主人公に能力を盛り過ぎると、戦闘が大変になりますね。
『シッ────!』
結界を張られた森の中茹だる様な多湿、目を細めたくなる夏の日射。輝雄は無心となって木刀を振るっていた。如何にも突貫の急ごしらえで作られた簡素な稽古着が汗を吸って肌に吸い付き、心身共に重くする。
しかし、そんな事も全く気にせず彼は剣を振るう。時に周囲の森をざわめかせる程の剣圧と剣速で、時に載った木の葉が落ちない程緩やかに滑らかに、脳天の毛先に至るまで意識を張り巡らす。普段ならば半霊の庭師に指南を仰いでいるのだが、今だけはそうもいかない。
『雨は三十年…………空気は五十年…………時は…………何年だっけか……?』
満月の夜に迫る敵、足りているのか分からない策と罠、こんな修行で果たして強くなれているのか、彼は覚悟はあれどもそんな殺しきれない不安があったが剣を振るい始めれば全てが消えた。速く、緩やかに、強く、滑らかに、筋繊維の一本に至るまで剣術の動きを馴染ませる。
滝の様な汗が眼球を舐めても瞬きもしない程、雑念は意識から濾過され、澄み切った水鏡の如く透明になり、世界が自分を中心に回っている様な万能感。されどそれに酔いしれず、ただ忘我の極地にて剣を振るい続ける。
『……………………ッ!!!』
素早く動き、付いて行けず宙に残った汗を地面に落ちる前に全て剣で打ち払う。小さな水が弾ける音が意識を切り替えたのか万能感が消え、全身が一気に重くなり酸素を求める。剣を振るう事に全て傾けていた感覚は夏の暑さ、森の香り、汗の不快感、様々なものを正しく認識し、意識が日常を思い出してゆく。
『…………いつの間にか日が高いな、今何時だ?』
独り言を呟きながら、汗で張り付いた髪を雑に後ろ手に撫でつける。蝉の声に鬱陶しいものを感じながら、失くさぬように肌身離さず持っている大切な借り物である銀時計で時間を確認しようとし────つるりと、手に付いた汗で滑り落ちてしまう。
『あっ────────!』
彼らしくない凡ミスだった、そもそもアンティークな銀時計なんて洒落た物を普段から使う習慣がない彼は雑に懐に入れていた事が祟った。本来の持ち主の力が宿っているのか、並大抵の事では壊れない事も彼の不注意を招いてしまった。
それでも壊すのは勿論、傷を付けることも憚られるので地面激突する前に超人的な反応速度で直ぐに手を伸ばした時────
『ちょ、ちょ! 待っ────!?』
────それは起こった。地球の重力に従い真っ直ぐ落ちる筈の時計が、
「………………今のは?」
疑問を感じるより先に掴んだ銀時計をマジマジと眺める。しかし、それはただ陽光を眩しく反射するだけで何も教えてくれはしない。もしかすると集中していた事による主観的な物だったのかも知れない、だが持っている物と元の持ち主の特異性を考えるとそう思い切れない自分もいた。
「…………神社に帰って汗流すか」
────────吸血鬼と戦う前、十年前の修行中の出来事だった。
♢
月明かりが差す、焼けた匂いが漂う森の中。疾風の様に木々を縫い駆け抜ける。その後を追い業火と石礫が彼に向かって飛来する。炎は大蛇の如くうねり正確無比に後を追い、石礫は散弾の様に直線上に全てを貫き、蜂の巣にする。
「────────ウザったいな」
押し潰さんとする一際大きい岩石を蹴り砕き、削る様に坂巻く礫の波を弾幕で横薙ぎに消し去り、自身を呑み込もうとする炎は真空を巻き起こす一刀で縦に両断した────────その炎の先で、獰猛に鬼が嗤っていた。
「この程度じゃ足止めにもならないか! なぁ輝雄!」
嗤う鬼は────萃香は能力で自分自身を輝雄に引き寄せる。見えない糸に引っ張られる様に急加速した萃香は輝雄が太刀を引き戻すよりも先に殴り飛ばす。視界が二重にブレて上下の感覚が一瞬曖昧になり、ピンボールように跳ね飛ばされてゆく。
「ぐッ────────!!!」
しかし弾き飛ばされながらも体勢を立て直し、その勢いを利用して三次元的に高速で萃香の周りを跳び回る。茂みに隠れ、木の葉に隠れ、緩急つけて移動音すら巧みに操り自身の位置を悟らせない。その速度に瞠目しながらも萃香は笑みを崩さない。
「────────ハハッ! 速過ぎんだろ! 天狗かお前!!」
「あんな腰抜け共と同列に扱われるなんて名誉毀損もいいとこだ」
輝雄が死角から暗殺者の如く迫る。萃香が振り返るよりも速く、逆手に持った残華を素早く振り抜き胴と首を切り離しに掛かるが────────反発する不可視の力場に遮られる。
(────────これだ、引力や斥力に近い力場)
「
萃香の周囲が無重力になったかの様に、砂利や木の葉と一緒に空中で減速させられる。輝雄の突き進む運動エネルギーと釣り合う形で密度を発散させ、身動きが取れないまま宙に捉えられる。
「ぶっ飛べ────────派手にな!!!」
そのまま彼女が振るった手に従い、力場は輝雄を拘束したまま何十本もの大木をへし折りながら吹き飛ばしてゆく────────しかし盛大に砕けてゆく木々の感じながらも、冷静に輝雄は能力を考察していた。
(これは…………ただ密度を操ったり、空間を操作する能力じゃないな。
密度そのものを操るというより、その過程で生じる収束や発散反応を応用している感じだ)
木々をへし折り、岩盤に叩きつけられ、終いに炎弾が降り注ぐ。良くてそのまま挽肉になるか、最悪跡形も無くなるだろう攻撃という表現も生温い暴虐。だがそれでも輝雄はその全てを受け切った上で、爆炎の中から大した被害も無く立ち上がる。距離を離された事により、更に思考は加速してゆく。
(攻撃しようとすると必ず向こうに悟られる、そして能力で突き放されてしまう────────やってられねぇ、ジリ貧だ)
太刀を一旦鞘にしまい、壊れた箇所が無いか身体の各所を伸ばしながら治癒の術式を回す。追撃が来る気配は今のところは無い事を確認すると、後ろで手を組み骨格に問題が無いか力を加える。
(まず、密度の発散────────斥力を生み出す力!
この力で奴の防御が更に向上してやがる。俺の炎は有効だが、火力が分散されて奴には届かない。太刀にも警戒してる、近寄るのは至難。
次に、密度の収束────────引力を生み出す力!
移動だけじゃなく攻撃する瞬間に収束反応を重ねてるからか、カウンターみたいな嫌な鋭さがある、ちゃんと防御しないと俺でもヤバい)
首の後ろで肩を掴み、脇腹を伸ばしながら術式に対して考察を続ける。どうすれば切り崩せるのか、どこから何を攻めるのか、彼はただ闇雲に戦ってどうにかなるとは全く考えてはいない────────
「骨は逝ってねぇな…………そして、最後に密度の発散による霧状化だな。
────────全て、問題ない」
────────同時に、難敵であれど無敵とも考えていない。
(術の
思えば幽々子と西行妖の力を引き継いでいる呪物、ただ呪力が漏れているだけの代物な訳も無し)
戦闘に支障は全く無し。寧ろ、背後に護るべき者だとか、約束を守る為だとか、自分の責任の尻拭いだとか、今までとは違い────────この戦いは、矛盾すら抱えた輝雄の
(…………近くにはこいしや小傘の妖気は感じない、戦闘の影響が出ない所まで避難したか)
何の魂胆があってか、手助けを快く買って出てくれた古明地こいし。彼女の能力のお陰で輝雄自身は気配を殺し、そして周囲の意識から逸れて霊夢から見つかる事なく逃げ出せた、こいしの能力は“無意識”。例え本当は気付いていてもそこに意識が回らない、宛ら道端の小石に必要以上意識が回らない様に。
(妖怪が、憎い。その気持ちは確かにある…………だが同時に、同時に人間の事も少なからず疎み、嫌ってもいる…………俺は、矛盾している)
(…………あぁ、何故なんだろうな)
あの夏より、ずっと大きく、ずっと美しく、ずっと強くなった、なってしまった。独り、幻想郷を背負う事を選んでしまった少女の言葉が頭の中で反響する。最愛を亡くした慚愧だけが、彼と彼女の中に共通して残った。
(あぁ…………そうだな、俺もそう思うよ。いつどんな理由で殺されるか分からない現状から脱しようとしない…………家畜以下だ、幻想郷の人間は)
あの夏から、ずっと薄れる事無く、ずっと掠れる事なく、ずっと彼を苛み続けている、とある人喰い妖怪の残した
(俺には、未だに分からない。この世界で俺は、どう生きれば良いのか。
博麗に全ての責任を押し付ける? 妖怪に身を寄せて甘い汁を吸う?
────────全部クソだ、地獄にでも堕ちた方がまだマシだ)
肉体と違い、その心に精神に魂に刻まれた疵は、あの夏からずっと癒えていない。しかし、だからこそ嶋上輝雄は自分の感じた物に対して嘘はつけなかった。鋼にすら勝る五体に霊力が漲り、残華は主の覚悟に呼応して刀身に呪を纏う。
「一つ…………確かな事は、お前みたいな力があるだけのクソが蔓延って、小傘みたいな奴が泣きを見る。そんな理不尽と不条理が、どうしようもない程、
────────俺は嫌いだ」
小さな結界が複数、手の中に生じて赫い輝きが灯る。
♢
「どうした? 輝雄? まさかあの程度で参っちゃいないだろ?」
萃香は“密と疎を操る程度の能力”の収束力場によってスプーンで抉られた様な不自然な破壊痕の先に語りかける。並の実力ならそのまま紙屑の様に丸めらていた筈だったが、能力越しに感じた輝雄の肉体の硬さたるや、古い友人の
(最高だ……! 最高だよアンタ! これだよ、これこれこういうのを待ってたんだよ私は!!!!)
殴れば殴り返され、撃てば撃たれる、気を抜けば死が目前にある。明日の朝日を拝みたいなら力付く以外の何も無い。何処までも弱肉強食、実力主義、正しいのは勝った奴だけ────────萃香にはどうしようもない程、肌にあっていた。
(しかし! だからこそ本気で勝ちに行く、次はどうする? 巨大化して踏み潰す?
────────否! あのあからさまヤバそうな
一騎当千、百戦錬磨の鬼の首魁。輝雄の実力と戦闘法から次手を組み立てながら一歩ずつ近寄る。破壊痕から瓦礫を収束させ輝雄を引き摺り出そうとするが、そこには既に輝雄はいなかった。
「────────出たり隠れたり忙しないね!!」
「────────弱っちい人間だぜ? 多目に見ろよ」
同時に死角から輝雄が強襲する、当然太刀を警戒している萃香はそれ以上近寄らせまいと発散の力場で遠ざける。先とは違い地面に脚を着けている為吹き飛ばされる事こそ無かったが、輝雄はあと数メートルという所で脚を止められる。見えない力場は津波の様な圧力で押し飛ばそうとするが、輝雄の強靭な脹脛と大腿筋が膨らみ、地面を踏み砕きながら堪える。
「そういうのなんて言うか知ってるかい? バカの一つ覚えだよ!!」
「成る程、ご教授痛み入る────────ならアレンジを加えよう」
「────────!!!」
輝雄が発散する力を受けながら、地面に太刀を突き立て指で刀印を切る。輝雄の対面側、丁度萃香の背後の位置からガラスが割れた音と共に、レーザーめいた赫い灼熱が二本、萃香に迫る。幾ら鬼と言えど見てからの回避が不可能な弾速、しかし────────
「無駄だよ!! 気付いていたさ!!」
(発散も収束も同時に使える上、対象に数や制限は無しか…………。
────────だが、僅かに俺を抑える力は弱まったな?)
────────赫い輝きは萃香手前で屈折し、地面を貫く。死角から迫った弾幕はポッカリと溶けた穴を作っただけだった。相手の策を上回り得意気に笑う、まるで小細工など通用しないと言わんばかりに。一方輝雄、全く動じず出力が弱まった事に気付く。
(術式の出力は例え大妖怪であろうと原則、絶対量がある! 複数に能力を回せば一つ一つの出力は落ちる! それはコイツも例外じゃない!)
「ほら、今度はこっちの番だ!!!」
発散する力場は即座に収束に代わり、輝雄は重心を変える間も無く萃香に引き寄せられる。近寄れないと思いきやまさか相手から距離を詰めてきた展開にやや驚愕しながら、身体は何百何千何万と繰り返した動作通りに太刀を────────振るえなかった。
「────────術式対象の選別!?」
「近寄っていいのは────────お前だけだよ!!」
残華だけが発散で手から離され、輝雄だけが吸い寄せられる。咄嗟に太刀を離したが萃香の拳が腹筋を貫き、骨が悲鳴を上げる様に軋み、内臓各所に衝撃が深々と染み渡る。
「ほぅら! 振り出しに戻んな!!!」
輝雄は今度は喉を奥から迫り上がる血を止められず、喰い縛った歯の隙間から噴霧めいた吐血が萃香に掛かった。一秒よりも短い刹那、攻撃の勢いが全て輝雄の移った事を確信した萃香は────────今度は能力を反転させ、最大出力で
「いくらアンタが気配を殺すのが上手かろうが、
不意は打てないよ、素手の方がまだ勝算あんじゃない?」
満足気に先の自身と同じ様に、勢いよく地盤を抉りながらぶっ飛ばされている輝雄を見やりながら萃香は酒を煽る。そして、半ば確信する────────輝雄には、密と疎そを操る程度の能力を操る自分の能力を越える
「…………とは言え、だ。折角の喧嘩を能力だけで翻弄なんてツマラナイ。輝雄〜? その太刀を捨てな、そしたら殴り合ってやるよ」
「…………それはつまり、俺がお前の能力の前に屈して妥協したって事になるだろ」
木々を覆う、土埃の中から血を吐き捨てながら輝雄が立ち上がる。霊力が漲っているのか、彼の瞳が赫赫と輝いていた。
「違うのかい?」
顔を赤ながら酒を口から拭う、鬼は────────萃香は楽しそうに得意気に笑ってた。諦めていないその様子を、明らかに好んでいた。
「頑固で天邪鬼な
輝雄の姿が消え、同時に地面が蜘蛛の巣状に砕け周囲の煙が晴れる。最短最速、一切のフェイントを混えず胸から這い上がる様に萃香に直行し喉元を切りに掛かる────────天然理心流で言う、
(速────! 能力────否! 間に合わない!)
致死の刃に冷や汗をかく暇すら無く、ほぼ脊髄反射で萃香は切先から外れる。太刀を奪い徒手に持ち込む、その意気込みで身体の自由を奪う為に顎を狙った弧を描く上段突きを放つ。しかし、剣術とは初撃が外れれば終わりなどいうものでは無い。鬼の眼にすら残像しか映らない速度からは考えられない程流麗に斬り返し、アッパーカット気味に放たれた手首を切落としに掛かる。
「ッ────────!!!」
舌打ちをしながら目を見開き、角度を変えて辛うじて斬撃を腕の金輪で受け止める。鋭い不協和音と火花が散り、お互いに反動でやや仰け反る。されど輝雄、即座にその状態から即座に出せる技を考えるより先に断行────────平晴眼の構えから三段突き、またの名を無明剣。
(
初撃で眉間を貫きに掛かる刺突を、前中で躱わすと同時に胴回し蹴りで反撃に出る。考えて選んだ攻撃では無い、死線を前に走馬灯めいた閃きと膨大な戦闘経験値が萃香に最適解を与えた。輝雄は至近距離から、しかも先んじたにも関わらず反撃が来るとは思わず、カウンター気味に諸に受ける。
(手強い……! あと一歩で仕留められる所で恐ろしい程、粘りやがる……!
蹴り飛ばされる流れに逆らわず、そのままもう一度森の中に逃げ込み位置を悟られぬ様に跳び回る。周囲一帯から葉が
(またかい? 無駄だよ。確かに速さは見事なもんだ、弾幕で気配を消す工夫もまぁ良いだろう────でも、その太刀の呪力だけは誤魔化せない!
それに距離を離せば私の能力で防御が間に合う、それともまだ高威力の術でも残してんのかい…………?)
企みがあるのか、無いのか、やや思案するが────────伊吹萃香はすぐに考えるのを辞めた。
「関係無いね、お前が何をどうしようと真っ向から押し潰す!!!
鬼に横道は────────無いんだよ!!!」
青い輝きが萃香の両の掌に現れ、そのままブラックホールめいた収束反応で同心円上に樹木も大地も輝雄の弾幕も、盛大に何もかも削り取っていく。全てが細かく粉砕され、弾幕も形を保てずに暴発してゆく。物の数秒で半径十メートルはスプーンで削ぎ取られた様に更地になる────────しかし輝雄の姿は何処にも無かった。
(周囲に遮蔽物無し、これだけ距離があれば奇襲は無理だろう…………咄嗟に奥の森に隠れたか? でも────────
爆ぜた弾幕が霊気となって漂う中でも萃香は鋭敏に感じ取っていた、収束の範囲外の木陰から
「万策尽きたかい? 中々楽しめたけど…………最後はこんなもんか、終わらせちまうかね────────」
「────────誰に向かって話してんだよ」
しかし、呪力を感じた方とは逆の────────萃香の背後から輝雄が現れる。驚愕と共に振り向きながら視界の端で捉えた輝雄は、やけに土に塗れていた。
(────────何処から!? 穴!? 地中!! 掘り進んだのか! さっきのレーザーで出来たやつか!?)
即座に石槍と炎に使っていた
(なん────!? いや!! だったら太刀の方を────────!!!)
圧縮された時の中、疑問を解消する事よりも回避に専念する。妖怪の、鬼の本能は未来予知の如く感じ取る。太刀の脅威を、絶死の一閃を────────!!!
(常人ですら感じ取れる残華の悍ましい呪力。
ましてや、伝説に名すら残す大妖怪のお前が気付かない筈がねぇ。ビビって近寄らせもしねぇ。
だが! ようやく!! お前の能力に
輝雄は太刀を覆っていた
「その首────────貰い受ける」
その時、萃香は未知の感覚に襲われた。首を通して、肉体を介してもっとその奥深く、眼に映らない
(どう、いう事だ…………? 首から切り離された身体が、
萃香は首の半ば程にまで刃が達した瞬間、防ぐ事と避ける事を諦めた。そして身体を分解して再構成に専念する筈が、何故か全く言う事を聞かない。千年に毒を盛られた時でさえ、能力で仲間を逃す事は出来たというのに。
しかし萃香の心は折れていなかった。最早首だけ、身体の再構築が出来ないのなら幾ら鬼でも生き長らえる事は叶わないだろう。流れ血を止める術など無い、出来たとしても何の意味があるか。
分かっていた、
(最期の! 最後まで────────!)
首だけの状態から、太刀を振り抜き隙だらけとなっている輝雄の首に狙いを付ける。良くて相打ち、最悪反撃を喰らうだろう。だが、ここまで来て命を惜しいとは全く思わなかった。
そのまま萃香は飛燕より速く自身を収束させ、輝雄の喉笛を噛み千切り────────
「────────伝説に違わぬ生命力だな。でもしつこいぞ」
「ごべッ!?!?」
────────に行く筈が、何故か
(首だけで喰らいつくか…………
「────────…………ははっ」
伊吹萃香の首が殴り飛ばされる、後を追う流血がまるで筆を振るった様に舞い、首を失った身体は力無く倒れ、乾いた地面が赤く湿ってゆく。彼女はそれを他人事の様に見ながら、乾いた笑いで地面に転がっていた。
「…………何か、言い残す事はあるか?」
彼は物憂げに見下ろしながら佇んでいた。勝ち残り生き残ったにも関わらず、彼は喜びも安堵も見せず淡々と問い掛けた。全てが他人事であるかの様に、そこに感情は交えていなかった。葬儀に立ち会う様な厳粛な空気は、死闘の後とは誰も思わないだろう。
「んー…………その前に良いかい? 太刀の呪力はどうやって誤認させたんだい? 太刀その物の気配は結界で封じたのは分かる、その前の弾幕は霊力を誤魔化す為なのも分かる。
────────けど全く別の場所から呪力を確かに感じた、どういうカラクリだい?」
「首だけでよく喋るな、お前…………ありゃ
普段残華を収めているいるんだ、あの鞘にも僅かながら呪力がこびり付いてる…………お前が感じたのは、その
────────で? 遺言は?」
霊力とは異質な力は、霊力では誤魔化せない。加えて萃香がそれを知らないとも、見逃すとも思わない────────故に、輝雄は疑似餌に鞘を使った。攻撃に移るまでの、ほんの一瞬の隙を作るために。
萃香は自分が最期の最後で謀られた事を知ったが、不思議と嫌な気はしなかった。お互いに死力を尽くした、命懸けで工夫を凝らして、出し抜かんと力尽くをやり切った。少なくとも千年前とは比べ物にならない澄み切った気分だった。味わう様に死闘の余韻に少し浸り、そしてゆっくり言葉を紡ぎ出した。
「桃色の髪にお団子みたいに髪くくってる…………
何故か、少し言い淀んだのを輝雄は気になったが敢えて触れず続きを促す。どくどくと流れている出血から余命は短いだろうと思ったのもある────────しかし、それ以上に彼女から哀しい覚悟の様な物を感じたからだ。
出かけた言葉を、咄嗟に疑問のまま飲み込む。それは無自覚だったかも知れないが、鬼という彼女への敬意の現れだった。先まで死闘に興じていたとは思えない程、慈愛と慈悲に満ちた眼で言葉を待つ。
「…………あぁ、そいつが?」
「私の、旧い友人みたいな奴でね…………世の為、人の為に仙人を目指してる…………多分アイツの未来は前途多難だろうから、まぁ…………助けてやっとくれ。
────────以上だ…………さ、
「…………」
話を締め括るように、彼は無言で太刀を上段に構えた。
残華『ありとあらゆる物を殺す程度の能力』
『殺す』というのは便宜上のもの、正確に言うなら全てに存在する『終焉』を過程をすっ飛ばし、強制的に迎えさせる。某後輩曰く、直死ソード。
但し、その対象を認識して知覚していなければ、この能力は十全に発揮されない。
逆に言えば、対象を認識知覚出来ていればこの太刀に殺せない物も終わらせられない物も無い。
能力も魂も概念すら例外では無い。