「ゴメンね、トレーナー。ここまで全然勝てなくて」
──そんなことはない。勝たせられなかった自分の責任だ。
「一生懸命トレーニングメニューも考えてくれて。何とか戦えるように距離とかレース場まで考えてくれて」
──ダメだ、それ以上聞きたくない。
「それでも、他の子みたく抜け出していくのはアタシには出来なかった。ただそれだけだよ」
──嫌だ、それ以上言わせない。今までの方法ではなく、他ならまだ出来る道があるはずだ。
「それでもダメなんだよ。トレーナーなら分かるでしょ? アタシと契約してもう2年目、夏も過ぎたアタシにはもう、『走る資格』がないんだ」
契約して2年目、そして秋を迎える。それまでに勝っていないウマ娘がどうなるか、トレーナーとして分からない訳ではない。
「アタシはさ……ダメだったけど、トレーナーさんはこの先があるから。だから、だから……」
「──ありがとう、トレーナー。そして、『さようなら』トレーナー」
「──また、あの夢か。あの子はまだ元気でやっているかな……」
いつものように酷い夢を見た。トレーナーとして初めて担当した子の出来事が今になっても思い出す。上手く眠れず疲れの取り切れぬ身体を無理やり起こし、身支度を手早く済ませる。備え付けの棚が若干高いから背伸びをしながら荷物を準備するのが毎日の仕事の準備で少し辛いところだ。いつも通りの仕事服を着用し職場へと向かう。見ていたのは、新人の頃に初めて担当をしたウマ娘の最後のシーン。トレーナーとして担当を初めて受け持ったからにはG1勝利も夢がないと信じていたのが、何時しかG1入着、G2勝利、G3勝利とだんだんと目標が小さくなっていき、結果としては何も残せず彼女は退学にするまでに。俺はトレーナーとして何も残せず、何も与えられなかったことが、今でも脳裏をよぎる。
「──ありがとうございました!」
直接担当を持つことをやめ、まだ未デビューの子を担当する教官業に仕事を移してもう十年。今日も30人ほどのまだトレーナーからのスカウトを受けていないウマ娘たちが、一人でも多く契約できるようにサポート続ける日々。当時入ってきた同期達も今やG1ウマ娘を多数輩出する名トレーナーだ。ウマ娘たちを見送りつつ、日課のようにしている三女神像へお参りするために、歩みを進める。
「──あの子は、まだ元気にやっているのかな。あれからろくに連絡も取れていないし。知り合いの地方のトレセンに所属している友人にも聞いたけれども見たことないって話だし。どうかまだ元気で居ていますように」
目を閉じて祈る中、担当とも一緒に来ていたのを思い出す。彼女と過ごしている間レースに負ける度、悔しい思いをしてきた度、もっと良くなろうと思ってお祈りをしてきた。結果としては全く振るわなかったが、お互いに少し気持ちの拠り所が出来ていたのがありがたかった。契約が終了してからはもう一度も連絡を取れていない。いや、連絡を取る勇気が出ないのが正しいか。離れてしまった彼女に対して、どんな声をかければいいのだろうか。もしトレーナーとして彼女以外の別担当を持っていたら、もし新しい担当と勝利を重ねていれば、軽蔑されるのか、侮蔑されるのか、嫉妬されるのか、後悔されるのか。彼女はそんなこと思っていないかも知れないが、支えて来たものとしてもっと出来たのではないかと思う事が多い。
トレセン学園でも象徴的な場所である三女神像前で、トレーナーバッチを握りしめながら祈る。今更できない後悔と謝罪感を持ちながら。
「──もう一度やり直せれば良かった。だけど、そんな時間だって戻っては来ない、もしあの子とトレーナーの関係じゃなく、同じウマ娘だったら。少しは喜びや、悲しみ、悔しさも。もっと分け合ってこれたのかな」
トレーナー室に戻り、日課物を終えると、元担当との忘れられない思い出を浮かべつつ一人愚痴る。レースもやった、トレーニングもやった。だが唯一出来ていなかったとすれば、彼女にライバルになるような存在、支えてくれる友人になれる存在がトレーナーとして準備できなかったこと。もしそんなことが出来ていれば、少しは未来が変わっていたかも知れない。ありもしなかった未来を思い描き、就寝するのだった。
──夢を見ていた。ゲートの中にいる自分を
──ゲートが開き、走り出す。懸命に走るが、周りには追い付かない
──晴れている日、雨が降っている日、芝がぬかるんでいる日、様々な状態でも走り出す
──だが絶対に前に追い付けない、一着になれない。この光景は余りにも辛く、残酷だ
──でもこの光景をどこかで見たことがある
──これは、俺が初めて担当したウマ娘の……
最後の光景を見る前に、完全に意識が沈んでいくのだった。
「──また、夢か……ちょっと声も変だし、風邪でも引いたかな?」
寝起きは昨日と同じく悪い。しかも換気のために少し開けていた窓が閉め切ってなかったようで風邪気味なのか若干声が高くなっている。教官として教える立場にあるというのに、情けない。確か風邪薬が戸棚に置いてあるはずだから飲んでから仕事に向かおう。最悪の場合は、知り合いに頼んで2-3日見てもらうことにしよう。
「確かここに薬箱が……使うことも無いしちょっと高い位置に置いちゃったから出すのが大変……じゃないな。普通に見えているな、薬箱」
備え付けしている棚の上段から薬箱を取ろうとする。そもそも風邪や怪我などあまりしないため、ただでさえあまり使わないものは上に追いやるのがここで仇になった。流石にちょっと踏み台がないと大変か。そういえば近くに椅子も置いてある。そこの椅子を借りれば余裕で届くはず、なのだが目の前に薬箱が見えている。おかしい、目の前に見えているのが買ってから全く使っていない薬箱に見える。どうした急に、となるしかない。まるで周りが小さくなったというか、それとも逆に急な成長期が来たのか。まあもうアラフォーが近づいてくる人間に急成長期なんてきたら、それこそ驚きだ。多分まだ夢を見ているんだろう、早く顔を洗って目覚めさせなくては。
「ふう……流石に顔を洗うとスッキリ…………誰だ? この子……悪い夢でも見ているのか?」
顔を洗って目を覚ます。多分寝起きだから目が慣れていないか錯覚だろうと、顔を洗う。出てきたのはいつのもふがいない顔……ではなく見知らぬウマ娘の顔が。久しぶりにここまで近くでウマ娘の顔を見るとドキッとする。やはりいつ見ても、目鼻立ちが良く、美人が多いと思う。
「誰か俺の部屋に入って……喋ると鏡の中の子も反応するし、考えたくはないんだが……」
その場にある要素を何とか否定しようと、顔を抓ったり喋ってみたりするが見事に反応する。ここまでやったんだ、もう考えなくても分かる。
「──ウマ娘になった……ってことか? 嘘だろ……これからどうするんだよ」
人間男子のトレーナーではなくなり、かわいらしいウマ娘に生まれ変わってしまったと。
これからどうやって周りに説明するか、仕事もどうするか、全く決まらない。考えて、考えて、考えて……考え付いた先は。
「──取りあえず二度寝しよう。ちょっともう色々と……追い付けない」
一先ずの判断を先送りにする現実逃避。知り合いに今日練習は頼むってメッセージだけ送信し、気疲れもあることから、もう一度ベットへ戻ることにしたのだった。