その姿は美しかった。
その姿は眩しかった。
その姿は思い出させた。
その姿を見て私は…もう一度信じてみたくなった。人間を…人を信じると言い切った歌野を。
「そう、そう来たんなら、もうボクはキミ達を否定しない」
そう、これだけされて、ホントは歌野を助けたいとか、こんなはずじゃなかったとか、そんな女々しい言葉なんて言わない。
たとえボクが女の子だとしても。
純粋にこの先に続く世界を見てみたい。
本当に人が人として生きると証明できるというなら、こうして話している間にも集まり続けて、
文字通り星の数のバーテックスを目の前にしても、諦めないと言うなら、
あの時、歌野達を見捨てた神が、歌野達を信じなかったはずの人達が、
「今度はボクに立ち向かうと言うのなら、全身全霊を持って応えよう」
天沼矛を引き抜く。そう、全身全霊だ。最初から使って見せる。
「ボクは松永沙耶。新世界の創造主にして、天の神。誕生日は神世紀287年3月21日。牡羊座。好きなものはうどん。特技は絵本作り。将来の夢は宇宙飛行士」
何の意味もない自己紹介。自己満足。自己陶酔。
ああ、ボクが神様になったのは、ちゃんとみんなのことを知って、ボクのことも知ってもらって、そうして歩いていくためだったんだよ。
「そう、それが貴方のリアルなのね。だったら…。私は白鳥歌野。諏訪を守る勇者。誕生日は2006年12月31日。山羊座。好きなものはそば。特技は野菜を育てること。将来の夢は農業王」
本当に何の意味もない。
それでも、やらなくちゃいけない。これまでも、これも、これからも。
「さあ、天の神。いえ、沙耶」
「うん、勇者よ、いえ、歌野」
ボクの体を通して光が広がる。光はバーテックス達を天へと退去させる。これはボクが望んだ戦い。
純粋な人達と、それに答えた神だけの世界。ボクが認め、ボクが愛し、ボクが向き合う。
「「勝負」」
ホントは戦わなくても良いんだろう。
最初に提案したとおり、歌野と水都を天の眷族として迎えれば良いだけなんだから。
でも、諏訪の人たちは前回と違って最期まで歌野達に付き合うと言った。
そして、今まで一方的だったはずの土地神が何故か人と共にあると言う。
できるというのなら見たい。
どれほど日常が遠くになっても人は帰れるというのなら…
「その意思が本物か試させて。炎よ」
首にかけた小さな鏡ペンダント。その12の宝石が赤く光る。
八咫鏡を模したそれから生まれた炎は間違いなくレオの最大火力。
月夜に浮かぶ太陽の輝き。
これを止められるなら、本当にも本気だと思う。
「さあ、今こそ! 今一度の戦う力を」
放たれた炎はまっすぐに歌野に飛んでいく。
本当なら結界でも張れば良いんだろうけど、時間が停止すると人の祈りも届かない。
そんなつまらない理由で勝っても嬉しくもなんともない。
相手の力を制限するなんてもってのほかだ。それでは天の神の名が廃る。
最初は炎を避けた歌野だけど、すぐに思い直したのかその腕の蔦を振るう。
(正解。それはボクの思い通りに動かせる。どうやら本当に土地神もやる気みたいだね)
レオの火球はオリジナルと違い、ボクの意思に従って手足の自由に操れる。
もし、諏訪の土地神。ミシャグジさまが中途半端な力しか貸さないようなら…
ここで終わる。
歌野は強いが、それはあくまで歌野個人の強さであって、勇者としての力―霊力は神世紀の勇者システムと比べれば脆弱だ。
太陽が真っ二つに分かたれる。歌野の手には藤蔓だけでなく、見たこともないきれいな剣が握られている。
刀に近いけど、打刀以前の直刀のように見える。
(なのに、精霊バリアでさえ簡単に防げないその炎を落とした。本当にすべての力を歌野に集めたんだ)
「いいぞ、それでこそだ。ボク自らが出向いて良かったよ。心の底から!」
今度は無数の蔓がボクに襲いかかる。蔓はさらに分かれながらボクを封じようと動く。
時に蛇のよううにうねり、ときに稲妻のよう鋭く、迫る藤蔓をサジタリウスの矢で串刺しにする。
「まだまだ、はああ」
続けて、歌野がドリルのように変形した茎を回転させながら、ボクの頭上に振るう。
「いいなあ、本当にいいなあ。あーはっはっはっ」
笑いとともに全身の穴中から炎を吹き出し、絡みついた蔓を灰と化す。
続けてカプリコーンの4足を集めてこちらもドリルのように回転させる。
二つの螺旋が幾度も交差しぶつかり合う。空を飛翔し、地を駆け巡り、海の中に潜り、
茎の繊維が引きちぎられ、砕けた足が粒子となって空へ上る。
「なんてハードなの。だったら」
二人とも武器が砕けると、思った瞬間…
茎の硬さが無くなりバターに刺さったナイフのようにカプリコーンの足が茎に埋まる。
続けて歌野の背後からもう一度無数の蔓が飛び出す。けど今度は先がきらめいてる。
(この茎…抜けない! それに、これは…)
蔓の先から水鉄砲のように無数の水滴が飛び、ボクの体を溶かす。
蔓の中には溶解液が通っているのか。
ほんの僅か遅かった。でも、まだ間に合う。
鏡が赤い光を放ち、無数の水柱がボク達を飲み込む。
アクエリアスの水圧が溶解液だけでなくボク達を押し流す。
さらに、水はそのまま意思を持つように蔓を切断し、新しく飛び散った溶解液を中和する。
そして、ボクを守るように水が壁となって立ち上がる。
「これは、避けさせない」
移動させておいたキャンサーの反射板とサジタリウスの矢があらゆる方向から歌野にとびかかる。
それでも、歌野は飛んできた矢をうまく落としている。
そう、"飛び道具"はどんなに速くても移動してくるものだ。だけど、移動が必要ない方法もある。
「かかった、いっっけぇぇええ」
"歌野の内側から"炎を纏ったサジタリウスの矢が飛び出す。
「熱っ! これは…まさかテレポート? こんなことまで」
レオが星屑を召喚した方法の応用だ。
扉のように開くものだけど、こっそり小さな炎の扉をあっちこっちにセットしておいた。
歌野が近づけば勝手に開く時限式のトラップ。
星屑の代わりに炎を纏ったサジタリウスの矢を隠していた。
「まだまだ、こんなものじゃ終わらないでしょ。キミたちは。人間は、さあぁ」
すべての扉をオープンにして、一斉に炎を発射する。
「炎おの…矢ぁぁぁー」
背後にはキャンサーの反射板前面には無数の召喚扉。
そのすべてに巨大化したサジタリウスの矢を埋め尽くす。
「それでも、立ち向かうだけよ」
歌野はそのまま反射板を力任せに引きちぎると、器用に回転を加えながら投げつけた。
回転しながら、反射板が矢の軌道を反らして地上を穿つ。
それだけでは終わらず、纏っていた炎を一面に広げる。
炎は燎原の火のようにあっという間に広がり、あたり一面を赤一色に染め上げる。
でも、炎はボクのもの。直接被害を受けることは無いはずなのに、どうして…
違う。これは…
(これは…炎が多すぎて歌野を見失った?)
どこ? どこへ行った?
歌野の攻撃方法から近づかないと何もできないはず。
だったら、
「そこかぁ」
スコーピオンの尾を振るいながら、その毒針を突き出す。
それは確かに人を貫いた。
「取った! って、違う?」
けれど、その人型はあっけなく燃え尽きる。
これは蔓で人型を作っていたの?
それなら次に来るのは…
地面すれすれを這うように迫ってきた牙のように鋭い刀刃を"地面に潜って"かわす。
「ワッツ、地面に潜ったの?」
今のはちょっと危なかった。さっきまでの蔓や茎と違って、今の刀の一撃が本命だったんだろう。
刀に憑く水龍はレオの炎から歌野を守り、逆に炎を割って見せた。
最初のレオの一撃をあれで消さなかったのは、ここ一番で最大の武器を生かすためだったんだろう。
歌野はピスケスと戦ったことがあまりないみたいで助かった。
お互いにある程度手の内をさらしたためか、さっきまでと違って、距離をおいて相手を見つめる。
「ホントによくここまで…まさか天の力をここまで防ぎきるなんて思わなかったよ」
そう、本当に思わなかった。ボクが天の神として慣れていないせいもあるかもしれないけど、ミシャグジさまだけでここまでできるなら、どうして地の神が負けたんだろうか。
「そっちもね。今までにないウェポンも貰ったんだけど、イージーにはいかないってことかしら」
どういう仕組みなのか蔓は大きくなった歌野の腕部装甲に収まるみたいだ。
「当然。星が無くなるくらいの時間を待っていたんだ。これくらいじゃ満足できないね」
そう、本当に長い時間待っていたんだから。でも、その待ち時間が無駄になるかもしれない。
それでも今は、この時の人を、その心に触れてみたい。
だから、
「さってと、それじゃもう一回いくよ」
再開の声を上げながら、今度はアリエスの雷を走らせる。
攻撃力は足りていると思うから、避けられない方法を考えたほうが良い。
そして、レオの炎はあの水龍に相性が悪い。
その意味では光に近い速度が出せる雷はうってつけの方法だ。
防ぐことは簡単じゃないし、下手に水龍や刀で防ぐと感電する。
「ライトニング!? これはファストね。この」
続けて召喚扉を開く。
扉の向こうに並ぶのは矢ではなく、卵のような形をしたヴァルゴの爆弾。
予測なのか何なのか雷撃の速度でも、ギリギリ歌野はついてきているようだ。
でも、いきなり開く召喚扉のせいで歌野も完全に交わし切ることは難しくなっている。
レオは大きな扉を開いて大量の星屑を召喚していたけど、戦略的に見れば空間支配や前線の概念を無視できることのほうが大きい。
自分たちの戦力を好きな時に好きなところに配置できる。
戦いにおいてこれほどの優位性は存在しない。
実際、ボクが昔バーテックス達と戦ってこれたのは、インフラトンの超光速移動のおかげで、包囲網を何度も潜り抜けてこられたからこそだ。
徐々にではあるけど、歌野がボクに攻撃する回数は減ってきている。
天の神となったボクの力が、ミシャグジさまの力だけの歌野よりも総量として上回っていることもあるけど、
どれほどパワーアップしても、どうしても戦うのは歌野が一人。
それに対して、魂自体を分霊化して高揚し、戦いにのまれている自分だけじゃなく、
冷静に先々のことまで考えている自分も同時にいる。
戦いは数なのだ。ボクは一人だけどたくさんになることができる。
ここで使うのはレオの炎やピスケスの毒ガスじゃやなくて、アリエスの雷撃やサジタリウスの矢のように目に見える武器だ。
さっきみたいに爆発や炎で歌野を見失うとカウンターを受ける可能性がある。
一つの雷撃が歌野の左側に直撃する。
「ッ!、これっくらい。遠距離からのマスアタック。この力本当に天の神なのね」
「卑怯とは言わないでね。全力で戦わないと神様は納得できないんだから」
歴史通りの天の神と違い、ボクは全力で戦って、人類が何を見たのかを知りたい。
だから、意味がないとわかっていても止められない。
これは感情だ。遥か昔、友奈がボクに与えたものだ。
もし、これが原因で歴史が変わるというなら…
その時は…その時こそボクはキミ達の最高の道具となろう。だから!
星よりも多い無数の矢が、天を埋め尽くすほどの稲妻が、泉のように湧き出る召喚の扉が、そのすべてが歌野の一挙手一投足を見ている。見つめている。見逃すまいと捉えている。
「オフコース。文句なんて言わせないくらいに勝って…」
隙間なんてないはずなのに、歌野が振るう刀が無数を超えて無限にも等しい矢を、受け止め、払いのけ、時に盾となりながら、歌野を前と進ませる。
その歩みは遅く、無視できるくらいでしかないのに、何故か目が離せない。目を逸らしたくない。いいえ、見逃したくない。
きっと、ダメだと分かっていても歌野に一緒に来るか聞きに来たのは、この瞬間を予感していたからかもしれない。
「私達は生きる!」
歩みが、疾走となり、疾走は跳躍となる。空を駆けるだけでなく、文字通り距離自体を縮めるかのような動き。
「違う!? これはホントに距離が狂っている?」
閃くように言葉を思い出す。
縮地、友奈と見ていた漫画で出てきたとんでも技。
二人で真似をしようとしていろいろ失敗した。あの大技をこの土壇場で!?
精霊の中には仙人でもいたのだろうか?
急激に近づく歌野にスコーピオンの矢は狙いが定まらない。
縮地を使ってショートカットしてくる相手に長距離狙撃は相性が悪い。
「届いた。はあああ」
歌野の振るう蔓や刀がボクに届く距離まで近づく。
けれど、途中で透明な何かに阻まれるように放電しながら、水龍は形を崩す。
「ワッツ? これはバリア的もの?」
「キミたち、というか将来の話だけど、精霊バリアならぬ天神バリアだよ」
今は天の神であるボクや神樹のような土地神が形成する結界くらいしかないけど、いずれ勇者にも与えられるもの。
でも、今の時代にはない。
それに歌野の今の変身は攻撃特化で天の神であるボクを倒すものだ。
精霊バリアに回す力まではないと見た。
「捉えたのはこっちのほうだ。いくぞ」
今度はこちらの番。スコーピオンの尾を鞭のように振るい歌野を弾き飛ばす。
その先にあるの、キャンサーの反射板で作られた箱庭。逃げ場のないその中へ尾の毒針を突き立てる。
「さあ、ボクを受け入れるんだ。歌野。ともに天にも昇ろう」
歌野がさっきと同じように反射板を引きちぎろうとする。
「きゃああああ、どうして?」
けど、今度は反射板に流していたアリエスの雷に弾かれて反対側の反射板にぶつかりそうになる。
それでも、歌野はダンスか体操のように体を回転させながら、狭い範囲でうまく毒針を避ける。
「でも、それは動けないでしょ」
そう、ここまでは時間稼ぎ。本命は動きを止めた瞬間。
「いくよ。これが天の神としての本気」
ペンダントの勾玉が今までの赤ではなく白く輝く。
かつて、原初で見た光。今ある世界となった輝き。闇を打ち払うもの。
「さあ、目を醒まして、天沼矛」
本来の歴史なら四国での戦いが終わった後で使うことになるけど、今となってはそんなことより、目の前のことののほうがよっぽど大切だ。
西暦で眺めるだけでなく神として臨んだのは歌野と水都を助けたかっただけ。
何度も失敗したけど原因であるバーテックスも掌握した今のボクならできると思った。
粛清を実行してしまった今、あとは歴史通りに乃木若葉以外の勇者を殺すしかないと思っていた。
――友奈以外は諦めるつもりだった――
でも、今、諏訪の神と人はボクの歴史を超えようともがいている。
必死になって生きようとしている。
ボクがグレイグーを使った時は、歌野にさえ疑いの目を向けた彼らが、だ。
「本当に、ホントに変われるというのなら、今こそ、ボクも応えてみせる」
後のことなんて関係ない。今は、今だけは、今、この瞬間こそがすべて。
友奈に会いたいという
もう、助けてと言える友達も、祈れる神も、憎む敵も持てなくなった。
全部自分だけで、自分のことを押し付けて、自分しかいないけど、それでも…
「うたのん、お願い」
祈りの言葉、ああ、聞こえないはずの鐘が聞こえる。
諏訪の人達は、もうほとんど生きていない。
人の形すら消えて魂だけが歌野にどんどん集まってくる。
歌野は気づいているのだろうか? いや、どっちでも歌野は進むだろう。
光の中をただまっすぐに。だけど…
「まだだよ。
鐘の音が大きくなる。タウラスのベルじゃない。もっと近く。心臓の音だ。
もう、とっくに要らなくなって気にもしてなかったけど、まだ動いてくれていたんだ。
ボクを人の形でいさせてくれたんだ。
見ているかい、
「神として言葉は違えない。光よ!」
ボクは正しかった。間違っていたけど、この瞬間ができるというのなら人はまだ希望となれる。結果なんていう後付けじゃない。
ここにいるすべての人が
どれほどの光が天沼矛から光が降ろうとも、世界の理が幾度消え去ろうと、人は変わらない。
ああ、もう歌野の顔がはっきりと見える。
あっちこっち傷や赤みが見えてる。それでも歩みは止まらない。
もう勇者装束もいつもの状態に戻っている。
それでも、光を切り裂きながらまっすぐに昇ってくる。
「これで…フィニッシュ」
歌野が大きく振り被り、その手の先にある鞭が、それ自体が意思を持つようにボクに届く。
いや、本当に意思を持っているんだろう。視界の端で御柱がひとつ砕けるのが見えた。
乾いた音が響き渡り、ボクの手から天沼矛が離れる。
弾かれた衝撃で天沼矛が光をバラまきながら飛んでいく。
海が、山が、町が、いくつも蒸発していく。
それでも、天沼矛は間違いなくボクの手から離れた。
――ああ、本当に届いたんだ。きっと、今の歌野なら元の天の神には勝てたんだろう。それなのに、どうして、本当の歴史ではできなかったんだろう――
「そうだね。これで終わり。キミたちの魂、確かに天にも届いたよ。だから…」
天沼矛さえ退けた今、それは確かに天の神にも届いただろう。
本当ならここでハッピーエンド。
歌野がボクに代わって天の神となるか分からないけど、ここで終わりにすることもできる。
けれど…
「ボクは絶対に諦めない」
何があっても、ひとめ友奈に会いたい。
だから、ここでは諏訪の人たちを見逃すことはできない。
「っ!、これは!?」
今、すべての束縛から諏訪から切り離す。
時間も、場所も、何もなくなる。
夢のような時が終わる。
これは天の神ではなく、ボクの持ち込んだ力。
真空崩壊による宇宙規模の消却。
かつて、高天原と黄泉の国の間で使ったバーテックスを力で倒すもの。
すべてが光へ、そして皆共に。
「貴方達も連れていく! 歌野おおお!」
光の満ちた先にいるはずの歌野と水都に手を延ばす。
御柱が完全に崩れ落ちる。それは戦いの終焉だ。
すべてがただの素粒子になり、魂さえも白く清められる。
諏訪の人々はすべて四国へ、そして、歌野と水都を天の眷族として…
「おおおおお、沙耶ぁああ」
音を置き去りに、光を飛び越えて、影さえ残さず、王が飛び立つ。
朝日が昇る。光がその透けていく横顔を照らす。
それは天の神となったはずのボクよりも……本物の太陽よりも輝く。
消える命の灯。最期の輝く姿だ。歌野、キミは、キミたちは…
「私の最期のアタック。受け取れぇぇぇ」
すでに神の力は失われ、肉体も還り、何の力もないはずの幻。
でも、目を逸らせない。指一本動かせない。声の一つもでない。
なにもできない。
私が、ボクが、神が、迫るその姿に自動で生まれるはずのバリアさえ作れない。
当然だ。そこにないものを防ぐ方法なんて、ありはしない。
歌野は気づいているんだろうか? 自分がとっくにいなくなっていることに。
ああ、きっと、それでも諦めない。それでもまっすぐに向かってくる。
そして・・・
「が、はっ……」
重さなんてないはずの歌野の幻がボクの胸を打つ。
それなのに、それでも、だからこそ、何かが壊れる音がした。
「うたのん、お疲れ様」
「みーちゃんも、最後までありがとう」
二人の姿も少しずつ解けていく。
その姿がぼやけているのは素粒子変換の影響じゃない。絶対に。
それなのに、それなのに、それなのに、なんで透けて見える諏訪の姿までぼやけるんだよ。
「…最後に教えて歌野。ボクにも分からない。なんでそんなに笑顔ができたの? 眷族でも良かったじゃんか。それでもどうして戦ったの?」
ボクは何を言っているんだろう? 自分で攻撃したくせになんで歌野達が消えることに動揺しているんだ?
だいたい答えなんて、さっき教えてもらったじゃないか。
「…そう、でも沙耶、私はやっぱり貴方とは行かない。私は最後まで…いいえ、最期を過ぎても人としてあり続ける。でも、もし貴方が人に還れたなら…」
「だから、その時は、またね」
ボクは今度こそ凍り付く。動いてはいけない。受け入れなくてはいけない。
例えどれほど哀しくても、どれほど悔しくても、どれほど口惜しくても。
人が歩いてきた道を否定なんてしない。絶対に。
確かに時間は遡れるけど、この時は繰り返したくない。終わってほしくない。いつまでも残っていたい。
放課後の校舎のような懐かしい感覚。
でも、声なき声さえ響かない。
「乃木さん、後は、よろしく頼みます」
二人の姿が朝露とともに消える。
胸元の鏡が朝日を返して輝く。その光が照らすのは諏訪の残骸。
魂はすべてここにある。目に見えるものじゃない。時空から切り取っても永遠にできない。
それでも、ここにある。いつまでもここにある。
「分かってる。分かっているよ。その魂は絶対に忘れない。どれほど時を繰り返しても。約束は果たすよ。だからおやすみなさい。勇者たち」
言っていることは無茶苦茶だ。この戦いを始めたときにこうなることだって分かっていた。
分かっていたはずなのに、私はボクを止められなかった。
殺したのはボクだ。歌野達が命を落としたのはボクがいたからだ。
それでも、歌野も水都もここにいたんだ。だから…
遠く、海を超え、空の向こう、星の彼方まで、ボクの声が遍く世界に届く。
それでも、もう、歌野の魂も水都の命も見えない。
ただ、自分の声がいつまでも響いていた。