2021年は平和……うおおドラゴン狩りじゃぁぁぁ!!!   作:蒲焼丼

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生きてます!!! お待たせ(待ってないかもしれないけど)しやした!!!

ワクワクチ○チ○は問題ありませんでした。ここからINTERMISSION 1が開始です。



INTERMISSION1 11の面影
Count 7. 厄日は続くよどこまでも


 

 

 

 最悪続きの日々だ。ドラゴンが地上に降り立ってから、今日までずっとだ。

 

 

『コール、13班! おい、起きろ! 寝てる場合じゃないぞ!』

 

 

 帝竜討伐後でしばらく任務もないはずが、緊急事態を告げるミロクの声が今日の目覚まし代わりになった。

 自分は朝の鍛錬後の小休止中だっが、ミナトは疲労もあってぐっすり眠っていたらしい。寝ぼけ眼の彼女と顔を合わせる。

 緊急時の動きなんて歯磨き感覚で日常に溶け込んでいる。体を起こしてから戦闘用の装備を身に着け、ターミナルの画面をタッチするまでは秒で済んだ。

 何があったと応答すれば、画面に映ったミロクが「キリノが!」と繰り返す。

 

 

 

『キリノの意識が戻ったらしい。医務区で待ってるから来てくれ!』

「キリノさんが!?」

「わかった、すぐ行く」

 

 

 桐野 礼文。ムラクモの研究者にして現総長。2020年では情報支援を始め、ドラゴンクロニクルの解明まで成し遂げた男だ。名実ともに竜災害の第一線に共に立つ戦友とも言える。

 そんな彼は、自分たちがフォーマルハウトに敗れた日に意識不明の重体になってしまったと聞く。二度目の竜災害が始まり、帝竜ティアマットを倒して議事堂中が湧いても、さらに日が経ってもキリノが目覚めることはなかった。

 嫌な想像をしてしまうこともあったが、ドラゴンを殺すには彼の知恵という武器が不可欠だ。仲間としても戦力としても、目覚めてくれたのは僥倖である。

 

 空腹を訴える腹の虫はゼリー飲料で黙らせる。眠気は冷水を顔に浴びせて殺し、意識が冴えていく中、階下の医務区へ駆け込んだ先で双子と合流した。

 

 

「キリノが起きたって聞いた。入るわよ」

「キリノさん、大丈夫ですか!?」

 

 

 足音と声量をユキとナミに注意されるが、構ってはいられない。目指すのは重傷者用のベッドだ。

 自分たちも何度も世話になっているが、スカイタワーが占拠されてからは最奥のひとつが埋まったまま。墓場のように静まり返っているけれど、キリノがいるとしたらそこだろう。

 ベッドを囲うカーテンを跳ね退ける……のはさすがにはばかられるので、許可を得るためにナース達へ顔だけ向ける。

 慌ててこちらへ手を伸ばしていた彼女たちはほうっと息を吐いて、気遣わしげに声を潜めた。

 

 

「シキちゃん、ミナトちゃん、キリノさんのお見舞い?」

「そう、意識が戻ったんでしょ? 今どんな状態? 顔合わせてもいい?」

「ええ、容体は落ち着いているんですけど、今はちょっと……」

 

 

 ナース二人は奥の机でカルテをまとめる医師と視線を交わし、頷く。

 白衣の天使だなんて呼ばれる職のくせに、なんだその念を入れた動作のひとつひとつは。安堵どころか不安を煽るからやめてほしい。

 

 

「13班なら大丈夫よ。……気をしっかりね」

「……それってどういう──」

 

「……13班…………?」

 

 

 か細い声がどこからかこぼれる。

 目の前のカーテンから確かに漏れ聞こえた男の声。薄い吐息は今にも切れてしまいそうな蜘蛛の糸を思わせた。

 

 

「キリノ!」

「ミロク、ミイナ──?」

 

 

 それまでずっと脇で控えていたミロクとミイナが飛び出し、カーテンにしがみついた。

 看護師たちの注意も耳に届かないようで、やや乱暴にベッドが暴かれる。マットレスには空気に溶けてしまいそうなほど生気の削げたキリノが腰かけていた。

 腕を広げて飛びつこうとする少年少女。キリノは驚きながらも二人を迎える、はずが。

 

 

「……ッ…………!」

 

 

 バスッ、と乾いた音が響く。

 

 

「え……っ?」

 

 

 白衣の袖が弧を描いて双子の頬を打っていた。

 なんのことはない。キリノの体に振り回されたそれが偶然当たっただけだ。目の前の男が髪を振り乱して、その動きに引きずられた袖がたまたま、というだけ。

 故意ではない。見ればわかる。痛くもかゆくもない、蚊に刺されるよりも些細なこと。それでも、時間を止めるには十分な衝撃だった。

 くしゃくしゃに髪が絡まった後頭部と、しわだらけの白衣が見えるばかりで、トレードマークの眼鏡と優し気な目は雲隠れしている。キリノはまるで、自分たちから逃げるように背を向けている。

 笑顔を貼りつけたままミロクとミイナは固まってしまう。キリノははっと肩を震わせ、ほんのわずかに体をこちらへ向けた。

 

 

「す……まない、まだこの体に慣れなくて……」

「この体って……?」

「キリノ、いったい何があったんだ?」

「ハハ、見ての通りさ……」

 

 

 渇いた笑いが漏れる。いつもの朗らかで穏やかな彼らしくない、なおざりな声。

 緩慢な動作で、キリノは少しだけ体を回す。目を合わせようとはしてくれない。世界を見るのが怖いとでもいうように。

 さっき双子に当たっていた右の袖の動きがやけに軽い。腕を通していないのだろうか。

 ……いや、腕が、

 

 

「キリノ、どうしたんだよ。……腕? 腕が、──」

 

 

 彼の肩に手を置こうとしたミロクが止まる。どうしたのと歩み寄ろうとしたミイナも、足を踏み出しかけたまま静止した。

 

 

「腕が……」

 

 

 腕がない。

 

 文字通りだ。指先から肩まで、キリノの右腕はどこにも存在しない。中身のない袖がむなしく潰れて、空調の風に震えている。

 

 全員が言葉をなくす中、どうしようもなかったとユキが静かに言った。

 

 

「ここに運ばれた時には、すでにキリノさんの右腕は壊死してて……切断するしかなかったの」

「え、壊死って……!?」

 

「……黒いフロワロ」

 

 

 君たちも見ただろうとキリノが呟く。メガネのレンズが保護する両眼は、色こそいつも通りであるものの、暗い澱みが潜んでいる。どこに焦点を合わせているのかもわからない。

 

 

「スカイタワーから脱出する時にそのフロワロに触れてしまった。そしたら……この有様さ」

 

「言い訳をするつもりはない。しかしどうしようもなかったんだ」

 

 

 切断する判断をしたのは自分だと、医師が足音を立てずにやってくる。片手にはキリノの名前が書かれたカルテがあって、クリップで留められている写真には、燃え尽きた炭のように崩れた……人間の腕、らしき何かが写っていた。

 

 

「瞬く間に壊死が広がってね……悩む暇すらなかったよ。放っておけば全身が同じ状態になっていた」

「全身が……?」

 

 

 隣にいるミナトがぶるりと震えて自身の体を見下ろす。フォーマルハウトとの邂逅を思い出しているのだろう。

 キリノの全身を腐らせかけた黒いフロワロ、その猛毒に囲まれた状態で、自分たちは気を失っていたのだ。何分、何時間かは不明だが、おそらくキリノよりも長い時間接触していたとは思う。

 今のところ、体に壊死の兆候は見られない。自分とミナトが狩る者だからか、それとも別の理由があるのか、はたまた、表には出てこないだけで、水面下では病状が進んでいるのか……。

 

 

「シキとミナトくんは……問題ないみたいだね」

 

 

 こちらを見て、キリノは虚ろな顔でよかったと自分たちの無事を喜んだ。

 蛍光灯に照らされる五体満足の自分たちと、影に滲む隻腕のキリノ。異能力者とそうでない者。持つ者と持たざる者。失った者と、失っていない者。

 違いをまざまざと見せつけられて尚、自分たちに向けられる笑みにひどく息苦しくなる。

 

 

「黒いフロワロは触れた者を死に至らす。生きてるだけ僕は運がいい方だ。いや……利き腕が使えないなら、科学者としては死んだも同然かな……」

「そ、そんなことないです! キリノさんは……」

「……そうだよ! キリノは科学者である前に、オレたちの仲間だろ」

「早くキリノが復帰しないと、私たち困ります!」

 

 

 途中で詰まってしまったミナトの言葉を引き継ぎ、ミロクとミイナが声をかける。

 ありがとうと応えこそすれ、キリノの目は相変わらずどこを向いているのかわからない。確かに言葉を交わしているはずなのに、違う世界に立っているような、薄い膜で隔てられているような。霞をつかむ感覚と似て、互いの意思が噛み合っていない気がする。

 

 

「僕にやれることがあるかはわからないけど……また復帰できるように──……ッ!?」

 

 

 キリノの体が不安定に傾ぐ。なくなってしまった右腕を探して、左手が何もない宙を掻きむしった。

 

 

「はぐ……あ゛……あ゛あ゛……」

「キリノさん! 落ち着いてください! 幻肢痛ね……早く、鎮静剤を! 13班、悪いけど面会はここまでにして」

 

 

 有無を言わせず医務室の外へ追いやられる。押しのけられたことにも、急すぎる面会の中断にも文句は言えなかった。言ったとして、今は誰にも受け止められないだろう。

 閉じた扉の向こうから、ベッドが軋む音と看護師たちの掛け声が絶え間なく響き続ける。

 

 

「う゛ああああっ! や、焼けるっ……腕が……僕の右腕が……!」

 

「……クソ! なんでキリノがこんなことに……」

「…………」

「……ミイナ」

 

 

 ミロクが悪態をつく横で、ミイナが歯を食いしばって下を向く。

 顔を真っ青にして絶句していたミナトが少女を引き寄せて包み込んだ。ほんの少しして、噛みしめるような嗚咽がこぼれだす。

 

 

「キリノ……うう……ぐすっ……」

「大丈夫、大丈夫だよ。大丈夫だからね……」

 

 

 努めて穏やかな声で頭を撫でてはいるものの、パートナーの顔は青いままだ。平静を保っている振りができているだけマシかもしれないが、視線は重力に引かれて地べたを向いている。

 

 

「……治せる方法はないのね」

「近代兵器がドラゴンに通じないのと同じだ。現代医療では……ましてやこの災害下では、なす術がない」

 

 

 ついてきていた医師を横目で見上げる。彼は医務室の扉を見つめて頷いた。

 

 

「医者として正しい判断だったと思うが、本人にとっては……現実を受け入れるのに、時間がかかると思う。その間はそっとしておいてやってくれ」

「……」

 

 

「利き腕を失ったのなら、残った腕を使えばいい」。

 

 医務室でキリノに向かって、そう口走りそうになったのを抑えたのは正解だった。

 たとえば戦いのさなかに片腕をドラゴンにもがれたとして、それだけですぐには退けない。まずは脅威の排除が最優先だ。もう片方の腕でそいつを屠り、応急処置をしてから一度下がる。

 腕が切り離されてからそこまで時間が経たず、ミナトの強力な治癒術があれば……自分の体なら、繋がる可能性はある。

 ただ、今回はそういう話じゃない。

 

 医務室で、五体満足の自分がキリノにかけられる言葉はなかった。かけたとして、それは彼を失意のどん底から救い上げるようなものにはならなかった。引きずって振り回して、残った腕すら千切ってしまいかねない。

 だからずっと黙っていた。何も言わず、彼のなくなった腕から視線を外し、腕を組んで、何もせず。

 

 

『どうしてそんなに平気なの?』

 

 

 問いかけが頭に響く。

 昨年、アオイを亡くし心の折れたミナトが自分に尋ねてきたことがある。なぜ、世界が崩れ死体の山ができても涼しい顔のまま進めるのだと。

 記憶の中のミナトの眼がこちらを見ている。友人の遺骸を焼きつけただろう網膜が、波風立てない自分の顔を映す。

 

 

『どうしてそこまで平気でいられるの?』

『悲しくないの? 苦しくないの、ほんの少しも?』

『これだけ仲間が傷つけられているのに……死者が出ているというのに……そう」

 

「ははっ、そう」

 

「おまえは──」

 

 

『コール、13班』

 

 

「……っ!?」

 

 

 ばちん、と視界が弾ける。

 

 国会議事堂の中、医務室前の廊下の中央、白くて硬い床の上。

 目の前にはやりきれないというように首を振るミロクと、涙を流すミイナと、その背中をなで続けるパートナーの姿。

 

 

「……? シキちゃん、どうしたの?」

 

 

 棒立ちしている自分をミナトが見つめてくる。邪気など一切ない、いつも通りの瞳で。

 

 

「……」

「シキちゃん?」

「なんでもない」

 

 

 今のは白昼夢だ。きっとそうだ。ミナトの顔も、声も、あんな風に歪んだりしない。

 なんだってこんな時にこんなものを見る。自分まで暗い空気に浸りすぎるな。

 

 ちっ、と舌打ちが漏れるのとエメルが再度呼びかけてくるのは同時だった。

 

 

『おい、13班、聞こえているか?』

「聞こえてるわよ、何?」

『至急、ムラクモ本部に集まってくれ。話したいことがある』

 

 

 それだけ言って通信は終わる。一緒に聞いていたミナトたちも、このままではいけないと体を起こした。ミイナが赤い袖で濡れた目もとを拭う。

 

 

「……次の任務が始まるのかな。私たちも、仕事に戻ろう……」

「……ああ……」

 

 

 不安を分かち合うように、双子は手を繋いで一足先にムラクモ本部へ向かう。

 後を追って大部屋に入れば、部屋の空気は医務室とは別の気まずさで満たされていた。研究員や作業員の往来で騒がしいのは相変わらずだが、全員がちらちらと部屋の奥へ視線を送っている。

 今にも破裂しそうな空気をさらに刺激するのは、モニター越しに向かい合う男女二人の声だ。

 

 

「……SECT11が優秀であることはよくわかった」

 

 

 パスン、パスンと小さな音がする。エメルがつま先を持ち上げては床の上に叩きつけているのだ。

 厚い絨毯が衝撃を吸収するため大したことはないが、それすらこの空気の中では起爆剤になりかねない。後ろに控えるシズカの髪が、音に合わせて竦んでいる。

 

 

「だが、こちらに来たからにはこちらの作戦に従ってもらわねば統率がとれない」

『……貴女は何か勘違いをしているようだ。SECT11はあくまでもステイツの軍隊。日本の真竜討伐に協力はするが、指揮権はあくまでも合衆国にある』

 

 

 

 

 エメルはこちらに背を向けているから顔は見られないが、声音は明らかに苛立ちを孕んでいる。そのうち発火でもしそうな雰囲気だ。眉間には深いしわが刻まれていることだろう。

 対して、通信相手であるアメリカ代表は涼しい顔のまま、どこ吹く風といった様子で冷たい笑みを浮かべた。

 

 

『我が国の国防長官であった貴女ならともかく……ムラクモ総長の命令に従う義務は、我々の兵士にはないのですよ、エメル女史』

「バカ者! 今はこの星の危機なのだぞ!? 国単位で話をしていてどうするのだ!」

『人間の世界は、何かと複雑でね。貴女には理解できないかもしれないが……』

 

「な、何かケンカしてるっぽい……?」

「ムラクモに従う義理はないし、人間じゃない奴は口出すなって」

「え、え? ほんとにそう言ってるの?」

「こんな時に堂々と種の差別発言するって、大物なのかバカなのかわからないわね」

「しーっっっ! 聞こえちゃうよ!」

 

 

 と言いつつも、ミナトの顔はフロワロに枯らされた植物並みにげんなりとしている。視線は明後日の方向へ飛んでいるし、こいつもこいつで呆れを隠せていない。

 それも無理はないか。エメルの言う通り、今は地球全体の危機であるのに、画面の向こうにいる男は竜災害に通じているエメルを爪弾きにしたのだ。遠回しに種族のことまで口に出して。竜災害前の世なら多様性だの協調性だのを重んじていたから、目の前の男には世界中からバッシングが飛んでいただろう。

 だが生憎、今は声を上げる余裕すらない世界だ。アメリカの臨時政府代表はこの機会を活かして思う存分羽を伸ばせているようでなによりである。こっちとしては親指を下に向けてやりたい。

 

 

『……世界の平和を守るという意思は、我々もあなた方と変わりなく持っている。我々はアメリカ流で、あなた方は日本流で……ドラゴンの駆逐に向けて、精励しましょう』

 

 

 支援とは名ばかりの、好き勝手させてもらうという宣言を最後に通信は終了する。

 途端、エメルが小さな拳を上下に振り抜いた。もしその手に割れ物が握られていたら床に叩きつけられ粉々になっていただろう。

 

 

「デイヴの奴め……! 先の大戦では忠実さだけが取り柄の男だと思っていたが、とんだ食わせ者だったな」

「言い方があれだけど同意するわ。アメリカは戦力外ね」

「ああ、来たな、13班……」

 

 

 壇上のモニター前に進むとエメルからノコギリのような視線を向けられる。怒りの感情がいつもより増し増しだ。

「ヒュプノス」というのは彼女とアイテルの故郷である星の名前だったか、種族の名前だったか。竜に滅ぼされたヒュプノスの巫女で怒りの化身だという彼女は、その肩書きに違わない怒気をまとっていた。今の顔を見せればたぶん熊やイノシシも追っ払えるだろう。

 

 触らぬ神に祟りなし、というようにモニターと向き合ったまま、ミロクがキーボードを弾く。

 

 

「だけど大統領の言う通り、SECT11の指揮権がこっちにないのは事実なんだよな……。リーダーの二人はああだし……」

「貴重な戦力って思ってたけどアテが外れたわね。無視よ無視。あいつらは放っておいたほうがいい」

「……うむ。デイヴがあの調子では共闘は難しいだろう……そうするしかなさそうだな」

 

 

 部下が部下なら上司も上司か。なんとなく予想はできていたが、やはりSECT11始めアメリカ側はムラクモの手を取る気は一切ないらしい。

 舐めた態度を隠そうともしていなかったデイビッドにはなんだか既視感を覚える。そうだ、昔話などによく出てくる悪役のキツネだ。そう思うとどんどんそれっぽく見えてきた。

 

 

「悩んでも答えが出ないことだ。SECT11のことは、とりあえず捨て置く」

 

 

 象牙色の水干をひるがえし、エメルは数秒前まで抱えていた怒気を払う。伊達に長い間戦ってきたわけではなく、ドラゴン討伐という目的がしっかり見えていれば切り替えは早い。

 

 

「シキ、ミナト。今日集まってもらったのは他でもない。今後の方針について話をしたいと思ってな。来るべき竜戦争に備えて、かねてから用意していた策がある」

「策? SECT11とはまた別の?」

「ああ。前にも言っただろう、各国に残る殺竜機関と連携して次へ向けた研究、開発を進めていると。それは……」

 

「み、みなさーん! ききき、緊急事態ですー!」

 

 

 シズカの高い声が響いて話が中断される。

 周囲から注目とエメルからの睨みを一身に受けてもシズカは止まらない。縮こまりながらもハキハキとした声で用件を述べた。

 

 

「さきほど、フォーマルハウト襲来以来孤立していた都庁から救難信号が届きました! 議事堂への拠点移転後も、都庁の居住区に残っていた一部の市民が発信したものと思われます!」

「都庁から?」

 

 

 東京都庁。懐かしい名前が出てきた。

 二つの高い棟が繋がれた特徴的な建築物は、自分とミナトが出会い、かつての竜災害で人間の拠点となった場所だ。

 拠点の機能としては完全に国会議事堂へ移管したものの、数少ない人間の生活圏だ。最低限の管理のための人員がいて、個人的な事情や思い入れでたまに都庁に向かう者も少なくない。

 けれどそれも、ニアラを倒してからフォーマルハウトが来るまでの話。一度地上から払ったフロワロは懲りもせず東京を覆った。帝竜がいないなら異界化はしていないだろうが、都庁も例外なく侵食されているだろう。

 

 

「……そこに残っている者たちの名簿はあるか」

「はい、こちらになります!」

 

 

 バインダーを受け取った時こそ仏頂面だったが、資料をパラパラめくるにつれて眉間のしわが少しずつ消えていく。竜対策に役立つ情報でもあったのか、ほう、とエメルは呟いた。

 

 

「いい報せだ。現在、議事堂は深刻な人手不足だ。都庁に残っている者の中には研究者も含まれていると聞く。今後の対竜戦に向けて、彼らとの合流は必須と言えるだろう」

 

 

 仕事だと言って資料が手渡される。名簿には一般市民の名前がちらほら、中には竜災害前から付き合いのある研究員も少し。

 都庁は人類の第二拠点として物資が貯蓄されている。昨年のように異界化もしていないなら死傷者が出ている可能性は低い。

 孤立していてもしばらくは持つだろうが、フロワロと敵性体はあそこにも発生しているはずだ。早く行かないと、とミナトが声に不安を滲ませる。

 

 

「議事堂前の駅から丸の内線の鉄道を走っても30分以上はかかっちゃうよね。誰かに車を出してもらえないかな」

「救助の補佐も必要だろう。自衛隊に出動要請を出しておく。彼らの車に乗っていけ」

 

 

 方針がまとまったことでムラクモ本部が一気に騒がしくなった。ミロクたちを始め手の空いている者がそれぞれ都庁へ連絡を取ろうとしているが、繋がる様子はない。

 フロワロの花粉……瘴気は電波の通りも阻害する。帝竜を一体倒しただけでは東京中のフロワロはほぼ駆除できていない。アメリカとは耐災害性のある衛星通信を使っているため問題はないが、それ以外だと単純な信号の送受信以上のやりとりは難しくなっているみたいだ。

 自衛隊への要請を手短に済ませたエメルが振り返る。

 

 

「昨年同様、マモノはもちろん、ドラゴンがいる可能性もある。緊急作戦行動を発令する! 東京都庁にいる市民を救出しろ! ……話の続きはその後だ」

 

 

 次々と移り変わる状況に振り回されて拠点から送り出される。竜災害なんてこんなものだと思いつつも、人の都合もお構いなしに押し寄せる理不尽と忙しなさは大嫌いだ。

 ああ、何もかもが煩わしい。

 

 

「……めんどくさ」

 

 

 これぐらいは許せと吐き捨てた愚痴はミナトの耳に拾われて、苦笑と柔い手が優しく背中をなでた。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「すみません、私が去年の春休みに車の免許取ってれば……! 通学通勤は電車で済ませるつもりだったので……っ!」

「気にすんな! 免許取ってたってその年で車買うのは難しいだろうし、都内には乗り捨てられた車がごろごろあるが盗難するわけにもいかないだろ! 道が荒れてるから揺れるぞ、舌噛むなよ!」

 

 

 運転席のマキタが大きくハンドルを切る。予告通り大きく車体が揺れて、前のめりになる体をシートベルトがギッチリと押さえつけた。

 最優先事項の人命救助を始め、利用可能な物資の回収、道中に議事堂と都庁間の通信状態を改善する補助装置の設置も実施するとのことで、都庁への出動は思ったよりも規模が大きくなった。自分たちが乗る車が先導し、後ろにリンを含む戦闘部隊の車両が列となって続く。

 助手席に座り双眼鏡を覗いていた隊員が無線機を手に取り、「注意!」と部隊に通信を飛ばす。

 

 

「前方百メートル、都庁前に小型のドラゴンを発見! 周辺には小規模なマモノの群れがいくつか確認できます!」

「ドラゴンは避けられないな、ここは開けてるからマモノたちにも気付かれそうだ。隊長、どうする!」

『各班分かれてマモノに対処しろ! 13班、ドラゴンは一体だけだ、任せていいか!』

「もちろんです! ドラゴンを倒したら私とシキちゃんは都庁に入ります!」

 

 

 リンの声に返事をしたのはミナトだった。隊員に無線機を返し、双眼鏡を借りて敵影を確認する。足の裏にばねがついているようにビョンビョン跳ねるシルエットは小型のドラゴンのものだ。

 

 

「あれはリトルドラグかな……? このまま真っ直ぐ走ってください、攻撃するので窓開けますね! シキちゃん、腰支えてもらってもいい?」

「わかった」

 

 

 開かれた窓から風が叩き込まれて髪が暴れる。ミナトがシートベルトを外し、身を乗り出して腕を伸ばした。バランスを崩さないように抱きつく形で体を支えてやる。

 クロウを装着した人差し指がドラゴンに向けられる。少し遅れて、ぶわりとマナが彼女の体からあふれでた。

 

 

「ダメだ、マナがこぼれちゃう……ベイちゃん!」

『呼んだか、小娘』

 

 

 自衛隊員でもパートナーの自分でもない名前が呼ばれると、ミナトの影が音なく蠢く。トランペットが出すような高音から地割れのような低音まで混ざった不協和音と共に、どす黒くなった影から赤い目玉がいくつか浮き出た。

 ミナトに密着している自分はグロテスクなそいつとの距離も極めて近いのだが、文句は言わないでおいてやる。邪悪な見た目でも一応……かなり癪だが、一応味方なのだ。

 煙なのかスライムなのかよくわからない不定形なこいつは、自身のことを邪神だなどとうそぶいている。正式名称は「邪神インヴェイジョン」らしいが、

 

 

「これから長丁場になりそうなの、帰ったらパンケーキ作ってあげるから力を貸して!」

『ぱんけーきとはあの柔らかな狐色の菓子か。何枚だ』

「…………さ、三枚! とっておきのメープルシロップもつけます!」

『うむ、よかろう』

 

 

 この通り、甘味に釣られてミナトに飼われることになった、使い魔みたいな奴だ。「長いから『ベイちゃん』って呼ぶね」と宿主であるミナトにあだ名まで付けられ、もはや威厳も何もないペットである。

 

 緊張感のない会話から一転、赤い目玉の影は不気味な霧となりミナトを包む。

 ニアラとの戦いで酷使され、「パンクした」という彼女の体は練り上げたマナを外に漏らしてしまう。邪神はそれを絡め取ってミナトの中に流し返しているらしい。ホースに空いた穴をふさぐ補修材のような役割だ。

 

 

「ていうかスライム、あんた動けるんなら最初から働きなさいよ。なんでティアマットとの戦いの時には出てこなかったわけ?」

『スライムとは何だ、小娘其のニめ。対価の用意がなかったからに決まっておろうが。神をただ働きさせるなと何度も説いたはずだぞ。貴様の頭には穴でも空いているのか?』

「塩 茹 で に す る ぞ」

『ピギィッ!!? 貴様いつの間に塩を!?』

「こらー! 二人とも喧嘩しないでー!」

 

 

 赤い目玉をわしづかみすれば気色悪い悲鳴が上がり、ミナトが今はやめてと抗議する。そうこうしている間に還元されたマナが彼女の指先に収束し、助手席の自衛隊員が標的との距離を告げる。

 

 

「ドラゴン接近、残り三十メートル!」

「了解、撃ちます!」

 

 

 引き金を引くように、重なっていた親指と中指が弾かれる。

 同時に、こちらを向いたドラゴンにマナが殺到し、極限まで凝縮してバツンと弾け飛んだ。エナジーピラーと呼ばれる純粋な魔力の弾丸だ。

 体の大部分を丸く抉られ、リトルドラグはその場に転がった。

 

 

「ミロク、どう!?」

『敵個体から生命反応消失! 問題ない、倒せてるぞ!』

「よし、さすがだ! このまま都庁の広場に停車する!」

 

 

 列になっていた後続の車両が左右に分かれ、エンジン音に反応して集まってくるマモノに隊列が展開される。マモノの叫びと発砲音が飛び交うのを尻目に都庁前広場に滑り込んだ。

 久しぶりの東京都庁。だが湧いてくるのは懐かしさではなく焦り。自己主張をする赤い花が、この地も例外なく汚染されているのだと語っている。

 

 

『クソ……こんなところにまでフロワロが入り込んでやがるぞ。すぐに生体反応の検出にかかる。みんな……無事でいてくれよ……!』

「フォーマルハウトが襲来した日に、都庁には俺たちの仲間も何人かいたんだ。13班、すまないがそいつらを見かけたら頼む!」

 

 

 マキタたちに礼を告げて広場から一階のエントランスへ駆け込む。物資やら通信やらは他に任せ、まずは都庁での敵性体排除だ。

 

 

「ミロク、屋内のスキャン頼める?」

『ああ、ちょうど今……、ん……?』

 

 

 どうしたのかと尋ねるより先に、視界に都庁の地図が広がる。

 ここに戻るのは議事堂へ引っ越しした年始以来だ。日付が新年で止まっていた見取り図がナビによって更新されていく。

 広さや家具の位置など大部分は変わらないため、事前情報通り異界化はしていないと見ていいだろう。何よりも注視すべきは敵性反応だが……それを示すアイコンの数がやたらと少ない。

 

 

「ドラゴン反応はなし? マモノもほとんどいない……本当にこれだけ?」

『一通りスキャンはした。一度異界化してる土地だから、もう少しひどいかと思ってたけど……予想よりも少ないな』

「議事堂と都庁は真竜が来てからまったく連絡できてなかったんだよね。まだ通信不良が起きてて、スキャン漏れがあったりとかは?」

『いや、回線は問題ない。シズカが都庁の方からSOS信号が届いたって言ってただろ? あのタイミングで通信状況は改善が始まってたんだ。何がきっかけだったのかはわからないけど』

「それは、自衛隊の人たちが街中に通信の中継装置を設置するって……」

「この作戦の中ででしょ? なら都庁からのSOSが届いた時はまだ何もできてないわよ」

 

 

 答えが導き出せず、しんと静寂ばかりがエントランスを包む。表で自衛隊がマモノたちと交戦する音がよく聞こえるほどだ。

 帝竜の力により人智から切り離されるのならともかく、ただフロワロが侵食しているだけなら、自分たちから身を隠すなんて知能を持つマモノは発生しないと見ていい。たまたま屋内よりも屋外での発生が多かったのか、都庁の人間でも対応できるほど弱い個体ばかりだったのか。

 

 

(何だ、違和感が……)

 

 

 ぐるりと辺りを見回してみる。

 使う人間がいなくなったためか、床や皮張りのベンチには埃が積もっていた。天井から降り落ちる砂埃はフロワロの瘴気で赤く染まり、去年自分たちの家として賑わっていた記憶が幻のように霞んでしまいそうだ。

 ただ、床には人間の存在を保証する痕跡がくっきりと刻まれていた。

 

 

「足跡がある。埃も舞ってるし、さっきまで誰かがここにいたんじゃないの?」

「一人二人じゃないよね、でも向きも数もあちこち行ってるバラバラさじゃないし、グループが隊列組んで動いてる感じ……? ミロク」

『残ってた人たちのものじゃなさそうだ。そのまま視線合わせてくれ。……オッケー、撮れた。ミイナ、解析頼む。オレたちはこのまま救助活動開始だ、急ごう!』

 

 

 エレベーターは止まっているみたいだ。階段を使って二階に上がる。

 都庁に入った瞬間からマモノ数体との取っ組み合いは覚悟していたが、未だに遭遇する気配もない。静かな空間に自分たちの足音が嫌に響いて、前進する体がよどんだ空気を押しのける感触を拾う余裕すらある。

 不穏な何かを拭えないままフロアへ入った途端、血臭と硝煙の匂いが鼻いっぱいに広がった。

 

 

「何よこれ、煙い!」

「っわあ、マモノがたくさん……」

 

 

 2020年のムラクモ試験を思い出す光景だった。廊下にはマモノの姿がそこら中に沸いていて、けれどどれもが四肢を投げ出している。極めつけにはドラゴンの死骸まで転がっていた。

 その死骸と血溜まりと同じくらい、小さな金属がそこら中できらめいている。硝煙の発生源はこれか?

 

 

「薬莢? 誰かが戦ってた?」

「ま、待って! それより生体反応がある! 生存者がいるよ!」

 

 

 その声は、とそれぞれの部屋から人間たちが顔を出す。いずれもリストに載っていた民間人だ。みんなが一様に怯えてへっぴり腰だが、怪我は負っていない。先客たちには人間と獣の区別をつける知性はあったようだ。廊下は荒れに荒れているが、人的被害はないと言っていいかもしれない。

 派手に暴れても人は傷付けず、マモノとドラゴンの敵性体のみ屠る技量。そして、ドラゴンの巨体からDzとなる部分がちゃっかりくり抜かれているあたり()()()だ。

 なら、答えは自然と絞られる。

 

 民間人の保護を進めつつ聞き込みをしてみる。揃ってあげられた特徴は「黒ずくめの武装」と「英語」の二点。

 一気に肩から力が抜けて天井を仰ぐ。こんなの面倒事確定じゃないか。

 

 

「……ねえ、帰っていい?」

「ままま待って待って、気持ちはわかるけど! まだ都庁の探索終わってないから! 別の階に残ってる人もいるかもしれないし!」

『要救助者の生体反応、検出完了。ミナトの言う通りだ、10階のフロアに生体反応多数! すぐに救助に向かってくれ!』

「くっそ、面倒!」

『こら、人命救助だぞ!』

「面倒なのはそっちじゃないわよ!」

 

 

 改めて敵性体の気配がないことを確認し、リンに現在位置と状況を報せる。マモノの群れはそろそろ片付くようで、何人かが既に都庁に入ってこっちへ向かってくれているらしい。

 民間人を集めて自衛隊を待つよう告げ、作業員が稼働させたエレベーターに乗り込んだ。軋んだ音を立てる箱の中でGを感じながら、剣に不調がないかを確認する。

 

 

「どう考えても、いやどう考えなくてもあいつらね。場合によっては戦闘になるかもしれないから、準備しておいて」

「戦闘にならないのが一番だけどね。でもなんで都庁に……? こっちに協力する気はないって断言してたのに。嫌な予感がするなぁ……」

 

 

 チン、とベルが鳴り、目的階への到着を告げる。

 

 

「ミロク、ドアの外に生体反応は?」

『すぐ近くにはない。けど気を付けろよ、フロワロの影響で通信は完璧じゃないからな』

「了解。準備は?」

「大丈夫、できてるよ」

 

 

 左足を引いて剣を持つ右腕を構えておく。ミナトが指先に溜めた冷気がこぼれ、床に小さな霜柱が立つ。

 唇を引き結んで目を合わせる。

 

 

「行くわよ!」

 

 

 ドアの隙間に左手を突っ込み、一息でこじ開けた。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 救助活動のサポートはナビたちがいれば十分。マモノの駆除や通信回線の補強作業も順調に進んでいるようだし問題はなさそうだ。

 あとのことは皆に任せて大丈夫だろう。エメルは踵を返してムラクモ本部を出た。

 なぜ子どもがムラクモ本部から、という周りの視線にはもう慣れっこだ。自分も子どもの姿になったばかりの時は取り乱したし、しばらくは慣れなかったけども。今となっては些事だ。

 

 

「私だ。……ああ、作業は以前に言ったままの内容で構わない。あの点には注意して進めるように。それから──」

 

 

 部下からの通信に指示を返しながら、あまり世話になったことのない医務区に入る。

 機動班を危険な前線に送る立場ゆえか、自分は医療従事者たちに要注意人物として見られている節がある。顔を合わせるたび傷病人に無理をさせないようにと言われるほどだ。

 

 

(今回も説教をくらうかもしれんが、悠長に足踏みもしていられん)

 

 

 見舞いの品も持たずに悪いが、現状、山のごとく障害が積み上がっている。解決のためには彼の協力が不可欠だ。一刻も早く戻ってきてもらわなければならない。

 医務室の扉を開き、ナースたちに手を挙げて最低限の挨拶をする。

 照明も空気も薄暗くよどんだ一角、ベッドの上では男がぐにゃりと背骨を曲げていた。

 腰から根が生えたように微動だにしない彼に向け、通信機を持った手を伸ばす。

 

 

『中継器の設置と動作確認、80%まで完了。通信状況、改善されつつあります』

『最高顧問、解析に回していました帝竜ティアマットの検体について──』

『13班が都庁内十階まで到達したようです。物資回収、施設点検のため作業班も都庁内へ入ります!』

『港区周辺のフロワロ反応、及びマモノの活性化が機動班の出動基準を超えています。出動の検討をお願いします』

『一般市民からフロア改修の要望が多数寄せられています。先日のムラクモ会議ではファクトリーが優先されていましたが……』

 

 

 ひっきりなしに声が飛び出し、無数の報連相がラジオのように流れていく。重要な内容から、わざわざトップのエメルに聞かせるまでもない枝葉末節まで様々だ。

 

 

「……おまえの代わりに総長に就任したものの、雑事が多すぎて大事な仕事が手につかん」

 

 

 2020年までは極秘組織だったムラクモ機関だが、昨年の竜災害で表舞台に立ったことで、規模も活動範囲もうんと広がった。

 世間の目に触れないようにという縛りが消えたのは良いものの、その分仕事は爆増だ。組織を回すための人員の配備に、本来の畑であるドラゴンの研究や装備・スキル開発もある。だから人手が欲しい。キリノのように実力のある人間ならなおさらだ。

 

 

「もう、傷は治っているのだろう? なら早く前線に復帰を──」

「無理ですよ、こんな体じゃ……」

「私だってこんな子どもの体だ。だが、口さえ動けば指示は出せるぞ」

 

 

 自分ひとりだけではムラクモ全体を動かす頭脳として不足している。キリノとて理解しているはずだ。

 それでも彼は振り向かない。

 乾燥して傷んだ髪が、細かく左右に揺れる。白衣を羽織った肩が震える。歯軋りすらできないと思わせるほど弱々しい声が絞り出される。

 

 

「違う……僕だって、動きたい……みんなの力になりたい……! だけど、今の僕に……何ができるっていうんですか!」

 

 

 薬も機材も作戦も、全てを自由に生み出せるはずの体は完全に停滞していた。あとはわずかな吐息がこぼされるだけだ。

 

 

「キリノ……」

 

 

 肉体の一部を削がれ、同時に意思も砕かれてしまった人間を見るのは初めてではない。業腹ではあるが、ドラゴンの力に対して人間の存在は紙くず同然だから。

 芯を失った背中が、記憶の中にいる数多の面影と重なる。生まれ育った故郷で、滅ぼされてしまった星々で、辿り着いた地球で、同じようにドラゴンに立ち向かっては蹂躙されていく人々。日常を打ち壊され、当たり前を奪われ、摘み取られていった命たち。

 希望の火があっけなく吹き消される場面には幾度も立ちあってきたが、こればかりは慣れやしない。

 大きなハンデを負ってしまったキリノには何が残っている。折れてしまった意思が何を為せる。

 そんなもの、答えなど、言えることなど。

 

 

「……おまえに何ができるかを真に理解しているのは、おまえしかいないだろう」

 

 

 ひくり、とキリノが一瞬止まる。

 けれどそれだけだ。もう反応はない。

 諦めるつもりはないが、彼のために紡げる言葉はすべて出した。それでも動かないのなら、動けるようになるまで自分が代わりに戦うだけだ。

 腹を括ったエメルは「また来るぞ」とだけ告げ、医務室を後にした。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「──よし、敵影なし」

「気配もない、進もう!」

 

 

 研究員が資料保護のために死に物狂いで除染したのか、十階のフロワロの浸食は最も軽微だった。おかげで息がしやすく、幾分体が軽くなる。

 積み上げられた段ボールと資料棚の間を縫って研究室を目指す。戦いを予感して過敏になった神経がそうさせているのか、一歩進むたびに血の臭いがしてくるような気がする。

 いや、気のせいじゃない。下の階よりも一段と濃い、鼻を刺す鮮血の匂い。

 ぞぐんっ、とうなじが粟立った。

 

 

「戦闘準備!」

 

 

 曲がり角の壁をつかんで無理やり体の進行方向を変える。

 飛び出したことで激しく揺れる視界に映ったのは、マモノの死骸と血だまりと、

 

 

「おわっ!? ちょ、ストップストーップ!?」

 

「──っ!?」

 

 

 開かれていた扉からひょっこり顔を出したバンダナ男。

 

 慌てて足裏を床に着けて上体を反らす。違う素材同士が不快な摩擦音を響かせ、それでも勢いは殺せずに血だまりに足が突っ込む。

 ぎりぎり衝突こそしなかったものの、盛大に飛び散った血が目の前のバンダナへ降りかかる。防ぐ術もなく、彼は直立不動で的となった。

 

 

「ぶっ……ばあっ!! まっず! マモノの血まっず!」

 

「……」

「あ、あれ? もしかしてオクタくん?」

 

 

 後ろから来たミナトが名前を呼ぶと、全身血まみれになった男は顔を拭いながら目を輝かせる。

 

 

「おおっ! シバさんともうひとり、13班来た! もう大丈夫だろこれ!」

「えっ、シバさん!?」

 

 

 ミナトの苗字が呼ばれた途端に誰かが廊下に転がり出てくる。勢い余って血だまりに触れ、ぎゃあっと叫んだのは金髪の男だ。今度はミナトが「ハジメくんも!?」と名前を呼んだ。

 次いで白衣の研究員が一気に数人、さらには廊下の壁から(なぜだ)ポニーテールの女子がぬるりと出てきて、オクタと呼ばれた男の惨状を見て悲鳴を上げる。

 わあ助かっただのちょっとその血どうしたのだのなんで君たちここにいるのだの四方八方から声が飛び交う。

 戦闘に備えて全開になっていたエンジンが一気に冷却されていく。頭の中のブレーカーが落ちそうだ。

 ダメだ、まだ任務中だろう。まずは現状確認をしなければ。

 

 

「……そこの研究員。とりあえず、周りに敵がいるかいないかだけ教えて」

「あっ、さっきまでいたと言えばいいのか……今はいないはず、です。私たちだけで判断するのは危険かもしれませんが」

『敵性反応はない、けど。そこの三人、リストにない一般人だぞ……うち二人はこの間異能力者の適性検査受けてたオクタとアサヒナだろ! なんでここにいるんだよ!』

「あーそのそれはアレっすアレ。マリアナ海溝より深いわけがある的な……」

「ちょっとリョウ! それマモノの血だよね!? あんたの血じゃないよね!? ねえ!?」

「と、とりあえず人数を確認したいので、皆さん集まってもらえますか? 怪我をしてる人がいたら手当てするので教えてください」

「あれ、ちょっと待て、あいつどこ行った!? いつの間にか消えてる!」

 

「……」

 

 

 マモノはいるにはいるがたった数体だけで、どれもが死んでいて今も血を流している。非戦闘員がわあぎゃあ騒いでも新手が来る気配はない。ミロクのナビでも敵性体は感知されないなら戦闘の必要はないだろう。

 ただ、先に都庁で暴れていたらしい姿を見せなかった先客に、リストにはいない一般人がこの場にいることなどなど、ややこしい事態になっているのは確かだ。面倒くささが輪をかけてさらに面倒になった面倒オブ面倒が波になって押し寄せている気がする。

 キリノの負傷から海の向こうの奴らとのごたごたもあるし、ものすごい勢いでタスクが積み上がっていやしないか。そのひとつひとつが厄介な割に、剣も拳も振るえていないからガス抜きすらできていない。

 張り詰めていた糸はすっかり緩んでふつりと途切れてしまう。ベッドに入る直前の倦怠感が波のように体を包んだ。

 

 

「……もう頭使うだけなら、後任せる」

 

 

 思考を投げ出してパートナーの背に寄りかかる。「まだ困るよシキちゃーん!」という呼び声は聞こえない振りだ。

 頭を空にして窓の外を眺める。スリープ状態の脳では空が青い、程度の感想しか出てこなかった。

 

 

 

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