「おい、南朋。」
「あぁ、動いてきたね。」
ブルペンでキャッチボールを始めた「背番号1」。
その姿に、鵜久森の核である2人は息を飲んだ。
表情こそ崩していないものの、2人に少なからず動揺が走る。
ここまで、怪我の影響で投げていなかった大野。
勿論その事実を鵜久森サイドは知らないわけだが、少なくとも何らかの影響があって投げられないと確信していた。
そんな彼が、投球準備をしている。
甲子園を準優勝した稲実を、完璧に押さえ込んでいた。
鵜久森との試合のときのように、繋がりのない打線ではない。
チームとして完成していた、紛うことなき最強のチームを相手に、真っ向から立ち向かっていたあの無双のエース。
大野夏輝が投げると、青道ベンチが沸き立つ。
彼がエースたる所以は、そこにあった。
実力で言えば、降谷や沢村もかなり上がってきたのだろう。
しかし大野という存在がマウンドに上がるだけで、チームに勢いがつく。
投げれば、捩じ伏せて相手の心を折る。
チームを勝たせる、故にエースなのだ。
(大野が上がるってなると、かなり厳しいね。)
タイミング的には、抑えとして出てくるか。
そうなると、9回の攻撃はかなり厳しくなる。
そして、何より。
大野が後ろにいることに対して、他の投手への安心感にも繋がるはずだ。
だとしたら、なぜここまで登板しなかった?
怪我という線が一番有力だと思ったが、本当に温存していたのか?
もしかしたら怪我が治って、今日から復帰登板するつもりなのか?
少なからず、松原の脳内に迷いが生じた。
鵜久森ベンチがざわつく中、ブルペンにやってきた大野に対して、沢村が声を張り上げた。
「なっさん!なぜこんなところに!?」
ブルペンには、沢村と東条。
次の回から登板予定の東条と、なぜかブルペンにいる沢村である。
「予定が変わった。」
「肘は、大丈夫なんですか?」
「いいわけねーだろ。牽制みてーなもんだよ。」
御幸がそう訂正し、大野に白球を手渡す。
「無理すんなよ。」
「わかっている。」
間髪入れずに、返答する。
そして、2人はキャッチボールを始めた。
無論、大野の肘の怪我は完治していない。
投球練習自体は自主練でも少しずつおこなっているため、投げること自体は特段問題なく行えるのだが、流石に実戦登板はまだ無理だ。
しかし、そんなことは青道高校の中で浸透しているだけであって、他校が知る由もない。
故に、牽制にはなる。
相手には、「まだエースが残っている」という印象がつく。
そしてそれは、確実にプレッシャーになる。
「軽くでいいからな。準備をしている仕草だけで十分だ。」
無言で大野が頷き、軽く腕を振り始める。
あくまでキャッチボールをしているだけだが、それでいい。
それで、いいのだが。
「おい、夏輝。」
徐々に、力を入れ始める大野。
まるで本当に、登板準備をしているようなそんな姿に、御幸が釘を刺す。
「安心しろ、自分のことは自分が一番よくわかっている。」
投げられないことくらい。
そこまでは言わなかったが、大野の表情を見て御幸も理解した。
大野の投球練習の影響が出ていたのは、鵜久森だけではない。
その影響は、味方の青道高校の攻撃陣にも。
「大野のやつ、投げるのか?」
降板した降谷の代打で準備をする山口が疑念の言葉を投げかける。
すると、金丸が訂正するようにそれを否定した。
「まだ大野先輩は投げられる状態じゃないっすよ。」
同じ部屋だからこそ、わかる。
全開じゃないのに投げることがないことも、それほど無責任な投手ではないことも。
「俺たちに発破かけてんだよ。あいつは。」
少し間を空けて、倉持がそう言った。
大野はまだ、投げられない。
しかしいざとなれば、無理にでも投げるぞという心意気。
たとえ自分の身体が壊れようと、勝つという意志が。
続けて、白州も言った。
「挑戦的な鵜久森に、俺たちは無意識に受け身になっていたのかもな。」
だからこそ、つけ込まれた。
それを弾きかえすには、こちらも全力で迎え撃つ。
いや、向かっていかなければいけないのだ。
だからお前たちも、闘えと。
全身全霊をかけて、闘えと。
「俺たちは、王者なんかじゃない。」
力も足りなければ、課題だらけ。
何より、エースも不在。
だからこそ、チャレンジャーなのだ。
「喰らいつこう、泥臭く行こう。何としてでも、逆転するぞ!」
珍しく声を上げた白州に、ナインも自然と口角が上がる。
そして、山口が打席に向かっていった。
(レギュラーがあんだけ体張ってんだ。)
一度、ブルペンで準備をする大野に目を向ける山口。
そして、雄叫びを上げた。
(控えの俺が泥臭くやんなくて、どうすんだよ!)
「っしゃあ、いくぞオラア!」
その闘志は、梅宮にも伝わってくる。
(何だこいつら、急に雰囲気変わりやがった。)
そして、笑った。
こういう真っ向勝負が、したいのだ。
強気で、己の魂をぶつけ合うような勝負を。
(何が何でも弾きかえす!)
(やれるもんなら、やってみやがれよ!)
互いの闘志をぶつけ合った、真っ向勝負。
勝敗は、喰らい付いた山口に軍配が上がった。
低めのスローカーブを崩されながらも拾い、二遊間を抜けるヒット。
これでチャンスメイクをして、先頭の山口は出塁。
打席には、金丸が入る。
(大野先輩。)
部屋でもリハビリに勤しむ姿を見てきた。
怪我をしてからの、少し歯痒そうな姿も。
そして、引退したクリスの姿も見てきた。
(今、全力で闘える俺が…)
バットを一閃。
そのスイングは、今日の誰よりも鋭い。
そして、打席にはいって声を上げた。
(俺が決めんだよ!)
突き刺すような、視線。
それに、梅宮も応える。
(おめえもかよ、その闘志!)
そして、投げ込んだ。
初球のストレート。
金丸の集中力が、頂点に達した。
「っっうっらあああ!」
高めに浮いたこのボール。
これを、フルスイングした。
強い当たりは、レフト後方。
ライナー性で伸びていく打球を追っていく外野たち。
しかしその必死の追跡も、途中で終わった。
少し静まりかえる、会場。
その沈黙を破ったのは、一塁ベースを回って右腕を突き上げた金丸の影だった。
全く進んでなくて草