「変化球を覚えたい、ね。」
グローブを嵌めた沢村が放った言葉に、俺は顎に手を当てて考える仕草を見せる。
「言うのは簡単だが、短期間で出来るもんじゃないぞ。」
変化球というのは、握り方や腕の振りを変えてストレートとは違う回転を掛けるボール。
外から見たらあまりフォームの変化はなくとも、感覚や身体の内面で確実に別の投げ方になる。
つまりは、ストレートとは全く別の感覚になる事が多い。
「カットボールの時はすんなり行ったじゃないですか。」
「あれは握りを少し変えただけで、感覚的にはストレートと殆ど変わらなかっただろ。」
元々無意識に動くボールを投げていた沢村だからこそ、カットボール自体はすぐに習得できた。
しかし彼が言う変化球は、恐らくムービングボールの類いではない。
「オフシーズンでも十分間に合うと思うんだけどな。それこそ、今の投球でも十分抑えられてるし。」
俺がそう言うと、沢村は押し黙る。
彼自身、やはり難しいことは承知なのだろう。
すると沢村は、それでもと言わんばかりに口を開いた。
「帝東との試合、乾さんに打たれた時に思ったんスよ。動く球だけじゃ、抑えきれない相手が出てくるって。」
「あれは例外と言えば例外だが…確かにそうだな。」
2回戦目の、帝東との試合。
あの時、初見で打たれた外角のカットボール。
軸にしている、ノビのあるストレートと、球速としてはさほど変わりない。
だからこそ、パワーのあるバッターだと、飛んでしまう。
尚且つ、高校野球は一般的に金属バットを使う。
木製などミートポイントの狭いバットなら芯を外して討ち取ることは容易だが、ミートポイントの広い金属バットだと、多少芯を外されても飛ぶケースがある。
特に乾のように、振り抜くバッターだと。
そうなってくると、対処法は2つ。
スライダーやフォークのように、大きい変化球。
バットが届かないような変化量のボールであれば、そもそもバットに当たらなければ意味が無い。
若しくは、タイミングを外すような緩いボール。
カーブやチェンジアップのように、ストレートと球速差のあるボールで、振らせる。
どちらか、なのだが。
そう簡単に覚えられるもんじゃないんだよな。
元々変化球を投げるのが苦手な沢村なだけに、やるとしてもかなり時間がかかると思う。
だからこそ、時間のあるオフに回したかった。
「やっぱり沢村、多分…」
「いや、なんとかできなくはないぞ。」
「「おわ!」」
どこからともなく、低い声が届く。
突然掛けられたその声に、俺だけでなく沢村も肩を跳ね上げて驚いた。
声の主は、落合コーチだ。
「んな驚かなくていいだろ。」
「驚きますよ普通。」
腰に手を当て、俺は溜息を着く。
すると落合コーチも、蓄えられた顎髭に手を当てて眉をひそめた。
いやいやいや、そんなことより。
俺が口を開く前に、沢村が落合コーチの言葉に疑問を投げた。
「変化球、なんとかなるんですか?」
「お前次第だがな。」
2人がそんな事を話している最中、俺は少し懸念点があった。
今までストレート系のボールしか投げてこなかった沢村に、抜く変化球は緩いボールをこの短期間で習得できるのか。
もしできたとしても、今軸にしているストレートや高速のチェンジアップに影響が出ないのか。
消極的かもしれないが、俺はそう思った。
今の沢村でも十分戦えるだけに、変化球を覚えようとして調子が崩れたら元も子もない。
「少しコツを教えてやるだけだ。本人が欲しているのなら、やってみる価値はある。それに、変に希望を持つよりも、出来ないなら出来ないで割り切った方が良いだろ。」
落合コーチの言葉に、俺も額に手を当てる。
そしてまた、溜め息を吐いた。
「わかりました。じゃあ、一也を呼んできます。」
「悪いな、大野。」
「コーチの言うことも、わかりますからね。」
そうして、一度室内練習場から離れる。
こうなった以上、しっかりとしたキャッチャーを。
そして、やるからにはとことんやる。
次の試合、王谷との試合に使えるように仕上げたい。
「…という訳だ。いくぞ、一也。」
「…俺もお前に同意見だけど、落合コーチが言うならな。」
学習机で、普段使い用のメガネ。
パジャマいうよりは部屋着のパーカーを身に纏った御幸が、椅子の上で大きく伸びをした後に立ち上がった。
机の上に置かれたミットに手を取ると、そのまま室内練習場へと向かった。
「落合コーチが言うことは分かるんですけど、どうするんですか?」
そう言って、俺は沢村を親指で指さす。
「高校生にもなってストレート一本だぞ、今どきその方が珍しい。が、こいつが筋金入りの不器用なのもわかる。」
ぐぬぬと、沢村が分かりやすく歯を食いしばる。
その姿を一度横目で見て、また落合コーチに視線を戻した。
「チェンジアップ、ですか。」
俺がそう言うと、落合コーチも同意するように頷いた。
「本当はカーブスライダーがいいが、こいつに捻りや抜く感覚なんかは無理だろうな。できたら、もう御幸がやっているだろうしな。」
「そうですね。」
俺たちのやり取りを聞いて、沢村が大きく手を上げる。
「なっさん!御幸先輩!因みにチェンジアップとはなんの事でございましょうか!」
こいつ、期待を裏切らない。
やれやれと言わんばかりに首を振る落合コーチと御幸を見て、俺も溜め息をついて答えた。
「稲実の成宮が投げてた緩い球があっただろ。」
「あぁ、あの腑抜けたボール!」
「それに三振しまくるんだよなぁ。」
ストレートと同じ腕の振りで、緩くミットに到達する変化球。
打者のタイミングを外す、所謂チェンジオブペースに使うボールだ。
傍から見たらただの緩い球だが、打席からだとその球速差で大体タイミングをずらされる。
まあ、成宮のボールはまた特殊だけどな。
あれほどまでしっかり球速が落ちて、尚且つ少し沈むとなると、反応できても打てない。
だからこそ、アレを打った哲さんの打撃センスは凄い。
さて、話を戻そう。
「握りはこう。親指で輪っかを作ってボールを握る。あとの指は、包むように。」
落合コーチが実際にボールを持って、握りを見せる。
そしてそのボールを、沢村に軽く投げた。
「あとは勝手に抜けてくれる。できるだけストレートと同じように、むしろストレートよりも強く振ってもいい。」
腕の振りの速さと球の遅さのギャップが大きければ大きいほど、打者は騙される。
それを説明されても尚、沢村はボールを投げる仕草をして首を傾げる。
これは完全に、頭の上に「?」が浮かんでいる顔だ。
「大野、ちょっとやってみせてくれるか?」
「ああ、構いませんが。前に俺が投げた時はあまり落ちなくて。あとはよく抜けます。」
まあ、投げられなくはないけど。
俺的にはカーブの方が使い勝手が良かったから、投げてはいない。
「中指と薬指でリリースしてみろ。特に落差は気にするな。」
「わかりました。」
えーっと、親指と人差し指で輪っかを作って。
中指と薬指で、リリースする感じか。
できるだけしっかり体重移動して。
腕も、強く振る!
少し引っ掛け気味だが、低めに緩いボールが進む。
球速にしては、大体100km/h前後か。
これが、御幸のミットに収まった。
「お、おぉ。」
かなり、いい感触だった。
少し引っ掛けた感じはしたけど、逆にいいコースに決まった。
「悪くねーじゃん。軽く投げてこれだし、試合でも使えそうだわ。」
「そうだな。もう少し投げる。」
俺がそう言うと、落合コーチが咳払いをした。
おっと、目的はそうじゃないよな。
「しっかり立って、腕を振る。これぐらいを意識すれば多分、投げれるぞ。」
そして俺は、右手で握った白球を、下手投げで沢村に返した。
「ウッス!」
今度は、沢村の番。
ゆっくりと足を上げて、俺と同じ握りで腕を振った。
するとあら不思議、ものの見事に白球は地面へと叩きつけられた。
「何故だ!」
「力入れすぎだ、馬鹿。」
頭を抱える沢村に、俺がチョップを入れる。
そして落合コーチも、頷いた。
何となく指にボールがかかっていないから、気持ち悪いんだろうな。
今まで投げたことのないボールなだけに、心配があるんだろう。
「お前、もっと試合では足あげてんだろ。おんなじようにやってみろ。」
「試合と同じように、ですか。」
なるほどな。
試合の時と同じような投げ方であれば、自然と下半身に意識がむく。
そうなってくれれば、上半身には無駄な力が抜けてくれる。
四苦八苦しながら色々試していく。
そうして投げた、何球目か。
今度はしっかりと球速が落ち、御幸のミットへと到達した。
「お。」
「お、おお、おおお!」
何拍か空けて、沢村は声を上げた。
今のは、完璧。
コースは甘いが、高さはいい感じだ。
それに何より、しっかりと球速も落ちていた。
これなら確実に、タイミングを外せるだろう。
「ありがとうみんなー!俺はみんなが大好きだー!」
「もっと投げてみろ、感覚忘れるぞ。」
「は、はい!」
そうして、何度も投げる。
というかこんなに早く投げられるようになるとは。
落合コーチ、やっぱり教えるの上手いな。
なんだかんだ、俺もチェンジアップ使えるようになったし。
この人なら、俺の…。
いや、今考えることじゃないか。
投げられるようになってから、だ。
今は、俺のことはいい。
そうして俺は、覚えたての変化球を楽しく投げる沢村を見つめた。