ちょいと日常回を挟んでから次の異変に突入します。
第三十七話 捨てる神あれば
自然は循環している。
質量保存の法則やエネルギー保存の法則で、この星のあらゆる物質は常に一定量である。無論厳密に言えば、宇宙から飛来したり逆に飛んでいったりして多少の増減はあるが。
詰まるところ何を表しているかと言うと────────
「雨…………だね」
「雨…………ですね」
「…………土砂降りだね」
「…………土砂降りですね」
────────春雪異変の影響か、梅雨入り前に凄い雨が降っている。香霖堂の窓から輝雄は外を眺める、十メートル先も見えない勢いだった。
西行寺幽々子が起こした異変、春雪異変。異変が解決すると同時に吹雪は止んで雪は溶け始めた。当然雪は地面に染み込み、川に流れて、蒸発して雲となる。だが量が凄まじかったのか、晴天が続き油断していた時に限って雨が降り始めた、まるで台風の様な豪雨だった。
「霖之助さん、傘売ってません? 今なら多少ボッタくられても買いますよ」
「僕としても売り時なら売り切りたいんだけど、生憎この店は珍しい物しか置いてない。
外の世界の傘は素材は兎も角、構造とかは幻想郷のと大差ないからね。残念ながら置いてない、因みに言うと僕は雨の日は出掛けないから傘を貸せない」
「マジかよ…………濡れたくねぇー……休日の雨はウザ過ぎる、ギザウザす」
「よく分からないけどニュアンスは伝わった」
無い袖は触れぬと、霖之助がお手上げの所作を取る。輝雄にはそれが死刑宣告にも等しかった。無論雨に濡れたからといって特にどうなるという訳では無い、彼の頑丈さなら風邪をひく事の方が難しい。
────────ただ純粋に面倒なだけである。何なら大妖怪と戦う方がまだ、彼にとっては精神的には楽まである。
「別に止むまで居てくれて構わないよ? 君はお得意様だしね」
「そうしたいのは山々なんですけど、仕事溜めてるので帰ったらやろうと思ってたんですよ。夜まで止まないなら徹夜コース」
「…………君、運が無いね」
「自覚はあるんで言わないで下さい」
巡り合わせの悪さにゲンナリしながら彼は考える。土砂降りの中駆け抜けて家まで帰るか、それとも止むまで待つか。既に店主は興味を無くしたのか読書に勤しんでいる、他人事とは言え愛想が無い。
(俺が走れば五分もかからないけど……まず間違い無く全身ずぶ濡れだよな…………でもこれが最近まで冬が続いた事による影響なら短時間で止むとは限らねぇか…………)
窓の外を見ながら考えているが雨はまるで勢いを落とさない。通常の夕立ちならすぐに止みそうなものだが、ここは幻想郷。常識とは違う事はよく起こる。雪が止まない異変から、今度は雨が止まない異変という可能性も無きにしもあらず。
輝雄は寺子屋の仕事が終わらず、明日を迎えた際の慧音や子供達に言い訳を考え────────それが教師の理想像から離れていると至り、ため息と共に覚悟を決めた。
「はぁー………………いいや、走るかぁ……帰ったら速攻で風呂沸かそ」
心底嫌そうなため息を吐いて、香霖堂の扉を開ける。それだけで軒下だというのに飛沫がかかりズボンの裾が濡れる。躊躇えば躊躇う程濡れると思い、いざ走ろうとした時────────
「…………あ、傘だ」
────────扉の反対側に、古い唐傘が立て掛けられていた。
♢
『霖之助さん、傘あるじゃん。貸してくださいお願いします』
『え? いやそれ僕のじゃないよ…………まるで茄子だな…………拾った覚えも無いな。商品じゃないし、いいよ、使えば? 妖怪の持ち物かも知れないけど』
『その時は誠心誠意で謝ります』
『話す事も出来ず襲われたら?』
『その時は全身全霊で殺します』
『君って案外結構狂ってるよね』
店主とそんなやり取りの後、運良く誰の物とも知れない置き傘を使い。韋駄天も追い越す速さで家まで輝雄は直行した。この時ばかりは自宅が郊外にある事に感謝した。
「くそ…………まぁ傘あっても多少は濡れるか、大分マシだけど」
自宅に着いても豪雨の勢いは落ちず、足元はびしゃびしゃだった。しかし意外と唐傘が大きかったので、膝から上はあまり濡れずに済んだ。靴と靴下を脱いで足を拭き、風呂を沸かす準備をする。
「……よし、この時間なら九時には寝れるな。太刀の鑑定でまさかこんな事になるとは……」
腰に佩いていた太刀を抜いて、妖夢がくれた刀掛けに西行の太刀を置く。白い桜の花弁が舞う模様が黒い鞘を映させており、芸術品としても一級品の太刀。しかし鑑定した割と何でも欲しがる霖之助をして────────
『────────すまないが、これは買い取れないよ』
『いや別に売る気はありません、どういう物か見てほしくて…………』
『あぁ、そうなのかい? なら、いいけど』
霖之助が注意深く、西行の太刀を鑑定した後なるべく触らない様に輝雄に太刀を渡す。刀身は瘴気を纏う様に薄っすら赤く、波打つ刀紋は触れるだけで手首を落とせる鋭利さを感じさせる。
『パッと見でも分かるとんでもない業物…………しかしそれ以上に信じられない程の怨念が宿っていた後があり、誰かの情念が今なお宿っている』
冷や汗を拭い、緊張をほぐしながら霖之助が言う。それを聞きながら輝雄は太刀を持つ。刃長は八十八、日本刀特有の反り、彼にも感じられる妖力────────いや呪力と例えた方が正しいのかも知れない、しかしそれだけ尋常ならざる力を感じても感覚的に彼には理解出来ていた。
『そこまで危なそうな感じはしませんけど……』
『それは君がその太刀に気に入られているから、或いはその太刀に情念を込めた
半妖だから普通の妖怪程、精神攻撃や怨霊に弱くないんだけど…………見た限り質も量も大妖怪でも殺せるだろうね、その妖刀』
『…………怨念が宿って
『あぁ、呪いの力────────呪力とでも言う物が宿っているが、そこには既に意志は無い。指向性を持たせているのは後付けされた力の方だね。
────────本当に何処で手に入れたんだい? そんな特上の呪物』
『…………』
輝雄はまさか人から祝いの品的な感じで贈られたとは言えず、気まずそうに顔を逸らした。霖之助としても別に詰問するつもり無いので、それ以上は追求しなかった。ただ純粋に気になっただけだ────────それほどの妖刀に、何故主と認められたか。
『………………僕にもあの剣の主と認められる日が来るのかな?』
『…………?』
輝雄は小さく、だが誰にも向けていない独り言を聞き逃さなかった。しかし特に個人的な事情に首を突っ込む気は無いので、刀に関する話はそこで終わった。
「…………幽々子の奴、何で俺にこんな物を……?」
宴会から一週間程経過したが特にこれといって呪いの被害は出ていない。寧ろ里の外を出歩く際、この太刀を
「試しに斬ってみたいが…………自分から襲うのはなんか違うよなぁ……」
結局やっている事は同じかも知れないが、自分の欲求を優先して殺しにいくのは彼が嫌悪する妖怪と同じである。しかも自分が殺せると確信して相手を選ぶ事は、勝てる相手にしか挑まない弱い者イジメの様な物だ。
「────────教師のやる事じゃねぇわな。いいや、いつかは試せる時も来るだろう」
彼にとって、力とは強さとは、生きる上での手段の一つ。自ら争いの種を蒔く気は毛頭無かった。輝雄はそのまま溜めていた仕事を速攻で終わらせて風呂に入り、適当な晩食を取りさっさと床に着いた。太刀は念の為に枕元に置いておき、電気の紐を引っ張る。
「おやす────────ぐぅ……」
言い切るより早く、眠る。とことん身体的スペックには恵まれていた。
♢
「………………………………」
────────早朝、輝雄は目を閉じたまま意識が覚醒した。
理由は寝苦しいからでは無い、鳥の囀りが五月蝿いからでも無い────────妖気を感じたからだ。
(…………いる、間違いない。小さい妖気だが…………抑えているのか? 考えられるとしたら────────八雲)
寝室から気配を探ると、玄関から居間に移動して徐々に近づいて来ている。足音も殺している事を察するに寝ている間に始末するつもりだろうか。音を立てず布団から這い出し、太刀を手に取る。
(────────舐めやがって。寝込みを襲えば勝てるとでも? いいぜ、丁度試し斬りに使いたかったんだ……!)
念の為にと枕元に置いてあった西行の太刀、その呪力を感じながら朝っぱらから襲いに来た侵入者を待つ。こちらを探す様にあちらこちらを移動して、遂に寝室の扉前に立ち止まる。
(開けると同時に────────斬る)
輝雄は剣術など心得は無い、妖夢にもまだ教わっていない。だが霊力を込めて上段から全力で振り下ろせば、スキマを展開するよりも速く脳天から真っ二つに出来る自信はあった。そして普通に殺す気しか無かった、彼にしては珍しく話し合いの選択を最初から除外していたのは八雲かも知れないという疑心暗鬼からである。
木の引き戸の向こう側に、気配が止まる。
彼は鞘を強く握る、隙間から指が見えた。
「驚けえ「死ねやぁぁぁあ────あ!?」ええええええええええええええええ!!!?!?」
振り下ろされた刀は、間一髪のところで八雲では無いと気付いた輝雄が軌道を逸らし、オッドアイの少女の鼻先を掠め足元に鍔元まで刺さる。見知らぬ少女は後ろに倒れる様に座り込み、彼は見下す様に首を傾げて少女を見る。
「……………………誰だお前、何してんの」
「こっちのセリフだよ!!!!!!!!!」
涙目の少女の叫び声は周囲にいた鳥達を追い払った。
♢
「唐傘の妖怪…………成る程な“付喪神”か、お前」
「はい…………
「嬉しくて?」
「────────あわよくば驚いてもらえたらなー……って思いまして…………」
「そうかそうか、成る程な────────じゃあ死のうか」
「わぁー! 待って待って待って!!? 私そんな強くないから!? 驚かすだけで人を殺したりしないからぁ!? お願い見逃してぇ!!」
寝巻きのラフな格好からとりあえず普段着のジーンズと半袖パーカーに着替えた後、ちゃぶ台に座らせ話し合った。小傘は行儀良く正座していたが、輝雄が殺気を振り撒きながら指をバキバキ鳴らすと意外な事に涙目で許しを乞う。その演技とは思えない姿に毒気を抜かれて、一旦気を鎮めた。
話を聞いた結果、彼女は付喪神で昨日輝雄が使っていた唐傘だった様だ。何でも誰にも使われず、かといって妖怪としても驚いてもらえず。臍を曲げ、傘に戻り香霖堂で休んでいたそうだ。そんな時、輝雄に容姿をどうこう言われず、有り難く使われた事が嬉しく姿を見せたのだとか。
「だとしてもだ、百歩譲っても何で驚かそうってなるんだよ。恩着せがましい事は言いたく無いが、普通恩返しとかだろ」
「お腹空いてて……驚いて貰ったあとに何かしてあげようと思いまして、ハイ…………」
曰く彼女は人を驚かし、その感情を糧にするのだとか。だから彼女は人を殺さない────────というよりも、驚かす人が減ってしまうのは彼女にとって死活問題になるので殺せない。本人の性格も別に好戦的で無いので、別に彼女は妖怪として人を殺すなんて気にした事も無かった。
「まぁ、確かに分母が多いに越した事は無いわな…………で、俺はある意味割とたまげたが、腹は膨れたか?」
「うん! 久々にお腹いっぱい! お兄さん結構驚いたねー!」
「そうかそうか、それは良かった────────じゃあ、死のうか」
「わぁー! 何で何で何で!? 何でぇ!?」
輝雄が鞘のままゆっくり振り下ろし、小傘が太刀を白刃どりの様に止める。抜き身では無いことから本気では無いにせよ、小傘からしたら心中穏やかではいられなかった。
「なんかムカつくから」
(この人、妖怪よりもヤバい────────!?!?)
曇りなき真っ直ぐな瞳のまま狂気を放つ青年に顔が引き攣る。既に小傘は驚かした事を後悔し始めていた。妖怪が自宅にいるのに全く恐怖を覚えていない。
「……ま、妖怪といえどガキのイタズラ程度で殺しはしない。このまま誰にも迷惑かけずに里を出ろ、今なら誰にも言わないから」
「わ、私鍛治とか得意だよ! 何か打ち直してほしい包丁とかない!? 役に立つよ!?」
「そもそも鍛冶場が無いだろ。いいよ、別に。傘としての本分を昨日果たしてくれたからそれでイーブンだ、ありがとな」
「でも……」
これが八雲ならばスキマすら食い破って追い詰め雌雄を決するところだが、相手は驚かすだけのイタズラ小僧ならぬイタズラ娘。流石の輝雄も彼女を縊り殺すのは気が引けた。恩は返さなくてもいいと伝えて、誰にも告げ口しないと誓うが何故か彼女は食い下がる。彼女も疑り深い性分なのかと先を促す。
「でも? …………なんだよ」
「…………行く宛なんか無いし、誰も驚いてくれないし、誰も使ってくれないし…………私、どうすればいいの……?」
「いや、俺にそんな事聞かれても…………あー、あれだ、誰でも使える傘として活躍したら?」
「…………昨日の道具屋の店主が言ってた様に……私、茄子みたいで嫌がる人が多くて……そもそも捨てられたのもそれが理由だし……」
(霖之助ェ………………ていうか、そうか。容姿って傘の方かよ……)
女性の容姿にケチをつけた覚えなど一度も無いので不思議に思っていたのだが、成る程、確かに付喪神は道具の妖怪。道具も本体とするなら、あちらの傘もある意味では容姿に含まれるのだろう。
彼女からすれば傘を貶されるのは人間で言うと“お前の顔立ちって面白いよな(笑)”みたいな感じなのかも知れない…………勿論、輝雄の勝手な予想に過ぎないが。
「はぁ……別に傘なんか折れて無くて穴空いて無けりゃ、それでいいと思うがねぇ…………」
そして輝雄は使えたら別に何でも良かったので、傘が茄子に似ているとすら思わなかった。何なら頑丈で大きかったのでこれからも愛用しようとすら考えていたのだ、まさか妖怪とは思わなかったが。本来の道具に姿を戻していると妖気は引っ込むのだろう、感知出来なかったのは本人の力量の低さも関係しているかも知れないと、輝雄は推測する。
あれやこれやと考えていると、小傘は俯いたままぼんやりしている。この状態で“出ていけ”なんて言おうものなら、泣き出しかね無いと感じた彼は一先ず場を繋ぐ為、小傘を待たせて台所まで茶を淹れにいく。
(………………人里で妖怪が住むのはありなのか? 慧音さんに伝えるのは絶対として…………住む場所は────────って、何で俺がそんな事に悩まなくちゃいけないんだよ!!!!)
思わず用意した湯呑みを握力で砕くところだった、何故か自然に小傘を助けようと思考が働いていた自身に対して苛立ちと吐き気を覚えるが一旦落ち着く。
「………………まぁ、なんだ、茶でも飲めよ」
「………………はい」
淹れた茶を静々と飲む、それを見ながら輝雄も茶を飲み考える。どこを落とし所にすべきか、自分と彼女、両方にメリットがある道は無いか。
(…………………………問題が起こってから対処するって、頭の何処かで考えている俺は平和ボケしてるか?)
妖怪故、人間ほど食費などは掛からないだろうが居候を抱える余裕は流石に無い。だから彼は────────
「小傘、結局お前はどうしたいんだよ。因みに人を襲いたいなら今ここで俺を殺してからにしろ」
「…………人を襲うのが妖怪の本分なのは分かるけど、私は正直そういうの好きじゃないし……でも驚かさないとお腹空くし……傘としても使われたいし……私は、出来れば人里で暮らしたい。もう風雨に飛ばされて、誰にも省みられない生活はいやだ…………」
その姿は、落ち込むを通り越して鬱に近かった。妖怪でも憂鬱な気分にはなるらしい。しかし彼には他者を慰める言葉は持ち合わせていないため、ただ動いて示すしか無い。
「…………よし。じゃあ、ちょっとついて来い」
「…………何処に?」
「要は活躍出来る場が欲しいんだろ? 一つ心当たりがある」
茶を飲み干した輝雄は立ち上がり、外に出ようとする。小傘はそれを追いかける。既に雨は上がり雲一つない春晴れの空だった。
♢
「おはようございます、
「…………挨拶はいらん、研ぎも修理もそっちの竹籠に入れとけ。代金は後だ」
朝早くから、炉に火を入れて抜き身の刃物を慎重に研いでいる初老の男が居た。輝雄が暖簾をくぐり声をかけても一瞥もせずに、愛想無くただ必要な事だけを言う様は十人中十人に職人気質な印象を与えるだろう。
「すみませんが、今日は別の用事で来まして────────」
「却下だ。仕事じゃないなら請け負わん」
「……………………仕事依頼、二回無料で負います」
「ふぅー………………三回なら聞くだけ聞こう」
ちゃっかりしている、と言うよりは仕事に専念したいので条件を厳しくしたという感じだろう。人里唯一の鍛冶屋、その職人の
平気で話すのは良くも悪くも変わり者だけ、輝雄は────────両方に当て嵌まるといった所だろう。人里で様々な依頼という名のパシリを受け持つ際に、彼はこの初老と知り合った。どこか似た気質があるのか、偶に関わる。
「確か鍛冶手伝える奴探してますよね? 人じゃないと駄目ですか?」
「…………後ろの娘か? 妖怪なのか?」
「付喪神です、名前は多々良小傘。一応、人は襲わないと言っています。驚かすのは好きだそうですけど」
「私生活の事はどうでもいい、元より
まるで予め連絡でも入れていたかの様に無駄は省かれ、トントン拍子で話は進んでいく。小傘は一言も挟む事が出来ないまま、輝雄の後ろで彼と頑鉄の顔を交互に見るが、頑鉄と目が合うとその鋭さに小動物の様な声と共に輝雄の後ろに隠れる。
「…………ふむ、確か……」
値踏みする様な目で小傘を一瞥した頑鉄が、何かを探し始める。戻ってくるとその手には包丁が峰から持ち、小傘に向かって差し出す。
「おいタタラ」
「ひゃ、ひゃい!?」
「道具は好きに使っていい。研げ」
「は、はい! わかりました!」
雰囲気に飲まれたのか、言われるがまま小傘は渡された包丁を慣れた手つきで研ぎ始める。それを輝雄と頑鉄が少し離れて見守る、輝雄は頑鉄と小傘を交互に見ながら、頑鉄は小傘を真っ直ぐ観察しながら。
「…………おい、輝雄」
「…………何ですか?」
暫く黙ったまま、小傘を観察していた頑鉄が突然口を開く。
「儂は妖怪に特にこれと言って思う所は無い…………しかしだ、やはり疎まれようと人里の人間。全面的に妖怪の肩を持つことは出来ん」
「………………」
腕を組み、顔をしかめながら頑鉄が言う。そして小傘に向けていた視線を輝雄に向けて問う。小傘は一心不乱に包丁を研いでいるのか、二人の話に気付いている様子はない。
「答えろ。お前は、あの子が人間を喰ったら────────」
「────────殺します。泣いて、土下座して、全裸になって許しを乞うても、女子供の姿かたちであっても殺します。例外はありません」
頑鉄が言い切るよりも先に、輝雄ははっきり言う。正しいかどうかでは無い、それが、小傘を人里に関わらせる事を良しとした自分の責任であると。
故に、その考えと判断に一切の迷いは無かった。どうせ殺す事になるなら初めからリスクなんて負わないという考え方もあるが、どうあっても知性を持つ生き物は罪を犯すもの。寧ろ弱く愚かな分人間の方が罪を犯す可能性が高いだろう。超えてはならない一線さえ、見極めれば良いと輝雄は考えていた。
その言葉に頑鉄は何も言わなかった、ただ抜き身の刀のような鋭い視線が輝雄を貫いていた。その血の通わない様な非情な判断も、頑鉄は年の功か、はたまた彼と似た気質からか道徳的な事も偽善的な事も何も言わず、ただ承知した様に鼻を鳴らす。
「────────なら良い。そうならねぇようにしっかり飼いならしておけよ」
「はい………………って、え? 頑鉄さんが雇うんじゃないんですか?」
「雇いはする。だがまさか工房に住まわせる訳にもいかんし、いざという時にはお前が一番近くにいる場所がいいだろう…………付喪神なのだろう? 普段は傘の状態で置いておけ」
「………………見た目は女の子なんですから年若い野郎と住まわせるのは────────」
「爺も野郎だ。それに年頃の男女が一つ屋根で暮らすぐらい何だ? やましいことが無いなら堂々としてろ………………別にお前が
今度は頑鉄が輝雄の言葉を遮って先に言い切る、本当に興味が無いのか強制的に話が打ち切られた。そしてタイミングでよく小傘が一息ついてこちらに包丁を差し出してきた。
「が、頑鉄さん! 出来まし────────」
「合格だ。お前さえよけりゃ明日の朝から来い、ここでの仕事を教える」
渡された包丁を見るや否やすぐに合格通知が出る。検品した様子は無かったが職人技というものだろうか、それとも仕事に打ち込む姿勢からか、彼には判断がつかなかった。
そんなこんなで、多々良小傘の就職活動はその日のうちに内定が出た。楽しげに輝雄の周りをスキップしながらはしゃぐ姿は、彼の家で見せた憂鬱な態度とは結び付かない程だった。元々浮き沈みが激しい性格なのかも知れないと輝雄はぼんやり考えていた。
「良かったな、でも驚かすのは程々にしとけよ」
「うっ、それは…………妖怪として死活問題だし……」
釘を刺され、ギクリと動きが固まる。人を死に追いやったりはしないがそれはそれとして諦めてなかったようだ。
「…………驚かすの定義にもよるが鍛治の腕で驚かせたらいいんじゃないか?」
「えー…………上手くいくかなぁ……普通に驚かしたい……」
「今朝みたいにお前も驚かされるかもよ」
「自重します(即断即決)」
「あ、あと家賃は取らないけど家事は手伝えよ。飯も出すから」
「はーい、じゃあ今後ともよろしくね! 輝雄さん!」
こうして、彼の家に奇妙な同居人? が出来た。無邪気にはしゃいでいるが、少なくとも姿は年頃の女子。年若い男性と暮らす事に忌避感を感じないのか輝雄は不思議だった。
(………………いや、まさか
妖怪の生態の闇に切り込みかけて、彼は直前で考えるのを辞めた。彼女とそんな関係になるつもりは無いし、そもそもそんな相手も居ないし、そんな時は来ない彼には関係が無いことだと結論づける。
「────────そういえば寺子屋はいいの?」
「……………………………………………………あ」
ただいまの時刻、九時半程。寺子屋は八時から始まっている。
全力で走り出した輝雄が慧音の頭突きを喰らうまで、あと九十九秒。
前々から考えてましたが、やっと出せました小傘。実は結構好きなキャラ。
まぁ紫しかり幽々子しかり、この作品において作者の好きなキャラは大概碌な目に遭わないんですがソレはソレ。