(こいつ、これで本当にエースじゃないのか?)
目の前で自慢の強力打線をキリキリ舞にされる姿に、成孔の枡は目を見開いた。
捕手であり1番打者でもある彼はこのチームのまとめ役であり、いつもチームを引っ張ってきていた。
そんな彼ですら、自分たちの打線がここまで手も足も出ないなんてことは、初めてであった。
最速152km/hのフォーシームはまるで生き物かのように唸りを上げ、それが低めにしっかり投げ込まれている。
そして高めに投げ込まれたそれは、重力など感じていないかのように、加速しながら伸びていく。
高めのボールには全くついていけず、低めは力に押されて弾き返せない。
更に成孔学園を苦しめていたのは、ストレート軌道から手元で消えるフォーク。
このボールが頭にあると、ストレートに詰まってしまう。
かく言う自分も、その高めのストレートに釣られてしまった。
自分で言うのもなんだが、枡自身選球眼とミート力には自信がある。
そんな彼ですら、たったの3球で捩じ伏せられてしまったのだ。
「バケモンじゃねえか、あの野郎。」
前評判では、ムラが凄まじい投手と聞いていた。
好調のときは手が付けられないというのも分かっていたのだが、まさかここまでとは。
はっきり言って、超高校級と言っても過言では無いと、枡は唇を噛み締めた。
どう攻略する、どう攻め立てる。
2巡目までは捨てて、勝負は3巡目か。
かといって、今許しているリードは3点。
初回に御幸と金丸のタイムリーで取られたこの3点が、果てしなく遠い。
できれば早く返したいところだが。
どうする。
そんな風に思われているとは露知らず、降谷はまた自慢の右腕を振るっていた。
「ストライク!アウト!」
9番の城田を空振り三振で切り落とし、マウンドからゆっくりとベンチへ戻っていく。
今日はなんだが、調子がいい。
自分で投げていても、とにかく狙ったところに強い球が投げられる。
これは褒められるのもわかると、降谷は右手に目を向けた。
「降谷、もう一巡行けるな?」
ベンチに戻る降谷に、片岡がそう問う。
というよりは、確認するように言った。
間髪入れずに頷く降谷。
初回から前回とはいえ、まだ3回。
このままなら、もう一巡くらいならいける。
「一巡と言わず完投でも…」
「それはない。」
これまた間髪入れずに返答される。
完投できるスタミナがこの降谷にはまだ、ない。
「まあ続投なだけいいだろ。元々一巡の予定だったんだから。」
大野がそういいながら、飲み物の入った紙コップを手渡した。
それを受け取り、降谷は飲料に口をつけた。
「調子はどうだ。」
「いい感じだと、思います。」
大野も、うなずく。
今日の降谷は、それだけ調子がいい。
「あと一巡、きちんと抑えてこいよ。」
降谷はまた頷く。
しかしその表情は若干だがくらいものであった。
そんな姿に少し不安を覚えながらも、大野は打席に向かう準備をした。
このあとなかなか追加点が奪えない青道高校。
なんとなく嫌な空気が流れる中。
その空気を断ち切ったのは、先発の降谷であった。
9番の城田から、クリーンナップを超えて6番の小島までの7人を連続三振で切ってとったのだ。
7者連続の三振。
圧倒的な投球の前に、青道ベンチだけでなく会場の観客のほとんどが魅了されていた。
歓声が沸き立ち、会場が揺れる。
安定感もあり、球速も出ている。
この会場の誰もが、この降谷の完投を期待していた。
どこまで速い球を投げるのか。
どこまで三振記録を伸ばすのか。
7番の小川にようやくレフトフライを打たれたものの、続く加藤と城田にはまたも三振を奪い、今日の三振記録を伸ばした。
ここまでは、四死球0の被安打0。
そして、打者18人に対して14奪三振。
圧倒的という他ない投球に、会場はさらに盛り上がりを見せた。
しかし、青道ベンチは動き始める。
というのも、投手交代は元々計画していたもの。
降谷は帽子に手をかけてベンチに深く腰掛けた。
汗がよく出る。
今日の気温は、22℃。
そこまで暑くないが、それだけ全開で投げているのだろう。
(疲れた。)
そんな風に思いながら、降谷は大野から手渡されたドリンクに口をつけた。
「よく投げたな。なんだかんだ、高校野球最長イニングじゃない?」
大野がそう言うと、降谷は黙って頷いた。
やはり、全力で投げていただけあって汗の量がすごい。
「大野先輩は、すごいです。」
「俺が、か?」
唐突に言われた賞賛に、思わず想定外といった感じで振り返る。
降谷はまた、小さく頷いた。
「どんなにいい投球をしても、自分はたった二巡しか任せられません。スタミナがないのも、信頼が足りないのも分かっています。」
「今日はどちらにせよ、そういう日だからな。」
継投で、的を絞らせない。
最後まで後手に回らずにこちらのペースで勝つために。
最初から計画されていた継投。
「大野先輩ならきっと、最後まで任されてました。」
エースである大野夏輝は、基本完投型である。
試合を通して大崩れすることはなく、スタミナも十分な為基本的には最後まで投げ切るケースが多い。
夏の大会でも、沢村や降谷に経験値を積ませるために降板していたものの、大一番では一試合を投げ切る。
それを任せられ、やり遂げることができるからだ。
「どうかな。俺も調子次第だとは思う。」
「何となく、今日は調子がいいことは僕自身でもわかります。それでも、今日は継投が前提でした。」
自分でスタミナが無いことは、自覚している。
それに安定感に欠けており、試合によって調子の浮き沈みが激しいことも。
「僕にはまだ、足りないものが多すぎると感じました。」
スタミナが無ければ、完投させてもらえない。
安定感が無ければ、一試合通して任せて貰えない。
エースがいないからこそ、実感できる。
自分がどれだけ、エースまで遠いか。
そして、足りないものが多いか。
目指すべき姿が目の前にいるからこそ、要求も自然と高くなる。
その「エース」が本物ならば、尚更。
大野夏輝という象徴のような存在を超えなければ、届かない。
真っ直ぐ大野を見る降谷。
対するその「エース」は、一旦間を空けて、息を吐いた。
「焦りすぎるなよ。お前が目指すべき場所が何処にあるかはわからないが、全部一緒に克服できるほど甘いものじゃないはずだ。」
スタミナなんて、時間をかけなければつかない。
コントロールも、数を投げなくては安定しない。
安定感だって、場数を踏まなければ良くならない。
「焦るなよ。1つずつ、できることをやっていくしかないからな。」
無論、それは大野自身もわかっている。
だからこそ、今自分が出来ることに専念している。
そんな姿に降谷は、まだ自分がエースには値しないということを感じていたのだ。
「僕が、エースになります。」
大野先輩を超えて。
そこまで言わなかったが、大野も察していた。
今はまだ、届かないかもしれない。
それでも、いつかは。
できれば、大野夏輝を超えて。
試合は降谷の後ろを投げた沢村が1回を無失点。
続く川上も2回を被安打2の1失点で抑えこみ、初戦を3-1で青道高校が勝利を収めた。