空戦シミュレーターを極めたので異世界でエースとして君臨します   作:PlusⅨ

15 / 26
第13話・二人の距離感

 女性四人での買い物を終えた後、私はマオとの約束どおり少女漫画を借りるべく、ひとりで貸本屋に向かった。

 

 貸本屋の店内には所狭しと本が並べられていて、独特の匂いが立ち込めている。昔、父の書斎に立ち入ったときに嗅いだ匂いとよく似ている。懐かしい、思い出の香りだ。家を失い、そして両親を失い、もう二度と帰ってはこないあの穏やかだった日常が脳裏をよぎり、私の胸を締め付けた。

 

 それにしても、なんという本の量だろう。それなりに広い店内には天井まで届きそうな背の高い大きな本棚が、何列も連なって並んでいた。その棚すべてに本がぎっしりと詰められている。その棚を一列ずつ眺めながら店内を進んだが、そのあまりの多さに、私はちっとも前に進むことができなかった。

 

 本の数も凄いが、その種類の多さに私は目を見張った。学術書や実用書、専門書の類はこの世界のあらゆる分野を網羅しているかのようであり、また小説のジャンルもかなり多様なものが揃っていた。

 

 私の祖国であるドイツは、ソ連に全土が占領されてから共産党による社会主義国家となったので、出版物はほぼすべて共産党の厳しい検閲を受けていた。ドイツ共産党は共産主義のイデオロギーを広めるためならどんな手段でも使う組織だったので、党の意向に反するような思想的な書物は発売禁止となっていたのだ。そのため、私たちの生活は娯楽に飢えていた。読書もそのひとつだった。

 

 しかしこの満州国はアメリカの保護国という歴史を経た影響か、ここに並んだ大量の書籍からは自由を感じられた。思想の自由、表現の自由、そして娯楽を楽しむことの自由を。

 

「あら、お客様。何かお探しですか?」

 

 ふと背後から声をかけられて振り返ると、そこには和服姿の店員さんが立っていた。

 

「いえ、ちょっと本を探しに来たんですけど、量が多すぎてどれが目的の本なのか分からなくて……」

 

「そうでしたか。よろしければご案内いたします。本のタイトルはお分かりですか?」

 

「ご親切にありがとうございます。『氷雨の降る夜に』という、えっと、マンガ、という分野の本…だったと思います」

 

「はい、それでしたらこちらの棚にございますよ」

 

 私は店員さんの後に続いて店の奥へと進んでいった。

 

 やがて立ち止まった彼女が指差す先には、そのタイトルの本が確かにあった。全50巻、つまり五十冊もの本がずらりと並んでいる。確かにこれだけの量があると、一人で借りるのは骨が折れそうだ。

 

 とはいえ、何も一度に全部借りる必要は無いのだ。取り敢えず第1巻から第10巻前後ぐらいまで借りて、後はそれを返すときにまた続きを借りればいい。私は借りる前に中身を一応確認しておこうと思い立ち、一冊を手に取った。

 

 実は私は、漫画というものを一度も読んだことは無かった。ドイツ人民共和国で流通していた絵が主体の本と言えばヴェショルィエ・カルチンキ(楽しい絵)と呼ばれたソ連製の絵本ぐらいしかなかった。

 

 それ以外の、例えばアメリカ製のコミックブックなどは低俗で退廃的なプロパガンダという理由で排斥されていたのだ。とはいえ、コミックが全く存在しなかったわけではない。海賊版のコミックが若者たちの間では密かに広まり、官憲や熱烈な共産党支持者たちに見つからないように隠れながら読まれていた。

 

 私も、仲の良かった友達から一冊だけ見せてもらったことがあった。それは質の悪い黄ばんだ紙に、同じく質の悪いインクで印刷された、ボロボロの薄い本だった。きっと多くの人間の手を渡り回し読みされてきたのだろう。ページの所々が破け、途中の数ページは落丁していたが、私はそれを夢中になってむさぼるように読みふけった。その内容は超人的な力を持ったヒーローが悪漢たちを懲らしめるという、単純な内容で、正直に言って私の好みでは全くなかったのだけど、今まで見たことも無かった新しいスタイルで描かれていたということと、なにより禁じられた本を読んでいるという背徳感とスリルが、私を夢中にさせていた。

 

 私はその時と似たような興奮を味わえるかも知れないと思って、少しワクワクしながら手に取った漫画に目を通した。

 

「へえ…」

 

 私は思わず声を漏らしていた。漫画というのは、思っていたのとは全く違っていた。あの思い出のコミックブックに確かに似ているが、なんといえば良いのか、そう、没入感とでも言うのだろうか、受ける印象がまるで違っていた。

 

 私がかつて読んだコミックは、絵が並んでいるだけだった。それぞれの場面を描いた絵画を、単に並べ、そこに説明文のようなセリフが描かれているようなものだった。だけどこの漫画は、絵が動き、音が聞こえるかのようだった。まるで自分がこの本の中にいるかのように感じられたのだ。

 

 それはコマの形や並べ方、セリフの書き方、絵のアングル、そういうあらゆる要素が複合し影響し合ったことによる演出なのだろう。それは恐ろしく高度なテクニックだった。あまりにも高度過ぎて、違和感をまったく感じさせないくらいだ。ページに描かれたいくつもの絵を流し見するだけで、そこに描かれた内容が全て頭に入ってくる。いや、漫画のキャラクターと同じ視点に立ち、同じ心をもって、その世界を生きているように錯覚してしまう。

 

 私は本棚の前に立ったまま、あっというまに第1巻を読み終えてしまった。一冊の本をこんなにも早く読み終えたのは初めてだ。私はまったく無意識に第2巻へと手を伸ばしていた。そのとき、

 

「お客様?」

 

 店員から声を掛けられ、私はハッとした。

 

「あ、すみません! 立ち読みなんかしてしまって」

 

 立ったまま本を読むなど、はしたない。そう父にたしなめられたことを思い出す。

 

「いいえ、構いませんよ。その本、お気に召しましたか?」

 

「はい! とても面白いです!」

 

「それはよかった。しかし立ち読みではお疲れでしょうから、奥の席をご利用くださって構いませんよ」

 

「いいんですか?」

 

「もちろんですよ。ゆっくり読んだ上で借りる本をお決めになってください。持ち帰って読みたい本というのは、きっと何度も読み返したくなるものでしょうから」

 

「ありがとうございます。それじゃあお言葉に甘えて、ちょっと休ませてもらいますね」

 

 そう言って私は店の一番隅にあるテーブルと椅子が置いてあるスペースに移動した。ここは他の客からは見えない場所になっているので、ゆっくりとくつろいで読むことができる。

 

 漫画『氷雨の降る夜に』は、マオが説明してくれたとおり、戦争に出征した少年と、その帰りを待つ恋人の少女が織り成す甘く切ないラブストーリーだった。そして、マオが言っていたように、確かに素晴らしい作品だった。続きが気になって仕方がなく、一気に第10巻まで読んでしまった。

 

 席から立ち上がり、本棚から第11巻目を手に取ろうとしたとき、店内の時計が目に入り、私はハッとした。もう夜の八時を過ぎている。店内に入ったのはまだ夕方四時ごろだったから、かれこれ四時間以上も長居してしまったことになる。

 

 基地はここからバスで20分程度の距離にあるが、街はずれにあるためバスの本数は少なく、そろそろ最後の便の時間が迫っていた。歩いても帰れない訳ではないけれど、その場合は2時間近くはかかってしまう。私たち傭兵パイロットは非番であれば特に門限はないけれど、あまり遅いとマオやアレックス先輩たちも心配してしまうだろう。

 

 私は続きは借りて読むことに決めた。けれど当初借りる予定だった第1巻から第10巻まではもう読んでしまった。であれば第11巻以降を借りていきたいところだけど、そもそもここに来た理由はアレックス先輩にこの漫画を読んでもらうためだ。アレックス先輩は興味が薄そうだったけれど、でも私自身がこの漫画を読んで、是非とも先輩にも読んでもらいたい気になったので、やっぱり第1巻から借りていきたい。

 

 でも、でも、そうなると一度に十冊以上の本を借りて持ち運ぶことになる。それはかなり厳しい。どうしよう。

 

 私がそうやって本棚を前にして葛藤していると、不意に、横から声をかけられた。

 

「誰かと思えば、クラリス、君か」

 

「え?」

 

 聞き覚えのある男性の声。

 

「レイ……隊長?」

 

 なんでここに? という疑問はすぐに解けた。貸本屋に来たのなら本を借りに来たに決まっている。その証拠に彼は手に一冊の本を持っていた。

 

「どうしてそんなところに突っ立っているんだ?」

 

「いえ、あの、その、漫画を読み過ぎちゃって……」

 

「立ち読みしているようには見えないな。手に何も持っていない」

 

「えと、それはそうなんですが、そうではなくて、これを借りたいのですけど、あんまりにも面白すぎてどこまで借りればいいか、その、迷ってしまって」

 

 なぜだか、しどろもどろになってしまった。レイ隊長は私の前に並ぶ漫画を眺めると「なるほど」と頷いた。

 

「『氷雨の降る夜に』か、確かに面白い漫画だ。長いのを除けば、だが」

 

「はい! 本当に素敵な漫画なんです! ーーって、隊長も読んだことがあるんですか?」

 

「マオの奴があんまり進めるもんでな。先週の非番の時に読破した。面白いことは面白いが、俺はもう少し短い方がいいな。一度に全部借りるのは骨が折れた」

 

「え、これを一度に全部借りたんですか?」

 

 おうむ返しに言った私に、レイ隊長は呆れた表情をしながらこう言った。

 

「結末も知らずに死んだら悔しいだろう」

 

 死んだら? あぁ、そういうことか。ここで漫画を読んでいた時はうっかり忘れていたけれど、私たちは最前線で戦う傭兵パイロットなのだ。明日を知れぬ身であれば、確かに続きが読めるとは限らない。レイ隊長らしい考え方だと思う。

 

 けれど、戦場で戦う最中に漫画の続きが気になって未練に思うなんてあるのだろうか。私は、レイ隊長が戦場で敵機に追いかけられながら少女漫画の結末を気にしている様子を想像してしまった。

 

 それはあまりにもシュールで、私は思わずクスリと笑ってしまった。

 

「何を笑ってるんだ?」

 

「いえ、なんでもありません」

 

「いや、今、俺のことを笑っただろ」

 

「そんなこと……」

 

 再度否定しかけて、ふとレイ隊長が以前、私に”本音で話せ”と言ったことを思い出した。そう、この人の前では、私は思ったことをそのまま口にすべきなのだ。だから私はこう言った。

 

「…確かに笑いました。隊長のこと、可愛いって思ったので」

 

「か、可愛い、だと」

 

 途端にレイ隊長は耳まで真っ赤にした。いつも冷静沈着なこの人がここまで動揺するのは珍しい。やっぱり本音で話せるというのは楽しいものだ。

 

 そんな私を前に、隊長は困ったように頭を掻きながら言った。

 

「笑うのが悪いとは言わないが、それは心の中で留めておけ。俺をからかっているのか」

 

「からかったつもりはないですよ。本音で話せという命令に従っているだけです」

 

「まったく君は……。それで、結局、何冊借りるんだ?」

 

「え?」

 

「漫画の話だ。何巻から借りるのか知らないが結構な量だろう。半分手伝ってやる」

 

「え……あ、ありがとうございます。ちなみにこれ全部ですけど」

 

「…途中まで読んだんじゃなかったのか?」

 

「私は読みましたけど、元々はアレックス先輩に読んでもらおうと思って借りに来たんです。もっとも、マオが勧めたとき、あまり興味は無さそうでしたけれど」

 

「そうでも無い。あいつかなり好きだぞ、こういうの」

 

「そうなんですか?」

 

「他人に知られるのが嫌なのか、隠れて読んでいることが多いけどな。しかも少女漫画を読んだ後はいつも決まって、しばらく俺と目を合わせようとしないんだ」

 

「はぁ、そうなんですか。…何故でしょうね?」

 

「さあな」

 

 レイ隊長は軽く肩をすくめながら、本棚から漫画を次々と下ろし始めた。優に三十冊以上はある。レイ隊長はそれを両腕で軽々と持ち上げながら、私に言った。

 

「残りのそれぐらいなら君でも持てるだろう。とりあえずレジまで持ってこい」

 

「はい」

 

 レジで貸し出しの手続きをすると、店員さんが持ち運び用に大きな革製のバッグを渡してくれた。五十冊の漫画ならこれ一つで全部入りそうな大きさだった。

 

 私は、二十冊程度が入りそうな中くらいのバッグか紙袋は無いかと訊いたけれど、もう他のお客さんに渡してしまい在庫が無いという返事だった。

 

 レイ隊長はそれを聞くと、何も言わずに漫画を全部バッグに仕舞い込んで、さも当然のように自らの肩にかけてしまった。

 

「だ、ダメです隊長!私が借りたんですから私が持ちます!」

 

「君の腕力では無理だ。まともに歩けやしない」

 

「そんなこと――」

 

 言いかけた途端、レイ隊長が私にバッグを押し付けた。両手で慌てて受け止めると、レイ隊長が手を離す。

 

「――あっ!?」

 

 想像以上の重さに体がふらつき、バッグを落としそうになる。レイ隊長がすぐに手を伸ばし、バッグを再び持ち上げた。

 

「ほら見ろ。人間、出来ることと出来ないことがあるんだ。自分の力を冷静に見極めて判断しろ」

 

「はい。…でも、これは私が借りたものですから、レイ隊長が負担するのも筋が通りません」

 

「アレックスに読ませるんだろう。アイツは俺の相棒で身内みたいなものだ。なら、俺が荷物持ちをするのが筋だ」

 

「え?」

 

 私は戸惑う。理屈がよく分からないこともそうだけど、何故か胸が少し、チクリと刺されたような痛みを感じた。

 

「行くぞ。帰りのバスに遅れる」

 

「は、はい」

 

 レイ隊長は私の隣を歩き足早く店を出て行った。私も後を付いていくように早足で歩く。

 

「あの、隊長」

 

「なんだ?」

 

「隊長にとって、アレックス先輩ってどういう人なんですか?相棒だって言ってましたけど」

 

「急だな」

 

「いえ、ちょっと気になっただけです」

 

「身内みたいなものと言っただろう。養成所からずっと一緒に飛んできた腐れ縁だ」」

 

「そうじゃなくて、もっとこう……えっと、だ、男女の仲とか…そういう意味で……です」

 

「よくある質問だな。ま、誤解されるのも仕方ない距離感だと自覚はしている」

 

 レイ隊長はしばらく黙ったあと、静かに言った。

 

「何度か意識したことはあるが、ただ、あまりにも近すぎるんだ。養成所からずっと一緒に生き残ってる仲間はアレックスだけだ。女としてどうとかじゃ無くて、もう俺の半身みたいなものなんだよ」

 

「今の関係を壊したく無いんですね」

 

「かもな」

 

「…でも、アレックス先輩はそう思ってないかもしれませんよ」

 

「かもな」

 

 レイ隊長はさほど驚きもせず、私の言葉を肯定した。

 

「どれだけ近かろうが所詮は他人だ。家族と言えども内心で何を考えているか全部分かるわけじゃない。ただ、お互いに理解し合えているかのように振る舞っているだけだ」

 

「…なんだか、突き放した言い方ですね」

 

「昔、そうやって他人が何を考えているのかが分からなくて、それが怖くて、ずっと他人を避けていたことがあった。どんなに親しそうに見えたって、裏じゃ俺を嘲笑っているんじゃないかと疑心暗鬼になって、それで他人が怖くなって、自分の部屋にずっと引きこもっていた」

 

「…え?」

 

 レイ隊長は立ち止まった。私たちはバス停に着いていた。

 

「俺は、他人の考えや感情を理解するのが苦手だ。人の気持ちが分からない。だから世間に背を向けてずっと引きこもっていた。それが俺の前世だ。空っぽの、何も無い人生さ。そして自分でも気づかないまま死んで、この世界に転生させられた。馬鹿みたいだろう」

 

 くっくっくっ、とレイ隊長は自嘲的に笑いながら、私を見た。

 

「君の壮絶な半生に比べたら、ぬるま湯みたいなふざけた人生さ。この世界に投げ込まれて自分の悩みの小ささをようやく自覚したよ。他人からどう思われようが、それがどうした、だ。所詮、生きるか死ぬかだ。それ以外はどうでもいい」

 

「アレックス先輩にもし嫌われても、どうでもいいと思えるんですか?」

 

「俺を殺したいほど憎んでいなけりゃ、それでいいさ……」

 

 ま、もしそうだとしても、とレイ隊長は呟いて続けた。

 

「……アイツに殺されるなら、それはそれで良いさ。多分、俺は納得して死ねる」

 

 本音だろう。私はそう思った。レイ隊長は私にそう命じたとおり、自分もちゃんと本音で語ってくれている。

 

 だからこそ、私は戸惑っていた。

 

 胸の奥に感じるこの痛みの意味に、私は戸惑い続けていた……

 

 




―――第13話あとがき―――

 すっかりクラリスがメインヒロインみたいな感じになってきた。

 どうしたらいいの、教えてAIさん……。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。