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授業と授業の間、言わば休み時間というもの。
その中でも最も長い昼休憩の時間帯に、俺は一つ階段を降りて3年生の教室階へと赴いていた。
理由は、勿論。
3年生で、要件がある人がいるからだ。
周りは先輩だらけ。
こういう時に限って、何故か知っている人とは出会えない。
少し緊張を抑えるように息を吐く。
そして、横開きの戸をノックして、教室を覗き込んだ。
「2年生の大野と申します。丹波さん、いらっしゃいますか。」
俺がそう言うと、近くで食事を取っていた女性が笑って、答えてくれた。
「野球部の大野くんでしょ、丹波くんならノート出しに行ってるから、少ししたら戻ってくるよ。」
「ありがとうございます、少し待たせて頂きます。」
一応、愛想は振りまく。
まあ先輩だしね。
言われた通り、丹波さんはすぐに戻ってきた。
「なんだ、大野か。珍しいな。」
「お久しぶりです、すいませんね、時間頂いちゃって。」
「ああ、大丈夫だ。そんなに時間に追われてないからな、俺は。」
そう言って、丹波さんが表情を緩めて近づいてくる。
引退してからこうして表情も柔らかくなった当たり、現役の時は相当突っ張っていたのだろう。
いい意味で、ね。
「少しご相談が。」
「お前が相談なんて、珍しいな。俺から教えることなんてないだろう。」
悪戯に笑う丹波さん。
この人はほんと、こういうところが意地悪である。
「俺ってよりは、降谷のことで。」
「降谷か。もっと珍しいな。」
丹波さんと降谷は、本当に絡みが少ない。
まあ元々結構尖っている人だし、目つきも悪いし、そもそも1年生と話していること自体も少なかったからな。
「単刀直入に言うんですけど、もし大丈夫でしたら今日練習に来てくれませんか?」
「構わないぞ。」
「え?」
余りにも簡単に返された答えに俺は思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
いや、受験生だろうし、時間とかいいのか?
というかそんな急に来てくれるのか?
「セレクションも何とか引っかかりそうだし、俺も大学に向けて身体を動かそうと思っていた所だからな。」
「本当ですか。だとしたら、すごく助かります。」
思いもよらぬ速い回答。
どうしよう、話したい内容終わっちゃった。
元々そんなに仲も良かった訳じゃないし。
なんとなく気まずい空気が流れた直後、その静寂を破ったのは丹波さんだった。
「肘、大丈夫なのか?」
「ええ、だいぶ。一応もう投げられはするんですけど、今大会はお預けですね。」
原因が原因なだけに。
そう付け加えると、丹波さんも小さく頷いた。
「血行障害ってやつか。」
「みたいなもんです。元々肘に張りが出やすいってのもありますし、ツーシームが特に肘に負担がかかるみたいです。あとは、夏大がかなり影響したみたいです。」
ストレートと違い、少し捻りと肘の靭帯に張りが出る力の入れ方をしてしまうツーシームを投げていること。
そして稲実との決勝。
あの時、初めて身体の限界というか、キャパシティを超えた出力が出てしまった。
だからこそ、その負荷に身体が追いつかなかったのかもしれない。
こればかりは、仕方がない。
俺の管理能力の無さが招いてしまった。
「方法としては、自然治療しかないですからね。今はゆっくり休むしかありません。」
「そうか。でも、打撃もかなり良いみたいじゃないか。」
実は、今大会チーム3位の打率である。
まあアヘ単というか、ほぼ単打だから他に比べて貢献度は少ないと思う。
1位は、文句なしの小湊春市。
やはり兄譲りというか、抜群のバットコントロールでヒットを量産している。
2位は、4番の御幸。
チャンスは勿論だが、ココ最近はランナーが居なくても安定的に出塁出来ている。
流石に4番の貫禄が出てきたな。
ちなみに、白州よりちょっとだけ率は高い。
仕事人だからね。
「でも、他のピッチャーが凄く成長してくれてますからね。俺も、安心して見て居られますよ。」
俺がそう言うと、丹波さんは懐疑的な目でこちらを見て、すぐに逸らした。
「複雑か?」
「まさか。怪我して出れない分際で、そんなこと思えませんよ。」
少し間を置いて、丹波さんは息を吐いた。
「まあ、今日行くよ。」
「ありがとうございます、待ってます。」
手を挙げて教室に戻る丹波さんに頭を下げ、俺も自分の教室へと戻って行った。
その数時間後。
俺たちの練習開始に合わせて、丹波さんも来てくれた。
「てか、用意周到ですね。直近で言って来てくれるなんて。」
「何かあったとき用にな。純や哲がいきなり行こうとか言い出しても、行けるようにはしていた。」
キャッチボールをしながらそんなことを話していると、ブルペンに落合コーチが入ってきた。
「誰なんだ?OBか?」
あ、そうか。
丹波さん、面識ないもんね。
「ピッチングコーチの落合コーチですよ。」
「丹波だっけか、悪いな来てもらっちまって。」
「いえ、こちらこそ宜しくお願いします。」
落合コーチ自体は、試合を見ている時に何度かピッチングを見ていたらしい。
その時の評価は…まあ、ここでは置いておこう。
じゃあ早速、本題に入ろう。
「降谷なんですけどね、今変化球の練習をしているんですよ。」
「フォーク以外、ってことか。」
フォークは、丹波さんがいるときから投げていた。
無論、それともう1つの変化球の精度を上げたいのだ。
そして今、降谷が練習中の変化球はカーブ。
できれば速度の遅い、変化の大きいカーブ。
さて、皆様思い出していただきたい。
この丹波光一郎の投手能力を。
高いリリースポイントから投げ下ろす、本格派右腕。
そこそこ速いボールを強気に投げ込み、追い込んだ後はボール球の変化球で三振を奪う。
そして彼のウイニングボールは、縦に大きく割れるカーブだ。
とはいえ、丹波さんと降谷の感覚が全く同じなんてことはあり得ない。
しかし、参考にはなると思う。
「降谷、ちょっと投げてみろ。」
丹波さんの言葉に頷き、降谷がカーブを放る。
そのボールは少し緩く、小さく斜めに変化した。
「もう一球投げてみてくれ。」
そうして放る、カーブ。
やはり、緩い。
そして、少し高めに抜けている。
ストレートが高めにいく分には最悪かまわない。
寧ろ降谷の高めのストレートは極端に奪三振率が高いため、御幸もあえてリードすることが多い。
しかし、変化球は別だ。
高めに抜ければ変化も鈍くなりやすく、なおかつ狙われやすい。
何より、よく飛ぶ。
そんなことを考えていると、早速丹波さんが口を開いた。
「降谷、少し引っ掛かるイメージがあるのか。」
え、なぜ。
ここまで降谷のカーブで多いのは、高めに抜けるものばかり。
引っ掛けている感じは、しない。
しかし俺の考えとは逆に、降谷は小さく頷いた。
「引っかかって、抜くイメージを持つと。」
「そのまま抜き過ぎてしまう、か。」
なるほどな。
それで上手く抜く感覚が掴めなかったってわけか。
「だがこれ以上は、俺とお前で感覚が変わってくる。やっぱりものは試して見るしかない。」
丹波さんがそういうと、落合コーチは右目を瞑って言った。
「それがわかっちまえば、やりようはあるな。」
落合コーチがそういうと、ボールを要求するように手を差し出す。
その手に、俺は白球を軽く放った。
そうして、降谷に握りを見せる。
「簡単な話だ、引っかかる感覚があるのなら、指を外してやればいい。」
中指を縫い目にかけ、人差し指は指先で軽く触れるだけ。
形としては、ナックルカーブと呼ばれるものに近い。
確かにこれなら、引っかかる心配はかなり減る。
降谷も試しに投げると、かなりいい感触だったみたいだ。
「最初のうちは抜ける感覚が気持ち悪いかもしれないが、練習で徹底的に低めに投げる意識でやればいずれ慣れる。」
そして、何度も投げ込んでいく降谷。
確かにさっきより、変化も大きく低めに向かっていっている気がする。
「流石、カーブの名人ですね。」
「あまり茶化すな。俺も同じように感じていた時があったから、可能性を述べたまでだ。」
いや本当に、茶化してなどいない。
単純に、すごいと感じた。
「あいつ自身自分の感覚を言語化するのが苦手なところがあるからな。」
だから、落合コーチも手を焼いたのだろう。
こうして似ている感覚を伝えられる人がいると、かなーり助かる。
「いい感じだ、降谷。」
「ありがとうございます、丹波先輩。」
遠くで見守る俺と落合コーチ。
まだ使える変化球まではいかないが、まあ大会中もびっくりドッキリとして使えるとこまでは持ってこれたな。
「大野。」
「何でしょうか、落合コーチ。」
神妙な面持ちでこちらに声をかけるコーチ。
なんだ、急に。
「丹波って俺の中だとあまりいいイメージなかったんだけどな、いいやつじゃねえか。ちゃんと自分の考えもはっきりしてるしな。」
「最初の一行は聞かなかったことにして、だいぶ丸くなった方ですよ。」
そう付け加えて、俺は自分の練習に戻った。
余談だが、落合コーチの丹波さんの印象は、ガラスメンタルのノーコンカーブピッチャーだそうだ。
流石にひどいが、秋大のビデオと夏の大会の試合を見た時の印象らしい。
怖いもの見たさではないが、逆に俺の当時の評価とかも聞いてみたいな。
いずれ、聞いてみようかな。
(丹波さんの印象)大体合ってる