スミレの花はつつましやかに咲く 作:SumireDaisuki
今日も今日とて、生徒たちがやらかした不始末について関係各位に謝罪行脚をし、シャーレの事務所に戻ってきたときにはもう日付が変わりそうな時間だった。
「相変わらず、生徒さん達も困ったものですねぇ」
アロナがため息混じりに言う。
「元気で良いと思うよ」
「先生は甘やかし過ぎですよぉ」
「そうかな。これでも厳しくしてるつもりだけど」
色々暴れたくなる気持ちはわからないでもない。
そうやって私も成長してきた。
「あれ、明かりがついてますね」
「ホントだ」
誰もいないはずの事務所に明かりがついている。
「アロナ、消し忘れた?」
「ななな、なんで私を真っ先に疑うんですかぁっ?」
「だって最後に出たのはアロナでしょ」
「確かに、そうでしたけど……あ!」
反省の色を見せるアロナだけれど、なにかひとつ気づいたことがあったらしい。
「アロナと一緒に先生も出ましたよね!」
「そこに気がつくとは偉いなぁアロナは」
「いやぁ……それほどでもぉ……」
なぜか照れているアロナは放っておいて、私は事務所のドアを開ける。
消し忘れたというのは考えにくい。なぜなら、自動で消灯する仕組みになっているからだ。
となると――
「あ、トレーナー」
事務所で汗をかいている少女がひとり。
言うまでもない。乙花スミレだ。
「視点を変えればどんなものでも立派なトレーニング機器です。見てください、トレーナー」
「うん、見てるよ」
スミレは椅子を使って脚前挙支持をしていた。
すなわち、二台の椅子を平行棒代わりにして、背もたれを手で握って身体を浮かせている。
上半身をぴっと伸ばし、下半身を真っ直ぐ床に平行にしているその姿は十点満点だ。
「あ!」
と、力の加減を誤ったか、はたまた、椅子の車輪のロックをかけ忘れたのか、するりと椅子と椅子が離れた。
「あぶない!」
私はぱっと駆け寄った。
バランスを崩して倒れそうになるスミレの肩を抱く。
鍛え上げられているスミレの肩はたくましくも、しなやかで柔らかい。元の骨格が細いせいか、こうして触れてみると華奢な印象を持ってしまう。
「大丈夫?」
スミレの釣り気味で涼やかな両眼とあう。
「あ、ありがとうございます」
顔を真っ赤にしている。
よほど焦ったのか、力を入れていたのか。
「いろんなトレーニングを試してみるのは良いけれど、けがには気をつけて」
「すみません……」
真っ赤な顔のまま、スミレは恥ずかしそうにうつむいた。
「ああ、ごめん。怒っているわけじゃないんだ」
「そうではなくて……ええっと……」
じとっと背中が汗ばんできている。
――ああ、なんだ。
「気にしなくて良いよ。なんだか良い匂いするよね、スミレは」
「!!!」
ぐっと腕に重みがかかってきた。
疲労で足の力が抜けてしまったらしい。
脚前挙支持って足の力も使うんだなぁと私は妙なところで感心してしまった。
アロナが入っているシッテムの箱をひとまず机の上におき、私は両手でスミレを抱き抱えて、椅子に座らせた。
「……先生、わざとやってるんですか、それ」
背中側からアロナの声が聞こえてきた。心なしか怒っているような。
「え、なにが?」
「いえ……良いです……ちょっと、スミレさんがかわいそうだと思いまして」
「なんで?」
スミレは全身を真っ赤にしてゆでだこのようになっていた。
「ちょっと冷たい飲み物を用意してくるから、アロナはスミレを見てて」
私は急いで休憩室に向かうのだった。
§
冷たいスポーツドリンクを飲んで人心地着いたらしい。
「ご迷惑をおかけしました」
スミレが軽く頭を下げる。
「いまのは先生が悪いので、スミレさんは気にしなくて良いです」
「えぇ……私、なにかしたっけ……」
「そんなどこかのなんとか系主人公みたいなこと言わないでください」
アロナがぷりぷりと怒っている。
その様子にスミレはくすっと笑った。
「先生とアロナちゃんは仲良しですね」
アロナと私は同時にスミレを振り返った。
「ちょっと、羨ましいです……」
寂しそうにスミレが言う。
「私はスミレさんが羨ましいです!」
そんなスミレを元気付けるようにアロナが言った。
「すらっと身長高くて、引き締まってて、それでいてちゃんとこう、ありますし……モデルみたいで、スミレさん格好いいじゃないですか!」
「ありがとうございます」
スミレはアロナにも丁寧に頭を下げる。
「ところで、こんな時間にどうしたの?」
まさかトレーニングのために事務所に来たわけではないだろう。
「あ、そうでした……」
そう言ってスミレは足元の紙袋を取り出した。
「これをお渡しに来ました」
それは、花束だった。
可憐な紫色の花と瑞々しい緑色の葉が詰まっている。
「スミレ……これは?」
「ええ、スミレの花束です」
はにかんでスミレは言った。
「自分の名前だから……というのもありますが、私、スミレの花が好きで、家でも育ててるんですよ」
「へぇ……そうなんだ」
「スミレだけじゃなくて、他にも家ではいろんな花を育てて……」
そう言って、ひとつひとつどんな花があるかとか、部屋の温度調整や水やりタイミングの大変さとかを一通り語ってくれた。
――そっか、トレーニングだけじゃなくて、ガーデニングも好きなんだなぁ。
スミレの新しい一面を見られて私はすっかり嬉しくなった。
「あ!」
と、スミレは不意に声を上げた。
「すいません、私ばかり話してしまって」
「良いよ、スミレの話は楽しいから」
「そうですか? 気を遣っていただいてすみません……」
そんなスミレを見ていて、ふと思いついたことがあった。
――ガーデニングが趣味なら……
「トレーナー? どうかしましたか?」
「あ、いやなんでもないよ」
どうやら考えていたことが顔に出たらしい。楽しみは次にとっておこうと私は心の隅にさきほどの思いつきをしまいこむ。
「それで、どうして急に花束を?」
今日はなにかの記念日だったかなと考えてみたけれど、特に思いつかない。
「あ、もしかして……」
アロナはなにかぴんときたらしい。
スミレはアロナを見てにこっと笑い、うなずいた。
「そうです。あす……というか、日付が変わったので今日ですね……今日で先生とお会いしてちょうど一年になるんですよ」
想像していなかった回答だったので、私はちょっとびっくりした。
「アロナちゃんはわかっていたみたいですね」
「アロナは超高性能なAIですからね!」
アロナが自慢げに胸を張っている。
「なので、お礼と感謝を込めて。差し上げます」
「あ、ありがとう……な、なんか照れ臭いな……」
私はスミレから花束を受け取った。
愛らしく咲き誇るその紫色の花からはさわやかで甘い香りがほのかに漂ってくるのだった。