仮面ライダームラサメ   作:正気山脈

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 ――ある夜のこと。
 磐戸市のマンションの屋上で、制服を纏った一人の小柄な少女が、宙に浮かぶ妖艶な女性の前に跪いていた。
 校舎に浮かぶ女のシルエットは人間のものに見えるが、半透明で揺らめいており捉えがたい。実体として存在するはずなのに、まるで虚像のようだ。
 肩にかかる長さの金髪と恐ろしい程に整った顔立ちが特徴的で、大きくくびれた艶めかしく柔らかな肢体は、透き通った赤い薄手の布で胸部と腰を包んでいるのみ。背中からは金毛の翼も生えている。
 少女の方は夜闇によって顔や表情が分からないが、その内腿に小さな刺青のようなものが刻まれているのが見えた。

「これで私は、彼と一緒になれるの?」
「ええ、もちろんよ。私の神血(イコル)の刻印を使えば、あなたは人間を超えた存在に変わる」

 女は愉快げな声でそう言って、彼女の耳元に顔を寄せて妖しく囁く。

「愛しい人を自分のモノになさい。あなたには、それを可能とする力がある。そして私の肉体を現世に呼び戻すのよ」
「……分かりました、女神様」
「頼んだわね」

 そう言って神と呼ばれた女は耳に口づけをし、立ち去る少女の背に手を振る。
 見送ってしばらくした後、空間に穴が開いたかと思うと、そこから一人の大男が姿を現した。
 アダン・アルセニオ・エスカルラータ。紫乃たちLOTの封魔司書と、死闘を演じた男である。

「あら、アダンじゃない! 惜しいタイミングだったわね、今さっき人間を一人唆したばかりなの。面白いところを見逃して残念だったわね?」
「ククッ! 相変わらず人間で遊ぶのが好きらしいなァ、アンタ。本当にタチの悪い女神だぜ」
「ンフフフッ。ところで……ロゴス・シーカー幹部の一角がわざわざ足を運ぶなんて、どうしたのかしら?」

 目を細め、ゆらりとアダンに近寄る女神。彼の腹の中を探っているようだ。
 アダンはくつくつと笑いながらその視線を受け流し、恐れる事なく気安く話しかける。

「どうしても始末したいヤツらがいる、封魔司書だ。俺たちも対策を練ってんだが、完成までもう少し時間がかかっちまう」
「それで私の力を借りたい、と」
「おう。戯我を見繕ってくれや、できれば上級が良い。代わりにアンタの復活も手伝ってやるよ」
「ンフフッ! 本気で潰すつもりみたいねぇ。憎き封魔司書とはいえお気の毒だこと」

 明らかに少しの同情も憐れみも感じていない口調で言い放つと、女神は自らの細指を弾く。
 するとそこに、新たにひとつの怪物の影が躍り出る。
 様々な生物の要素が融合したような、おぞましい魔獣の影法師だ。
 それは地に降り立って二人の姿を見ると、夜空に向かって一吠えする。

「良いわ。面白そうだし、このイシュタルの下僕を使ってみなさい!」

 女神イシュタルはそう言って、自らに従う獣の頭を撫でた。


魔人ノ章
第十三頁[甘美な地獄は薄桜のように]


『それじゃあ行雲くん、実験を始めるわよ』

「いつでも良い」

 

 封魔司書の仮面ライダーがアダンを討伐してから、一ヶ月が過ぎた頃。

 図書館地下にあるLOT磐戸支部の拠点、そのトレーニングルームにいる紫乃は、織愛からの通信を受けてレリックドライバーを装着する。

 その手に握られているのは、ソニックペガサスのモンストリキッド。シルバーホワイトカラーのリキッド二つを左右で組み合わせる事で一つになる、特殊な形状のアイテム。

 新たに入手したモンストリキッドであるこれらの性能テストを、ここで行っているのだ。

 初使用の際は緊急の状況、さらに事件の後処理や戯我への対処で今の今まで後回しになってしまったので、この日ようやく始める事になったのである。

 作成中にカートリッジの形が変化するというのは、少なくとも磐戸においては初めてのケース。その原因や作成法を調査するのも、今回のテストの目的であった。

 ともかく紫乃は二つのリキッドを合体させ、通信席で織愛とロゼと灰矢が見守る中、それを起動する。

 

《ソニックペガサス!》

 

 天馬のレリーフが完成し、音声が流れる。そのまま、紫乃はそれをレリックドライバーへと装填してグリップを引っ張った。

 

Loading Color(ローディング・カラー)! GRADATION(グラデーション)!》

「変身」

BRUSH-UP(ブラッシュ・アップ)!》

 

 トリガーを指で弾くと、白銀の五芒星が出現。そこからが吹き出したインクが、全身を覆い尽くす。

 そしてアンダースーツと生体装甲が形成されて、仮面ライダームラサメ ソニックペガサスカラーが誕生した。

 

《空翔ける神速の大将! ソニックペガサス!》

「まずは変身成功だ」

『OK! それじゃ、次は相手を送るわね!』

「来い」

 

 ムラサメの短い返事の後、訓練用の戯我が数体その場に姿を見せる。

 まずは通常の攻撃能力の計測。ソニックペガサスは素速く疾駆し、瞬く間に敵の元へ到達する。

 

『うっそ、速い……!?』

「ハァッ!」

 

 突き出された拳の一撃が戯我の頭を微塵に砕き、そのまま背後にいる者たちへと蹴りを放つ。

 これも一発でインクの怪物を消散せしめ、さらなる拳がもう一体。続けてもう一度、と繰り返す内にその場にはムラサメのみが残る。

 

『すごい戦闘スペックだわ。次、前に使ってた翼の機能を発動して戦ってみて』

「了解」

 

 再度、数体の戯我がトレーニングルームに送り込まれる。

 ムラサメは背中の翼の装甲を展開し、露出したダクトから銀光を放出。その輝きが両翼をコーティングし、スピードを向上させる。

 

「オオオーッ!!」

 

 咆哮し、武器を使わず次々に素手で戯我を殴り倒すムラサメ。しかしあまりのスピードに振り回されてしまい、思うように攻撃できない場面もあった。

 結果として、敵を全滅させるまでの時間は先程よりも長くなっていた。

 

『うーん……運用にはもう少しコツが必要みたいね。それじゃ次よ、エレメントかフィジカルのどっちかをカラーシフトしてみて』

 

 ムラサメは首肯して、ソニックペガサスをドライバーから抜いて分割。

 そしてペガサス側をホルダーに戻し、ハウンドのモンストリキッドを手に取って、ソニックと共にドライバーにセットした。

 だが、認証時の音声が流れない。

 

「む?」

 

 二回ほど再装填するが、結果は同じだ。織愛の指示を待っていると、向こう側から通信が入る。

 

『うぅーん、どうも性能は高いけど組み合わせが限定されているみたいね。ソニックとペガサスのペアじゃないと使えないみたい』

「強力なモンストリキッドである分、汎用性には欠けるという事か。次は……」

 

 その後、紫乃が疲労して音を上げるまで実験は続いた。

 結果として高性能な代わりにカラーシフト(リキッドの組み換え)ができない欠点、そしてその殺人的速度故に紫乃では使いこなすのに相当の時間を要するという点が浮き彫りとなった。

 紫乃はそのまま自身の部屋のベッドに向かい、学校に備えて泥のように眠った。

 

※ ※ ※ ※ ※

 

「ねー行雲ー、今日アタシらと帰んない?」

「オレが?」

 

 性能テストの翌日。

 放課後の磐戸高校一年生の教室では、帰宅の準備を進めていた紫乃がクラスにいる数名の女子に絡まれていた。とは言っても、相手側は友好的な雰囲気なのだが。

 その様子を間近で目の当たりにしていたロゼは、大いに衝撃を受けているようであった。

 

「なぜオレなんだ」

「えー、だって。なんか最近すっごい良い感じだし」

「良い感じ……?」

「顔つきが柔らかくなったっていうか、打ち解け易くなったっていうか。ねぇ?」

 

 グループの代表らしい茶髪の女子が問うと、他の女子生徒も頷く。話を近くで聞いていた男子生徒たちもだ。

 

「前はなんか、ずっと切羽詰まってる感じがしたもん」

「そうそうそう! 顔が良い分さらに近寄り難かったよ!」

「アタシ今の行雲のが好きだなー」

「私も!」

 

 茶髪の女子生徒は馴れ馴れしく紫乃と肩を組み、自らの体を押し付けるようにしてニヤリと笑う。

 

「だからぁー、ついでに一緒に遊ぼうよ! カラオケとか色々!」

「そういうことなら、悪いが重要な用事があるんだ。オレ一人で帰らせてくれ」

「えぇ~、良いじゃんそんなの後でさぁ~」

「今日はダメだと言っているだろう、また別の機会にしてくれ」

 

 キッパリと断って女子生徒の手を解くが、しかし彼女は諦めない。

 紫乃の肩を再び掴んだかと思うと、いきなりその背中に抱きついた。

 

「オイ……」

「素直になりなってぇ、アタシらと遊ぼ? ね?」

「いや、だからオレは忙しいと――」

 

 再び断って腕を払う紫乃。さらに、流石に見ていて我慢の限界に達したのか、ロゼも介入しようと口を開く。

 するとその時、彼らに割り込むような形で、女子生徒の鼻先にピッと閉じた扇子が突きつけられた。

 見れば、そこにいたのは新たな女子生徒。結んだ黒髪を左右に垂らした、真面目そうだが快活さも感じさせる雰囲気を纏うスパッツを穿いた少女だ。

 

「こぉら柿根(カキネ)さん。ダメでしょ、無理矢理遊びに誘うなんて。学生の内からパワハラとセクハラなんて良くないわ、というかくっつきすぎ」

「ちぇーっ、委員長にそう言われちゃしょうがないなぁ」

 

 彼女を見るなり、柿根というらしい茶髪の女子は苦笑し、渋々と言った様子で紫乃から離れる。

 そして委員長と呼ばれた生徒は、満足気に頷いて紫乃に向き直った。

 

「良かったわね行雲くん。さ、用事あるんでしょ?」

「すまない、助かった。えぇと……」

海松野(ミルノ)よ。もう一ヶ月になるんだから、そろそろ覚えてよね」

「ああ。とにかく助かった、じゃあ」

 

 そう言って荷物を纏め、そそくさと教室を出る。それに続く形で、呆けていたロゼも一緒に。

 紫乃の言う用事とは、現状の最高戦力であるソニックペガサスの速度に慣れるためのトレーニングである。

 この力を使いこなせば、いずれ現れるであろうアダンのような強敵にも立ち向かえるからだ。

 しかし移動の途中で、紫乃は突然ピタリと足を止めた。

 

「……む、そうだ。悪いが図書室に寄るぞ」

「え? 別にいいけれど、どうしたの?」

「借りていた本を読み終わった。返しに行かなければならない」

 

 なるほど、とロゼは納得して共に学校の図書室に足を運ぶ。

 図書の街たる磐戸では、学校内の図書室もそれなりの規模になっている。落ち着いた空間なので、ここで勉強する生徒も多い。

 到着した紫乃は、すぐにカウンターに置いてある返却箱へ借りた本を入れた。タイトルは『湖の騎士ランツェレト』とある。

 

「待たせたな。行くぞ」

「ええ」

 

 にこやかに首肯し、ロゼは紫乃の隣に並んで歩こうとする。

 だが、その瞬間。

 

「ま、待ってください」

 

 受付のカウンターの方で、そんな声が聞こえる。小さな声だが、紫乃の耳には確かに聞こえた。

 振り向くと、そこには眼鏡をかけた女子生徒が座っている。黒髪で、長い三編みを背中に垂らしているのが特徴的だ。

 

「む、図書委員の。確か鳩羽(ハトバ)だったか」

「えっと、その。きょ、今日は本を借りて行かないんですか?」

「ああ。用事がある、また今度だ」

「そう……ですか」

 

 鳩羽という女子生徒は、残念そうに眉を下げる。ちなみに二年生なのだが、なぜか敬語で話している。

 彼女は紫乃とロゼの顔を、きょろきょろと見比べていた、その姿に不思議そうに首を傾げつつ、紫乃は背を向けて図書室から去ろうと歩く。

 すると、鳩羽がその背中に向かって、先程より大きな声を投げつける。

 

「また、来てくださいね!」

 

 それを受けながら、紫乃は振り返らずに小さく手を挙げて図書室を去った。

 

「……モテモテね、行雲くん」

 

 まるで抗議するかのように、隣でロゼが呟く。とても不服そうだ。

 対して、紫乃は訝しんでいる様子で眉根を寄せている。

 

「モテる? オレがか?」

「だって……あんなに女の子と親しいから。クラスの子とも、あの図書委員の先輩とも」

「冗談抜かすな。オレにそんなつもりなどない、向こうも別にそんな気はないだろう。考えすぎだ」

「そんなの分からないわよ? 行雲くんが勝手にそう考えてるだけで、彼女たちがあなたを恋愛的な意味で好きっていうのは充分あり得るわ」

「逆になぜお前はそう思うんだ」

「それは」

 

 ピタリと廊下の途中で立ち止まって、ロゼはキリッと表情を引き締め、堂々と言った。

 

「女の勘よ」

「どちらにしても、オレは色恋沙汰に現を抜かす気も特に興味もない。やらねばならない事はいくらでもあるからな」

 

 紫乃も紫乃で断じるが、その言葉を聞いたロゼは、またもやムスッと頬を膨らませた。

 彼女の様子に困惑した紫乃は、首をひねって尋ねる。

 

「何がそんなに不満なんだ? お前の考えている事が全く分からんぞ」

「……教えないわよ」

「なんなんだ一体、とにかく行くぞ。織愛も待っている」

 

 機嫌の直らないロゼを尻目に、紫乃は共に磐戸図書館へと向かおうとするが、その直前。

 紫乃のN-フォンから着信音が鳴り、

 

「どうした」

『弓立くんから緊急の連絡よ! 戯我が出たわ、ロゼちゃんと一緒にすぐ調伏に向かって!』

「了解」

 

 そう言って、紫乃はロゼと頷き合って駆け出した。

 二人を影から見つめて追いかける女子生徒にも気づかずに。

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 紫乃たちが連絡を受けた頃。

 その現場では、灰矢が街中に現れた戯我の対処に当たっていた。

 敵は下級のインプ・ギガ。小さな体躯と翼を持ち、指先から矢のように火を放って遠距離攻撃を行う。

 だが、ガイアトータスカラーである仮面ライダーユーダリルの防御能力の前では、小さな火の矢など何の意味も持たなかった。

 

「射ち抜く!」

 

 分離する装甲を操作してインプたちにぶつけ、攻撃を防ぎながら次々と消滅させていくユーダリル。

 さらにAウェポンBモードから引き絞られた光の矢が、インプたちの頭をダンゴのように串刺しにしていく。

 数は多いが、大した相手ではない。ユーダリルが救援を求める事となった問題の相手は、他にいるのだ。

 

「グハハハハッ! 中々やるではないか、人間よ!」

 

 頭上でそう言ったのは、四枚の翼を背負う獅子の頭の怪物だ。両腕は猛獣のそれで、足は鷲で、さらにサソリの尾を生やしている。

 腰からは蛇が生えて巻き付き、前垂れのように足の間にぶら下がって、舌先をチロチロと出していた。

 その名はパズズ・ギガ。下級はおろか中級さえ超えている、最も神に近い上級に分類される戯我の一体である。

 

「クソッ、なんでこんな大物がこんな時間から出てくんだよ!」

 

 強力な上級戯我が相手では、結界も無理矢理に突破される。

 結界の内側にいれば多少なれども力を減衰させる事ができるとはいえ、それでもなおユーダリル一人に対処し切れる相手ではないのだ。

 よって救援が到着するまで時間を稼ぐ必要があるが、あまりに長くなれば攻略不能になるだろう。

 何しろ、こうしている間にも夜が近づいているのだから。

 

「アマテラス様、ラー様、ソール様……とにかくどこの誰でも良いからもうちょい保たせてくれよ! 太陽神様方よぉ!」

 

 半ばヤケクソになって叫びながら、ユーダリルは装甲で防御を硬めつつ、弓でパズズを狙い射つ。

 だがパズズの放つ高熱を帯びた突風は装甲や土壁など物ともせず、それらを通り抜けて彼のみを襲った。

 

「ぐあああっ!?」

 

 生体装甲が風を受けると、まるで病魔にかかったかのようにユーダリルの身体が痙攣し始め、苦しんで蹲った。

 パズズとは悪霊の王にして風と疫病の化身。この戯我の放つ風は高温にして猛毒を伴い、触れた者は病に冒されてしまうのだ。

 その力は封魔霊装にすらも及び、変身者自身や装甲などに異常を与え、動作を封じ込める。

 

「なんて技だ……!」

「むん!」

「ぐはっ!?」

 

 毒風で身体の自由が効かなくなったユーダリルの顎に、パズズの蹴爪が容赦なく襲いかかる。

 通常、毒ならば時間をかければ封魔霊装の機能によって毒素を分解する事で、自動的に回復できる。が、今回のパズズのような上級戯我の猛毒では、修復完了までに非常に時間がかかってしまう。

 

「これじゃ防戦一方じゃねぇかよ」

「フ、バカめ! 防御すらできておらんだろうが!」

「ぐあ!!」

 

 今度は獅子の豪腕が、脆くなったユーダリルの胸装甲を打つ。

 続いて転倒したところで、さらに熱風と同時にサソリの尾針が肩を刺す。

 

「ぐうっ!?」

 

 肩の装甲が抉れ、マントも破損。徐々に旗色が悪くなっていくのが、ユーダリル自身にも分かった。

 

「ま、まずい……あいつらが来るまでに、持ち堪えねえと……!?」

 

 

 

 ユーダリルが戦い続けているのと時を同じくして、学校から外に出た紫乃とロゼは、そのまま大急ぎで現場へ向かっていた。

 報告によれば相手は上級の戯我、しかも日が落ちれば戯我たちは結界の影響を受けず活性化してしまう。それまでに、どうにかして対処せねばならない。

 軍服に着替えて変装する時間さえ惜しい。だがそんな時、無情にも二人の目の前にひとつの影が降り立った。

 

「む!?」

 

 二人の前に姿を見せたのは、妖艶な人間の女性に似た姿をした有翼の戯我。全身がピンク色で、先端がハート型の尻尾が伸び出ていた。

 翼と言っても鳥のような羽毛に包まれたものではなく、蝙蝠のように薄い皮膜で作られたものだ。それが腰の辺りから生えている。

 右手には鋭利な爪が伸びており、その手をゆらゆら動かしながら、その戯我は紫乃をじっと見つめていた。

 

「サキュバス・ギガ、か? しかもあの刻印は……」

 

 眼前の戯我の内腿で光を放つ金星の惑星記号に似た模様に注目して、紫乃はハッと目を見開く。

 

「どうしたの?」

「こいつ、恐らく女神イシュタルに魅入られた人間だ。ヤツから神血(イコル)を受けている」

「なんですって!?」

 

 イコルとはその名の通り神の血液であり、戯我を構成するインクと同一のものでもある。

 神の配下や眷属となる戯我は、この血によって描かれる事でも生み出せるのだ。

 さらにその神から直接与えられた液体を人間が浴びると、ヒトはヒトという存在ではいられなくなる。つまり、戯我と同等の存在に変わってしまうのだ。

 それだけではなく、刻印はその神の従僕である事を示す証でもある。神からの命令には絶対遵守、場合によっては生贄にさえされるだろう。長期に渡れば完全に定着し、二度と人間には戻れない。

 

「よりにもよってあのイシュタルだなんて……」

「狙いは自身の復活だろう。ロゴス・シーカーとかいう連中とも繋がりがあるかも知れない。お前は先に行け、こいつはオレが引き受ける」

「ええ、お願い!」

 

 小さく頷いた後、ロゼはサキュバスの横を飛ぶように走り抜ける。

 サキュバスはそれを追う事も視線を送る事すらもせず、ただ熱に浮かされたように紫乃の顔を見つめていた。

 紫乃は訝しみつつも、ライズホルダーにレリックライザーをセットし、サンダーとハウンドのリキッドを手に取る。

 すると、サキュバスは愉快げに色気のある声を発した。

 

「アハァ~……行雲くん、あなただったんだ……仮面ライダー」

「なに?」

「見つけた、見つけた……アハ、アハハハハッ」

 

 彼女から出た言葉を聞いて、紫乃はまた眉を寄せる。

 自分の顔と名前を知っているという事は、必然的に目の前にいるのは紫乃自身も見知った人物だという事だ。

 しかし、彼にはそんな相手に心当たりなどない。

 

《サンダー!》

《ハウンド!》

「お前……何者だ!?」

Loading Color(ローディング・カラー)! GRADATION(グラデーション)!》

「変身!」

《天を裂く紫電の咆哮! サンダーハウンド!》

 

 ムラサメとなった紫乃は、AウェポンTモードを構えて疾走し、サキュバスに刃を振り下ろす。

 いささか大振りであった素速く身をかわされるが、直後にそのままの勢いで身を翻して足を振り、回し蹴りを側頭部に叩き込む。

 

「イッ!?」

「フッ!!」

 

 怯んでふらついたところへ、続け様に畳み掛けるような斬撃の連続。

 爪で反撃しようとしたサキュバスの右肩へ刀で突き、それさえも許さず攻撃を仕掛ける。

 

「どうやら今はそこまでインクの力が定着していないようだな。中級にしては弱すぎる」

「う、ぐ」

「悪いが貴様と遊んでいる暇はない。このまま一気に戯我から引き剥がして、元の姿に……」

 

 そう言ってムラサメがレリックドライバーに手をかけ、必殺技を放とうとした、その時。

 サキュバスの全身から、ピンク色の蒸気のようなものが噴出。

 ムラサメの身体に痺れが走って動けなくなった上に、目眩ましとなった。

 

「うっ!?」

「必ずあなたをモノにする。イシュタル様の、そして私のために!」

 

 そんな捨て台詞を吐いた後、声の主は走り去る。

 僅かに見えたのは、紫乃たちの通う磐戸高校の制服のブレザーとスカートだ。

 

「逃したか……!」

 

 ムラサメは歯がゆい気分になりつつも、Aガジェットを操作。

 Aストライカーを生み出し、再びロゼと灰矢の待つ現場へと急ぐのであった。




付録ノ十三[イシュタル]

 メソポタミア神話において知られる女神。
 美や性愛・多産、さらに戦や豊穣に加えて金星を司るなど、幅広い信仰と神の権限を持つ強力な神である。
 だがその性格は悪辣そのもので、欲しいと思ったものは手段を選ばず奪いにやって来る。思い通りにならなければ殺す。
 かつてギルガメシュの美しさに惹かれて誘惑したが、一蹴されたため復讐としてグラガンナという巨獣を寄越してウルクを破壊しようとした例がある。
 後にその神性を貶められ、アスタロトという悪魔の名を与えられた事もある。
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