「バカな。友奈を生贄にして和平など!」
乃木様の叩きつけた拳で机が震える。
とても、14才の子供とは思えない。
これが勇者様。
戦い続け、人類の命運を背負ってきた者ということだろうか?
「落ち着いてください。若葉ちゃん。誰もそんなことさせません。」
「すまない。ひなた。熱くなり過ぎた。」
神樹様ではなく天の神の力と聞いて、我々大赦も勇者様達の医学的・霊的な調査を行った。
だが、得られた結果は心身ともに正常。
それなのに、勇者システムの出力は以前とは隔絶している。
神樹様のご神託でも、熱エネルギーだけですでに1フォエ*1に到達する。
(比喩でなく星、いや太陽すら生み出すほどの力か。我々人間に制御できるのか?)
「でも、私に用事があるって言うなら、私が行けば……。」
「お願いだから自分からそんな哀しいことを言わないで、高嶋さん。」
「そうです。天の神の考えがいずれであれ、勇者様がいなくなることは耐えがたきことです。」
神樹様のご神託で天の神の言葉は真実であると理解はできる。
しかし、何故今更人に合わせたのか。
未だ神樹様からは一方通行の神託しか頂けぬというのに、敵の方が先に人間に合わせた理由が分からない。
今までどおり一方的な暴力や押しつけだけの預言でなく、言葉で伝え、理解させようというのは何故なのか。
もしや勇者様達は天の神と和平をされようとしていたのだろうか?
勇者様のご様子ではそのようには思えないが、樹海の出来事は我々大赦にさえ知り得ない。
どのような動きがあったとしても、事後に知ることしかできない。
(密室……勇者様達だけであれば悪用されることもないが、このままで良いのだろうか。)
何も知らされずに自分たちの運命が決められていく。
人間はそれに抗い、文明を、政治を、社会を作り続けてきた。
だが、結局はすべて神の手の上。
「そうだよ。ゆうちゃん。それにあの子の目的はゆうちゃんを犠牲にすることじゃない。それは手段で、それだけではあの子の目的は果たせない。」
不明と言えば、この少女も不可解な存在。
横手茉莉と言う名前は、神樹様のご神託にも、大赦のいかなる記録にもない。
高嶋様が奈良からこちらに来られる時に同行していた避難民の1人だと言うが、天の神の言葉を勇者様に伝えた時も、今この場にいることもまるで自然に思える。
天の神の言葉を受け取り、また、我々の意思を天の神に伝える者。
(それではまるで天の巫女ではないか。)
神樹様のご神託は天の神は、次は本気で攻めてくるとのこと。
幾億、あるいはそれ以上繰り返されてきたという宇宙でも、西暦の時代に本気で人類の前に姿を見せたことは無かった。
だが、それも全て神樹様から頂いた知識。
はたして、それで全てなのか、それとも神ならぬ我々では知り得ぬことが隠れているのか。
できれば、もっと天の神と戦うための情報が欲しいところだ。
「お互い慣れない仕事は疲れますな。前は政治など無縁な者がほとんどでしたから。」
そう声をかけてきたのは花本という高知で神職を勤めていた男だ。
「嘆いても始まらないとは言え、こう何もかもが手探りでは、神経を使います。」
そう応じながら、彼の表情をうかがうと、確かに疲れを感じているようだ。
勇者様からの報告の後、今度は深夜までの大人たちだけでの議論。
確か以前は政治とは無縁の神職だった者だ。
いや、昔より以前、中世以前であれば、政治に携わる神職もいたかもしれない。
大人たちだけの議論でも、勇者様も含めて確認しても、結論は徹底抗戦だった。
だが、一部には天の神が認め、神樹様が認められるのであれば、勇者高嶋友奈の犠牲も無駄ではないのではないか、と言う極端なことを考える愚か者もいた。
自ら数少ない貴重な戦力を手放すなど、何の冗談かとも思ったが、彼らの言い分も全く無理筋でないところが状況の悪さを示している。
他ならぬ高嶋様ご自身がそれを完全に否定されない。
そんな中で彼らだけを完全に排除できなかった。
数えることができないほども繰り返したという神樹様のご神託が事実なら、今度もその繰り返していく1つで終わる可能性は常につきまとう。
もはや人の世を取り戻すことなどできないのではないか、という不安は誰の心の中にもある。
だからこそ、もしかしたら、ひょっとしたら、何か変わったら、高嶋様を手放すごとを恭順と認められるのではないかと言う空しい希望を捨てきれない。
「何か騒がしい様子ですね。」
花本が奥に目を向ける。
改めて神樹様にご神託を賜ろうとしていた巫女を中心とした者達が戻ってくる。
その様子が少しおかしい。
これ以上の非常時などそうあるとは思えないのだが、何かあったのだろうか?
そのうち近づいて来た彼らの声が聞き取れるようになる。
「……ですから、神婚の儀を行うと言っても実体が分かっていないんです。そのような状態で友奈さんを儀式に向かわせるなんてできません。」
「しかし、上里殿。バーテックスならまだしも、今回は星々をも破壊する勇者様のお力さえ一蹴した天の神が相手。あれはもはや人の理解が及ぶものではない。」
「だからと言って、良く分からない選択を安易にするべきではないのでは?」
「神樹様の示された選択肢の1つが良く分からないなどと不敬ではないか?」
「神託で示されたのは方法のみ。それがどのようなものかを考えるのが我らの務めだろう。」
どうも、神託を受け取った者たちの間で意見が割れているようだ。
「シンコン? 聞き慣れない言葉ですな。」
「神樹様のご神託なら、悪いものではないと思いますが、一体……。」
思わず花本と顔を見合わせてしまう。
「皆、深夜まですまない。神樹様から新しいご神託を頂いた。我ら大赦は神婚の儀を行う」
さっそく過激な愚か者が前のめりにそう宣言してしまった。
神婚。
神樹様と聖なる乙女との結合により、人類を地の神の眷族とする。
「それが……。」
「神婚、だと?」
本来であれば、御姿となった者が神樹様と結合するはずだが、すでに勇者様でも全てを守り切ることが困難となったために、提示されたのだという。
「神樹様までそのような……。」
さすがの乃木様もショックだったのか、言葉が続かないご様子。
それも止む得ないこと。
この3年間、人類を守ってくださって来た神樹様が犠牲を前提とした方法を示されたということは、本当に危険なのだろう。
(ここまでなのか? これが人の限界だとでも言うのだろうか。)
例えようもない無力感。
全てを吸いつくされたような虚無感。
屈辱さえも考えられない絶望感。
「神樹様のご神託であれば、それが正しい道なのか?」
「そんなこと言うな。友奈がいなくなったら……タマは、タマはイヤだぞ。」
議論の内容は同じだが、神樹様のご神託の影響なのか、神婚推進が優位になった感じだ。
今は過激な考え方と言うより、倫理的な側面で悩んでいるだけに思える。
(本当に神樹様の御意思だけで己で決めることなどできなくなっているのだな。我々は。)
思い悩むことなく正しい道を進めるのは、ある意味では幸福なのだろう。
もっとも、その幸福も長く続くものではないだろう。
いつか、上から押さえつけられることに不満を抱くものは出てくる。
「そうだ。天の神と意思疎通ができるのであれば、交渉できるのではないか?」
皆の視線が横手茉莉に集まる……ことはなかった。
彼女の姿はどこにもなかった。
「高嶋様のお姿も見当たらない。」
推進派も抗戦派もなく、その場は混沌と化した。
「茉莉さん、いったいどこまで? ぐんちゃんも連れてどこへ行くの?」
ゆうちゃんはそう言いながらも、ボクを拒絶まではしなかった。
きっとどうしてよいのか、未だ混乱しているからだと思う。
(それにつけこむようなやり方だけど、今は逃げるほうが良い。)
沙耶ちゃん――結城ちゃんはあの子にとってのゆうちゃんだから、今は沙耶ちゃんで良いはず――から神婚については、教えられていた。
だから、大赦の人たちが気づく前にあの場所を抜け出して来たんだから。
「貴方、高嶋さんをどうするつもり。」
「このままだとゆうちゃんは神婚の儀に参加するでしょ。だから、このままここから逃げます。」
「そんな、ダメだよ茉莉さん。そんなことしたら、天の神だけじゃなくて、神樹様まで怒っちゃう。」
ゆうちゃんは変わらない。
成長して、強くなって、前よりずっと可愛くなったけど、初めて会った時と変わってない。
だけど、今度は3年前とは違う。
今度こそボクはその手を離さない。
「それは大丈夫だよ。天の神、いえ、沙耶ちゃんは勇者と戦うことを望んでる。だから、期限までは何もしてこないと思う。あの子は人間に夢を見すぎなんだよ。」
諏訪での戦いのこともすべて教えてくれた。
だから、あの子は人類がいつか
そのために人類を最後まで追い詰めるつもりだと思う。
諏訪の時とおなじように。
でも、それはきっと叶わない。
だって、諏訪の人たちはほとんどが勇者だった白鳥さんのことをちゃんと知っていたけど、四国の人たちは勇者の戦いをほとんど知らない。
遍在し、世界中の出来事を近くして、時間旅行までできるようになったあの子にとって、"真実"は、それほど価値がないように見えてる。
その意識の差は埋められない。
だから、ボクもこの3年間ゆうちゃんと一緒にいたこの人のことさえ良く知らない。
「花本さん、大丈夫。はい、お水。」
「はあ、はあ、申し訳、ありません。郡さま。」
意外だったのは郡さんと巫女の花本さんまでついて行くと言い出したことだ。
ううん、ボクが意外だと思いたかったのかもしれない。
やっぱり、3年前のあの時、ボクも巫女として残るべきだったんだろうか?
そうすれば、沙耶ちゃんが天の神とならなくても済んだ?
答えはない。
だけど、沙耶ちゃんは、松永沙耶は、今生の天の神は、遠い私の子孫だと言う。
(もし、そうなら、本当に最悪の場合は、ボクにできることがまだ残っている。)
「変な声が聞こえた時はまさかとは思ったが、本当にいるとはな。」
角を曲がったボクたちの前に、あきれ顔で久美子さんがやってくる。
「天の神とやらに教えられたよ。お前たちを逃がしてやる。」
「どういうことですか、久美子さん! 私が逃げたら、天の神は攻めてくるんじゃないんですか?」
「ゆうちゃん、違うよ。それだけはあの子が考えていないことだから。」
このままだとゆうちゃんはあの子と戦う。
そして、今度こそ命を落とす。
もし、神婚が行われても、人類が残るわけじゃない。
それじゃダメだ。
だから、畳みかけるように言葉を続ける。
「今、ゆうちゃんがここで背を向けて逃げても誰も責められない。ううん、今度こそ私はそうして欲しい。そして、それこそが沙耶ちゃんを挫く唯一の方法になる。」
沙耶ちゃんが持つ前提を否定しない限りあの子は止められない。
どれほどの絶望をぶつけても、あの子はきっと超えてくる。
そうなるように、そうにしかなれないように、自分自身を改変してしまってる。
例えば、ロイエンケファリンと呼ばれる化学物質は多幸感をもたらす成分があったり、人間の脳にだって、側頭葉の内側にある扁桃体には心や感情に関係する部位がある。
まだヒト科の形をしていた時に、素粒子変換の度にそんなところを操作していれば、素人目にも普通ではいられなくなる。
だからこそ、ゆうちゃん達は"友達のためなら比喩ではなく命をかける"という前提から変えていかないと、あの子の根源的なところは止めようがない。
沙耶ちゃんはその前提に成り立っている。
例えその可能性を"知っていても"、意識的に無視しているくらいに、絶対的な前提条件。
「なるほど神樹と違って天の神とやらは人間くさいな。ちゃんと
そう言いながら、久美子さんがどこか楽し気に沙耶ちゃんが渡したキーで、車に乗り込む。
「これは面白いな。ほとんど現代の自動車なのに、SFの宇宙船みたいじゃないか。キーは同じところで良いか。」
久美子さんが自動車を始動させる。
といっても、エンジンの音も匂いも感じられない。
本当に何で動いているんだろう?
「ぐんちゃん。やっぱり戻ろう。若葉ちゃん達も心配してるよ。」
ゆうちゃんは未だ戻ろうとしている。
ボクは戻って欲しくないけど、戻るとしても大赦も少し頭を冷やした方が良い。
今の大赦は自分たちの手に余る事態に呆然として、判断能力を神樹様に依存しすぎている。
なにより神婚の儀がおこなわれるとゆうちゃんが犠牲にされてしまう。
「ダメよ。高嶋さん。今、戻ったら確実に神婚が進められるわ。」
それは他の人たちも同じだったみたいで、こんな時なのにホッとしている自分がちょっとイヤだ。
「私も反対だな。神婚なんぞもってのほかだ。」
「烏丸先生? どうしてですか?」
花本さんの疑問に久美子さんがあの時と変わらない笑みで告げる。
「その方が面白そうだからだ。」
その言葉には続きがある。
沙耶ちゃんは久美子さんにも教えていたんだ。
(沙耶ちゃんが苦手なタイプだと思ってたけど、それも”結城友奈”のふりだったからなのかな?)
確かにボクだけだと、ちょっとうまく説得できたか分からない。
「久美子さん、その言い方だと個人の意見だけに聞こえますよ。」
「あたり前だ。個人的見解だからな。」
この人は相変わらず、みんなを混乱させようとする。
でも、今回は付き合ってあげる暇はない。
「よく聞いて、ゆうちゃん。神婚の儀を行えば、人類は絶滅する。」
「ぜつ…めつ? そんな神樹様がそんなこと。」
そう、神樹様の感覚では違うかもしれない。
でも、あんなものは人類の絶滅以外なにものでもない。
「やれやれ、そんなにすぐにネタばらしすることないだろうが。仕方ない。私から説明してやろう。」
ため息交じりに久美子さんが神婚の詳細を説明する。
神樹様と聖なる乙女の結合。
この場合はゆうちゃんが選ばれる可能性が高い。
その結果人類は"地の神"の眷属となって、"
でも、考えればすぐわかる事だ。
永遠なんてありえない。
「その実態は人類が五穀となって地に満ちて、連綿と続いていくことだ。
考えることも、動くことも、感じることもなく。
私はそんなもの退屈でたまらない。
お前たちも誰のことも分からなくなるのはイヤだろう。」
久美子さんがそう説明を締めくくる。
悔しいけど、久美子さんはやっぱり説明が上手だ。
ううん、前よりも上手になってる。
「そんな…、神樹様がそんなこと……。」
ゆうちゃんの顔がみるみる青ざめる。
郡様も花本さんも、ゆうちゃんほどではないけど、ショックを隠せていない。
できれば、ゆうちゃん達にこんな顔をさせたくなかったけど、もう余裕がない。
「ボクたちは何も知らなかったんだ。でも、今なら、敵が誰かわかる。」
そうだ、沙耶ちゃんは敵なんだ。
どれだけ、ボクが作ったごはんをおいしそうに食べていても、ルリちゃんや十華ちゃんと楽しく遊んでいても。
諏訪でもそうだったように、最後は必ず自分の目的を果たそうとする。
例えどれだけ多くの人を傷つけても。
そういう子なんだ。
「それなら、私が天の神と戦います。それでもダメだったら、その時は……。」
「高嶋さん、まだ何も決まってないわ。私もようやくやりたいことができたもの。簡単に諦めない。」
「郡様、高嶋様……。烏丸先生。その未来は私も面白くありません。」
ゆうちゃんはキッパリとそう言い切る。
郡さんや花本さんも、力を貸してくれるみたいだ。
(良かった。ゆうちゃんは1人じゃなかったんだ。)
「まったく、お前たちは飽きないな。それで当てはあるのか茉莉?」
「まずは十華ちゃんを探します。」
「十華ちゃん? 誰ですか?」
不思議そうにゆうちゃんが首をかしげる。
一瞬だけ郡さんの顔をうかがうが、ほとんど変化はない。
やっぱり、十華ちゃんは、本当に誰も知らない子供だったんだと思い知らされる。
「郡十華。西暦に生まれる最後の勇者。100億に1度くらいの確率でしか四国にたどり着けない貴方の姉妹。まずはあの子と合流しましょう。」
人間としての彼女はただそれだけ。
でも、天の神の視点から見ればまた別の側面がある。
そのうち1000億に1度は天の神の使徒となる子。
神世紀300年の間、沙耶ちゃんとともに行動してきた彼女なら何かを知っているかもしれない。