「王谷学園?」
「うん。前に甲子園にも出場してる都立高校だね。」
鵜久森との試合を終えた俺たち青道だが、安堵したのも束の間。
1週間後に控えた次の試合に向けて、早速ビデオで相手の確認をしていた。
王谷学園か。
あんまり聞かないけど、都立ながら優れた戦略性と技術で、体格差をものともしない野球をしてくる。
エースは、2年生の若林豪。
フォークを中心に投球を組み立てる、軟投派。
ゾーン内で変化させる小さいフォークにシュートを巧みに操ってゴロを打たせるピッチャーだ。
「フォーム結構クセあるよな。」
「手投げ気味っていうか、どっちかっつーと野手投げっぽいね。」
確かに。
倉持と白州の会話に、俺も頷く。
投球間隔も結構短いし、案外打ちにくいかも。
打線は正直、あまり怖くないかな。
4番の春日と5番の山里を要警戒で、他は微妙。
警戒するに越したことはないけどね。
だけど、慎重になりすぎる必要もないってこと。
「まずは一戦必勝。1つずつ、取っていこう。」
監督の言葉に、全員が大きく返事をする。
鵜久森との試合もあるし、やはり油断はできない。
流れに乗っているチームは、怖い。
それが昨日の試合で、身に染みた。
ミーティングを終え、大きく伸びをする俺。
「なあ、大野。」
「ふぁい?」
そんな時に急に声を掛けられるとどうなるか。
少なくとも、素っ頓狂な声は出る。
そして、追加で俺は椅子から落ちかけた。
うん、死ぬかと思ったよ。
掠れたこの声の主は多分、倉持か。
「大丈夫かよ。」
「何とか。で、どうしたの。珍しいね。」
「ちょっと付き合ってくれよ。」
そう言って、外を指す倉持。
これを見てどこか買い物に付き合ってくれと解釈するほど、俺は能天気ではない。
「いーけど、俺にできることなんてたかが知れてるぞ。」
「別に、ただ一緒に打とうってだけだよ。投手目線ってのも、気になるしな。」
そうですか。
まあ、現状レギュラーの中では一番打ててないバッターだからな。
守備走塁面を加味するとやっぱり必須級な選手だけに、控えにすることもできない。
打撃も並に戻ってくれれば正直1番打者として固定できる為、彼の復調はかなり重要になってくる。
「で、トス上げればいいか?」
「ああ、頼むわ。」
ボールが入ったプラスチック製の黄色いケースを、よいしょよいしょと持ってくる。
そして、倉持の近くに置いた。
あれ、そう言えば倉持って練習のときはどっちから打つんだろ。
普段はスイッチヒッター…所謂、投手によって打席を変える両打ちのバッター。
だから練習でも両方打つだろうけど。
やっぱメインが左だから、左からかな?
「どっちから打つ?」
俺がそう聞くと、倉持の動きがピタリと止まる。
そして、少しの間静寂。
え、何。
気まずい空気が流れた数秒後、倉持が口を開いた。
「なあ、大野。」
「なんだよ。」
打撃のアドバイスはあまり期待するなよ。
そんなことを付け足して答える。
「俺、左に専念しようと思うんだよ。」
ポツリと呟いた倉持の、俺はボールを掴もうとして止まる。
左に専念。
スイッチヒッターである彼が、左打者として専念しようということだろう。
本来俊足のバッターであれば、左打席の方が有利だ。
一塁ベースからの距離も右に比べて近い為、内野安打や振り逃げによる出塁の確率も上がる。
それに、スイッチヒッターというのは所謂両打者。
左にだけでなく、右でも打てるように。
他の打者に比べても、倍の時間を要することになる。
裏を返せば、スイッチを辞めれば、今右打ちに割いている時間も左に回せる。
つまりは、今の倍左打ちの練習に費やせるのだ。
確かに合理的だ。
しかし。
「逆に聞くけど、なんでスイッチヒッターなの?」
別に足を生かすなら、左でいい。
「そりゃ、か…」
「か?」
倉持が言いかけて、やめる。
そして続けて答えた。
「投手からしたら、そっちの方が厄介だと思ったからだよ。」
そうか。
左投手なら右打席、右投手なら左打席。
基本的には相対している打席の方が出処が見えやすいというのもあるし、変化の大きいスライダーカーブなどにも対応しやすい。
確かにわかるのだが。
「だとしたら、どうかな。現に俺はあまり左打者を苦手にしてないし。」
実際、俺はどちらだろうとあまり関係ない。
軸にしているボールはストレートとツーシームで、基本的にはどちらも左右を苦にしない。
それに。
こいつが言い淀んだ、ほんとの理由が知りたい。
「そうか。ありがとな。」
そう言いながらも、倉持の表情が暗い。
やっぱり、やめたくない原因がある。
「…さっきのは、あくまで投手としての俺目線だ。こっから先は俺個人、倉持のチームメイトとして言わせてくれ。」
アドバイスなんて、大層なものじゃない。
ただ俺が思ったことであり、俺の考え方。
そして俺の野球選手として形成する、基礎となるもの。
「野球選手としてやっていく上で、壁に当たるのはわかる。その中で添削というか、捨てるものがあることもわかる。」
そうやって、上手くなるのだ。
「けどな、拘りだけは捨てちゃダメだと思う。ポリシーとか、倉持洋一っていう選手を形成するものは絶対に変えちゃダメだと思うんだ。」
憧れの選手とか、目標の選手とか。
あとは自分なりの考え方とか。
人それぞれ、自分が自分であるというものがある。
その「芯」は、簡単にブラしちゃいけないと思うんだ。
「お前にとって重要なことだったら、絶対変えるな。」
「俺にとって…か。」
倉持が、右手の人差し指で鼻を擦る。
そして、押し黙る。
少しして、倉持は頭を掻きむしって話し始めた。
「俺にとって、両打ちは憧れなんだよ。大好きな選手がそうだったから、その選手がかっこいいから、今でもそうしてんだよ!」
照れくささを紛らわすように、半ギレ。
その証拠に、頬当たりを中心に倉持の顔が赤らんでいた。
憧れの選手ね。
「いいじゃんか、かっこいい選手がいて、それを真似ることの何が恥ずかしい。」
物真似は、手っ取り早い上達のコツだ。
それは別に悪いことでもないし。
だから恥ずかしがることも、ないだろう。
俺が言い切ると、倉持は目を見開く。
そして、笑った。
「やっぱお前に相談して良かったわ。」
「そら良かったよ。」
ヒャハハと、甲高い声。
いつもの、倉持洋一の声。
その姿を見て、俺はあんしんした。
「やっぱ俺、スイッチヒッターで行くわ。」
「てか倉持の好きな選手ってあれでしょ、松井でしょ?」
「なんで分かんだよ!」
「だって構え方とかモロだし。両打ちで俊足のショートとか松井稼頭央じゃん。」
ぐぬぬと、倉持が噛み付こうと言わんばかりに睨みつけてくる。
おー、怖い。
「やるからには、松井稼頭央くらい打ってな。」
「っるせ!!その為に練習すんだよ!」
バットを構える倉持に、俺は思わず笑ってしまった。
やっぱ俺、こいつが1番がいいな。
浪漫とか、人間的にもね。
引っ張ってもらいたいっていうか。
まあその為には、打ってもらわなきゃ困るんだけど。
「じゃあ上げるぞ。」
そうして俺が白球に手をかけると同時に、声を掛けられた。
「なっさん。」
そこには、グローブを脇に携えた、沢村が立っていた。
「どうしたの。」
俺がそう聞くと、沢村は1つ息を吐く。
そうして彼が言い放ったのは、中々に強烈なものであった。
「俺、変化球を覚えたいんス。」