弥生賞よりも時は流れて、四月上旬。出席はしていないが学年も一つ上がり、4月からは中学三年生に値する。ここからクラシック級に進んだウマ娘達が激しいクラシック三冠、トリプルティアラを目指して活動していく。当然俺とアンカーで狙うのは王道のクラシック三冠、最も速いウマ娘が勝つとされる『皐月賞』最も運のあるウマ娘が勝つとされる『日本ダービー』最も強いウマ娘が勝つとされる『菊花賞』春から秋ごろまでかけて戦う長い道のり。その第一冠目だ。
一般的には、春先で能力が一つ伸びているから速いウマ娘が勝つとか何だとか、まことしやかに言われている。でも実際は日本のトゥインクル・シリーズではなく、海外のトゥインクル・シリーズで出ていた格言のようなものだ。だから日本で直接当てはまるかと言えば、半分くらいが当てはまるくらいな気がする。それでもメディアや一般論でも長く定番になってしまったため、クラシック三冠を例える時に頻出している言葉ではある。
「──それで、結局今日も大雨なんだね……走ってるときは良いけど濡れるの嫌だからなあ」
「『てるてる坊主大作戦』は失敗だったね、でも雨が似合う良いウマ娘だって評判になっているから! 大丈夫大丈夫!」
それでいいのかと聞きたくなるが、諦めた。今までのレースで、いい天気で走ることも出来ていなかったため、レース2-3日前からいっぱいのてるてる坊主を作って太陽を呼び込むおまじないをしていた。そのおかげか、前日のお昼過ぎぐらいまでは久しぶりに晴れた良馬場のコースを走ることが出来た。しかし夕方からはどんどん雨脚が強くなり、今までの好天が一気に吹き飛ぶくらいの大雨が降るようになってきた。
練習を切り上げた後で、追加でてるてる坊主群を作って天気が落ち着くのを願ったが結局のところ、無駄であった。俺たちが寝る少し前には一旦雨が上がったものの、朝からまた大雨。レース前には普通の雨脚ぐらいには戻ってきたことと、雨以外は特に天気が荒れていないこともあって予定通り皐月賞が行われることに。
「けどやっぱり凄いよね、大雨になっても中山レース場にはいっぱいお客さんが入ってくれてるみたいだよ? これもクラシックパワー! ってやつなのかな?」
「──別にそんなことは無いと思うけど。でも憧れとか期待があるんじゃない? 例えば、今年は三冠ウマ娘が出るのかなんて」
「たしかに! でもみんなのことを応援してくれる人が多いのは、G1レースって、クラシック三冠レースって華があるんだろうね。出てくれてありがとう、頑張って」
『出てくれてありがとう』それがアンカーがトレーナーとして喜びと感謝を伝えている言葉だったのか、自分の脚ではこんな舞台には並び立つことの出来なかった彼女を、俺が連れてきたことに関する言葉なのか。今の自分には判断が出来ないものであった。
「──行ってくる」
それでも俺にとっては嬉しい言葉だ。あの子に見せられなかった夢を、未来を、希望を。彼女の旗印になれればと、歩み始めた道なのだ。どんな困難があっても乗り越えなくては、そう決意しながら控室を後にする。目指すはまず一冠、皐月賞を取るために俺はこれから決戦のレース場へと向かっていく。
「いやあー久しぶりだねえ、また見ないうちにおっきくなった? 気のせいか!」
「久しぶりって言ってもメッセージアプリで頻繁に連絡してくるじゃないですか。アジアタメンテさん。実際にあったのは、確かに久しぶりですけど」
先にパドックを終えていたアジアタメンテさんとすれ違う。若干濡れた勝負服を見せながら、随分久しぶりだと話を切り出す。そう言っても、俺はアジアタメンテさんとはメッセージアプリでやりとりはしていたのだった。一方的に連絡先をアンカーがアジアタメンテさんに伝えていたことがやり取りのきっかけだった。おかげでほぼ毎日何らかのメッセージが送られてくる。そして絶え間なく、夜の間でも永遠通知がピコンピコン鳴るから、ミュートしている。
「──パドックも終わったんですし、レース場に向かわないといけないんじゃないんですか? 『スプリングステークス』ではパドック後に失踪したとか何だとか」
「いやあ失踪はしてないよ? ちょっと散歩しよっかなあって色々回ってただけだから」
「それを失踪って言うんだよ……ほら早く行きなって」
そう急かすように告げると、アジアタメンテさんをレース場に送り込んできた。係員さんにも呼ばれるし、速やかに自分もパドックへと向かわなければ。取りあえず見た目が変になっていないかも多少確認しつつ、パドックへ足を進めるのであった。
パドックアピールも終え、レース場へと足を進める。うん、いつも通りの重く絡みつくような足元だ。ここまで来ているようなウマ娘達に、前回の弥生賞のような不良馬場だからあまり伸びないなどということは無いだろう。実力はみなある、それが今から始まる一発勝負のレースで発揮が出来るのか。ただそれだけの話である。他のウマ娘たちも同様に足元の感覚を確かめていると、レースが間もなく始まるため、ファンファーレが鳴り響く。各ウマ娘がそれぞれゲートに入っていく。
「もっとも『速い』ウマ娘が勝つとされる皐月賞! クラシックの舞台で成長を見せつけるのは誰だ!」
「例年になく雨で重馬場のレース場ですからね。スピードとパワーが必要になってきますよ?」
「今回18人のウマ娘の中でダントツの一番人気なのが7枠14番のルーラーノーツにほぼ並びかけている二番人気、1枠1番のアジアタメンテですね!」
ウマ娘達によってすんなりゲートイン出来る子、ちょっと入りにくい子、そもそもゲートにすら行きたくない子など色々といる。ゲートインするその場繋ぎ的なレース場の実況解説も見ものではある。
一番人気と二番人気は俺とアジアタメンテさんらしい。今までのレースに勝ち続けていれば当然人気も上がる、そしてアジアタメンテさんも俺に一番迫っていることを考えると二番人気で当然だろう。集中力を切らさぬように実況の音声に耳を傾けていると、全員のゲートインが完了した。
──皐月賞が、これから始まる。
「──各ウマ娘一斉にスタートいたしました! 期待を背負った一番人気のルーラーノーツですが、先行ウマ娘達での好位置争いで現在5番手から6番手の位置取りです! そして……アジアタメンテですが、珍しいですね。ルーラーノーツの目の前に陣取るような状態です。何かの策なのでしょうか?」
「どうでしょう……今の時点では何も言えないですね。ですが、他のウマ娘達のペースを乱すような目的などもありえそうですね」
いつも通り問題なくゲートから飛び出すと、内枠にいた逃げウマ娘を目星にしながら先行集団グループへ滑り込んだ。現在逃げウマ娘3名が先頭グループを作っているため、4から8位までの5人で二番手先行グループを作り上げている。俺は今のところ先行グループの中で2番手の位置だ。そして何よりも意外なのが、普段は追い込みや差しの脚質をしているアジアタメンテさんがすでにこの位置にいることだ。そして快調に飛ばしている。こんな風に普段とは違う走法で気持ちよくハイペースになっていると『掛かって』しまいそうだ。ほぼ聞いてはいないが、ペースを乱す目的で何とかとか解説の人が言っている気がする。自らのペースをしっかりと保ちながらも後ろから圧力をじりじりとかけていく。レースの前半はあっという間に過ぎていった。
第二コーナーを周り、一気に下りながら向正面を過ぎて第三コーナーに突入していく。このあたりからだろうか、他のウマ娘達が急にペースを上げてきた。恐らく理由は普段追い込みで走るアジアタメンテさんが先行好位置でいるのを捉えに来たのだろう。後は主に俺がアジアタメンテさんに向けて圧力を掛けていたのだが、居ても立っても居られないのか、逃げウマ娘達がいつもよりも早い位置でスパートに移ろうとしているのが見えたことだろう。
だから早めのスパート……と考えたいが、ペースが早すぎる。このまま行けば少なくとも4-5人は最終直線でガス欠しそうな予感が高い。無理なハイペースになってきているが、好位置キープをしないと他の先行グループや前方の逃げウマ娘達を捉えられない。何とか耐えながら第三コーナーを曲がり第四コーナー、そして最後の上り坂へと向かう。
「さあ第四コーナーを回って先頭グループから抜け出す子は出て来るのか! 二番手の先行グループでは早めにスパートをかけた後方ウマ娘達との密集状態だ!」
「今回は重馬場ながらもかなりのハイペースですからね。コーナー終盤からが本番になってきそうですよ?」
第四コーナーを過ぎたあたりでアジアタメンテさんがまた更に加速した。すかさず俺も合わせるかのように加速していく。他のウマ娘達もラストスパートに向かっていくが、レース中盤付近でスパートに向かっていた一部のウマ娘達は伸びてこない。またラストスパートができるウマ娘達でもペースが遅くなりがちな重馬場でかなりのハイペースになっているからか、隊列が縦方向から横に広がってきた。遠心力も働くからか、前方にはスペースが出来上がる。そこに上手く飛び込んでいく。最後の短い上り坂の直線勝負だ。
「──さあ第四コーナーを過ぎて最終直線! どのウマ娘も混戦状態ですが、ここで抜け出してきたのがアジアタメンテとルーラーノーツ! アジアタメンテが先頭で大波乱を起こせるのか!」
最終調整に入ったタイミングで先頭がアジアタメンテさん、二番手が俺だ。今までとは違う追い方になっている。後ろからアジアタメンテさんを追いかける形に、先行していたのが追う側に。この変動は俺にとってもあまり経験が無かった。なんせこれまでのレースは逃げウマ娘に付いていき、タイミングよく突き放す。よくある勝ち方を丁寧になぞっている。だからこそデビュー戦のような出遅れや、今のように追いかけるシチュエーションは未体験だ。
──追い付けない。息も上がってきて、脚も重くなる。『もう諦めてしまおうか』そんなような気持ちも湧いてくる。それでも走り続けるのだ。目の前にいるあの子に勝ちたい、アンカーに勝利を届けたい。その一心で動き続けているが限界だ。足が止まりそうになりながら進んでいる。ダメだ、追い付けない。そんな暗く重い、沼のようなものに引きづりこまれそうになった時。目の前の景色が変貌した。目の前に見えたのは大荒れの海。その海の中を小さな船に乗っている俺が進んでいるように感じた。もうダメだと感じる、その中で少し先に光が見える。目の前に見えた光を求めて、先に進もう。
──一歩踏み出す
少しずつだが、動いている。
──二歩踏み込む
思いが力となって、伝わってくる。
──三歩蹴り込む
身体の中に火が灯る、俺を動かす動力になる。
──四歩蹴り出す
動力が廻り、もう一度勝利に向かって進みだす。
──五歩走り出す
目の前の勝利に向けて、最後の末脚を伸ばしていく。まだ終われない。今までのことと、あの子の夢をかなえるために、こんな三冠の一つを取れないだなんて許されない。あの子のために、今までの時間を取り戻すために、進むのだ。
時間にしてほんの数瞬であっただろう。わずかな時間と感じた内容が、今の自分にはとても長いものに感じた。あの瞬間に見た景色、あの景色を見た後に沸き立ってきた思いのおかげで、先ほどまでの脚の重さが嘘のように軽い。スポーツ選手でいう、ゾーンのようなものを見たのだろうか。僅かに見た風景が、そこから進んでいくビジョンが今の活力になっている。まだアジアタメンテさんとの距離は離れていない。最後の最後までふり絞る。そうしてふり絞り、走り続ける脚は、少しずつ目の前との距離を詰めていく。一歩ずつ、確実に。
「──先行していたアジアタメンテに、ルーラーノーツが一馬身、半馬身ドンドン近付いて来る! 最後のゴール板で僅かに交わして差し切り勝ち!!」
「──雨の中走り抜けた皐月の舞台を制し、見事三冠の一角を手に入れた!」
本当にゴールする直前、ようやく先行していたアジアタメンテさんに手が届いた。そして少しばかり先行してのゴール。アタマ差、いやクビ差程度だろうか。
そんな事を少しだけ考えていると、先ほどまでの急な勢いで走ったせいか、一気に疲労感が湧いてくる。気分が悪く、意識が飛びそうなほど重く圧し掛かってくる。レース場を抜け、何とか地下バ道まで向かい、観客の目の入らないところまで辿り着いた辺りで、体力が限界となり倒れこんだのであった。