西暦2019年4月23日
歌野と水都は去った。もう、幻さえ見えない。
おそらくその魂はミシャグジさまを通じて地の神が回収したんだろう。
諏訪の人たちについては回収されなかった。
やっぱり神樹は何も分かっていない。
(御柱は…ミシャグジさまは分かってくれたんだろうか? 人は変わるものだって、変われるものだって)
もし、分かってくれたのなら、もしかするとこれからも変わるのかもしれない。
ボクが幾星霜費やそうとも変えられなかったものが変わった。
(もしかすると、ひとりではどれほどの力を得てもダメなのかな? だとしたらその違いは何だろう?)
もし、力を合わせることで変わるのなら、残りの勇者もその地域の人たちと協力して生きているのだろうか?
だとすれば、ボクは…
(あ、一人称戻しとかないと)
どうしても興奮すると"ボク"で喋ってしまう。
ゆっくりと一呼吸。
「ボクは私だ。私にすべてを委ねます」
今となっては必要ないけど、こうすると何となく落ち着く。
別に"ボク"でも構わないし、その方が自分らしくはできる。
もう喋り方が男の子みたいだとイジメられたり、注意されたりすることもないだろう。
でも何となく続けてしまう。もう人間の決めたルールに従うことなんてないんだけど、
それでもやめられない、やめたくないと思ってしまうの何故なんだろう?
必要がなくて、自分も好きじゃないことを、何故か続けてしまう理由。
きっと、今の私はそんな不便さ、不自由さ、フラストレーションを感じていたいと思ってしまう。
じくりと何かが痛む。
あちこちペタペタと触ってみても何ともない。
どこが痛いのかも分からない。
首をかしげてあたりを見渡す。
戦いの余波で廃墟とすら呼べない無機物の集まりとなった諏訪。
もちろん私しかいない。
畑を見て、ふと思い出す。
「…確か歌野が使っていた種があったはず。海外で回収した種も育ててくれるかな? それからバーテックス達に野生動物除けをさせておこう」
ああ、それなら天の神としての力で雨に濡れないようにしておくのも忘れないようにしないと。
いつか、四国に持っていくために。
確か手持ちにトスカーナと江蘇省、あとメキシコで取ってきたのがあったから、
いくつか育てられるのもあるはず。
きっと、この種はただ生きていくためでなく、人の証、生命の方舟になる。
だから、できるだけ多くの種を入れておこう。
そう言えば、バーテックスって農作業できるだろうか?
一度機能を足してみよう。何かの役に立つかもしれない。
「でも、できれば…よいしょっと」
これでも、1年くらいは歌野の手伝いをしていたから、最低限のことはできる。
土を掘り起こして柔らかくしながら、雑草も引き抜いていく。
それにしても、なんで私は畑仕事なんてしているんだろう?
種は残したし、ただ育てたいだけなら手でやるより、ナノマシンを使ったほうが早いのにね。
何だかおかしくなってきた。
「くぅ、くっ、うう、うああああん」
あれ? なんで? 私は何をしているの?
「笑え、笑えよ、沙耶。これで友奈にまた一歩近づいたじゃないか。歌野は立派だった。悲しむことなんて…悲しむ…こと…うう」
悲しい。哀しい。ああ、そっか、これが…
つぶやいた私の声は風にのってどこかへ消えていった。
私はどうすれば良かったんだろう。誰か教えてください。神様…
祈っても、願っても、縋っても、応えはない。
当然だ。だって今は私が神様なんだから。
人類の粛清も、歌野が戦ったのも、水都がずっと悩んでいたのも、全部私が始めたことが原因なんだから。
「それでも…それでも、私は諦めない」
今度は風に負けることなくつぶやく声は届いた。
「順に回るなら北海道に行って戻ってきた方が良いかな? いや、バーテックスだけ北海道に送って、私は先に四国に行こう」
今更罪悪感を持つ資格もない。あとはただ時を流すだけ。
(それでも、ここは変えない。こんな素晴らしい魂を手放すなんてできない)
私の元には歌野と水都以外の諏訪の人々の魂がある。
眷族にするかは悩むところだけど、彼らは証だ。
人が変わって見せたことの数少ない希望になる。失うわけにはいかない。
――だから、もう歌野のような勇者には関わらない。――
関われば私はまた助けられそうになる。
どれほど決意していたとしても、きっとその時には揺らぐだろう。
だったら、知らなければいい。今の私は心が脆弱すぎる。
簡単に目の前の出来事を見過ごすことができなくなっている。
だから、どれほど勇者が素晴らしい人間であったとしても、知らなければいい。
いいえ、知ってはならない。
きっと、知れば知るほど、過去に遡ることができなくなってしまう。
それは大きな制約になる。
まずは歴史通り乃木若葉以外の"3人"の勇者には死んでもらう。
そのあとは適当な理由をつけて和睦してやればいい。
今度は絶対に間違えない。何より今の四国には高嶋友奈がいる。
彼女を殺して神樹に吸収させなくてはならない。
それこそが友奈が生まれてくる世界の絶対条件。
歌野と水都が手に入らなかった以上、それだけは絶対だ。
それから、今回の件で分かったことだけど、思った以上に天の神の力は弱い。
原初で戦った神様はもっと強かったと思うんだけど、この力の差は何だろうか?
せいぜい宇宙1つ分くらいのエネルギーしか増えた感じがしない。
それなら、真空崩壊でも倒せたんじゃないだろうか?
それとも、私が天の神の力を使えていないのだろうか?
でも天沼矛は間違いなく使えたし、世界の理を書き換えるだけの力も感じた。
まあ、別に今更そんなものがあったところで、どうってことはないんだけど、
300年あるなら、今考えている新世界のグランドデザインと合わせて調べてみよう。
と、いろいろ考えているけど、結局のところ私は勇者に会うのが怖い。
もし、勇者に会って自分が心変わりしてしまったら?
もし、巫女を見てその清廉さに心を開いてしまったら?
もし、人々が力を合わせる姿に心打たれたら?
「私は絶対に諦めない」
だから、もう一度自分に言い聞かせるように声に出す。
少しでも私の心が変わってしまう可能性があるなら、
なんで、こんなことをしてしまったんだって、罪悪感で潰される可能性があるなら、
友奈と逢えなくてもいいなんて、思ってしまう可能性があるなら、
「そんな世界は必要ない。だから……」
私の代りにバーテックスを率いる指揮官を用意したい。
思考し、認識し、工夫する。
「でもなあ、世界を滅ぼした天の神の側につく人間なんていないよね…」
いくら思考は分割できても、並列処理ができても、やっぱり私も一人だった。それは歌野と戦った時に思い知った。
あの時、もっと冷静に効果的に対応していれば、天の神の力に拘ったりせず、
最初から素粒子変換で御柱を破壊していれば、違う結末もあっただろう。
そんなことは望まないけど、次に同じことがあったら、私はボクを信じられない。
とにかく、決めつけるのは良くないし、まずは人の多くいるところに行ってみよう。
でも、勇者や巫女じゃなく、世の中に鬱屈した感情を抱えた人間なら悪魔の誘惑に乗ってくれるかもしれない。
「さってと、それじゃ手筈通り進化体を数体用意して…」
アリエス、ジェミニ、ピスケスの進化体。
完全体ほどじゃないけど、私が四国にこっそり侵入するまでの目眩ましには良い人選、いや、天選かな?
星屑も2万体程度出しておこう。偵察と陽動の兼任ならこれくらいでいいだろう。
大体最後の方で諏訪に送っていた戦力と同程度になるはずだ。進化体は1体ずつだったけど。
次は私の肉体を素粒子変換で人間に戻す。
人間の制約を受けるから、運動能力も落ちるけど、壁越えまではピスケスの中に入っていけば、安全だろう。
とにかく見つからないようにっと。
「始まったかな?」
先発させた星屑5000体が、迎撃に出てきた四国の勇者たちと戦い始めたようだ。
「あれ? "5人"? なんだろう? 歴史で学んだ時より多い?」
何だろう? ちょっとわからないな。過去情報を引き出してみよう。
………………
なるほど、郡千景か。
そんな隠された勇者がいたとは、大赦の秘匿した切り札ってことかな?
ふふん、でも甘いね。私は仮にも神様だ。
まして、時間移動もお手の物。
知ろうと思えば、過去・現在・未来のあらゆる情報を集められる。
その私相手に秘匿した切り札なんて、ナンセンスだってことを見せてあげよう。
知ろうとしなければ、今回みたいに直前まで気が付かない可能性もあるけど、
そうなったらなったで、時間を遡れば良い。
「郡千景、貴方の力見せてもらうよ…タウラス」
やりすぎない程度に完全体のタウラスを郡千景の近くにタイムワープさせる。
さて、適当に相手したら撤退させるようにしておこう。
その間に私は四国へ至る橋の一つ、明石海峡大橋を盗んだ…じゃなくて勝手に借りたバイクで走り出す。
当然無免許運転だけど、この3年間放置された各種乗り物に乗ってみた。
いずれ宇宙飛行士を目指すなら乗り物に慣れる必要がある。
特に飛行機は四国で乗る機会はほとんどない。宇宙船はこんな時じゃないと見ることもないだろう。
30回くら爆発して、50回くらいロケットがコケっと横倒しになったときは、
素粒子変換でニュートリノかダークマター系の何かになって飛べばいいのでは?
と思ったけど、それだと職業宇宙飛行士にならない。
今では組み立て・整備・修理・操縦・補給まで完璧だ。
バイクは後で元の場所に戻して、せめてエンジンオイル交換とガソリンを満タンにしておこう。
農業用に新型バーテックスを作った際に遠隔操作で細かい作業ができるようになったし、
途中の淡路島から四国に入るときは目立たないように徒歩が良いだろう。
バイクを戻す時もバーテックスに任せればすぐに終わるだろう。
黒岩水仙郷。
西暦時代にあった自生の水仙の花が咲いているところだ。
淡路島の観光名所の一つ…だったところだ。
写真で結構きれいとは知っていたけど、神世紀では見れなかったところだ。
「うわー、これはなかなか見ごたえあるな」
海岸沿いの県道を潮風を突っ切りながら走る抜けると、海に面した一面の水仙が姿を見せる。
これがすべて自生とは…元は欧州の花だって聞いていた気がするけど、植物はちゃんと育つ者なんだ。
まあ、お米だってもとは東南アジアあたりが原産地だって書いてた気がするし、
その辺は汎用性があるんだろう。
せっかくだし種も採取しておこう。距離的に近いし四国でも広げられるかもしれない。
道はアスファルトがめくれあがって、移動は少し時間がかかってしまった。
その間に戦闘も集結していた。
少し過剰戦力だったみたいで、勇者の一人、高嶋友奈が切り札を使っていた。
あのまま目的を達成しても良かったけど、戦いが終盤になるまで動かなかった郡千景と伊予島杏が気になる。
あの二人は何故戦わなかったんだろう?
何かの戦略だとしたら、もしかして高嶋友奈も、神世紀の勇者と同じように最初から生贄として扱われているのかもしれない。
勇者達の中で高嶋友奈だけは四国の外、奈良からの避難者だ。
もしかすると、家族とかを人質に取られて、いざと言う時は始めに切り札を使うように…なんてことを言われていたとしても、不思議じゃない。
だとすると哀れだ。
ようやくたどり着いた安全地帯だったのに、戦いを強制され、しかも真っ先に捨て駒にされたのだとしたら、救いが無さ過ぎる。
原因である私が言えたことではないけど、やっぱり、勇者と巫女には関わらな方がいい。
もし、そんな人たちを目の前にしたとき、自分が彼女たちを殺せるのか分からない。
水仙郷にだいぶ近づいたので、いったん思考を打ち切る。数日ほどこのあたりで休んで、第2波攻撃とともに四国に入ろう。
多分見張っている連中がいるけど、樹海化で時間も止まっているから通り抜けはできるだろう。
勇者に気づかれないようにバイクは淡路島において、後半は徒歩になる。距離はあるけど何とかやってみよう。
「ぜーぜー、はーはー」
自分の荒い呼吸が耳障りだ。
結局バーテックスは第4波攻撃まで実行することになってしまった。
距離があるとは思っていたけど、淡路島を出てから橋の上で夜を越す羽目になるとは思わなかった。
しかも、隠れて過ごしていたから少し寝不足だ。
でも…
(それも含めて、なんだか懐かしい。前に寝不足になった記憶なんて数えられないくらい前だけど)
さて、今は愛媛県内だけど、どこから人を調達しようか?
誘拐…はやめておこう。騒ぎは起こしたくない。そもそも強制だとうまく動いてくれないかもしれない。
私も300年の間にやることがあるから、人類を生かさない程度に、でも死なさない程度に攻撃し続けてもらわないといけない。
「…ん? ここ避難民向けの仮設住宅かな?」
こっちを見る人がほどんどいない。
あたりは静まり返って、淡路島の誰もいなくなったホテルとそんなに変わらない。
でも、座り込んでいる人もいるし、明かりが漏れている建物だってある。
それなのに、まるで生きている感じがしない。
「ああああああああ!、空が…空からぁ」
静から動へ、唯一の音は心臓に悪い錯乱した叫びだった。
曲がり角から一人の男が飛び出してきた。
あっちこっちにぶつかりながら、速度を緩めずまっすぐ突っ込んでくる。
そのまま、男は私を突き飛ばして走り去っていく。
思わず、その場に尻もちをついてしまう。
何だったんだ? とりあえず立ち上がらないと…あれ?
立ち上がろうと、地面に手を着くけどまるで氷の上をすべるように、冷たい水の上を滑り、
私は逆に倒れこんでしまう。
(は? え? 何これ? 今の…痛ッ!)
お腹が痛い。いや、もうこれは痛いなんてものじゃない。
これは…この感覚はずっと忘れてた。
あの時病院で見た。それじゃ…
(え? 嘘…だ。私が刺された?)
お腹だけは熱いのに、他には何も感じない。
倒れこんで肩から落ちたはずなのに、それも分からない。
「あ、が…」
声が出ない。怖い、恐い、コワい、私は何を…何をしているの? どこにいるの?
誰かが叫んでいる声が聞こえる。うるさいなあ。こっちはそれどころじゃないんだよ。
早く、叫んでるくらいなら助けてよ。ねぇ、誰か…お願いだから…。
何かを掴もうと手を伸ばす。けれど濡れた手は何もつかめず、ただ空を切るばかり。
ううん、ホントに手を伸ばせているの?
それでも、手を伸ばす。何か…とにかく立ち上がらないと…。
けれど、最後まで私は何もつかめず…
私の記憶はそこでゆっくりと闇に包まれていった。
この日、人間としての私はいったん終わったの。だから、この先には…
これで西暦の話は一区切りです。