延長11回の裏。
先制を決めた青道高校、最後の守り。
これを守り切れば、甲子園。
待ち望んだ、夢の舞台に脚を踏み入れることができる。
普段は投げても最大9回。
それも、球数を抑えて投げているため、100球にも満たないケースがかなり多い。
特にこの夏は、リリーフで沢村や川上が後半を投げているため、7回で降板するケースが多かった。
そもそも、大野はもともと体力がある方ではない。
スタミナ面では心配ないのだが、身体に溜め込んでいるエネルギー量が他の選手に比べて少ないのだ。
初めての、延長戦。
それもこの炎天下である。
故に、不安要素が多すぎた。
(あと、アウト3つ。)
息を吐き、セットポジションに入る。
クイックモーション、打席に入った富士川に対してストレートを投げ込んだ。
まずは、アウトロー。
打者から最も遠いコースを突きにいくも、これが微妙に外れてボール。
少し、感覚が狂い始めている。
疲労か、はたまた別の要素か。
どちらにせよ、コントロールが効きにくくなっている。
それに加え、球速もやはり落ちてきていた。
初速もそうだが、回転数が減ってキレが落ちてきている。
そのため、打者の体感速度からすればかなり打ちやすい速度帯になっていた。
(言い張ったなら、最後までやりきる。)
大丈夫かと聞かれれば、大丈夫と応えざるを得ない。
しかしそれでも、行けると言ったのだから。
任せてくれたベンチに。
チームに、監督たちに。
応えなければいけない。
もう一度、息を吐きだす。
覚悟を決めろ。
そして、向かい合え。
今自分が戦っているのは、成宮ではなく、稲実なのだから。
「っしっ!」
高めのツーシーム。
富士川もこの変化についてこれず、空振り。
カウント1−1。
続く3球目。
ここで、一塁ランナーと二塁ランナーは同時にスタートをきる。
「スチール!」
結城の声が、マウンドへ向かう。
スタートタイミングは、悪くない。
キャッチャーは強肩の御幸とはいえ、ほぼ無警戒の、それも変化球要求。
何より、ピッチャーはクイックが遅い大野。
トルネード投法による弊害が、ここにきて出てしまった。
(間に合うか?)
要求したボールは、低めのカーブ。
御幸も、ここまで動いてこなかったランナーだけに警戒心が薄れていた。
打者富士川は空振りで盗塁をアシスト。
最短のモーションから、御幸の武器であるバズーカで三塁に送球。
しかし。
二遊間に比べてタッチ技術の低い三塁手の増子。
それに際どいタイミング。
この勝負は、二塁ランナーの平井の足が、勝った。
「セーフ!」
三塁に送球したため、二塁はもちろんセーフ。
0アウトで、ランナーは二、三塁。
ここにきて、大野も最大のピンチを背負うことになる。
富士川に対しては最後にカーブで空振りの三振。
ランナーこそ進められなかったが、未だ1アウト。
ランナー二、三塁。
ついに、この試合最大のピンチを迎えることになる。
(ここにきて仕掛けてきたか。)
小さく、御幸が舌打ちをしてしまう。
が、大野に悟られないように直ぐに切り替える。
捕手が取り乱せば、それは投手にも伝染する。
息を吐き、御幸も考える。
今の大野は、さっきの回のようなボールの勢いも、普段の針の穴を通すような制球力もない。
あるのは、とはいえある程度コースに投げ分けられる制球力と、球威の落ちた120km/h台のストレート。
そして、細かく制球出来るのはカーブだけ。
タイムを要求し、マウンドへ向かう御幸。
このピンチの場面、内野はシフトの確認で集合する。
「一点覚悟でせめて行きましょう。まずはアウト一つ、確実に取ります。」
「わかった。」
バッターは、代打の矢部。
お世辞にもミート力のあるバッターとはいえないが、長打を打つ技術とパワーは持ち合わせている。
しかし、点差は2点。
最悪犠牲フライを打たれても、2アウトとなればだいぶ守りやすくなる。
打ち合わせを済ませ、内野手が散らばろうとした時。
結城が彼らを引き止め、一言だけ言った。
「ここを守り切って、みんなで行こう。」
そうして、右拳を前に突き出した。
小湊が拳を出し、増子が拳を出す。
倉持が拳を突き出し、遠く外野から伊佐敷と門田が、白洲が右拳を突き上げる。
御幸が拳を突き出し、大野に視線を向け。
最後に大野が笑って、拳を前に突き出した。
「行くぞ、甲子園!」
「「「応!」」」
そうして、彼らがそれぞれの守備位置に戻っていく。
最後に残った2人。
キャッチャーと、ピッチャー。
「一也。」
「なんだよ、夏輝。」
ミットで口元を隠しながら、御幸が応える。
すると大野は、少し言い淀んで、また笑った。
「なんでもねえよ。勝とうな、この試合。」
不思議そうに御幸が首を傾げ、少し笑ってミットを胸に当てた。
「ったりめえだ。」
笑顔と笑顔の18.44m。
二つの「異なる」笑顔が、交錯した。
煩わしい額の汗は乾き、感覚の鈍った右手に息を吹きかける。
そして、先ほど同様にセットポジションに入った。
打席には、代打として登場した矢部。
一発のあるバッターだけに、警戒していかなければいけない。
気をつけるのは、長打。
犠牲フライはまだ良し、できれば三振。
最悪なのは、一発。
逆転サヨナラだけは、避けたい。
(振り絞れ、最後の力を。)
腕に力が入らない。
身体が重い。
だが、抑えなければいけない。
チームを勝たせてこそ、エースなのだから。
息を吐き、白球のにぎられている右手を、グローブに収めた。
その瞳は、少しだけ光り輝いているように感じた。
初球、カーブ。
低めのボールゾーンに逃げる変化球だが、これを空振り。
続くストレートにも、タイミングが合わずにファール。
これも低めのコースに決まる。
0−2ストライク。
カウントは、大野らしいストライク先行のカウント。
3球目、ストレートが高めに外れボール。
少し抜けたボールを見逃し、カウントは1−2。
4球目。
低めのカーブを要求。
外れてもOK、空振りを奪えれば最高。
縦に大きく割れるカーブ。
これを低めに決めるも、矢部も執念を見せて食らいつく。
1ボール2ストライク。
もう一球、カーブを要求。
同じようなボールを見逃され、平行カウントとなる。
6球目。
この試合でいえば、127球目。
勝負の一球は、やはりストレート。
外角の低めに構えられた御幸のミットに目を向けた。
(外角低め。)
原点投球、自分が最も得意とするコース。
一番、信頼をおけるコース。
ここで、このバッターを決める。
セットポジション。
息を小さく吐き、足を上げる。
残っているエネルギーを全部絞り出すように。
思い切り腕を振り切った。
ノビのある真っ直ぐ。
外角低めに要求された4シームは。
奇しくも、もう1人のエースがマウンドを降りた、127球目。
限界を迎えていた大野のストレートは高めに大きく抜けて行き。
広い神宮球場のバックネットにぶつかった。
日差しに照らされ、光り輝く広い広い芝生の上を、転々とする白球。
慌てて取りに行く御幸の最中、大野は崩れ落ちるように両膝を付けた。
2-2、同点。
両者のエースは崩れ落ち、マウンドから降りていく。
試合はまだ、終わらない。