夜が近づきつつある磐戸市。
そのとあるビルの屋上で、パズズ・ギガと仮面ライダーの戦いの様子を眺める者がいた。
ロゴス・シーカー幹部が一人、アダンである。
戦いには既にロゼの変身したブリューナクが加わっているものの、パズズの優勢は変わらず。
猛毒の熱風で圧倒し、長槍も弓矢も受けずに全てを退けている。
「ハハッ! 流石はパズズだぜ、あの二人くらいじゃあもう相手には……」
アダンの嘲弄も束の間。毒の舞う戦場に、もうひとつ影が乱入する。
紫乃の変身した仮面ライダームラサメであった。バイクに跨り、颯爽とパズズに立ちはだかる。
「来た来た。さぁてあいつが合流して何分保つかねえ」
足を組みながら、ニヤついてアダンが言う。
「お前らも良く見ておけよ?」
そう言った彼の背後には、紫乃やロゼと同じくらいの年頃の少年少女がいた。
病魔の風が吹き荒れる戦場に、飛ぶように躍り出た仮面ライダー、ムラサメ。
その姿を目撃して、パズズの熱風に苦悶したブリューナクとユーダリルが声を上げる。
「ムラサメ!」
「やっと来たか!」
待ちくたびれたとばかりにユーダリルがムラサメの背を叩き、改めてブリューナクと共に武器を構えて隣に立った。
「待たせたな、これでお前を調伏するメンバーが揃った」
「ハハッ! 愚かな、相手はこのパズズなんだぞ? しかも間もなく夜だ! たった三人程度で何が変わると……」
「悪いが喋る時間も惜しい、短期決戦で行くぞ」
そう言ってムラサメは、即座に装填済みの二つのリキッドを取り外し、白銀のカートリッジを手にする。
さらにその二つを合体させ、起動した。
《ソニックペガサス!》
「お前を塗り潰す色は決まった」
《
シルバーホワイトのインクが弾け飛び、ムラサメの全身を包む。
そして背から翼が伸びて開き、吹き起こる風を伴って一気に前へと飛び出した。
《
「フッ!!」
銀光の暴風が病魔の熱風を消し散らし、向かい風に乗じて仕掛けて来たパズズを毒ごと押し返す。
そのムラサメの勢いに続き、ユーダリルが矢を放つ。ブリューナクもAウェポンを
「ぬお!? な、なんだと!?」
負けじとパズズが再度の熱風で応戦するが、その異常な素速さで目前まで迫ったムラサメ ソニックペガサスカラーの起こす銀の風により、病毒の力は全てが無力化された。
直後に何度も繰り出される拳が頬や腹を殴打し、パズズの屈強な肉体を容易く地面に転がす。
「ぬああ!? 俺の、毒の嵐を……掻き消す光……だとぉぉぉ!?」
「シッ!」
「ぐおおおおお!?」
両翼の装甲を展開し、さらにスピードアップして連続攻撃を繰り出すムラサメ。
パズズはもはや風を起こすどころではなくなり、防御すらままならない状態という言葉が自身に返って来る事になった。
本来なら扱いが難しく長時間の使用に難のあるソニックペガサスだが、夜になる前に決着をつける必要がある今、ムラサメに躊躇いはない。加速度に振り回されて反動に苦しみつつも、パズズを確実に追い込んでいく。
「く……!」
「封魔司書がァ!!」
痛みに苦悶して立ち止まったムラサメに、叫びながらパズズは拳を突き出す。
「ハッ!」
「ぐがっ!?」
しかしその苦し紛れの一撃は、すれ違いざまに抜き放たれたAウェポンTモードの斬撃によって、拳を両断されるという形で失敗に終わる。
「く、これは……相性が悪すぎる!!」
悲鳴のようにそんな言葉を口走った直後に、今度はユーダリルの斧が身体を裂き、ブリューナクの穂先が足を突く。
装甲のダメージは残ったままだが、彼らは既に毒の影響を抜け出し、完全に態勢を立て直していた。
このままでは、本当に夜が来る前に倒れてしまう。パズズは焦りを見せ、それを悟ったかのようにムラサメが大きく動き出す。
「長くは使えん、トドメを刺してやる」
《
必殺技の発動だ。さらに続く形で、ブリューナクもユーダリルもドライバーを操作して技を繰り出そうとする。
だが、その時だった。
三人が動きを一瞬止めた隙を狙い澄ましたかのように、頭上から小瓶のようなものが飛来したかと思うと、それが割れて内部の液体が煙のように噴き上がった。
「何!?」
あっという間に、パズズはその場から完全に姿を消す。
夜が来る前に倒すつもりが、逃してしまった。
向こうも軽傷ではないのですぐに戦いに復帰する事はないだろうが、それでもソニックペガサスという切り札を見せた上で退却させたのは、封魔司書たちにとって手痛い。
次は何か対策を持ち込んで来る可能性があるからだ。それに、今の攻防でかかった紫乃への反動も大きかった。
「……なぁ、気づいたか」
「ああ」
脅威が去った後、安全な場所まで離れてから変身を解除した灰矢が二人へと問いかけ、紫乃が頷く。
そして、ロゼも神妙な面持ちをしながら答える。
「さっきの小瓶、あれはアダンが使っていたものと同じです」
「そういうこった。となりゃ、この件にはまたロゴス・シーカーが関わってると見て間違いねぇだろうな」
ロゴス・シーカーの名を耳にすると、紫乃は首肯しつつ「その事だが」と切り出し、話を続ける。
「先程、サキュバス・ギガが現れた。そいつの内腿には、イシュタルの神血によって刻印がされていた」
「イシュタルだと!?」
「しかも、そいつが逃げる時に一瞬見えたが……あの制服は磐戸高校の女子生徒だ」
ロゼが目を見張り、灰矢も眉をしかめる。困った状況になった、とばかりに。
「顔は見られちまったのか?」
「ロゼもな。サキュバスの方も深手を負っているとは言え、正直に言ってかなり悪い状況だ。明日に至急学校で調査しなければならない」
「その上あのパズズにも気をつけなきゃならねぇからな……クソッ、こいつは厄介だぜ」
灰矢が深く息をつく。
サキュバス・ギガ自体が手強いワケではない。ただ、相手が磐戸高校の生徒であるという点だけが彼らにとって大きな枷になるのだ。
まず神血を受けた生徒が、学校で事件を起こす可能性がある点。他の無関係な住民を巻き込む騒動になる事が容易に想像できる。
さらに紫乃とロゼの秘密を知っている点。揺さぶりをかけて来る事が、充分に考えられる。
加えて、学校で調査する以上どうしてもパズズへのマークが手薄になる。しかも相手は難敵で、ソニックペガサスでなければ太刀打ちできないだろう。
無論、イシュタルも最初からこれを想定していたのではないだろう。あくまでも偶然が重なったに過ぎないのだ。
「とりあえず、一旦支部長に報告を。詳しい方針はその後に決めましょう」
「そうだな」
返答の後、紫乃たちは揃って図書館へ戻る事になった。
そして報告を済ませると、改めて三人に任務が与えられる。
紫乃とロゼには早急にサキュバス・ギガの正体を掴んで調伏する事を、そして灰矢にはパズズが再出現した際の足止めを。
※ ※ ※ ※ ※
翌日。紫乃とロゼは、今日も学校に向かっていた。
ただし当然ながら通学中は和やかな雰囲気などではなく、学校内での調査を行うためか、ロゼの表情には緊張が走っている。
「そう固くなるな、怪しまれるぞ」
紫乃に指摘されると、ロゼはハッとして咳払いする。
「……行雲くんは誰がサキュバスの正体だと思う?」
「まだ調査の前だからな、確かな事は言えない。しかしオレの顔を見知っている風だったのは大きな手がかりになるだろう」
「確かに。ということはやはりあの二人のどちらかが犯人なのかしら」
「あの二人? 見当がついてるのか?」
「え、むしろ行雲くんこそ見当がついていなかったの!? どう考えても柿根さんか、鳩羽先輩が疑わしいでしょう!?」
大きく声を張り上げるロゼに、紫乃は目を丸くする。
すると彼女は慌てて再び咳払いし、声を落として恥ずかしそうに「ごめんなさい」と呟いた。
「ただ、あなたの話を聞く限りだとサキュバス・ギガは確実に行雲くんに好意を抱いている生徒という事になるわ。柿根さんは積極的にあなたに引っ付いていたし、図書室で引き止めていた鳩羽さんも怪しい」
「それであの二人なのか? しかし、確証もないのに疑うというのは……また女の勘というものか?」
「……とにかく! あの二人を調査しましょう、まずは刻印があるかどうかを調べないと!」
つかつかとロゼが早足で歩き、先に教室へ向かう。
紫乃もその後を追い、靴箱まで移動して上履きを取り出した。
すると、その直後。
「行雲くん、おはよう」
靴を履き替えた彼の背後へ、そんな声をかける女子生徒がいた。
振り返って確認すると、その顔は紫乃も見知っている顔だ。
「海松野か」
「あっ! 名前覚えてくれたんだ!」
「まぁな」
「うふふ……嬉しい」
学級委員長の海松野の頬は赤く染まっており、瞳は何やら御馳走を前にしたかのようで、ともかくうっとりとした表情だった。
様子がおかしいとは思いつつも、紫乃は何も問わず、ロゼの待つであろう教室に向かおうとする。
だが。
「ごめんね」
紫乃の背中に何かが押し当てられたかと思うと、バチッという火花が散ったような音が鳴る。
短い悲鳴の後、紫乃はがくりと膝から崩れ落ちた。
振り返って見れば、彼女の手には扇のようなものが握られている。
否、それは扇ではない。そう見えるように作られた、護身用のスタンガンだった。
「海松野……おま、え……」
「大丈夫だよ。さぁ、行こうね」
紫乃の身体を引っ張り、他の生徒たちから隠れるように移動する海松野。
意識が途絶える前に見た彼女の表情は、明らかに正気のそれではなかった。
「……おかしい」
一方、教室ではロゼが困った様子で胸の前で腕を組んで悶々としていた。
もうじきHRが始まるというのに、一緒に来たはずの紫乃が未だに姿を見せないのだ。
それにロゼは先程さり気なく柿根の内腿をチェックしたのだが、彼女に刻印はなかった。
悪い予感が、ロゼの脳裏に浮かぶ。
「まさか、鳩羽先輩が先に動いて行雲くんを?」
だが、すぐにその考えを振り払う。
いくら紫乃が彼女らを疑っていないと言っても、自分が注意を促していたのに全くの無警戒でいるはずがない。
とすれば、この状況は一体どういう事なのか?
「そーいや委員長、来ないねぇ」
「ほんとだ。今日休みかなぁ?」
生徒たちのそんな話し声が聞こえて、ロゼは目を剥く。
まさか。まさか、サキュバス・ギガの正体は。
全てを察したその時、教室の外から悲鳴が上がった。
急いでロゼが駆けつけてみれば、昨日も現れていたというインプ・ギガが生徒や教師たちを襲っているではないか。
「どうして……!?」
どうやら何者かによって結界が破られているらしく、下級戯我たちは正常に動いている。
一瞬、ロゼは躊躇した。正体を明かすリスクを冒して変身するか、避難を優先して変身せずに行動するか。
その時、廊下から大きな二つの叫び声が木霊する。
「みんなー! こっちだよー!」
「速く逃げて下さい!」
廊下で生徒たちに避難を促しているのは、若葉と駿斗だった。
それを見て幾許か落ち着きを取り戻したのか、教師たちも率先して避難活動に当たっている。
「先輩……!」
二人が自分に気づいてサムズアップをするのを見て、キュッと唇を引き締めると、ロゼは生徒たちが逃げるのとは別方向に走り出す。
さらに足を動かしながらAガジェットで織愛に事態の報告を行いつつ、レリックライザーを取り出した。
「待っていて行雲くん、すぐに片付けて見つけ出すから!」
人の流れる方を避けて誰もいない教室に隠れ、レリックドライバーを装着。
そしてロゼは二色のモンストリキッドを取り出し、それを起動してセットした。
《フラッシュ!》
《ケンタウレス!》
《
「変身!」
《輝き貫く瞬速の騎士! フラッシュケンタウレス!》
変身完了して廊下へ飛び出したブリューナクは、廊下を一気に疾走し、インプを蹴散らしながら進み続ける。
※ ※ ※ ※ ※
「……む?」
暗い室内で、紫乃はゆっくりと目を開く。
周囲に跳び箱やバスケットボール、丸めたマットなどがある事から、ここは体育館の倉庫の中のようであった。
紫乃自身はというと、パイプ椅子の上に座らされ、両腕をロープで後ろ手に拘束されている。両足も椅子に縛り付けられているようだ。
鞄は平均台の上に放置されており、レリックライザーとライズホルダーも取り出せない状態のため、変身はできない。どの道、四肢を拘束されていてはどうしようもないのだが。
「くっ、これでは動けない……!」
「うふふふふっ、とっても良い格好だよ行雲くん」
そんな声が、正面の扉の方から聞こえる。
声の主は海松野だ。緊縛されてもがく紫乃の姿を、頬を上気させて恍惚と眺めている。
「お前……一体どういうつもりだ」
「ん? 何が?」
「とぼけるんじゃない、なぜお前がこんな事を」
そう言われると、海松野は「ああ」と思い至った様子で声を上げ、スパッツをその場で脱ぎ捨てる。
さらに自らのスカートをゆっくりとたくし上げると、その内腿にはサキュバス・ギガに付いていた神血の刻印があった。
彼女こそが、イシュタルの協力者だったのだ。
「私ね、女神様に会ったのよ。とてもキレイな方で、私の願いを叶えてくれると言ってくれたの。これはその契約の証」
「……サキュバスはお前だったのか」
「うふふ。こうしてしまえばあなたは簡単に私のものになるって、女神様から教えて貰ったんだよ」
言いながら、海松野は紫乃のブレザーに手をかけて、ひとつひとつボタンを外していく。
続けてその下に着ているワイシャツも全開にし、我慢できなくなったのか肌着は素手で乱暴に引き裂いた。
見れば、右手のみがサキュバス・ギガのものと同じになっている。インクの力が身体に馴染みつつあるのだ。
「ああ……顔と同じキレイな身体。もっと速くにこうすれば良かった」
「放せ!! 一体何をするつもりだ!?」
「あら、もしかして本当に分からないの? うふふっ、初心っていうか純情っていうか……」
海松野は爛々とした目で紫乃の顔を見つめると、彼のはだけた胸に両手を当てて、耳に舌をねっとり這わせた。
「ぐっ!?」
「じゃあ私が教えてあげなくっちゃね?」
「や、めろ……オレに触れるな!」
「こんな状況でも強気な事言えるんだねぇ。あっ、そうだ」
ニヤリと歪んだ笑顔を見せると、海松野は自身の姿を完全にサキュバスのものに変化させる。
「私の身体から出る霧を吸い込むと……全身の感度が上がって『とっても気持ち良くなる』んだよ。あの時は鎧のせいで効かなかったみたいだけど、今ならどうかな?」
サキュバスが言い、紫乃は焦りを見せ始める。
どうなるのかは分からないが、至近距離から毒霧を食らってしまうのはマズい。かと言って、今の彼には何の対策もできないのだ。
必死にもがいている間に、サキュバスは紫乃のズボンのジッパーを下ろし始めた。
「じゃあ、一緒に楽しいコトを――」
「させない!!」
突如そんな声が聞こえたかと思うと、倉庫のドアが蹴破らると同時に発砲音が響き、サキュバス・ギガの翼が銃弾に貫かれる。
「ああっ!?」
悲鳴を上げて銃創を押さえるサキュバスだが、今度は右膝にライフルの弾丸を打ち込まれ、その場で崩れ落ちる。
紫乃が入口にいる人物の方に目を凝らすと、そこにいたのはブリューナクだった。
居場所をAガジェットによって察知し、救助に来たのだ。
「行雲くん、大丈夫!?」
「間一髪といったところだ。助かったぞ、この縄を解いてくれ」
ブリューナクはすぐに頷き、両腕と両足を縛るロープを槍に変形した武器で斬り裂く。
そして今の紫乃の状態を見て、怒りをあらわにして振り返った。
「よくも行雲くんを、こんなあられもない姿に……許せない!」
「許せないっていうのはこっちのセリフだよこの泥棒猫!」
しかしサキュバスから出た奇妙なワードを耳にして、呆気にとられる。
「え? ど、泥棒猫?」
「とぼけないで! 行雲くんは私が先に目をつけたのよ、私のものなんだよ! それを転入して横からずっとベタベタベタベタ引っ付いて……何なのよあなた!!」
「なんて無茶苦茶な……大体、あなただって彼の気持ちを無視していないかしら?」
「うるさい!!」
妬心に満ち溢れ怒声を発し、サキュバスは後ろに飛び退く。
そして体育館の中に戻って来ると、すぅっと大きく息を吸ってから、天井に向かって叫びだした。
「パズズ!! 出番よ、この女を始末して!!」
すると、ムラサメとブリューナクが到着した頃には、インク状態で潜んでいたパズズが天井から滴り落ちて戦闘態勢に移っていた。
「全く、人間の分際でこのパズズに命令するとは……」
「イシュタル様からのご命令でもあるのよ」
「フン! 気は乗らんが、まぁ仕方なかろう」
パズズが殺意を放ち、その隣のサキュバスもブリューナクを睨みつける。
仮面ライダーたちもそれを受けて武器を構え、迎え討たんとした。
だが、そんな時。ひとつの影が、両者の前に降り立つ。
赤い薄手のドレスを纏う、神々しい金髪の女性。ムラサメたちにも、それが女神イシュタルだと理解できた。
「イシュタル様!? どうしてここに!?」
問われると、半透明な美の女神は薄らと笑みを浮かべながら、サキュバスの頬に触れた。
「ミルノ。見ていたわよ、少し苦戦しているようね? やはり戦いの経験がない子じゃこんなものかしら?」
「私、やれます! あの邪魔な女を片付けてすぐに彼を私のモノに……」
「あーその話なんだけどね」
綺麗な髪の先をクルクルと指先でいじり、困ったような、しかし嘲っているかのような笑みを見せるイシュタル。
そして半月を描く唇から、戸惑うサキュバスに向かってハッキリとこう言った。
「やっぱりその子、今すぐ私が貰うわ」
「……へ?」
驚く海松野。その腹に、イシュタルの腕が上からサキュバスの身体を飲み込むように溶け込んでいく。
「あ、ああ……あああああ!?」
「本当ならあなたがシノって子とまぐわってちょっとずつ馴染ませてから同化するつもりだったけど、その子の顔見てたら私の方が欲しくなっちゃった」
「そん、な」
「だから――今すぐ身体を明け渡しなさい」
そう言ったイシュタルがインク状になって彼女の全身を埋め尽くすと、サキュバスの腕はだらりと垂れ下がり、姿形が『上描き』される。
もうそこにいるのは、サキュバス・ギガでも海松野でもない。
人間の肉体を掌握して実体を手に入れた、きまぐれな愛と美の女神イシュタルだ。
「海松野さんが、イシュタルと同化してしまった……ど、どうしたら!?」
「落ち着け! ヤツの神血はまだ定着していなかった、今なら間に合うはずだ!」
ムラサメの言葉で、ブリューナクはすぐ我に返った。
人間との同化による神の降臨は、容易に起こせる現象ではない。神自身と相性の良い人間でなければ融合状態を維持できないからだ。
だからこそイシュタルは神血を身体に刻み込み、予め馴染ませておいた上で融合を行う手段を取ったのである。
尤も、彼女の気紛れでその融合も不完全な状態なのだが。
「女神イシュタルを討てば、人体と融合しつつある神血も剥離する! やるぞ!」
叫び、ムラサメがAウェポンを振り上げて飛び出す。
しかし、その眼前にパズズが介入し、拳を振り抜いて攻撃を仕掛けた。
「やらせると思うのか、このパズズがいる状況で? 侮られたものだ!」
「ちぃ!」
胸を殴打され、よろめきながら後ろに下がるムラサメ。
想定よりもダメージは少ない事から、前回の戦闘の影響でパズズも本調子ではないようであった。熱風が来る気配もない。
そうは言っても、やはり上級戯我。戦闘能力は遥かに高い。さらに、時間をかければイシュタルとの融合も進行してしまう。
「やはりここは……」
意を決し、ムラサメはソニックペガサスのモンストリキッドに手を伸ばす。
体育館内で使うには狭く、トレーニングルームの時のように頑丈ではないので動き回る事もできないだろう。それに、連日使い続ければ反動も大きい。
そんなリスクを承知で、短期決戦に賭けるつもりだ。
しかし、ブリューナクがそれを右手で制した。
「ムラサメ、待って。まだ速いわ」
「なに?」
「お願い。もう少し時間を稼いで欲しいの」
ムラサメの顔を見つめながら、ブリューナクは確信めいた声で嘆願する。
時間をかけると不利なのはロゼも知っているはず。しかし、彼女には考えがあるようであった。
するとムラサメは小さく頷いて、リキッドから手を離す。
「良いだろう。お前の判断を信じよう」
「ありがとう!」
二人はそう言った後、左右に分かれて突撃する。
パズズは迷いつつもムラサメの方をマーク、イシュタルは必然的にブリューナクと対峙する事になる。
「ちょっとぉ! 女の方を私に押し付けないでよ!」
不満を吐き出しつつ、イシュタルは右掌に光の球体を生み出し、それを無数の矢のように放つ。
ブリューナクは矢をグルグルと振り回して閃光を防ぐが、不完全とはいえ神の攻撃。守り切る事は叶わず、光が腕や脚を焼く。
「くぅぅ!?」
「あはははは! 無様ね、滑稽ね! 人間の女はどいつもこいつも……私の美しさには勝てないんだから!」
今度は灼熱の光を鞭のようにして形成、それでブリューナクの身体を叩いた。
「あぁっ!?」
光の鞭が僅かに掠めただけで紅色の生体装甲が溶解し、さらにキックによる追撃を受け、悲鳴を上げるブリューナク。
一方、ムラサメも苦戦を強いられている。上級戯我のパズズが相手では、どうしても地力の差が出てしまっていた。
「ふん! ハァァァッ!」
「く……!」
パズズは単なる徒手空拳で、防御に徹するムラサメを攻撃し続ける。
太刀で逸らし続けるにも限界があり、徐々に攻撃が肩や脇腹に命中し始めていく。
「どうしたどうした、あの力を使わねば対抗する事などできまい! 窮したか!」
「うるさい」
言いながらムラサメはバックステップしてAウェポンを銃形態に変形させ、即座に発砲。
銃弾はしかしパズズに命中せず、翼を羽ばたかせて接近され、拳が頭部に叩き込まれてしまう。
「ぐう……!」
激しい追撃によろめくムラサメ。さらに、絶望的な事態が起こる。
パズズの右手に熱風が集中している。手をこまねいている間に、力をある程度取り戻してしまったのだ。
「ククク。まだ微風程度のものしか生み出せんが、拳を貴様の顔に近づければ、吸い込むだけで病魔に冒されるぞ」
「……」
「これで最期だ! 死ねぇ封魔司書!」
叫び、拳を振り被るパズズ。
次の瞬間。ムラサメはホルダーからソニックペガサスとキマイラのリキッドを取り外し、それらをAウェポンにリードする。
《ソニック! ペガサス! キマイラ!
「隙あり、だ」
しゃがみ込むようにして攻撃を回避したムラサメは、突っ込んで来たパズズの下腹部へと銃口を向ける。
そして、そのままトリガーを引き込んだ。
《
至近距離から放たれた破壊的な威力の光の弾丸が、パズズの下半身を吹き飛ばし、完全に粉砕する。
あまりの反動と衝撃で、ムラサメのAウェポンを持つ腕がビリビリと震えてしまっていた。
パズズはというと、突然自分の半身が消えた事に愕然としており、後からやって来た痛みに苦悶していた。
「ぎっぃ、おお!?」
「やはり必殺技で使うにも桁違いの威力だな」
「き、さ……まぁぁぁ!!」
怒り狂って殺意を滾らせ、風を纏って上半身の翼で飛来するパズズ。半ば錯乱状態で、周りが見えていない。
それを見越してムラサメが身を反らして避けると、その向かう先にはブリューナクを見下ろして痛めつけるイシュタルがいた。
「はっ!?」
「え!?」
猛スピードで突っ込んだパズズは、そのままイシュタルと激突。
病魔の熱風を、イシュタルに浴びせてしまった。
「ぐはっ!!」
「きゃあああああ!?」
パズズの風によってインクが溶け始め、イシュタルは狼狽する。自身の美しい身体が、消え失せてしまいそうになっているのだ。
「ま、まずい……融合を急いだせいで再生力が……こうなったら!」
身を震わせるイシュタルが次に取った行動は、パズズのインクの捕食。
病魔に耐性のある彼を取り込む事で、溶解の進行を抑制しつつ回復を図るのだ。
力尽きつつあるパズズの頭を掴んだ細指が、一瞬の内にインクを吸収する。
だが。
「うがが、ぐ……え、ひい……!?」
病魔が治るどころか、今度は海松野の肉体とイシュタルのインクとの解離が始まった。
何事かとムラサメもイシュタルも思う中、一人の男の笑い声が館内に響く。
仮面ライダーユーダリル、灰矢だ。いつの間にか体育館の入口に立っていた。その姿を見て、ブリューナクは深く息をつく。
「間一髪だったわね」
「おう、間に合って良かったぜ。結界の再構築がよ」
それを聞いて、ムラサメも得心した。
ブリューナクが時間を稼ぐよう提案したのは、いつの間にか破られてしまった学校周辺の結界を直しているからだったのだ。彼女が事前に織愛へと連絡していたのだろう。
そして結界が元に戻った今、完全に力を取り戻せていないイシュタルの力は大幅に抑え込まれる。故に、肉体との剥離が始まったのである。
「そ、そん、な……せっかくここまで来たのに!?」
「悪趣味な遊びは終わりだ、女神イシュタル」
《
ムラサメが冷たい口調でそう言って、レリックドライバーを操作。
続けて、天井に向かって大きく跳躍する。
《サンダーハウンド・クロマティックストライク!》
「これが最後の景色だ!」
紫電の一撃が、女神に向かって降りかかる。
眩い閃光と共に、海松野とイシュタルが完全に分離され、悲鳴を上げる女神の実体は完全に消失した。
「調伏完了」
※ ※ ※ ※ ※
「これで反省してくれたかねぇ、あのお転婆女神」
戦いが終わり、放課後。
LOTの地下拠点で、灰矢たちは織愛の執務室まで報告に戻っていた。室内にはロゼも一緒だ。
灰矢の言葉に対して、織愛は肩を竦ませる。
「悪神じゃないとはいえ、一回で懲りるお方じゃないから。しばらくは大丈夫だろうけど、またいつか暴れ出すんじゃないかしら」
「……ほんっと、傍迷惑な女神だぜ」
その結論を聞くと、三人とも同時に溜め息を吐いた。
神々は、倒されても決して死ぬワケではない。自身の元いた世界に送還されるだけだ。時が経って力を取り戻せば、再び半実体でも現世に顔を出す事ができるだろう。
ただし復活の際、以前の記憶はいくらか抜け落ちてしまうらしい。酷い時には50年から100年以上のものが失われるようであるが、永命の存在である神には些事なのか、特に気にしないようだ。
「完全に聞きそびれましたね……ロゴス・シーカーの話」
「まぁ、しょうがないでしょ。それより、海松野ちゃんだっけ? あの子は戦いのショックで記憶もなくなってるし、ちょっと入院する事になるけど身体も大丈夫みたいだから行雲くんに報告しといて」
「あ、了解です」
織愛に指示され、ロゼは退室。そのまま、紫乃の個室へと足を運ぶ。
部屋は当然ロックがかかっており、ロゼはチャイムを鳴らして名を呼びかけた。
「行雲くん、いるかしら? 報告があるのだけど」
『少し待ってくれ』
返答と共に、ペタペタという足音が僅かに聞こえ、扉が開く。
僅かに鼻孔をくすぐるシャンプーの香り。続いてロゼの視界に飛び込んで来る、薄く濡れた細い肢体と白い肌。そしてピッタリとした生地の黒いボクサーパンツ。
バスタオルで髪を拭う紫乃は、シャワーを浴びたばかりだったようだ。
「あ、え……あ……えっ!?」
「どうした、報告があるんじゃないのか」
体育倉庫で見た時以上の、あまりにも刺激的な光景。何も分からず、お構いなしに裸体を晒して問いかける紫乃。
それを目にしたロゼは――。
「きゅう……」
「おい!?」
意識を失い、そのまま紫乃に介抱されるのであった。
付録ノ十四[
イーコールとも。神の血液であり、戯我を構成するインクと同一のもの。ただし、神から流れるインクは通常の戯我とは比べ物にならない純度の高さを持つ。
人間がイコルを飲む・浴びるなどすると、戯我に変質してしまう。
あるいは、フィアナ騎士団長のフィン・マックールが『知恵の鮭』の脂がついた親指を舐めて一時的に超人的な知恵を得るのも、鮭の脂がイコルと同質のものであるためだ。
また、極めて純度が低いが一部の人間にも微弱にイコルが流れている。これには楽園の果実を齧った始祖の人間や、遠い縁とはいえ神の子孫である事が関係しているとされる。