ある夏の日差しで、打ち水がキラキラする焼けたアスファルトの上を私は走っていた。
「とう、神妙にお縄につきなさい。」
「ぐふ、がはっ。なんて……バカ力。」
ひったくり犯のヨレヨレ黒シャツさんはそれだけを言い残して気を失った。
やり過ぎたかな?
「あ、あの……。」
「あ、はい、これ。日用品の配給物資ですよね。」
「ありがとうございます。」
後ろから追いかけてきてくれたおばさんに配給用のパッケージを渡す。
「はあ、はあ、もう危ないよ。結城ちゃん。」
「ごめんごめん。茉莉さんも怪我とかなかった?」
汗だくの茉莉さんと、汗をかいていいない私が対照的だ。
「それはこっちのセリフだよ。1人で飛び出すなんて。大人の人たちも近くにいたんだよ。」
「あー、何というか、たぶんこうするんじゃないかなーって。」
「何言ってるのか分かんないよ……。」
いや、考えるより先に手足が出てしまうのも考えないといけないよね。
でも、記憶を失う前でもそうだった気がする。
なんか違うな。
どっちかって言うと今の茉莉さんみたいに追いかけてたような……。
んんん? ま、いっか。
結局、大赦の人から派遣されてきた心療の人がしてくれた簡単な逆行催眠でも、何も思い出せなかった。
正確には記憶の整合性がおかしくて、本で読んだ記憶を自分のものと錯誤して、まるで何千年も生きてきたかのような不思議な記憶になっていた。
だから、今の私は名前の候補だけで10通り以上あって、どれが本当の名前なのか分からない。
その中でも特に”結城友奈”と言う名前は、私の心に不思議な安定をもたらす。
だから、今は暫定で結城さん家の友奈さんだ。
本当の友奈さんが出てきたら、大人しく返却するけど、それまではちょっとだけ借りよう。
きっと笑って許してくれる。
そんな確信がある。
……茉莉さん達が決して名前で呼んでくれないのは、きっと高嶋友奈様のことがあるからなんだろう。
「はあはあ、あれ? ひったくり犯人ってこの人!?」
茉莉さんが私の下敷きになって失神している黒シャツさんを見て驚いている。
まさか、有名人だったりするのだろうか?
最近は元有名人でもこんなご時世で身を持ち崩して、悪いことをする人が出てきている。
「茉莉さんの知り合い?」
「そう、だね。」
あんまりよい知り合いじゃないみたい。
よし、このままお役所に突き出そう。
「さっきの人ね。いっしょに四国まで逃げてきた人だったんだ。」
「そうだったんですね。」
茉莉さんと一緒に四国に来たってことは、きっとそこまでの道のりで高嶋友奈様にいっぱい助けてもらった人なんだろう。
そんな人が悪いことをして、みんなを困らせてる。
戦況は良くないけれど、一般人への影響は少ない。
みんな悪い状況が当たり前になると、今度は希望の裏返しで勇者様のことを悪く行ったり、さっきみたいに悪いことをする人たちが出てくる。
(何だろう? 勇者様の悪口を言ったりする人たちって、ただ怖いとか怒ってるとかじゃなくて、なんか、こう嬉しそうにやってるみたいに思える。)
勇者様が無力だったら困るのは自分たちのはずなのに、怒っているふりして、心が笑ってるように見えるんだよね。
一度だけ頭を振ふって変な妄想を追い出す。
大丈夫、みんな不安なだけ、きっと勇者様がバーテックスを倒してくだされば、何とかなる。
「それで、結城ちゃん、大赦の人は何か分かったって言ってた?」
「ううん、やっぱり私は名無しの権兵衛さんだって。最初に思い出した"結城友奈"の名前も今のところ避難してきた人の名前に無かったみたい。」
そんなに珍しい名前じゃないと思うんだけどな。
そう、向こうから走ってくる女の子の名前もそんなに珍しくないから、すぐに身元は確認できたって言っていた。
「こんばんは、ルリちゃん。」
「あ、茉莉おねーちゃん。結城ちゃん。」
小学生くらいの女の子とそのお母さん。
彼女たちも茉莉さん達といっしょに奈良から四国まで避難してきた人たちだ。
「こんばんは、茉莉さん、結城さん。」
「こんばんは、これからお出かけですか?」
「ええ、仕事も落ち着いてきたから、今日はルリの好きなものを……。」
背中がゾワゾワっとするかんじ。
「あ……みんな逃げて。」
振り返る前に茉莉さんの声が追突してくる。
振り返った時、茉莉さんが何かに気づいた表情のまま、彫像のように静止している。
「茉莉さん。どうしたの? 何か危ないの?」
目の前で手を振ってみても反応がない。
よく見たら、太陽光線の当たり方や反射も変化がない。
こんなことは常識ではなく物理的にあり得ない。
(となると、超常現象?)
どうしよう、と考えた次の瞬間、壁の向こうから光が世界を書き換えていった。
広がるのは目が痛くなるくらいカラフルな樹木の根に覆われた世界。
ところどころ、地形の後はあるけど、建物まで全部覆われている。
一瞬で1万年くらい過ぎて町が放棄去れたみたい。
「そうだ、茉莉さん!」
見渡しても茉莉さんどころか誰もいない。
まるで世界が滅んだような光景。
でも、樹木ってことは……。
(これ、神樹様の力だったりする? それともバーテックスの仕業?)
ゴクリと鳴ったのは無意識に飲み込んだ先に唾液はあったのか。
「よ、よーし、せっかく勇者様しか来れない"樹海"にいるんだ。で、できるだけ探検だあ~。」
誰もいないと元気ができないって言っていた誰かに話しかけるように、一人で口を回してみるものの途中で空しくなった。
あの樹木の上とかビョンビョンと飛べたら良いんだけどできないかな。
「ほへ?」
自分の口から出たとは思えない間抜けな感嘆詞だけど、これは仕方ない。
気が付くと私は、さっきまで見つめていたビルの上に重なったような樹木の上に立っている。
ついに私に超能力に目覚めたのか?
「うーん、はっ。」
今度は手を出して公園らしきところに見えてる三輪車っぽいものを動かそうとしてみる。
「うわっと、ただ動くんじゃなくて、こっちに出てくるのか。」
今度は樹木で覆われた三輪車が私の目の前にポンっと出てきた。
何だか良く分からないけど、いよいよ漫画とかアニメっぽくなってきた。
とにかく、元の世界に戻す方法を探そう。
キラッと視界の向こうで何かが光った感覚。
ずっと先。
あの方向は北西かな。
「だったら、せめて、私から高嶋さんを取らないでよ!!」
と思った瞬間、目の前に大きな鎌を振り被った同じ年くらいの女の子が、もう一人の青い服の女の子に斬りかかるところに正面衝突していた。
なんかすごく血がいっぱい出てるから、茉莉さんが見たら卒倒しそうだなあ、って呑気に考えながら、衝突した女の子を抱えながら、グルっと回転。
きれいに受け身を取った後、勢いを利用して彼女を直立不動で立たせる。
途中で大鎌をさけるのはなかなか大変だった。
「ごめんね。いきなりこんな不思議な世界に来たから行先分からなくって。大丈夫だった?」
「な、な、な、な……。」
彼女は来ている服とおなじくらい顔を真っ赤にして、ワナワナと震えだしてる。
出血もしているみたいだし、やっぱり怪我しているんだろうか。
と言うわけもなく、何かを攻撃しようとして、私が邪魔しちゃったんだろうな。
「どうして、どいつもこいつも、私の邪魔ばかりするのよ! そんなに私が高嶋さんと話したいと思っちゃいけないって言うの!!」
「ごめんなさい。お願いだからその鎌を下げて、話を聞いてください。あ、そこの人、助けて!」
鎌を振り回し始めた彼女から逃げ回り、ちょうど前に3、4人いた人達に声をかける。
「助けて、ですって。それは"私"に言っているのかしら?」
振り返ったその顔は全員同じ。
よく見ると全員背格好も右手の大鎌まで同じ。
これって分身の術?
とにかく、絶体絶命のピンチ。
「やめろ、千景。一般人にまで手を出すな。」
青い服の女の子が私をかばって代りに大鎌を受け止める。
あれ? この人、食堂のテレビで見た勇者様にそっくり。
それに千景って確か勇者様の1人のお名前だった。
まさか勇者様同士で戦っているの?
こんな不思議空間でドラマロケってわけじゃないだろうし、きっとご本人なんだろう。
なんで2人が戦っているのか全然理解できないけど。
「そこの人。ここは危険だ。離れるか隠れるかしていてくれ。」
「貴方は……いえ、勇者様達はどするんですか?」
あえて、勇者様と呼びかけてみる。
「大丈夫だ。私達のことは私達で何とかする。だから、ここであったことは誰に口外無用だ。」
「そんな……。」
私が衝突したせいで中断していただけなのか、2人、いえ、8人はまた激しく刀と鎌で切り結んで、あっという間に行ってしまった。
やっぱり、勇者様だったんだ。
きっと、青い服の女の子が乃木若葉様で、混乱している千景様から引き離してくれたんだろう。
「逃げなきゃ。でも、どこへ行けば良いんだろう。あれ?」
急に空が真っ暗になる。
慌てて見上げると、ビルくらいの高さの良く分からないものが浮いている。
よく見ると、周りには大人の人より一回り大きいくらいの小型の白も浮いている。
そのうちの何体かがゆっくりとこちらに降りてくる。
大人の人くらいと思ったけど、その正面の口のような器官は大人の人がすっぽりと収まりそうだ。
「何、まさか、これがバーテックス?」
不思議な空間で勇者様達がいたのなら、その敵であるバーテックスがいるのはあたり前。
なんだけど……。
(不思議と恐怖を感じない。本当にバーテックスなら人類の天敵なんだけど。)
実際、降りてきたバーテックス達は呑気に私の周りをクルクルと周っている。
私が動けばそれに合わせて移動する。
「お手、お座り、待て」
試しに犬のしつけのような号令をかけると、それに合わせて触手みたいなのを私のてのひらに乗せたり、地面に着地してぴたりと止まったりする。
うん、これバーテックスじゃないな。
凶暴さが全く感じられない。
と、突然、私の周りのバーテックス(?)達が飛び立っていってしまった。
「あれは……。勇者様達。」
でも、千景様は数が減って、さっきと服装や雰囲気も違っている。
「なんでよ! あと少しだったのに、なんで、どうして! あ……。」
少し距離があるけど、悲鳴のような叫びが聞こえる。
私の前では従順だった白いお化け達が千景様に向かっている。
やっぱり、彼らはバーテックスだったんだろうか。
人を襲うはずの
千景様に攻撃されていたのに、乃木様は近づいて来たバーテックスを斬りながら、千景様を守っている。
「どうして……。私はもう勇者じゃないのに。」
「決まっている。仲間だから、郡千景は私の…私達の仲間だからだ。どこでなにをしていようと、お前は仲間だ。仲間は絶対に守る!」
仲間……。
裏切られた、かどうかは簡単に分からないけど、自分を攻撃した千景様も仲間なんだ。
って、そんなことを考えて場合じゃない。
いくら勇者だからって、あのまま動けないんじゃ負けちゃうんじゃない。
あたりを見回しても勇者様は2人しかいないみたいだ。
相変わらずバーテックス達は、私を攻撃せずに素通りして勇者様達へ向かっていく。
だとしたら、さっきみたいに止められないだろうか。
でも、もし、失敗したら?
バーテックス達が攻撃してこないのは、私よりも優先度が高い勇者様達がいるからでは?
それでも……。
「あ……。」
フラフラになりながら、千景様が乃木様に向かって走る。
その先にあるのは……。
トン、と聞こえないはずの軽く乃木様を押し出す音。
(最初からこうすればよかった。)
それは誰が思ったのか。
「ああああああああああああ!!」
人間の喉から出たとは思えないような絶叫。
千景様に咬みついた星屑を乃木様が切り伏せる。
「千景!」
何もかも遅すぎる。
だけど、そうだとしても、私は……。
「お前たちは、天に帰れーー!!」
遅かったとしても、遅すぎるとは限らない。
やっぱりどういう仕組みか分からないけど、バーテックス達が空に昇って消えていく。
どこからか花吹雪が走る。
世界が元に戻る。
なんでか分からないけど、そんな感覚だけを残して来た時と同じように、光があふれた。
「千景、千景。待っていろ。すぐに医療班がくる。」
千景様に呼びかける乃木様の声が聞こえる。
「無駄、よ。今、生きているのだって、奇跡みたいな……」
「そんなことを言うな。言わないでくれ。」
私はこの人達のことを何も知らない。
勇者様だって言うから、きっとすごく良い人たちなんだと思う。
でも、もう少しだけ早く動けていれば……。
「高嶋さんに……伝えて……。今までずっと、ありがとう……って。」
呼吸するかのように細い声だ。
きっと千景様の命はもう……。
「乃木さん、……私は、貴方のことが嫌いよ。」
「知っている。」
「でも、嫌いなのと同じくらい……貴方に憧れて……。」
「……」
「あなたのことが好きだったわ。」
最期の言葉は
無言で2人に近づく。
「貴方は、そうか無事だったか。すまないが、医療班が来たら一緒に戻ってくれ。」
気づいた乃木様が一瞬だけこちらを見る。
「ええ、はい。でもその前に……。」
それだけを何とか答えると、ゆっくりと千景さんに尋ねる。
きっと、もう私が誰かなんてわからないだろう。
だからこそ、尋ねる意味があるかもしれない。
「千景様、まだ生きていたいですか?」
「……。」
この人はずっと誰かに優しくしたかったんだ。
だけど、その方法がわからなくて、勇者になればって頑張って。
勇者ってなんだろう。
こんなに頑張ってもネットでも、現実でも、上手くいかないのは全部勇者がしっかりバーテックスを倒せないからだって、不満ばかり。
(不満ならまだ良いほうだ。本当はみんな楽しんでいる。まるで、人を貶めることが楽しいみたいに。)
「無理に口にされなくても大丈夫です。でも、これからもずっとこんなこと繰り返すかもしれません。誰も貴方のことを信じてくれないかも知れません。それでも…。」
「……。」
もう、首肯することも難しいのか、しっかりと見ないと見逃すほどかすかに肯定される。
でも、意志は確かだ。
だったら、私ができることをしたい。
「分かりました。」
きっと、これは間違っている。
自分の姿が見える。
どこから見えているのか、不思議な感覚。
どういう原理なのか、総身で太陽を背負うかのような輝き。
「……直列時系列から特定部分のみを算出…複製開始。補正完了。」
言葉と一緒に知識も蘇る。
まだ、ぼんやりだけど、何だったのか分からないけど、おんなじように何かを治した記憶がある。
そうだ。これは治したと言うより、壊れた状態を元の時間まで戻かのよう。
どこでどう知っていたのか分からないけど、まだ失われていない命ならこれで……。
「千景!!」
「わ、たしは……まだ生きていて良いの?」
失われるはずの命が復活する。
なんて……。
寒気がするほど美しく残酷な光景だろう。
あれ? いま何を考えていたんだっけ?
自分の両手をじっと見つめる。
何だかそれが自分でない不思議なものに見えた。
(ま、いっか。これで良かったんだよ。千景様はいっぱい苦しんでいたんだから、チャンスがあっても……。)
――どこかで誰かが間違っていると言った気がした。――
今は助かった郡ちゃん。ただ本当に良かったかどうかは……。