悩んだけどパートナーは彼女にします。
「輝雄ー? お布団干しとくよー。あと私は仕事あるから夕立には気をつけてねー?」
「あぁ、分かった」
庭から聞こえてくる小傘の声に振り向かずテストの採点をしながら応返答する。八月も半ばを越えて蝉が最も五月蝿くなる時期、その夏の風物詩に少し悼む物を感じながらも輝雄はちゃぶ台で仕事に向き合う。一枚一枚丁寧に採点して赤鉛筆で点数を右上に記し、間違っている箇所に小さく訂正を施す。
「キヨシは85点…………ミヨは79点…………コウスケとタクミは65点…………ササマル100点…………って、コイツまた時間余ったからって裏にラクガキしてるな…………」
色々な意味で問題児のテスト用紙を採点してみると予想外なの事に、止め跳ね払いがしっかりした綺麗な文字で途中式を省かず一切訂正が入らない百点満点の出来合いに感心していると、何気なく裏面を見てみるとテスト時間余りで描いたとは思えない程上出来なラクガキがあった────────それは地球育ちの戦闘民族が腰溜め状態から必殺技を放った絵で、ご丁寧に迫力を増す為に集中線まで描いてあった。
(いや、何処で才能発揮してんだよササマルくん…………)
未だに教え子の意外過ぎる一面に微妙な面持ちになりながらも採点を終えて、一人静かに居間でミルで珈琲豆を挽いていく。一定の速度で轢き潰される豆の感触と香りを楽しみ、コーヒーポッドの温度を自身の炎熱術でピタリ92度に上げる。最後に“の”の字を書くようにゆっくりとドリップしてゆく。コポコポと特徴的な音と茶色い細かな泡立ちに、幻想入りする前の懐かしい日々を思い出しながらも手は止めない。
「水出しも良いけど………………やっぱりコレだな」
簾の向こう側から流れてくる涼しい風は、淹れたての珈琲の湯気を部屋の中に霧散させる。それでも確信出来る程の出来栄えに無言で笑みを溢し、静かに啜る。やや強めの苦味に遅れてくる僅かな酸味に、ほっと一息ついた。まだ日が空の頂点に昇るには時間があるからか、涼しい風は止まない。
「…………試してみるか」
マグカップに残る限りなく黒に近い黄褐色に、ふと
「もう一つマグカップを用意して、と」
輝雄はそれを確かめてから、もう一つの空のマグカップを用意する。そして琥珀色の液体が満たされたマグカップに霊力が流され、空のマグカップに傾ける────────注がれたのは、
「
混じり合った筈のミルクと珈琲は彼の能力に遮られる形でまた二つに分たれる。彼が居た外の世界の現代科学では不可能な筈の不可逆は、この世界では容易く可逆となる。
「この対象の“抵抗”という効果から逆算する形で概念の輪郭…………例えば魂も観えるようになった。そして、能力への抵抗力からも逆算で術式を……………………駄目だ、まだまだ机上の空論だ。でも
ぶつぶつ独り言を呟きながら自身の能力の拡張と応用を考えていると、それがまとまり考えになる前にドタドタと廊下から足音が響き渡る。一瞬驚きながらも聞き慣れたものであった事から、輝雄は騒がしいなと呑気に思いながらそちらを見てみると息を切らした小傘がいた。
「ごめーん!! 忘れ物しちゃったー!! 仕事道具そこにない!?」
「おお、これか? しっかりしろよ」
「あと喉乾いちゃった!! それ貰うねー…………ってアッツ!!?」
「それホットコーヒーやぞ」
「先に言ってよ!?」
隣で喚く小傘をよそに、喧しい蝉の声に彼は思い出す。
(────────そういえば、今日満月だったな)
そして小傘は今度こそ仕事に出掛け、上白沢慧音に任された仕事を終わらせていきながら日が傾き、夜の帳が降りてくる。
♢
(…………魔力だと? だが、この気配は…………?)
真夜中、雲が少ないのか月明かりが窓の隙間から差し込み微かな虫の音が囀る時間帯。輝雄の意識は安眠から一気に覚醒する。暑いため保温効果の薄い掛け布団と、しがみついてくる小傘を音を立てず押しのけ枕元の残華を手に取る。黒いタンクトップとバスケットパンツの様な緩やかな寝巻きのまま、夜更けに外に出る。
「────────女の子がこんな深夜に出歩くもんじゃないぞ、不良か?」
「────────良いじゃない、禁忌を犯す事ほど愉しい事は無いわよ?」
眠たげな様子を隠そうともせず、彼は予想通りの来客に溜め息一つ。対する来客は普段通りの赤い洋服に純金の様な金髪をサイドテールに束ね、時計の針のようにも悪魔の尻尾にも見える黒い獲物に腰掛けながら宙に浮いていた────────悪魔の妹、フランドール・スカーレットだった。
「まぁ、吸血鬼だから夜にしか来れないのは分かるよ。でも俺明日仕事なんだよ、せめて連休の時にしてくれ。体力的には大丈夫でも怠いもんは怠いんだよ」
「人間は大変ねぇ…………なら紅魔館に勤めたら? 私専属の
「ハハハ…………魔が差したら前向きに善処する事をペンでも回しながら検討しよう」
「断るなら断りなさいよ」
小馬鹿にする様な半目で興味なさげに、毒にも薬にもならない言葉を捲し立てる。フランも本気では無いにせよあからさまな態度に少しこめかみに血が集まるが、そんな事をしに来たのではないと思い直す。
「────────輝雄、気付いてる?」
「こちとらさっきまで寝てたんやが?」
「気付いてないのね…………呆れた、空を見て」
彼は言われてそれを見やる、丁度一番高い所に満月が────────否、僅かに欠けた月がそこにあった。言われないと気付かない程度、ほんの少しだけだが、
「…………幻術か? しかも察するに、
「そう、誰かが満月を隠してああやって偽りの月を映し出してるのよ…………吸血鬼からすれば溜まったもんじゃないわ」
毒々しく吐き捨てるフランを横目で一瞥し、輝雄は思い出す。月と吸血鬼、彼からすればまだまだ記憶に新しいのだから。
(月光や月齢は妖力に増減に大きく関わる。成る程、確かに妖怪からすれば死活問題か。
だが、それより気になるのはこの異変を起こした術者の実力だ。幻想郷全域、しかもその日のうちに即興でこれほどの結界を………………下手をすれば、
自身の結界術と今までの強者達と比較しても、天井が見えない強さを偽の月を映す結界を通して察する。霊夢が博麗の巫女として動く以上、弾幕ごっこで解決を最優先する筈だが果たして相手がそれに合わせてくれるのか、輝雄に一抹の不安が残る。術者の思惑が見えない以上、結界の効果が幻想郷全域に及ぶなら妖怪全てと敵対する覚悟すら有り得るのだから。
「────────怠いとか言ってる場合じゃないか、で? フランは何をしに来たんだ?」
「…………お姉様と咲夜が異変解決に乗り出したのよ、いつもそう。
私には何も言わず二人だけで愉しそうな事は独占するのよ」
「引き篭もりに理解ある姉が持てていいじゃん」
「今夜はそんな気分じゃないのよ、だから輝雄?
────────私と全部台無しにしない?」
真紅の瞳がギラリと光り、縦の瞳孔はまるで肉食獣を思わせる。欠けた月を背負い、上から迫るフランは有無を言わさぬ気迫を纏いながら続ける。
「異変が起こってる事を知った以上、輝雄も動くでしょう? このままじゃ先を越されるわよ?」
「…………その前に、フランは何がしたいんだ? 具体的に台無しって何?」
「────────全部壊したい。
異変の首謀者も、解決に乗り出したお姉様も咲夜も、巫女も賢者も、魔女も人形使いも、剣士も亡霊も。
全部全部、弄んで壊したいの。良いでしょう? 別に異変はちゃんと解決するんだから」
(…………霊夢と八雲、あとは魔理沙とアリスと妖夢と幽々子か? 今回はかなり多いな)
フムと頷き考える、それは少し拙いと。異変の首謀者の目的と出方が分からない内から全陣営を刺激する真似はしたくない。さながら地雷原にガソリンを撒いて、身体にダイナマイトを纏いタップダンスでもするフランの提案は流石の輝雄も難色を示した。
「…………駄目だ。
異変の首謀者の出方次第だが、飽く迄も…………それこそ
「────────なんで?」
それはまるで、純粋な子供の問い掛けの様な、平らなトーンで聞き返された。紅玉の瞳は真ん丸に開かれ瞳孔も限界まで開いた────────真夏の夜が、怖気混じる極寒の空気を含んだ。
「態々虎の尾を踏む必要は無いし、幻想郷のルールを護らないと────────」
「────────ねぇ輝雄? その時点でもうおかしいと思わない?」
「…………何がだ?」
フランは地面に降り立ち、輝雄を見上げる。純粋で混じり気の無い────────狂気が、
「貴方はこの
寧ろ真っ先に破壊すべきでしょ? この異変は貴方にとってもチャンスじゃない? だってこの状況を意図的かつ恒常的に継続させられたら、妖怪という種全体が弱体化は免れないわ…………それは、
幼い少女の口から、狂気に染まり切っているとは思えない考えが飛び出してくる。彼は僅かに眼を鋭くさせたが、それでも黙って聞いた。
「偽物の月を継続させるかどうかはともかく…………殺したいんでしょう? 八雲紫を、人を喰う妖を。ならこの機に乗じない手は無いわよ?」
「……………………分からねぇな、結局何がしたいんだ? お前は?
仮に俺がこの異変を解決せず幻想郷と妖怪を滅ぼしたとして、お前や紅魔館の面々はその被害を免れるとでも? 何一つ理解出来ねぇな」
「言ったでしょ?
確かに満月を隠されたのは気に食わないけど、元々外にあまり出ない私にはそこまで関係無いし、それ以上に幻想郷を滅茶苦茶にする方が面白そうだわ。
第一、別に幻想郷が無くなったって
正気の沙汰とは思えないその言動だったが、しかし然りとて全くの無計画でも無いのか意外と知的な見識もあった。要するに、彼女は幻想郷に束縛されていると感じ、それを含む全てを破壊したいのだろう。そして今がその絶好の機会という事、予想外の提案に迷いながら輝雄はリスクとリターンを天秤にかけて────────
『────────この子の事、お願いね、輝雄』
────────脳裏に過ぎる託された
(…………あの時は、歴史の矛盾を生じさせない為に、霊郁を死なせない為にルーミアを見逃さざるを得なかった────────でも、今は違う)
太刀を勢いよく地面に突き刺し、首の凝りをほぐす。小気味良く関節を鳴らしながら不敵に笑いながら、彼は言う。
「…………なら、こうしよう。
今から五分間戦って、お前が
だが俺に五分間一撃も当てられなかったら、この異変中は俺の指示に従ってもらう。フラン自身の命に関わる命令以外は
フランはその契約内容を鵜呑みにせず、細部まで吟味する。その上で出た結論はどう考えても、自身に有利であるという事。無策や無意味に彼がこんな条件を出すとは思えなかったが、退けば自信が無いことを吐露する様なもの────────それは、彼女の妖怪としての矜持が赦さない。
「……………………いいの? その条件で? 悪魔は契約にうるさいわよ?」
「────────俺に二言は無い」
────────その言葉を聞いた瞬間、狂気の悪魔が四人、輝雄に迫って来る。
本命、小傘。
対抗、フラン。
大穴、幽香。
選ばれたのは、悪魔の妹でした。
因みにここのフランはお兄様とか言いません、てか言わせません(鉄の意志)。