とあるビルの屋上に、漆黒の靄が広がる。ワープゲートと化したそれから現れるのは、3人の人影。敵連合首魁、死柄木弔。その補佐役、黒霧。そしてヒーロー殺し、ステイン。ある目的を果たすために再び、保須市へと姿を現したのだ。
「ここが保須か……思ったより栄えてんな」
「この街を正す……そのためにはまだ犠牲が要る」
「……以前に仰っていた、やるべきことというやつですか?」
黒霧がそう質問すると、ステインは機嫌良さげに「お前は話が分かる奴だな」と褒めた。言外に話の分からない阿保と言われた死柄木が、聞こえるように舌打ちをする。ステインはそんな彼を気にすることもなく話を続けた。
「多過ぎるんだよ……英雄気取りの拝金主義者が!ヒーローとは、偉業を成した者にのみ許される『称号』であるにも関わらずだ!」
「それで?」
「世が自ら誤りに気付くまで……俺は現れ続ける」
「ケッ……やってることは草の根運動かよ」
健気で泣けちゃうね。ステインを皮肉ろうとする死柄木だったが、それは「……そう馬鹿にできたものでもありませんよ」と黒霧が諌めた。
ステインが今まで現れた街は、その全てで犯罪率が約4%軽減されている。『ヒーロー殺しの存在がヒーローの意識向上に繋がっている』と分析してバッシングを受けた評論家もいる。
ヒーローを殺し、危機意識を持たせることでその質を向上させる。ヒーロー殺しはヒーローブリーダーでもあるのかと死柄木は言った。そして、何とも回りくどい話だと吐き捨てる。
「やっぱ、合わねえよな本当。黒霧、脳無出せ」
「……承知」
「人に刃突き立てておいて、タダで済ませてたまるかってんだ……何が今を壊すだよ。壊したいなら勝手にそうすりゃいいんだ。大暴れ競走といこうぜ。ステージは保須だ」
あんたの面子と矜持、潰してやるぜ……大先輩。
黒霧のワープによって現れた、3体の脳無を保須の空へ解き放つ。その姿を見送った死柄木の顔は、悪意によってぐにゃりと歪んでいた。
〜
3日目も無事にパトロールを終え、トレーニングの時間である。しかし、今日はいつもの道場ではなく広大な雑木林の中にいた。サイドキックや爆豪も一緒であった。
「今日からフーライの訓練はここで行う。理由は説明した通りだ。爆豪は……本当にいいんだな?」
「ああ。どうなっても捩じ伏せてやるよ」
「頼もしいもんだね、まったく」
「あァ!?どう言う意味だこらァ!?」
いつものトレーニング施設が在るのは、ベストジーニストヒーロー事務所の地下。街中にある施設で暴走されては、人やモノに甚大な被害を出してしまう恐れがある。そのため、今回は同じくベストジーニスト所有の雑木林でのトレーニングとなった。
なるべく広く、それでいて無関係な人を巻き込まない都合の良い場所は此処くらいしかなかったのである。
爆豪に関しては、自主トレをするか先に帰ってもいいということになっていたのだが。
本人が
今から期待に眼をギラつかせ、両の拳を強く打ち合わせている。骨が砕けてもおかしくなさそうな程の重く鈍い音が、静かな林に響いていた。すぐに遠方での待機をベストジーニストから命じられ、物凄い不機嫌になっていたが。
「……全員のスタンバイが完了したようだ。いつでも始めてくれて構わんよ」
「分かりました。……では」
電話から連絡を受け、サイドキック全員の準備が終わったことを確認する。電気の力を使うということで、火災を防ぐための消火要員。暴走を抑えつけるための戦闘要員。そして広域に及ぶ赫い空気が敵のものではないことを周知するための連絡要員。普通なら学生一人のために用意するような規模ではないが、ベストジーニストは相当
怒りの記憶を呼び起こす。身勝手に力を振るう敵への、そして本分を果たそうともしないヒーローへの怒りを。その記憶によって、思考は怒りに染まっていく。
赤く、赫く。染まっていく。
こんな奴らがのさばる社会なんて認めない。この手で全て、壊してやろう。まずは目の前にいる──
──こいつらから。
「始まるぞ。気を引き締めていこう」
「シュア!ベストジーニスト!」
〜
『お客様、座席にお捉まりください!緊急停止いたします!』
車掌による、ひどく狼狽した様子のアナウンスが流れる。いったい何事かと緑谷が思考を巡らせようとする前に、爆音と共にヒーローが新幹線の中に投げ出されてきた。
「ヒーロー!?」
「皆さん下がってて!敵だ!」
「あ、あいつ……脳無!?」
ヒーローに続いて現れたのは、脳味噌を剥き出しにした上裸の大男。脳の中に埋め込まれた4つの眼がぎょろりと動いて乗客を見回し、誰を襲うべきかを見定めている。
なぜ、こいつがここに?
緑谷は、USJで見た脳無が振るった猛威を思い出していた。もしもあいつがあの時と同じようなタイプの奴なら、甚大な被害を出してしまうかもしれない。オールマイトにすら匹敵するような力を持っていた奴だ、対処できるヒーローは相当限られるだろう。ひとまずこの場は、乗客が取り乱さないように声掛けを優先して──
「小僧!座ってろよ!」
「グラントリノ!?」
そう結論付けて行動しようとしたところで、グラントリノが脳無に突撃してその巨体と共に遠くまで飛んでいった。いきなりの行動に彼らが飛び出していった穴から外を見ると、あちこちで火の手が上がっている。どうやら何か、大きな事件が起きているようだ。
この街……、確か保須だったよな。飯田君は大丈夫か……!?
考えるより先に、緑谷は走り出した。
「こんなご時世に……馬鹿かよ!現場に行くよ天哉君!走って!」
「は、い…………?」
飯田は走った。マニュアルが示す方向とはまったく違う方向……目線の先にある路地裏へ。
「騒々しい……阿呆が出たか?まぁ、そっちは後で始末してやる……今は、俺が成すべきことを成す」
人気のない路地裏で、一人のヒーローがその命を喪おうとしていた。左の肩口からはじくじくと血が流れており、顔面を鷲掴みにされて宙に浮かされている。下手人はヒーロー殺し、ステイン。正しき社会のための犠牲の一つとして、彼はこのヒーローを選んだのだ。
「身体が……動かねえ……!ちくしょう、クソやろう……死ね……!」
「お前もヒーローを名乗るなら……死に際の言葉は選べっ……!?」
生かす価値なし。そう断じてステインは右手に握る刀を振りかぶった。そして、それを自身の背後に向けて振り払う。刃はヘルメットを掠めて闖入者の頭から離し、その人相を露わにした。代償として、捕らえていたヒーローを奪われてしまったが。
「スーツを着た子ども……何者だ?ここは子どもの立ち入っていい領域じゃない」
「血のように紅い巻物に……全身に携帯した無数の刃物!お前がヒーロー殺しステインか!俺はお前を追ってきた!」
「……言葉には気を付けろよ。場合によっては……子どもでも標的になるぞ」
動けないヒーローを自身の背に隠し、闖入者はステインを睨む。その眼に向けて、刃を突きつけて問いかけるステイン。
お前は誰だ?死ににきただけの馬鹿のか?新手のプロか?それとも……本物のヒーローたり得る逸材なのか?
飯田は言葉に詰まった。何せ、ほとんど条件反射で動いたようなものだったからだ。兄の仇を見つけたから倒すために動いた……本当にただそれだけのことだった。やられそうになっているヒーローがいるのに気付いたのも、飛び出してからだ。どうして助けられたのかなんて、自分でも分かっていない。
身体が、勝手に動いたのだ。
では、この問いにどう答えるべきなのか?
──天哉。職場体験といっても、現場に出る以上はわたし達は一人のヒーローなんだってこと、忘れないでくれよ。
「では聞け……ステイン」
「……」
そうだ。自分はヒーローなのだ。
「俺は、お前にやられたヒーローの弟だ!彼の名を継ぎ……代わってお前を捕らえにきた!」
「……ほう」
「俺の名を、教えてやる……インゲニウム!お前を倒し……この人を守るヒーローの名だ!」
「そうか」
「天哉君!?何でこーんな時に限ってどっか行っちゃうんだよもう!」
「あれは……マニュアル!?飯田君の職場体験先のヒーロー……」
「邪魔だよ!ここはプロに任せて避難しな!」
「えっ、あっ、すいません!」
飯田はどこに消えた?保須市は今、緑谷が乗っていた新幹線を襲った一体に加えて、目の前で大勢のヒーローを相手に暴れている二体の計三体の脳無によって大惨事となっている。
あの生真面目な男が、こんな大事件を前にして逃げ出すようなことがあるだろうか?それは即ち何か別の問題があるということで──
──保須市……
──脳無らしき奴ら……
──飯田君……!
──ヒーロー、殺し……!
心臓の鼓動が早まるのが分かる。断片的に持っていた情報が、線で繋がっていく。抱いていた疑念は確信へと変わっていく。
一刻も早く、向かわなければ。目の前で繰り広げられている激戦に背を向けて、緑谷はフルカウルを発動。全速力で走り出した。
「くっそ……何なんだこいつら……!?」
「ザ・フライがやられたぞ!どうなってんだ……何が目的なんだこの化け物共は!?」
「やっぱ、いいね……脳無」
「参戦しなくていいのですか?」
「馬鹿言え、怪我してんのに出れるかよ」
先生に貰った三体の脳無。その暴れっぷりを見て満足そうに笑う死柄木。ヒーロー殺しが気に食わないから、奴の矜持を壊す。雄英を襲撃した時程のやつはいないが、それでも十分な話題性になるだろうと考えていた。
お前の世直しなんて、世間は脳無に忘れさせられているぞ。両手を掲げ、死柄木は高らかにそう宣言した。
どうする?動けない大人を一人抱えて、相手は40人ものヒーローを殺傷した大悪党。対する自分はヒーロー科に入って二ヶ月程度のひよっ子。
自慢のスピードは対応された。背後には守るべき人がいて、相手には自分を殺すことへの躊躇いは一切ない。不利にも程がある戦場。
「やめろ!お前だけでも逃げてくれ!相手はあのヒーロー殺しだぞ!?」
「だからといって……何もしない訳にはいかない!俺はインゲニウムの、兄の名を継ぐ……そう決めたのだから!」
ヒーローの静止を振り切り、飯田はステインに立ち向かう。無数の刃物で武装した相手に対して接近戦など愚策だが、遠距離攻撃を持たない飯田にはこれしか手立てがない。
速さを活かして、速攻でケリを着ける。そのためにエンジンを無理矢理全開まで持っていった。
振り下ろす刀を掻い潜り、一気にステインの懐まで潜り込む。腹を目掛けてパンチを一発くれてやろうとして……即座に抜いたナイフで防御しようとしていることに気付き、腕を引っ込める。
カウンター目的で振られたナイフが空を斬ったその一瞬の隙……そこを見逃さず、横っ飛びして一気にステインの視界から外れる。見失った飯田を探そうと、ステインの視線が上に向けられたその時。重厚な白い鎧に包まれた足の爪先が、彼の眼前に飛び込んできた。
「レシプロ……バースト!」
「ふっ……危なかったな。なかなかいい攻撃をするじゃないか」
躱された。
視界外から渾身の一撃を食らわせて昏倒させる作戦だったが、ステインの驚異的な反応速度がそれを上回った。ヒーローを助けた時と同じ……否、それ以上の反射神経。攻撃を回避する、ただそれだけでステインの強さの一端を見せられてしまった。
ニヤリ。笑みを浮かべながら、ステインはナイフの刃を舐める。鋼と錆の色の中に、薄らと見える赤い色……飯田の手の甲を掠めた時に付いた血を舐めたのだ。
その瞬間、飯田の身体は金縛りにでも遭ったかのようにピクリとも動かなくなった。どんなに念じても動いてくれない。脳からの命令が、身体に伝わらない。
「動かない……!相手の血を舐めることで、身体の自由を奪う個性か!」
「視界から外れ……確実に仕留められるよう画策していたな。そういう動きだった。口先だけの人間などいくらでもいるが……お前はコイツとは違うな。生かす価値がある」
「くそっ……止めろ!止めてくれ!」
唯一動かせる口で、飯田は悠然と自分の横を通っていくステインに向けて叫ぶ。その叫びを聞き入れた──訳ではないが、ステインの動きは確かに止まった。
──ダンッ。
──ダンッ!
──ダンッ!!!
「『20%』……デトロイトスマッシュ!」
「ぐっ……!?何だ、今度は……!?」
連続して聞こえてきた地響き。ステインが動きを止めたのは、だんだんと近付いて大きくなっていくその音を警戒したからだった。その警戒が功を奏し新手による不意打ちを防ぐことに成功する。
拳を防いだ刃が折られ、拳圧によって後方へと勢いよく吹っ飛ばされるステイン。体勢を立ち直しているうちに、新たなる援軍によってまたしても標的を奪われてしまった。
「間に合った……!助けに来たよ、飯田君」