幻想禍津星   作:七黒八白

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この話で喰人鬼編は終わり、前話と一緒に投稿予定だったのにかなり遅れました。
一万五千字とか頭おかしなるでホンマ…………。



第六十三話 今でも夏に棲んでいる

 

 

 

 昔は良かった、と思い返せる人間は、きっと幸せなのだろう。

 

 例えそう思えるのが、時間が嫌な記憶を風化させ、幸せな記憶だけが残っただけに過ぎないのだとしても────────残るだけの、幸福がある人生なのだ。

 

 私には、吸血鬼に親に与えられた名前を奪われた私には、最初から何も無かった。だから、私の人生は、『十六夜(いざよい)咲夜(さくや)』と名付けられた、あの夜から始まったのだ。

 

『おかあさん! みてみて! こっぷ! 割れなかったよ!』

 

 まだ私が吸血鬼に攫われる前、恐らく日本では無い片田舎で、ただの子供だった時の記憶────────一番古い、忌々しく、無意識に初めて能力を使った記憶。

 

 何故そんな事が出来るのか、私は疑問を感じなかった。ただテーブルから落ちたコップが幼い私の目の前を通ったのだ。一秒後には床に落ちた衝撃で砕けるだろうコップ。

 

 私はその一秒を止めて、宙に浮くコップを手に取った。

 

 母は、私の目の前にいた。私が、何かしたのを見ていた。ただ私は、お母さんに喜んで貰えるとニコニコと笑っていた。

 

 

 

 ────────次の瞬間、飛んできたのは平手打ちだった。

 

 

 

 何をされたのか、一瞬分からなかった。ただ頰がヒリヒリとして熱かったのは鮮明に覚えてる。青褪めた顔で唾を飛ばしながら叫ぶ母が、何を言っていたのかは、今ではもう思い出せない。

 

 

 

 頰を叩かれて、床に倒れた私の視線の先には────────手から溢れ落ち、割れたコップがあった。

 

 

 

 仕事から帰ってきた父が母と怒鳴りながら何かを話しているのが聞こえた、私はそれを外側から出られない様に塞がれた倉庫の中で聞いていた。支離滅裂で怒り任せに出た言葉の中には、“魔女”や“売女”や“棄てる”とか、そんな事を言っていた気がする。

 

 私の髪の色が、父と母のどの系譜にも無い事が問題を拗らせたらしい………………特異な力の持ち主は、時に血筋に関係無く、髪や瞳の色が変わった色になるという事を、私は後々に図書館の魔女から教わる。

 

 

 

 ────────次の日から、埃っぽい倉庫が私の部屋になり、そこで飲食を強いられて、外に出る事を禁じられた。

 

 

 

 もしこれが童話ならば、私の元には優しい魔女が来て、カボチャの馬車に乗り、王子とハッピーエンドでも迎えたのかも知れない────────だが、人の運命を司る神は、何処までも悪辣だった。

 

『────────排他的で交流の少ない田舎町、悪く無い。幻想郷でどれほど戦いが長引くか分からん以上、()()は幾らあっても良い』

 

 さぁ、果たして、どれほどの人が信じられるだろうか? 

 西暦二千年という時代に置いて吸血鬼に襲撃され、一夜にして町の住人が居なくなったなど。

 

 闇夜に紛れて吸血鬼達は突然現れ、私達に言った。

 

『────────今苦しんで死ぬか、従って楽に死ぬか、好きな方を選べ』

 

 私が親に命じられるまま食器を洗っている日常に、突如としてその吸血鬼は現れた。

 

 まるでさも当然の様に、美しい金髪を緩くオールバックにした妖しい中性的な顔立ちの美丈夫が、家の中に立っていた。

 

 父がせせら笑いながら、何処から入ってきたと美丈夫に近寄りながら言う。この時、私は本能的に距離を取った。自分達とは違う、()()()だと理屈では無く、ただただその威圧感に理解させられた。

 

『触れるな下郎』

 

 その上品なタキシードに指先が触れそうになった瞬間────────父の腕が爆ぜた。

 

『────────? ッッッ!?!?!』

 

 様々な物が入っているだろう人間にしては軽い、紙風船でも割れた様な音だった。一瞬何が起こったのか理解出来ず、間抜けな顔を晒した後、閑静な田舎に本気で死を間近に感じた人間の絶叫が響く。

 

『────────!』

 

 一拍置いて母が絶叫する、その惨状にか、それとも目の前の美丈夫が化け物だと理解したからか、若しくはその両方。間抜けにも私はその時爆ぜ散った肉片、腕だった物と痕跡がまるで腐り落ちたトマトみたいだと思っていた。

 

『女、この男と同じ末路を辿りたく無くば、今すぐ黙れ』

 

 母は、漸く事態が飲み込めたのか、窒息せんばかりに自分で自分の口を塞いだ。その怯え切った姿に満足したのか美丈夫は私の方を向く、鮮血の様な瞳に私は考える能力を全て失い────────反射的に時間を止めて逃げ出した。

 

『────────ほぅ…………貴様、面白い能力を持っているな?』

 

 しかし、この時の私が止めていられる時間は精々十数秒程度、子供の足で稼げる距離で吸血鬼から逃げ出すことなど出来はしなかった。時間が動き出すとすぐに吸血鬼に追い付かれ捕まり、母と父も含めて町の住人は皆、吸血鬼の結界の中に閉じ込められた。

 

『────────あら、貴方? その子は? 中々の容姿じゃない?』

 

 どうやら父の腕を爆ぜさせた美丈夫の妻らしい女吸血鬼が、私を見ながら言う、それは(まさ)しく品定めといった感じだった。

 

 血が凍る様な美女、色素を感じさせない白銀の髪、ゾッとする人外の非現実的な美貌と視線に私は生きた心地がしなかった。

 

『どうやらこの少女、時間を操る能力を持っているようだ…………こんな時代にしては珍しい、中々使える』

 

『おいバティム、なら殺しとけよ。力をつけられたら面倒だ』

 

『分かっている、だが幻想郷に攻め入った後でもいいだろう。

 ────────女、貴様には()()の管理を任せる。逃げようとした者をそのナイフで斬って止めろ。もし数が減っていれば…………分かるな?』

 

 貴族然としていてもやはり人外にして化け物、そのナイフを差し出しながら私に命じる内容は────────一言で言えば、地獄だった。

 

 

 

『裏切り者め…………!』

 

 ────────地獄だった。

 

『頼む……頼む! 見逃してくれ……!』

 

 ────────地獄だった。

 

『魔女だ……お前は……人でなしでも足りない!! 生きたまま焼かれろ!! 魔女め!!!』

 

 ────────地獄だった。

 

 

 

『お前なんて…………!』

 

 その時にナイフの扱い方は覚えた。そして人だけでなく────────

 

 

 

『お前なんて!!! 産まなければッッッ!!!』

 

 ────────親子の縁と情も、()()()

 

 

 

『ハハハ、存外に良い買い物をしたな。貴様、名前は…………いや、あの女から貰った名ではいつまでも引き摺るか、せめてもの情けだ。

 ────────お前の名を、消してやろう』

 

 そう言うと、吸血鬼は何かしらの呪術でも用いたのか、私は私の名前を思い出せ無くなった────────しかし、その時にはそれすらもどうでもよくなっていた。

 

 どうでもいい、どうでもいい………………もう全部、どうでもよかった。このまま吸血鬼に殺されようが────────何ならこの現実から逃げられるなら、自害でも良かった。

 

 既に人の道を踏み外し、親には呪詛の様な遺言を残され、何を思い、生きていけば良いだろう────────私も、ただ鬼の目溢しで生かされているに過ぎないのに。

 

 凍てついた精神、枯れて達観した思考、最早情動らしい情動は無くなった────────せめて楽に死にたい、そんな事を考えながら私は、吸血鬼に連れられる形で幻想入りした。

 

 

 

 ────────そして、私は瞠目した。

 

『あ゛ー? そうか?』

 

 

 

 ────────人間か人外かなど、全て瑣末ごと。

 

『そうだなぁ……?』

 

 

 

 ────────圧倒的な暴君、種の矜持すら薄っぺらいと思える躍動を。

 

『そうかもなぁ!!!?』

 

 

 

 閉じていた結界が崩壊して、吸血鬼の死をいち早く察した私は逃げ出す他の人達には目もくれず、まるで巨人が足踏みしている様な衝撃音がする方へと向かった。

 

 そこには夥しい吸血鬼の屍の山、そして吸血鬼のリーダーである美丈夫を追い込む()()を、暗い夜に遠目で見た────────顔は分からなかったが、赤い目は特徴的だったのは今でも忘れていない。

 

 息を殺してその戦いを、ずっと見ていた。時間にすれば数分と無いだろう戦いは、速すぎて全てを目に収められた訳ではないが圧倒的だった。時間を操ったわけでもないのに引き延ばされた様に長く、何より永く感じた。

 

『…………………………俺の、勝ちだな』

 

 そして、遂に彼は千を超える吸血鬼を殺し尽くした。老いも若いも、男も女も分け隔てなく平等に公平に、何よりも徹底的に────────悉く何もかも全て殺し尽くした。

 

『………………は、はは…………』

 

 乾いた笑いしか出なかった、私の父を呆気なく殺した化け物。時を止めれるから何だと言わんばかりの実力の隔てり、復讐は愚か逃げ出す事さえ考えられなかった────────そんな吸血鬼は、更なる怪物に蹂躙された。

 

 本当はそのまま駆け寄りたかったが、私は同時に恐怖も感じていた。何故なら、少なくとも私の視点からは彼が吸血鬼の敵であっても、人の味方かは分からなかったからだ。

 

 ────────というよりも彼が人の味方なら、私は吸血鬼の為に人を管理していたのだから、同じく()()されかねない。凍てついていた筈の精神が、その躍動に脳が焼かれる様な感覚と共に再熱した。

 

 そして私が立ち往生している内に長身黒髪の女性と夜空に消えていった。追いかけるにしても空を飛び、姿が見えなくては意味が無い、結局私はそのまま吸血鬼達が拠点に使っていた場所まで戻った。

 

 ある程度なら普通の食料もあったからだ、既に捉えられた人達は居なかった。人里に着けたのかも知れないし、妖怪の餌食になったのかも知れないし────────無いと思うが、もしかしたら幻想郷から出れたのかも知れない。

 

『………………これから、どうしよう…………』

 

 私達人間を管理する為に、吸血鬼の使い魔が作った掘立て小屋で硬いパンを噛みながら独り呟く。幻想郷から出るにしても何処から出れるのか当時の私には分からないし、人里の場所も勿論知らない。

 

 今だから分かるが、不幸中の幸い、湖の近辺には何故か妖怪が居らず、一日だけとは言えほぼ無防備な状態で私は里の外でも無事だった。普通なら妖怪に嗅ぎつけられ、死んでいる。

 

『食べ物がなくなるまえに動かないと…………』

 

 一日だけ休んで、次の日の日中に動く。その位しか思い浮かばず、する事もないのでそのまま地面で蹲る様に眠る。

 

 当然、地面に敷く物だとか自分に掛ける物なんて無い、それでも体力の温存に専念した────────だが吸血鬼が全滅した次の日の夕方、また爆発音と小さな地震で私は飛び起きた。

 

『────────何!? 何なの!?』

 

 無視するべきとも考えたが、ただの掘立て小屋が護りに適しているとは全く思えなかった。覚悟を決めて着ているボロ切れとナイフだけ持って、泣きたくなるのを我慢しながら音の方へと向かう────────そこには狐の面を付けた青年がいた。

 

 顔は見えなかったが、同じ炎、同じ声から昨夜と同じ青年だとすぐに分かった。傷が治りきっておらず、素人目にも動きが鈍い、無理もなかった。昨日の夜の戦いから、まだ疲労もダメージも抜け切ったいないのだろう────────彼は、背後から心臓を貫かれた。

 

『────────だめ』

 

 金髪の妖怪の拳が脇腹に刺さる、離れた場所からでも分かる程の威力。骨どころか内臓も爆ぜた可能性もあるだろう、妖怪は執拗に何度も何度も人間を打ち据える────────その気になれば、剣で簡単に息の根を止めれるだろうに、猫が鼠を弄ぶ様に甚振られ続ける。

 

『だめ……だめよ…………だめだってば…………!』

 

 彼の血が、拳が生み出した衝撃を宙に浮き彫りにする。全身隈なく砕かれたと思える程嬲られた後、駄目押しに切り刻まれる。今にして思えば賽の目状になっていなければ可笑しい筈だが、反射的に霊力や能力で守っていたのかも知れない────────それでも、バケツでぶち撒けた様な血の海に、彼は沈んだ。

 

『────────!!!』

 

 ────────気付いたらもう私は走り出していた。

 

 何故、そんな事をしたのか。今の私には分からない。いやもしかしたら当時の私にさえ分かっていないのかも知れない。一つ、確かな事は────────何も選ばず、ただ時に流されるのは、もう嫌だった。

 

 そこからは全て運が良かったとしか言えない。湖の反対側から走った私が能力で間に合う範囲に行くまで、飛来した刀が時間を稼ぎ、妖怪が私と彼に気付かず、何処にいってくれた────────もしも神が人命を司ると言うのなら、間違いなくこの時だけは、私達は()()()()()のだろう。

 

 だがそれでも彼は既に瀕死だった。半端に耐久力があった肉体は彼を死の安寧には陥らせず、想像を絶するだろう苦痛が絶え間無く彼の意志を削る。

 

 

 

『────────それを使って、俺の治癒速度を早めてくれ』

 

 

 

 ────────それでも、彼は、まるで諦めていなかった。

 

 死ねば楽になれるなど、全く考えていない。彼は当然の様に、生きて、戦って────────苦しみ続ける事を選んだ。

 

 渡された銀の懐中時計、それは信じられない程私に馴染み、能力の精度を向上させてくれた────────まるで()()()()()()()()()()()()()()()

 

 遅々として進んでいなかった治癒は、人間の人生を圧縮した様に凄まじい勢いで治っていく。だが、今思えばこれは少し()()()()()()()()

 

 私がした事は治癒の術の()()()()()であって、治癒の術の()()()()()では無い。果たしてこの時の彼が、切創が内臓に至り、失血した血を補填出来る程高等な術式を使えたのだろうか? 無論、幼かった私にはそんな事を疑問にすら感じなかったのだが。

 

『よし…………これで、なんとか首の皮一枚繋がったな…………ありがとう』

 

 完全に治ってはいない状態のまま起き上がる、完治させる事も出来なくは無いだろうが霊力は可能な限り温存したい様らしい────────彼の赤銅色の目が、先の妖怪に対するリベンジを物語っていた。

 

『────────まって! ヤダ! 一人にしないでよ!』

 

 刀を引き抜き、乱雑に髪をかき上げ、金髪の妖怪が消えて行った夜空を睨む。だがそうなれば当然私は一人になる、着いて行っても足手纏いだろうし、彼も私を連れて行く気はない様だった。

 

 狐の面から覗かせる赤銅色の瞳が────────僅かに憐みの様にも、悲しみの様にも、複雑な感情が入り混じり揺れた。しかし、意を決した彼が放った言葉は────────

 

『お前は────────いや君は、このまま湖の反対側の岸にある紅い館を目指しなさい』

 

『…………紅い、館……?』

 

『あぁ…………そこに行けば、一先ず衣食住には困らないだろう』

 

 ────────私を、置いて行く言葉だった。彼は、私を最後まで助けて、着いて来てくれるつもりは無い様だった。

 

『…………人が、いるの……?』

 

『…………いや、居るのは吸血鬼だ』

 

『ッ!? ヤダ! ヤダよ!! 吸血鬼の館なんて!!』

 

 彼の台詞に耳を疑い、思わず絶叫しながら縋り付く。嫌だった、もう沢山だった、呪詛を吐かれながら人を斬る感触が。

 

 また私は独りになって、家畜として飼われるのか。親にすら見捨てられ、鬼に飼われて、微かな希望にさえ見捨てられるのか。だったらいっそ、一思いに殺して欲しい。どうせもう地獄に堕ちるのだから、この苦しみに意味が見出せないのだ。

 

 そんな私の嘆きを知ってか知らずか、彼は縋り付く私を宥める様に屈んで目線を合わせる。仮面の奥から赤銅色の瞳に私が映る。その目は満身創痍とは思えない程、澄んでいて、穏やかな光が宿っていた。私はその目に魅入り、押し黙ってしまう。

 

『────────いいか? 俺はこれから、死地に向かう。君を連れて行けば恐らく君も俺も、共倒れだ。

 

 だから、君は着いて来ちゃいけない…………連れては行けない。

 幸い、その紅い館に居る吸血鬼は比較的穏健な吸血鬼だ。君が一生懸命働く分には、恐らく君の安全は保証される…………その後、人里に移り住みたいのならそれも良いだろう。その吸血鬼も去る者を追いはしない。

 

 ────────だが、人里に住むなら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。里で何らかの事件が起きた際、間違い無く君が疑われるからだ…………吸血鬼の館ならそんな事は気にしなくていいが……』

 

『………………この世界でも、私は……排斥されるの……?』

 

『────────絶対に無いとは、言ってあげられない』

 

 彼の言葉は無慈悲だったが、同時に真実であり、現実的であり、何より私に対して────────誠実だった。見殺しにしても、誰にも知られないだろうに、吸血鬼のせいに出来るだろうに。

 

『さぁ、もう行きなさい。今なら周囲には妖怪は居ない、君の能力なら直ぐに辿り着ける』

 

 血が足りないのか、ややふらついた足取りで妖怪が飛んでいった方角へ歩む彼。私はもう、引き止めるつもりは無い。

 

 あぁ、でも────────

 

 

 

『また、会えますか…………!』

 

『────────あぁ、()()()()()()()。個人的には、綺麗サッパリ忘れる事をオススメするけどね』

 

 

 

 ────────ありがとう、名前も知らない誰か、私を助けてくれて。

 

 

 

 生きてて良かったなんて、思える程の時間も生きてないけど。

 

 

 

 もしもこの後の人生で、少しでも幸せを感じられたのなら────────それは貴方のお陰、私は忘れない。この恩を、貴方の偉業を、人間の強さを。

 

 

 

 貴方に憧れたから、貴方に救われたから、貴方の…………隣に────────

 

 

 

『じゃあな────────()()()()()

 

 軽く一言、そう言い残して、彼は気軽に死地に赴いた。

 

 肉体の痛みも精神の疲労も、敗北の屈辱も勝算の確率も、私にはどれほどの物か定かでは無かったが、これだけは分かる。そんな事では、彼は止まらないのだろう。

 

『……………………行かなくちゃ』

 

 その姿が闇夜の中に消えるまで私は見送り、銀の懐中時計を握りしめて反対の方向へと歩き出す。夏の虫達の声以外何も聞こえない湖の外周を、どの位歩いたか。夜でも目立つ紅い館を見つけた。例え住んでいるのが人間でも、彼の言葉が無ければ近づこうとは考えなかっただろう。

 

『………………吸血鬼の、館』

 

 その洋館は窓が異様に少ない、有ったとしても例外なくカーテンで閉じられている。手入れの行き届いた美しい庭園も赤系等の花で埋め尽くされている────────少し意外だったのは、戦闘の跡らしき物があった事だ。

 

『────────止まって下さい、貴方は誰ですか? ここが何処かご存知で?』

 

 黒鉄の門は開いていたのでそのまま入ろうとすると、いつの間にか隣には腕を組み、壁に寄り掛かっている華人服の紅髪の女性が居た────────それは紅美鈴だった。彼女の膝ほどしか背丈がない私は、見上げる形で美鈴に気付く。

 

『ここは…………幻想郷で、吸血鬼の館……ですよね? そして私は…………誰でもありません、名前は、もう……無くしました』

 

『は? …………嘘はついてないみたいですが…………悪い事は言いません。この館の主人は今機嫌が良く無い、人里へ行きなさい。

 ────────最悪、死にますよ?』

 

 美鈴は鋭い視線でこちらを睨んでくる。今にして思えば、かなりお人好しな美鈴らしい対応だった。無論、当時の私にはそんな事は分からず、ボロ切れを握りながら睨み返すので背一杯だったが。追い返そうとする美鈴に逆らい大声で話す、それは恐怖を紛らわせることと、意志の強さが無意識に出たからだ。

 

『こっ────────ここに! 置いて下さい! 私は、多分人里には住めません! ここ以外に行く場所が無いんです!!』

 

『…………事情は知りませんが、辞めておきなさい。この館には人は住んでません。人と妖の価値観の違いに悩むのは、貴方だけですよ?』

 

 そんな事は分かっていた。でも────────私は、もうきっと、普通の人間として扱って貰えない。親ですらそうだったのだ、何故他人にそこまでの期待が出来るのか? 死ねない、迫害されたくない────────まだ、()()()()

 

 だから里には住めない。迫害される位なら住みたくない。鬼と一つ屋根の方が良く分マシだ────────何なら、寝首だって掻いてやる。

 

『それでも!! ここ以外に宛てはありません! 働かせて下さい!』

 

『分からない子ですね…………もういいです。気絶させて里の真ん中に放っておけば、誰か助けるでしょう』

 

 溜め息一つ吐きながら、美鈴が歩み寄ってくる。それに捕まれば抗えない事を瞬時に察した私は、時を止め、屋敷の入り口にまで走り中に踊り込んだ。彼女では話にならないのなら家主に直談判するしか無い、当時の私はそう考えた。

 

『────────っ!? 急に消えた!? 瞬間移動!?』

 

 背後から美鈴の驚愕の声が聞こえてくる。私は扉を閉じる時間すら惜しんで、階段を駆け上がろうとし────────

 

『────────貴女はだぁれ? 香ばしい香りがするわ』

 

 背後から、誰かにそっと頭部に手を添えられる。その手には力は込められていなかった、まるで陶器や芸術品を触る様に、(たお)やかですらあった────────だが私は全く動けなかった。

 

『へぇ…………貴女、人間ね? 素敵な懐中時計…………少し見せて下さらない?』

 

『妹様…………! いつ地下室から…………!』

 

 それほどの威圧感、それだけの格の差、そこまでの死の予感を感じながら────────私は、それを手放す事だけは頑なに拒絶した。恐怖から勢いと覚悟を無くしても、その時計と渡されたという事実だけは手放したく無かった。

 

『…………自分の命より大切なのね、ますます興味があるわ。その時計から感じる()()…………並の使い手じゃないでしょう?』

 

 ダンスの様に素早く手を取られて、腰に手を添えて私はクルリと振り向かされる。薄暗いエントランスホールでも分かる程、紅玉の様な瞳と金糸の髪────────そして吸血鬼特有の血の気を感じさせない白い肌。

 

『キュッとして────────』

 

『────────待ちなさい、フラン』

 

 伸ばされた手が後一秒で閉じる様とした瞬間、横から伸びた手がそれを遮った。横目で見ると同じ様な顔立ちに紅玉の瞳と白い肌、違ったのは青みがかった銀髪だけ。一目で姉妹と理解した。

 

『八雲紫の約定をもう忘れたの? 無闇矢鱈に人を殺さない、妖怪も同様…………さっき戦ってまで言われた事をすぐに反故する気?』

 

『負けたのも言われたのも、お姉様じゃない。私には関係無いわ』

 

『いいえ、この館に住む以上、この幻想郷に住む以上、無関係とは言わせないわ………………文句があるなら私と八雲紫を殺してから好きになさい』

 

 手を伸ばしきれない程の近距離で、次元が違うと本能で分からされる実力者がお互いに威圧し合う。その迫力は実態すら伴うのか館が軋み、空気すら重圧を纏い、私は立っていられなかった。

 

『………………辞めた、面倒くさい』

 

 十秒程度睨み合っていたが根負けしたのか、或いは白けたのかフラン様が掴まれていた手を振り払い、フワフワと浮きながら何処かへ消えて行った。エントランスホールに残されたのは冷や汗をかいている美鈴と、お姉様と呼ばれた吸血鬼────────レミリアお嬢様。

 

『………………で、この子は? 美鈴? 攫って来たの? 貴女が?』

 

『いえ! 違います! 行く宛が無いと押しかけて来まして……!』

 

『────────追い払いなさいよ、何で通したの?』

 

『それが…………この子、瞬間移動出来る様な能力を持っている様でして…………』

 

『へぇ…………?』

 

 ジロリと紅玉の瞳孔が縦に割れ、瞳に私が映るのが分かるほど至近距離から見つめられる。見た目は十代くらいの少女、しかし内包した力も生きた年月も人のそれとは比べ物にならない。一瞬でもこれの寝首を掻こうと考えていた事が馬鹿らしくなる────────脳内が恐怖に埋め尽くされて、時計を強く握りしめる。

 

『────────貴女の名前は?』

 

『………………え』

 

『名前よ、()()()()()()()()()()()()? 名前くらい名乗りなさいな』

 

『…………あ、ありません……』

 

『あら? 親はいたでしょうに』

 

 私の運命を覗いたのか、断言しながら様にお嬢様は首を傾げる。その何もかもお見通しと言わんばかりの態度に、底知れない物を感じながら白状する。お嬢様からすればただ確かめているだけに過ぎないのだろうが、私はこの時は吸血鬼が既にトラウマに近かった。

 

『いえ…………吸血鬼に、思い出せなくさせられました…………』

 

『………………あぁ、バティムの仕業ね』

 

 それだけで納得したのか、腕を組み羽ばたく事無く宙で脚を組む。何かを考えながらお嬢様は言った。

 

『ねぇ知ってる? この国では満月の後の少し欠けた月を“十六夜(いざよい)”と言うそうよ』

 

『…………え』

 

 突然始まる話に私はついて行けなかった。呆気に取られる私を他所にお嬢様は話を続ける。ホールの開かれた扉からは青白い月光が差している、音も無く宙を漂い、その月光に身を晒しながら謳うように語る。

 

『静かな夜、美しい月…………でも少し欠けている。完全無欠に見えるのは遠目に見ているからに過ぎない、近くで目を凝らしてみれば欠けている事に気付けない────────()()()()()()()

 

『………………名前が無いことが、欠けている?』

 

『勿論それもあるわ、それだけじゃないけど。

 ────────決めたわ、性は“十六夜(いざよい)”。名は………………咲夜(さくや)、夜に(わら)うで咲夜よ』

 

『いざよい………………さくや…………?』

 

『そう、女が笑う姿を、この国では花が()く事に(なぞら)えて(わら)うと表現するそうよ。随分迂遠な表現よね? お国柄なのかしら』

 

 月光を背に浴びながら鈴が鳴る様な声で笑う姿は、紅い瞳と相まって妖しい美しさがあった────────だが、不思議と私の町を襲った吸血鬼の様な邪悪さは感じなかった。

 

十六夜(いざよい)咲夜(さくや)、貴女は明日から紅魔館のメイド見習いよ。だから、いつまでも辛気臭い顔してちゃ駄目よ。

 ────────そしていつか、貴女の恩人に再会出来た時、胸を張れるメイドで在りなさい』

 

 美しく、そして気高い吸血鬼が、私の額に人差し指で小突く。それだけで私の意識は急速に闇に包まれてゆく。緊張の糸が切れたのか、はたまた何らかの魔法なのか、その時の私は疑問すら感じ取れず床に倒れた。

 

『お嬢様、雇うんですか? この子を?』

 

『えぇ、美鈴の不意を打てた時点で素質は一級品でしょうし。

 それに────────』

 

『…………それに?』

 

『この子の…………咲夜の運命(過去)に見えた()()()()()…………誰かは知らないけど、多分状況的にコイツが────────』

 

 

 

 ────────薄れていく意識の中、月明かりの中で、最後にそんな会話が聞こえた。

 

 

 

「────────呪物の中には、持ち主の元に勝手に戻ってくる物も有るけれど…………この時計もそうなのかしらね」

 

 そんな出来事があったのが今から十年ほど前、私の覚悟とは裏腹に紅魔館のメイド業は恐ろしくマトモだった。強いて言うなら、妖精達の統率や偶にお嬢様の無茶振りが飛んでくることくらいか。

 

 紅霧異変後は人里にもある程度出掛けるが、十年前の私のことを知っている者は特に見当たらない。能力があったとは言え、幼な子の私でさえ生き残れたのだから他の人達も里に定住してもおかしくないと考えていたのだか………………もう気にしても仕方ない事か。

 

「手元から離れたのに輝雄が戻ると同時に時計が現れたのは歴史の強制力や辻褄合わせなのかしら…………まぁ、どうでもいいわね」

 

 今輝雄はいつもの客室で眠っているだろう、パチュリー様が側にいるなら自殺などは防いでくれる。私は…………そうね、負傷と疲労でかなり体力消耗してるみたいだし、料理でも持って行ってあげましょうか。彼の治癒速度なら固形物でも大丈夫だろう。白玉楼で療養の際は粥しか食べさせて貰えず辛かったらしいし。

 

「偶には洋食で……スープとパンと、出血もしてたみたいだし極太のステーキでも焼いてあげましょうか」

 

 歩きながら時を止めて厨房へ急ぐ。竈に火を付け、具材を瞬時に並べ刻み、鍋とフライパンに素早く入れる。本来なら時間が掛かる工程は能力で短縮する。僅かものの数分で人一人が食べるには少し多い料理が出来た、これも紅魔館でメイドしている内に覚えたものだ。

 

 熱々のオニオンスープにやや硬めの石窯パンに、味の濃い料理を中和する水々しい紅魔館で採れた野菜のサラダ、そして高級ブランデーでフランベを行い香り付けと旨味を閉じ込めながらシャトーブリアンを含んだフィレステーキを焼き上げる。遅過ぎず早過ぎず、一秒単位で焼き加減を調整する。あの日から、メイドとしての経験を総動員させ全力で料理を作り上げた。

 

「彼なら質より量でしょ……そもそもシャトーブリアンに気付くのかしら? 

 でも懐かしいわね、私も最初は皿洗いしかさせて貰えなかったわね…………美鈴が料理出来るのが、今は逆に違和感を感じるわ」

 

 普段は門番しかしていない美鈴だが、意外と器用で家事なども出来る。今は専ら門番しかやっていないが、私が来る前だとお嬢様にお茶を淹れる係りをやっていた事もあるらしい…………今更だけど、美鈴紅茶淹れられたんだ。

 

 そんな事を考えていると、すぐに輝雄が寝ている客室に辿り着く。料理を載せたカートごと中に入ると、スヤスヤと寝ている輝雄と隣では本を読みながら座っているパチュリー様がいた。

 

 輝雄が泣き腫らした顔は、今見ても信じられない。彼でも涙を流す事があるのか…………誰が死んでも誰を殺しても平然としてそうな印象があったが、意外と彼は人情深いのかも知れない。

 

「……………………何をしにきたのかしら?」

 

「輝雄のお食事をお持ちしました、時間を止めてあるので彼が起きるまでずっと暖かいままです」

 

「…………そう」

 

 いつもなら、読書中は声すらかけてこない。それだけパチュリー様なら読書では集中し、信頼できる身内なら一々声を掛けなくとも良いだろうと流すのだ。()()()────────

 

「────────気を悪くされましたか?」

 

「────────別に? 私も逆の立場なら止めようとしたでしょうし」

 

 パチュリー様が魔法を輝雄に使おうとした際に、()()()()()()()()()()警戒させてしまったのは私の不手際だ。メイドとして有るまじき行動、素直に謝罪する。

 

「申し訳ありませんでした、てっきりパチュリー様が輝雄の脳を弄くり回すのかと思いまして…………」

 

「…………確かに、以前ならそうしてたかも知れないわね。

 ────────でも咲夜、何故貴女はそこまで輝雄に入れ込んでいるのかしら? その時計にまだ観測魔法が掛かっているなら、見せてくれる?」

 

 読書中の本を栞すら挟まず此方に向き直る。内心珍しいものを見たと思いながら、私は少し考える。入れ込んでいる…………確かに間違いでは無いだろう、だが正確とは言えない。何故なら────────

 

「パチュリー様は、()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「………………………………は?」

 

「私にとって、彼から受けた恩や想い…………恥ずかしながら、今まで彼が彼である事に気付いておりませんでしたが、それは私にとって()()()()()()

 生き物は基本的に息をしなくては生きられませんが、だからと言って酸素が好き────────なんて表現をする人はいないでしょう?」

 

「────────────────」

 

 何故か、パチュリー様は少し瞳を揺らし息を呑んだ様だった。

 

 はて? そこまで可笑しな事を言っただろうか? あぁ、もしかしてパチュリー様は喘息で呼吸の大切さや窒息の苦しさを知っているから、酸素に並々ならぬ思いが有るのだろうか? だったら私の例えは少し分かり辛かったかも知れない。またまた申し訳ない真似をした、私は天然とよく言われるがこういう所なのかも知れない。

 

「……………………私はもっと、貴女はサバサバしてて拘ったりしない性格(たち)だと思ってたわ」

 

「そうですか? お嬢様への忠誠もそうですが…………私はただ()()なだけですよ」

 

 

 

 そうだ。普段お嬢様の為に、美味しい紅茶を淹れる様に。

 

 

 

 私は完璧で瀟洒なメイドとして身嗜みに気を使い掃除は隅に塵一つ残さず料理は味だけで無く栄養面も完璧に暇潰しの戯れの為に芸を身につけてどんな妖怪にも私の意志を曲げさせないため死に物狂いで能力を使い熟し美鈴に体術を学び魔法で能力を応用させて空間も操作出来る様に訓練しお嬢様には予めもし彼が現れた際には私に一存する事を前もって頼み込みお嬢様には申し訳ないが人として彼の隣に立ちたかったので吸血鬼としての永遠の命拒んだだけだ。

 

 

 

「好きな人に振り向いてもらう為に、ただ直向きに生きてきただけですよ」

 

「…………………………………………で、でも、輝雄がその恩人とは気付いては無かったんでしょ? それともまた会える確信があったの?」

 

 もう初夏になるというのに、何故か少しパチュリー様の顔が青ざめた様に見える。具合でも悪いのだろうか、純粋な魔法使いは環境の変化に強い筈だがパチュリー様は別なのかも知れない。

 

 そんな事を考えながら私は質問の意味がよく分からないので自分なりに咀嚼してみるが、やはりよく分からない。

 

「────────いいえ? 別に? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 

 もう会えないとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…………?」

 

「…………………………………………輝雄が起きたら食事する様に言っておくわ、食器はカートに載せて部屋の外に置いておくわね」

 

「では、お願いしますね。私はお嬢様の湯浴みを手伝って参りますので」

 

 本当は寝ている彼の身体を拭いたりもしたいのだが、さりとて紅魔館の業務を疎かにする訳にもいかない。何、いくらでも時間はあるのだ。焦る事は何も無い。

 

 

 

 誰にも邪魔など出来はしない。

 私の世界は彼しか認識出来ない。

 私の世界は彼以外決して入れない。

 

 

 

 握る手の中には────────銀の懐中時計、私の味方、私だけの味方。

 

 

 

 ────────時よ止まれ、貴方だけが、特別よ。

 

 

 

 





活動報告で書いた感想とか書いてみようかなぁ。

因みにまだまだ終わりません。
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