風華が自分の進む道を選ぶに当たって、『君沢の悲劇』は大きなターニングポイントとなった。
大勢の人が狂い、死んだこの事件。当時僅か5歳の少女が生き抜くには、あまりにも苛烈過ぎる地獄であった。この地獄の中で風華の心を支え続けたのは、幼い妹をこんなところで死なせたくない、護りたいという気持ち……だけではない。
風華の心を強く支え続けてきたもの……それは、煮え滾るような『怒り』であった。
この惨劇を引き起こした敵への。自分のことしか見ようとしない生き残り達への。我が身可愛さに何の仕事もしないヒーローへの。悪意と殺意、そして独善の蔓延る中で芽生え育まれた怒りは、風華の瞳と同じ色をしていた稲妻を赫く染めた。
悪意がその手を伸ばすなら、その手ごと撃ち落としてやろう。生き残り達が自分のためにしか動かないのなら、自分もそうしよう。ヒーローが助けることを拒むなら、己の手で安全を勝ち取ろう。
頼れるのは唯一、己の力だけなのだから。
〜
脳無が遠吠えを上げて風華へと迫る。音を置き去りにする速さの突進は、並の者であればそう認識することすらできなかっただろう。だが、風華は光の速さで動くことができる。
「……!!」
「遅い」
突きつけられた拳を『雷上動』で避け、首筋をブレードで一閃する。胴体から斬り離された首が、血潮に押し出されて宙を舞う。切り口から伸びた肉が離れた首を掴み、元の姿へとくっ付ける。斬撃によってできたはずの傷は瞬く間に塞がり、脳無は何事もなかったかのように再び風華を向く。『超再生』は伊達ではないらしい。
鋭いパンチのコンビネーションが、ガトリング砲のように連発される。風華はそれを回避し、時にブレードで受けて拳の弾幕をいなしていく。その間に何度かカウンターの電撃が脳無を襲ったが、まるで効いていない。どうやら『ショック吸収』は、電撃のダメージも低減してくれるようである。
「面倒な個性だ。なら……これはどうだ?」
「チッ……マズいな。脳無、絶対に何とかしろ!」
「『
危険を敏感に察知した死柄木が、脳無に避けろと指示を出す。しかしあと一歩遅かった。
電気がダメなら、今度は空気。風華の右掌に赫い風が収束し、渦を巻いていく。幾重にも束ねられたカマイタチが放たれ、脳無の身体を斬り裂きその刃のように赫く染め上げる。まだまだ再生はされているが、やはり斬撃は有効なようだ。
少しずつ、脳無の再生は追いつかなくなってきている。最初は腕、その次に胴体ときて、足と頭。その命を詰めていくように、少しずつ。赫い刃は脳無を抉っていく。だんだんと原型を留められなくなっている脳無の姿を見て、風華の口元がニヤリと歪むのを緑谷は見た。
「鳴神さん……これ以上はもうダメだ……!」
「緑谷ちゃん、静かに……!」
止めなければならない。あの笑みを見た瞬間に、緑谷はそう確信した。無意識的に動こうとした彼を蛙吹が制止する。自分達が出て行ったところで、あの敵のように削ぎ斬りにされるだけだと。そもそも止める手立てもないのに割って入ってもしょうがないという蛙吹の言葉に、緑谷は頷くしかなかった。
「な、なぁ梅雨ちゃん……止める手立てがあるなら割って入っていけるんだろ?」
「そうね……でも、どうやって」
「峰田君の個性……!上手く使えれば、確かに鳴神さんを止められるかもしれない……!」
二人のやりとりを聞いていた峰田が意見する。自分の個性ならば、風華を拘束して止めることができるかもしれないと。水難ゾーンでも待ち構えていた敵を退けるのに貢献した彼の個性なら、確かにいけるかもしれない。
それでいこう。緑谷も、蛙吹も風華を止める覚悟を決めた。
そもそも、現状はプロヒーローですら敵わなかった敵を風華が相手しているというものである。そこまで躍起になって止めるべきものではないのではないかと、聞いた者なら言うかもしれない。だが、風華の様子は明らかに異常だ。敵に強力な再生能力があるからまだそうなっていないだけで、もう並の敵なら何百……いや何千回は彼女に殺されている。
それではいけない。鳴神風華は雄英高校ヒーロー科の生徒、将来は社会を守り人々を救うヒーローとなるべき存在なのだ。その同輩として、彼女が敵の殺害というヒーローとしてやってはいけない行為に手を染めようとしているのは看過できない。
絶対に、止める。千載一遇のチャンスが来る瞬間を、固唾を飲んで見守っていた。
「……!!」
「まだそんな力が残ってたか。いい加減、面倒臭くなってきたな……」
無限の斬撃を力任せに掻い潜り、這う這うの体で脱出を果たした脳無。みてくれこそ元のように戻っていたが、その所作にはイレイザーヘッドを完膚なきまでに叩き潰したときのような、凄まじいまでの力強さは見当たらなくなっていた。
脳無は動かない。死柄木から受けた風華を殺せという指令は今もまだ有効である。今までなら、再生が完了すれば脳無は直ちに命令の再履行を行なっていたはずだ。それができないということは、死柄木が人間サンドバッグと呼称する程のタフネスに限界が来ているということに他ならなかった。
赫き風を従えて、風華は脳無へと歩み寄る。大き過ぎる怒りを孕んだ足が一歩を踏み出す。その度に空気がぬるりと肌を撫で、嫌が応にも恐怖心を掻き立たせた。そんな恐怖心を振り払い、緑谷は風華に向かって峰田の小さな身体を投げつけた。
脳無はもうまともに動けない。死柄木と黒霧は状況を離れた所から静観している。倒れていたイレイザーヘッドは、風華が戦っている間に集まってきた他の生徒達が、隙を見て救出した。今ならば邪魔は入らない。風華を止めるチャンスが来たと、緑谷は信じて峰田を行かせた。
「今だ……!頼んだぞ、峰田君……!」
「おおぉ!やってやる、やってやるぜぇ!」
「頼んだわ、峰田ちゃん……!」
投げられた峰田は怒号を上げながら風華に迫り、事前にもいでおいた大量の頭の房を投げつけた。緑谷と蛙吹では、この房はくっついてしまって投げられない。だからこそ、この役目は彼にしか背負えないものであった。
死柄木は動こうとした黒霧を制止する。現状脅威として強過ぎる風華を形や成否はどうあれ止めてくれるというのは、彼にとっても大きなプラスだったからだ。
「ぐっ……!?」
「へへ、捕まえたぜ鳴神ぃ……!ずいぶんと視野が狭くなってるみてえだなぁ……!」
「くそ、離せ……!邪魔だ!」
「げぶっ!誰が……離すかぁ……!オイラはなあ!お前が暴走するところなんて、これ以上見たかねぇんだよぉ!」
もぎもぎを貼り付けた地面に押し倒し、風華を拘束してから峰田は説得を開始する。殴られても、赫雷に焼かれても構いはしない。もぎもぎの拘束力はかなりのものであるから。位置を固定されて『雷上動』を使えない今、風で地面を抉って地面ごと離れるでもしなければ風華がこの拘束を逃れることは叶わないだろう。
そして、今の風華にはその方法が思い当たる程の判断能力が無いことは分かっていた。判断能力があったなら、そもそもこんな拘束はされる前に避けていただろうから。
不純な動機でヒーローを目指し、それ故あらゆる女子から忌み嫌われていた自分を初めて肯定してくれた人が、ヒーローにあるまじき行為を続けているということに耐えられなかったから。
「お願いだよ……オイラのヒーロー!こんな……!こんなことやめて、正気に戻ってくれよ……!」
「が……!あ、ああ……!」
「苦しんでる!?」
「きっと、訴えが届いているんだわ……!」
「鳴神ぃぃ!こんな……こんな怒りなんかに呑まれてんじゃねぇぇ!!」
「ああ……!あ……ああああ!!」
大音響。弾ける稲妻の音よりも、吹き荒れる風の音よりも大きく、USJのドーム全体を震わす轟音が響いた。次第に声が掠れて小さくなっていく。それと共に、迸る稲妻の色が赫から翠緑へと変わっていく。やがて稲妻は姿を消し、空気は元の色を取り戻した。
「はは……大したもんだよ。あんな電気がバチバチしてる中に飛び込むなんて正気じゃできない。流石に、卵とはいえヒーローだな」
「て、てめぇ!鳴神は崩させねえぞ!」
「ダメージでまともに動けないくせに……強がりも程々に……!?」
風華が気を失ったことを確認し、死柄木はこれ幸いと彼女を崩すべく行動を始めた。峰田が阻止しようと間に立ち塞がるも、赫雷に焼かれた身体では立っているだけで精一杯。当然のように死柄木が無視して素通りしようとしたその時、緑谷が自身の超パワーを解放して飛び出していった。水飛沫をモロに浴びた蛙吹が目を瞑る。
「二人から、離れろ……!」
「スマッシュの……黒霧」
「ええ。そう簡単に邪魔はさせませんよ!」
身体を壊さないように、脳無を殴った時のイメージを反芻して腕に個性を発動させる。躍動するパワーがオーラとなって赤く腕にまとわりつき、力を与える。それを振りかぶったところで、黒霧の靄によってワープさせられた死柄木の五指が緑谷の目の前に現れた。
まずい。本格的にそう感じるも、着地していない今は勢いを止められない。このままぶつかってあの五指に触れられ、原型すら残さず崩壊させられてしまう。最悪の想像が脳裏を過ったその瞬間、突き出された腕を蛙吹の長く伸びる舌が弾き飛ばした。
「梅雨ちゃん!」
「危ないところだったわ。緑谷ちゃん、凄い勢いだったけど足は大丈夫?」
「なんとか……個性の制御に成功してたみたいだ」
「じゃあ、逃げるわよ。鳴神ちゃんも峰田ちゃんも頑張ってたもの、今度は私たちの番」
死を免れてなんとか着地した緑谷は、立ち尽くす峰田の元へと跳んで彼を抱えて後退した。少し遅れて蛙吹も合流する。緑谷が飛び出した時の水飛沫に紛れて、ちゃっかりと近くまで来ていたようだ。
2対2。数の上では互角だが、こちらは怪我人と気絶者を抱えているハンデを負っている。やられたという13号とイレイザーヘッドを他のみんなが運び終えたなら、応援に来てくれるかもしれないが。いつ来てくれるか分からない以上、そこまであてにはしていられない。あまり分のいいといえる状況ではなかった。
「……黒霧。ゲート開けろ。帰る」
「……よろしいのですか?平和の象徴の矜持を砕くというのはもう諦めるのですか?」
「流石にもう無理だろ。あの女生徒と脳無が戦ってる間に時間が経ちすぎたし、もういつプロが来てもおかしくない。肝心のオールマイトに会えなかったのは残念だがな」
「そうですか。では雄英のみなさん、さようなら」
靄が広がり、ワープゲートを作り出す。二人を飲み込んだ靄は残滓すら残さず消え去り、辺りにはヒーローと倒された敵を残すのみとなった。
戦闘が終わった。その事実に深く安堵し、へなへなと地面に座り込む緑谷と蛙吹。しかしその安心はまやかしであると語るかのように、近くで新たな轟音が鳴る。
「まったく、自分が情けない……だがもう大丈夫!私達が来た!」
「あ、オールマイト……敵、もう帰りました……」
「へ?」
出入り口の扉がこじ開けられ、中から怒り心頭といった様子のオールマイトが現れる。遅れて雄英に勤務する大勢のプロヒーロー達の姿も現れた。黒霧の妨害を掻い潜り、外に脱出した飯田が呼んで連れてきたのだ。
だが、少しタイミングが遅かった。既に戦闘は終わり敵は撤退したと緑谷が告げると、オールマイトは状況が飲み込めないといったように素っ頓狂な声を上げたのだった。