たとえ一流に届かなくとも   作:立日月

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第1話

「雪ね……」

 

 空から落ちてきた白い欠片たちを見て、彼女──キングヘイローはそう呟いた。

 

「冷えるから中に入ろう、キング」

 

 俺はそう促したが、彼女は首を横に振る。

 

「もう少しだけ、ここにいさせて」

「風邪引くぞ」

「……いいじゃない。もう風邪引いたって誰も困りはしないわ。私の競技生活は、この間終わったんだから」

 

 そう言ってキングはスタンド席から中山レース場を見下ろした。

 先日、この中山で行われた有馬記念でキングはそのレース人生に幕を引いた。

 大晦日の今日。レースも行われず、ターフもスタンド席もひっそりとしている。

 

「そんなことないさ、みんな心配する。俺だってそうだ」

「……でも、もう少しいたいの」

「そうか……。じゃあこれだけでも着てくれ」

 

 俺は自分の羽織っていたジャンパーを、キングの肩にかけた。薄着になった肌を、真冬の寒気が撫でていく。

 

「ありがとう」

「ああ」

「……」

「……」

 

 なんとなしに、お互いに口を閉じ、沈黙が横たわった。五秒か、一分か、はたまた十分か。静寂の中、雪が降り落ちるターフを二人で眺めていた。

 

「……オペラオーさん、強かったわね」

 

 沈黙を破ったのは、キングからだった。

 

「ああ、今年は彼女の年と言って過言じゃないだろうな」

「それもそうだけれど……先日の有馬記念よ」

 

 完全にバ群に埋もれていた最後の直線。恐らく全員が、テイエムオペラオーの年間無敗が夢に終わったと思っただろう──彼女以外は。

 

「彼女、あんな絶望的な状況でも笑っていたよ。本人だけは、一欠片も諦めてなかったんだろうな」

「オペラオーさん、どんなに苦しくても常に笑っていて、軸がブレないのよ。きっと……それが彼女の強さなのね」

「……そうだな」

 

 キングが何を言いたいか、キングが何を思っているか。長い付き合いだから、少しくらいはわかる。だが、口には出さない。キングがそれを望んでいないから。

 少なくとも今は。

 

 

「ドトウさんも、毎回オペラオーさんをギリギリまで追い詰めてたわ」

「ああ、オペラオーがいなければ、今年年度代表ウマ娘を取っていたのはメイショウドトウだろうな」

 

 宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンカップ、そして有馬記念。その全てがテイエムオペラオーの2着。

 彼女をただ善戦するだけの勝負弱いウマ娘だと思う人間はほとんどいないだろう。

 

「きっと彼女は来年G1を取ると思うわ」

「あんなに控えめなのにオペラオーへの執念だけは本物だからな。来年のどこかでオペラオーを倒すかもしれないな」

「……そうね」

 

 この間まで、最強世代といえばスペシャルウィークを筆頭にしたキングたちの世代だった。でも彼女の同期たちはほとんどターフを去り、残ったのは怪我のリハビリ中のセイウンスカイと、キングだけだ。

 今の主役はオペラオーとドトウたちの世代で。あの有馬記念もその結果が順当に出ただけだとも言える。

 

「……」

「……」

 

 そして、キングも今年で引退。通算レース成績、27戦6勝。彼女にとってその成績は自分の定めた『一流』には、きっと届いていないんだろう。

 引退したキングに俺は今、何かを言わなければならない。そしてそれが俺の彼女のトレーナーとしての最後の仕事なんだろう。

 けれど……なにを言うべきか考えあぐね、じっとキングの後ろ姿を眺めていると、キングが口を開いた。

 

「ねえ、トレーナー」

「なんだ、キング」

「……私の、私の有馬記念での、最後の走りは、どうだった?」

「……」

 

 キングは、ずっとターフに目線をやったままで。こっちからはどんな表情をしているのか窺い知れない。

 

「キングの走りは……」

 

 一流だった、と言うのは簡単だ。でも、キングがその言葉を望んでいないことはわかる。たとえ俺が本当にそう思っていたとしても、一着を取れなかったレースの走りをそう表現して欲しくない、そう思ってるはずだ。

 

「……」

 

 目を閉じて、先日のキングの走りを思い出す。

 

 最終コーナー、ほとんど最後方と言ってもいい位置から大外を回り、バ群から離れたところからの上がり最速の末脚。

 絶望的な状況から抜け出したオペラオーよりも。そのオペラオーをギリギリまで追い詰めた粘りのドトウよりも。キングの走りが俺にとっては最高で。

 

「誰よりも格好良くて。孤高で。俺が惚れたキングヘイローの走りそのものだったよ」

 

 これが、俺の、嘘偽りのない、本当の気持ちだった。

 俺の言葉を聞いたキングは、ゆっくりとこちらを振り向いた。彼女の目は、真っ赤だった。

 

「……そう。あなたにそう思ってもらえたなら、良かったわ」

「君の担当をさせてくれて、本当にありがとう」

「こちらこそ……あなたが私のトレーナーで、本当に良かったわ」

「光栄だよ、キングヘイロー。……そろそろ冷えてきた、帰ろうか。年越しパーティーもあるんだろう?」

 

 

 

「ちょっとこっちに来て屈みなさい」

「なんだい?」

「ジャンパーを返すから。かけてあげるわ」

「そりゃどうも」

 

 キングの手が肩に届くようにしゃがんでやると、思いのほかお互いの顔が近かった。

 

「っ……」

「動かないの、お馬鹿……はい」

「あ、ああ……ありが……⁉︎」

 

 ジャンパーをかけられてほっとした刹那、なにか、頬に柔らかい感触を、感じたような……。

 

「ほら、さっさと行くわよ、遅刻なんて一流のすることじゃないわ」

 

 そう言うキングは、ほっぺたまで熟したりんごみたいに真っ赤になっていた。

 

「キング……今のって」

「トレーナーじゃなくなったって、あなたのことを手放したりなんか、しないから」

「……はは、これは、参ったな」

 

 中山レース場に降り落ちていた雪は、今やすっかり止んでいた。

 

 

 

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