俺は、この状況をどう受け入れれば良いのだろうか。
恐怖の権化のような銀髪の男が、俺の父の胸を素手で貫いている。
普通、こんな状況に出くわしてしまったらパニックになるだろうが、あまりにも意味不明な出来事すぎて、俺の心は少し冷静になっていた。
「親父……?」
もちろん親父からの返事はない。
胸を貫かれているからだろう。
先程は自分が冷静になっていると言った俺だが、本当にそうなのだろうか。
何を言えばいいのか、ここから何をすればいいのか。
俺のこの平凡な脳みそには何も浮かんでこなかったが、ただ一つ理解できたのは、親父はもう長くはないということだけだ。
「ん?お前は誰だ?」
そして、俺の声に反応したのは親父ではなく、銀髪の男だった。
男は俺のほうを振り向き、こちらを凝視している。
恐怖。
まさに、この言葉が最もふさわしい男だと言えるだろう。
その身から発している雰囲気は、まさに恐怖の権化。
おまけに男は酷い三白眼をしているせいで、余計にその恐怖を引き立たせている。
今すぐこの場から逃げ出したいが、そうもいかないだろう。
「ジータ・アックス」
俺は、自分の名前を呟いていた。
名乗らないと、殺されると思ったからだ。
男は、親父をボロ雑巾のように地面に投げ捨てた。
親父は、ピクリとも動いていなかった。
”死”。
この言葉が、俺の頭に過ぎった。
男はつい今、親父を殺した事を一切気にしていない様子だった。
そして、表情を一切変えずに俺に話しかけてきた。
「ふむ……アウロ・アックスの息子か。
驚いたぞ。アウロに息子はいなかったはずなのだがな。
これもヒトガミからの助言か?」
こいつは一体、何の話をしているのだろうか。
まるで親父の生涯をすべて知っているかのような言い方だ。
俺が考えすぎている可能性もあるが、今のはあまりにも不自然な言い方だった。
ひょっとして、こいつは未来でも見えてるのか?
そして、ヒトガミとは一体何なのだ?
ここまで恐怖を撒き散らしている様子を見ると、相当な憎悪を抱いているらしいが、何者なのだろうか。
そんな事を考えても仕方がないのは分かる。
だが、考えざるをえない。
親父の友達なのか?上司なのか?それとも……
「一応聞くが、お前はヒトガミという言葉を知っているか?」
おそらく来ると思っていた質問が来てしまった。
ふざけて知っていると言ってやってもいいが、間違いなく俺にも死が訪れるだろう。
「知ら、ない」
俺の声は明らかに震えていた。
この男への恐怖、たった一人の家族を失った悲しみ。
誰も居なかったらすぐにでも泣き叫びたい気分だった。
「そうか……お前の様子を見た感じ、本当に知らないようだな。ならいい」
男は親父のそばにしゃがみこみ、穴が空いていて血で真っ赤になっている胸に手を当てた。
これ以上、親父を傷つけるつもりなのか?
させる訳にはいかない。
俺はそれを止めるべく、動き出そうとした。
これ以上、親父を貶めることだけは許せなかった。
もちろん恐怖を感じていたが、それ以上に怒りのほうが勝っていた。
その時だった。
男の手が光り輝き、親父の胸に空いていた穴が塞がった。
もしかして、助けてくれたのだろうか。
「多少、傷を治した。あと5分程度は生きれるだろう。
最後の別れを済ませておくのだな」
親父の胸が上下に動き始めていた。
微かに呼吸ができている。
今のがもしかして、魔術なのだろうか。
俺が知らないだけなのかもしれないが、死にかけていた人間を一時的にでも、治癒できるのは相当な魔術の使い手なのだろう。
だが、なぜ治してくれたのだろう。
あの恐ろしい雰囲気と、今の行動がまったく一致していない。
「それと……ジータ・アックスだったな。
言っても無駄だと思うが、夢でヒトガミという者が出てきたとしても、一切耳を傾けるなよ。
この龍神オルステッドに殺されたくなければな」
男はそう言い、入り口で固まっている俺の横を通り、部屋から出ていった。
後ろを振り向いたが、もうそこに男の姿はなかった。
龍神オルステッドか……。
昔、聞いたことがある。
この世界の強さにおける頂点たち、七代列強。
その第二位が龍神であることを。
「うっ……」
いや、あいつの事など、どうでもいい。
今は親父が最優先だ。
「親父!」
俺は親父に駆け寄った。
親父は閉じていた目を開き、俺を見た。
胸の傷は確かに治っている。
本当にこれで死ぬのだろうか。
全部治っているようにも見える。
だが、あそこまでの大物がそう言った嘘をつくようには見えない。
「ジータ……か?」
顔色が真っ青だった。
瀕死の状態である事は間違いないのだろう。
だが、諦めきれない。
「あまり無理しないでくれ。すぐに医者を……」
「……この時間帯にやっている医者はない…。
それに俺も、もう長くは……ゲハッ!」
「親父!」
親父は口から大量の血を吐いていた。
もう喋らなくていい。
俺はそう言おうとした。
だが──
「さ、最後に一つ……このアウロ・アックスの、いや、ジータ・アックスの父としての頼みだ……」
まだ男が去って1分も経っていないというのに、親父はもう死にかけている。
もしかすると何もしないなら5分という事なのか?
だとしたら……もう遅い。
親父は……言いたい事は最後まで言い切らないと気が済まない人間だから……。
俺は、覚悟を決めた。
「お、俺は……強さの才能は乏しかった…
父としてもクズだったし、ろくでもない人間だ……。
だがジータ、お前には才能が……強くなれる才能がある……」
「だったら、鍛えてくれたって良かっただろ……!」
俺はそう言わざるを得なかった。
いつの間にか、目に涙が溜まっていた。
「すま、ない……神様にな、言われたんだ……
息子を強くしてはいけないって……
いや、今となっては言い訳にしかならないか……」
親父はみるみる弱っていく様子だった。
声も段々小さくなってきているし、顔色がさらに悪くなっている。
話をしなければ、まだ生きることはできる。
だが、俺は親父を止めることができない。
親父が話を始めたら止まらないというのもあるが、それ以上に、俺は親父と話す事が嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
親が死ぬっていうのに嬉しいという感情を抱いてしまっている辺り、俺もろくでもない人間なのかもしれない。
だが、それでいい。
親父と話せるのなら、俺はクズでもいい。
「ジータ」
「なんだい、親父」
「いや、その”親父”っての……今まで聞いたことなかったなぁって……」
あ、そうだった。
今まで、俺は”父さん”と呼んでいたんだ。
心の中では親父と呼んでいたが。
「そうだった、ごめんよ父さ──」
「いや、親父でいい……そっちのほうが、俺も楽だ…」
……なぜ、今まで俺は親父をそう呼んでやれなかったのか。
そう呼べたなら、父と俺は仲良く過ごせたのではないか。
こんな今になって後悔する事などなかったのではないだろうか。
「悪いが…これで、最後だ……」
親父はそう言い、体を起き上がらせた。
俺も、親父も、覚悟は完全に決まっていた。
「いいか、ジータ……俺、いやこの父も、そして龍神も、……
すべてを超えろ
……」
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俺は、親父の遺体を町共同の墓地に葬った。
親父の役職が騎士だったのもあり、それなりに良い場所に遺骨を納めることができた。
「……」
我が家は、たった一人になってしまった。
あの龍神オルステッドによって。
だが、自然とオルステッドを恨む気にならなかった。
俺のオルステッドへの感情はただ一つ、超えるべき男。
いや、もう一つある。
それは、尊敬だ。
歪んでいる。
間違いなく、俺は歪んでいるといえる。
自分の親を殺した相手を尊敬?
ありえない。
俺は間違いなく、人間のクズだ。
だが、誰から何と言われようと構わない。
龍神オルステッドを超える。
それは、父の夢でもあり、そして……俺の夢だからだ。