゆっくりと目を開けた。
まずは、1人目。
セカンドの平井。
初球、外角低めのストレート。
これが一杯に決まり、まずは1ストライク。
続く2球目。
ノーワインドから投じたこのボールが真ん中高めに抜けてしまう。
平井もこれを見逃さず狙い撃ち。
鋭い打球はセンター前へ、0アウトのランナーがついに出る。
(甘いぞ、次は厳しく攻めてこいよ。)
御幸が全身で、低めをアピール。
そして、また低めに構えた。
初球、外角低めのストレート。
これを見逃し、1ストライク。
続く2球目は、カーブ。
低めに外れるこの球を、今度は余裕を持って見逃す。
(やっぱ、ストレートの威力が落ちてるからか。)
ここまでは、ストレートに威力があった分、変化球とのギャップで抑えられていた。
しかし、最終回になって急激に球威が落ちてきている。
普段とは少し違う大野の姿に戸惑ったか。
それとも、勝ち急いだか。
焦りが、御幸のリードを少し慎重にさせすぎた。
3ボール1ストライクと、大野にしては珍しくボール先行。
最後はツーシームが高めに抜け、フォアボール。
0アウトで、ランナー一、二塁とピンチを作ってしまった。
ここにきて、疲れが出てきたか。
明らかに、抜け球が増えてきた。
流石に限界か。
しかし、この場面で継投はリスクが大きすぎる。
できれば大野に、投げ切ってもらいたい。
そう思い、御幸はマウンドに駆け寄った。
「大丈夫か?」
「あ?ああ。」
空色に反射した青い瞳が、御幸の目に映る。
その瞳は、少しばかり鮮やかさに欠いていた。