秋の空を高く感じるのは空気が澄んでいて雲が生成されにくく、されたとしても高い位置に出来るからである──────────―そんな事を思い出しながら、輝雄は美しい自然に囲まれた清流の沢で釣竿を垂らしていた。
横にはつまらなそうに古明地こいしも釣竿を垂らしていた。二人で座っている岩場から見える魚は元気に泳いでいるが、今のところ針に喰いつく様子はない。何なら釣りを始めて一時間が経過しているが喰いつく気配が全く無い。これには太公望も苦笑いするしかないだろう。
「……………………」
「………………ねぇ」
「……………………」
「…………ねぇってば」
「……………………」
「もしもーし? 聞こえてる?」
「…………聞こえてるよ」
こいしに顔を向けずに片手で巧みに竿を操り、釣り糸の先の針を手元に戻す。先程の着けたエサはそのままになっている。輝雄は以前から何度もこの辺りで食費節約の為に釣りを行っているが、珍しく今日は釣果が芳しくない────────―というか皆無であった。
「釣れない…………なんでだよ。お前の能力考えたら気配皆無で、すぐ食いつくはずだろ」
「さぁ? 気配が無さ過ぎて針に気づいてないんじゃない?」
「ふーむ………………自分を中心に一定範囲内の生物を無差別に意識を操作し、自分と自分の持ち物等にも意識を向けないようにするってわけか………………まるでアサシン、しかもまだまだ伸びしろありそうだな」
「なのにどうして貴方には効かないの?」
「手の内を明かす程自信家じゃない」
念の為に新しい餌に付け替えてもう一度清流に投げ込む、魚は見えているのだ。続けていればその内釣れるだろうと、楽観的に考えて輝雄は釣りを続ける。釣れるも一興、釣れぬも一興、そこまで切羽詰まっているわけでは無いのだから、ただ穏やかな心持で望む。
「………………飽きたー、つまんないーつーまーんーなーいー!」
「あっそ、竿は横に置いといてくれ」
しかし隣にいるこいしは、そんな太公望ごっこに飽きたのか針を戻して釣竿をしまう。元から輝雄が釣りに誘ったわけでは無い、休日だがやる事も無く、修行も過ぎれば毒となる。なので暇つぶしに釣りに出かけようとしたところバッタリ出くわしてついてきた。
以前の寺子屋の一件以来会っていなかったが、どうやら人里にすらいなかったらしい。何でも久しぶりに実家に顔を出したのだとか。尤も姉以外気付いてもらえなかったらしいが、いや気付いていたかも知れないが忘れたのかも知れない──────誰にも古明地こいしは認識できないのだから。
「釣りはつまらないか? 別に無理して付き合わなくてもいいぞ」
「……………………いいんだよ、あちこち放浪したけど皆私には気づかないから。話せるだけまだ良い方だよ」
言いながら古明地こいしは輝雄の背後に回り、背中にもたれかかる。背もたれ代わりに使われる輝雄だがこいしの体格と体重から全く辛いとは思わない為、特に気にせず釣り糸に集中する。相変わらず泳ぐ魚は食いつこうとしない、『こりゃボウズだな…………』と覚悟していた彼にこいしが話しかける。
「ねぇ? 貴方は孤独なの?」
「いきなりなんだ」
糸の先の小さな浮きが、水流に翻弄されるのをながめていた輝雄は振り向くことなく聞き返す。古明地こいしの表情は彼には分からない、しかしその声はどこか疑問以上の感情が含まれているように彼には思えた。
「別に、暇だったから」
何でも無い様に答える、別に噓では無いのだろうとも思う。しかし考えてみれば妖怪と言えど、周囲から一切観測されないというのはどういう物なのか。孤独、孤高、自己だけで完結した世界、それが彼女の日常だった──────―輝雄が現れるまで。
さして広くない寺子屋の教室でも気づかれないステルス能力、何年、何十年、何百年、そんな環境で生きてきたのか。輝雄はふと考え始めれば、後ろの少女の精神性は妖怪である事を差し引いても、かなり異質なのかもしれないと思い始めていた。
それは決して、彼女の身を案じたり、同情したり、憐憫を覚えるような情動では無かったが、それ故にその経験から生まれた価値観に興味沸いた。
「………………孤独なのかもな。苦じゃないし、それで人より劣ってるとは思わないが」
孤独の定義にもよるだろうが、成程確かに自分は孤独なのだろうと輝雄は考えた。両親とはとっくに死別し、友人らしい友人などおらず、数少ない人間関係も幻想入りして真っ新になった。さりとてあまり気にしていない………………それは達観というよりも彼の気質によるものだが。
「友達いないの?」
「いないな、少なくとも今は」
「寂しくないの?」
「考えたことも感じたことも無い」
気安く頼れるような人間は周りにはいなかった。それが彼にとっての日常、普遍的な事。何かと不便であったし、人とのコミュニケーションや協調性といった点で人として劣っている、と言われれば『その通りだ』と彼自身思うが、不思議と全く寂しくは無かった。彼自身、そういう考え方感じ方だから馴染めなかったのだろうと考えている。
「……………………変わってるね」
「俺に言わせりゃ友達がいない位で落ち込む奴の方が理解に苦しむよ、生きることの目標は友達作りじゃなかろうに。そんな幻想小学一年生で捨てておけ」
後ろから掛かる声に応えながらもう一度針を手元に戻してみる、やはり餌は付いたままで食いついた様子は無い。もう一度餌をつけて清流に放り込む。
「……んで? お前は?」
「………………わたし?」
「俺は俺について話した、お前も何か話せよ。何でもいい、魚が食いつくまで話してくれよ。贅沢は言わん、愚痴でもいいぞ」
餌が付いた針は水面に沈み、浮きはゆらゆら浮かぶ。沢の水が流れる音、周囲の木々から聞こえる動物たちの鳴き声、秋の初めまで生き延びた蝉の声、耳を澄ませば聞こえる自然の合唱。
幻想入り前に住んでいた田舎町以上に、自然が溢れた幻想郷だからこそありえる、数百年前まで日常であったろう日ノ本の原風景────────彼は、何故か懐かしい物を覚える。
ただ静かに景色の郷愁と自然の合唱に心を預け、こいしが話し出すのを待つ、別に話さないのならそれでも良かった。
「孤独………………そうだね、誰にも気付かれない寂しさを孤独って言うなら私は孤独
「だった?」
「ふふ、お兄さんが最初かもね。目を閉じた私に気付けたのは」
「流石に過言じゃねぇか? 人間はまだしも妖怪なら気付いてた奴も──────」
「過言じゃないよ。第一お姉ちゃんでも私の事を把握しきれないのに、私の事を知りもしない赤の他人がどうして私を補足出来るの?」
「………………」
環境や成り行きもあるが、『自分』を一貫させて孤独になった輝雄。
第三の目を閉じ、周囲に馴染もうとして孤独になってしまったこいし。
結果は同じでも辿った過程は違う。輝雄は飽くまでも自分を貫いた事により自己の一貫性と自己満足などを得ているかもしれないが、こいしには何も無い。妖怪としての武器、或いは存在意義にも等しい瞳を閉じてなお、彼女は自己満足すら手にしていない。
「………………不思議、今までこんな事考えたことも感じた事も無いのに、今だけは地に足がついているみたいに意識がはっきりしてる。これもお兄さんのせいかな?」
「…………さぁな」
輝雄は思う、自己という存在を際立たせるものは良くも悪くも他者である。他者と衝突し、苛立ち、気に喰わないと感じる、
もし、古明地こいしにはそれが全く無いのだとしたら──────────―それはたった一人、世界に取り残されたようなもの。他者なくして自己の境界は有り得ない。
(俺ですら、親しい奴がいないだけで他者の交流はあった……………………まともな精神が保たれている今が奇跡。いや自覚が無いだけでも、もしかしたら──────)
──────―果たして、世界に自分以外いないのだとしたら、誰が己の正気を保証するのか。
「…………どうかした?」
「いや、何、存外妖怪にもアイデンティティの確立とか。そういう苦悩があるんだなと」
「アイデンティティ、ね………………ねぇ、私ってどうすればいいのかな」
「…………『どうすれば』か、お前は『どうしたい』んだ?」
ぼんやりとした問いかけに具体性を求める、輝雄は彼女が言葉にせずともある程度は理解し始めていた。瞳を閉じた理由は恐らく孤独から逃れるため、心を読まれるという行いを好むものは居ないだろう、精神に依存し気高い妖怪なら尚の事。精神的な弱みを握られる事は妖怪にとって最も忌避する事と言っても過言ではない。
彼女の返答待っている内に糸の先の浮きが流れに逆らい、緩やかに上下する。それを目にしても輝雄は特に反応せず、寧ろ音を立てないように竿を手繰る。糸の先は好きなように操られる。そうしているうちに蚊の鳴く様な声で小さく、こいし言った。
「…………………………わからない、わからないけど………………寂しいよ………………」
「………………」
────────―はっきり言って嶋上輝雄という人間は、その思考回路も価値観も異常者の類である。
普通の人間は妖怪と殴り合いをしたりしない。
自分を殺そうとした相手と仲良くしたりしない。
出来るだけの力があるとしても拳で生き物を挽肉などにしない、例え襲い掛かってきたのが妖怪だったとしても、躊躇わず実行できるのは極少数だろう。
────────―他者と共感しない出来ない孤独を気にしない孤高、
そんな彼が曲がりなりにも外の世界でまともに生きれていたのは学習能力の高さと人と積極的に関わろうとしないが故に他者に迷惑をかけることが無かったからだ。間違っても人を導いたり、悩みを解決する事に向いている性格でも無ければ、優しい人間性も持ち合わせていない。
────────しかし
「──────―まぁ、なんだ、俺にしてやれることは多くないだろうし円満な解決方法なんて思いつかないが、暇なら遊びに来い。今度はちゃんと菓子位用意しとこう」
決して邪悪でも無ければ、自分本位で他者の心情に疎いわけでも無い。
飽くまでも彼自身の尺度で、実感では無く機械的で血の通わない様な思考回路かもしれないが、拙くとも彼なりに考えてはいる────────でなければ、きっと先輩と呼び慕う後輩など出来る筈も無い。
「能力の精度を向上させるとか、操作性を高めるとか。或いは俺がいる事によって他者への認識にも何らかの影響があるかもしれないしな、案外何とかなるかもよ?」
「……………………どうしてそこまでしてくれるの? 貴方は妖怪が怖くないの? 嫌いじゃないの?」
「
害の為すのなら分け隔てなく対処する、そこに種族など関係ない。ある意味では彼は博麗霊夢に近い感性を持っている。
少し違う点があるとすれば霊夢は浮いているが故に、誰にも肩入れしないから平等。
輝雄は飽くまでも尺度の中核に強固な自我があるが故に、自他共に公平に審判する。
咲夜は輝雄を殺そうとした、それ故に輝雄は女でも容赦なく顔面を殴りぬいた、故に輝雄の中ではイーブンとし水に流した。
フランは輝雄を死なせてしまう所だった、しかし元を糺せば輝雄が迂闊に血を吸わせたことが原因である、故に輝雄は命を落とすとしても責任を取る事にした。
──────―そこにあるのは寛容でも善性でもない、ただの応報。
「でも忘れるな、俺は人間でお前は妖怪だ。もし人里に危害を加える様な事があれば、
「…………優しいのか厳しいのか、わかんないね。貴方は」
こいしは立ち上がり輝雄の背中から重みが消える、スカートの汚れをはたき落とし。黒い帽子を着けなおす。二人で座っていた大きな岩から飛び降りる。
「今日はもう帰るね。あと、お姉ちゃんとかにも貴方のこと話しておくわ。いつか私の家に招いてあげる」
「そーかい、じゃあな。暗くなる前に帰んな」
「夜は寧ろ妖怪の本領だよ」
じゃあね、と手を振りながらこいしは森の中に消えていった。決して彼女の苦悩を解決したわけでもなく解決出来る自信があるわけではないが、今度能力の制御についてパチュリーに聞いておこうと輝雄は脳内に留める。
こいしが居なくなり、再び自然の音に包まれた静寂が戻ってくる。手ごたえを感じなくなった竿を持ち上げて、糸の先の針を手元に戻す────────針の先には餌は無かった。
「……………………結局、ボウズか」
こいしがヒロインの小説って何故かバットエンドやビターエンドが多いですよね、好きです。
後輩もそうですけど、いつになったら出るんですかね、作者にもわからない(笑)