海上オークションの阻止という任務を終えた翌日。
紫乃は、ベッドの上で咳き込みながら横になっていた。
潜入の際に着ていたドレスが破れた挙げ句、海に投げ出された事で、熱と風邪を患ってしまったのだ。
「もう……任務で女装なんか……絶対、しないぞ……ぐ、けほっ」
苦しそうに咳き込む紫乃。そんな彼が寝転がるベッドの傍らには、椅子に座ったロゼの姿がある。
「大丈夫?」
心配そうに問い、ロゼは紫乃の瞳を覗き込む。紫乃はつい、視線を逸らして毛布を頭まで被って顔を隠してしまう。
彼女に二度も女装姿を見られている上、風邪を引いて弱っているところまで見せてしまったので、気恥ずかしさから耐えられなくなったのだ。
おまけに、織愛の指示で治るまではロゼが看病する事になっている。
「まぁ、ただの風邪だ……薬を飲んでいれば、すぐに良くなる」
「それもそうなのだけど、その。会ったんでしょう? クロっていう子に」
ピクッと紫乃の眉が動き、表情が神妙なものに変わる。
「ああ。まさか、女だとは思わなかったがな」
「……しかもロゴス・シーカー側の人間だったなんて」
「あいつは騙されているだけだ、そうでなければアダンのいる方に付くはずがない」
「本当にそう思う?」
ロゼからの言葉を受けると、紫乃は頭を手で抑えつつ、深く息をついた。
「クロがあんな連中に進んで手を貸すはずがない、少なくともオレの知る限りはな」
そんな言葉を聞いても、ロゼに納得した様子はなく。
逆に難しく眉間に皺を寄せて、さらに紫乃へと言葉を投げかける。
「たとえ紫乃くんがどう感じていたとしても、LOTの上層部までがそう考えるとは限らないわ」
「分かっているさ、だから次にあいつと会った時にはちゃんと話がしたい」
強く言い切った紫乃だが、やはりロゼの表情は浮かないものだ。
「紫乃くんにとって、彼女はどういうヒトなの?」
そう尋ねられて、紫乃は少し悩んだ後。
「手のかかる弟……いや、妹分というところだ。だから助けてやりたい」
「……そう」
紫乃の答えを聞いたロゼは、得心はしているようではないものの、それ以上の追及をやめる。
そして立ち上がって、自らの鞄を手に取った。
「外出するけど、何か欲しい物はあるかしら?」
「プリン」
「ふふ、分かった」
即答した紫乃に向かって微笑みかけ、ロゼが退室。
そして彼女は扉に背を預けて、深く溜め息を吐いた。
「何やってるんだろ、私?」
苦しげに呟いて、キュッと唇を噛みしめる。
クロ――即ちクリスが自分と同じ女性であると知った時から。
ロゼは内心、嫉妬や恐怖の入り混じった複雑な気分をずっと味わっていた。
紫乃の友人である以上、助けたいという気持ちはある。だがそれと同時に、もしも彼がクリスに惹かれてしまったらと考えると、気が気でないのだ。
だから、気持ちを知りたがった。自分自身もどうしたいのか、本心が分からないから。
そうして、悩みに悩んだ末。
「……こんなのじゃダメよ」
ロゼはそう言った後、自らの頬を両手でパシパシッと叩いた。
「今は封魔司書として、自分のやるべきことをしっかりやらないと!」
※ ※ ※ ※ ※
「クリス!! 何のつもりだテメェ!!」
薄暗い洋館の中。
アダンはそう叫んで、目の前にいるクリスの胸倉に掴みかかった。
「はぁ? なんだよいきなり?」
「とぼけんな!! オークション船での事だ!!」
襟首を掴んだまま彼女の身体を壁に叩きつけ、アダンは詰り続ける。
「あの爆弾野郎をけしかけたのはお前だろ!? イリュージョンのリキッドで操りやがったな!?」
アダンは言葉で殴り飛ばさんかのような勢いで怒鳴った。
先日の船上オークションにて、ロゴス・シーカーの幹部たる彼とカリオストロの前に、まるで何かに操られているかのような一団が襲いかかって来たのだ。内一人は全身に爆弾を装備しており、それが起爆した事で船は沈んでしまった。
その上、遺物を搬入していた倉庫に穴が空き、贋作だけでなく帰還後に保管する予定だった真作の遺物も全部海に流された。今頃はどこか他の国で、人間か戯我に拾われているだろう。
しかしクリスは全く悪びれる様子もなく、憤慨するアダンを鼻で笑った。
「何の事だか。アタシがやった証拠、あんのかよ」
「このクソガキ……!! 船が沈んだのはテメェのせいだろうが、この責任どう取るつもりだ!!」
「だから知らねぇっつーの。責任の取り方くらい自分で考えたらどうだ、ガキじゃねぇんだから」
鬱陶しそうにクリスが言うと、額に大きく青筋を立てたアダンが、拳をクリスの脇腹に思い切り叩き込む。
「ぐっ!?」
「ガキが。ドライバーを手に入れたからってあんまり調子に乗ってんじゃねェ、誰がテメェの上司だかたっぷり身体に分からせてやろうか」
よろめく彼女にそう告げると、続けて身体を蹴倒し、グリグリと頭を踏み躙る。
クリスは歯を軋ませ、その足を振り払う。そして立ち上がって、レリックライザーの銃口を突きつけた。
「お前こそナメてんじゃねえぞクズ野郎! アタシがいつまでもただ黙って従ってるだけだと思うな!」
「ふざけやがって、このクソガキ……どうやら、今すぐ仕置されたいみてェだな!?」
《キュクロプス!》
怒りのままモンストリキッドを取り出し、起動するアダン。クリスも二つのリキッドを取り出している。
だが、その時だった。
「落ち着きたまえ、ふたりとも」
そんな声と同時に、二人の間に男が割って入る。
「バルト……様!?」
「ボス?」
突然に首領が介入して来たので、クリスもアダンも動きを止めた。
バルト・アンダースが放つ圧倒的なプレッシャー。彼を前にすると、双方とも戦意が失われていくのだ。
「我々は志を同じくする者、即ち同志だ。互いに争う理由はない。それに幸いにも、最も重要なラジエルの書のページは無事だった。そう責めることもないだろう?」
指摘を受けると、アダンは何も言い返せずにグッと唇を噤む。
「よろしい。それから、君にはロッソとヴェールを鍛え直して貰いたい。仮面ライダーも新たに力をつけて来ている以上、こちらが何もしないワケには行かないからな」
「……へい」
不満そうにアダンが頷いて、睨むようにクリスを見やった後、その場を去る。
やがてクリスもそそくさと自室に戻ろうとするが、それをバルトが呼び止めた。
「君は何もするな」
「なに?」
「誰からレリックドライバーを手に入れたのかは私の知った事ではないが、余計な真似をされては困るのだ。じっとしていてくれ」
「……チッ。分かった分かった、分かりましたよ。アタシは大人しくしてまーす」
クリスも不満を露わにして、踵を返し手をひらひらさせて退散する。
しかしバルトは、そんなクリスの背に向かって険しい視線を送っていた。
「彼女の行動には多少目を光らせておくとして。勢いづいているLOTの者たちにも、ひとつ手を回すとしよう」
言いながら、人差し指の爪で自らの手首を浅く裂く。
そうして床にできた血溜まりを見下ろして、バルトは一つのモンストリキッドを起動した――。
「少し、マズい事になったわね」
磐戸市図書館の地下にあるLOTの支部長執務室。
織愛は眉間に皺を寄せて腕を組み、灰矢の前でそう言った。
彼女の傍らには、晴明の作った式神である小狐の姿も見える。
「ラジエルの書を発見したは良いけど、回収できない状況なのでやむを得ず船を爆破……ちょっとばかり早まった行動だったね」
晴明の言葉を聞くと、灰矢は肩をすくめて小さく息を吐く。
「仕方ないじゃないスか。ありゃ、どう頑張っても回収なんて不可能だ。言い訳じゃねぇが、俺らは最善の行動を取りました」
「そうかも知れないが、上はそう思っていないようでね。近い内に本部から査察が来る事になったよ」
「ケッ! 現場に来てねぇ本部の連中なんかに、一体何が分かるってんだ」
「しょうがないさ。彼らもアレのページを探すのに躍起になっている、それを逃したとなればね」
小狐も尻尾を振りながら溜め息、かと思えば欠伸だった。
緊張感が果たしてあるのかないのか。呆れつつも、織愛は続けて紫乃たちが持ち帰った情報を整理する。
「ロゴス・シーカーには五人の幹部がいる。その内の三人が既に邂逅した、アダンにカリオストロ伯爵、そして……モルガン・ル・フェ」
「随分な大人物が出て来たよねぇ。モルガンといえば、あのケルトの戦女神の『モリガン』や豊穣神『ダヌー』の生まれ変わりと目されている、凄まじい力を持つ魔女じゃないか」
「正直に言って、磐戸のメンバーだけで対処できる相手だと思えないんですが……」
頭痛の種が増えてしまったとばかりに嘆いて、織愛は頬杖をつく。
「残りの二人も正体不明。アダンやあの双子ですら厄介なのに、他の連中は一体どれ程の強敵なのかしら」
「マジで気が滅入るよなぁ、日本支部の力でなんとか対策とかできないんスか? 具体的にはホラ、そろそろ俺用の新しいリキッドとか」
冗談めかして灰矢が言うと、薄く微笑んだ小狐がゆっくりと頷いた。
「実を言うと、既にその辺りの計画も進んでいる。完成はまだ先だが期待していてくれ」
「へぇ、そりゃ楽しみだ」
話を聞いて何やら満足したのか、灰矢は不敵に口元を歪める。
議題は続いて、ロゴス・シーカーの首領の方に移った。
「バルト・アンダースか……まぁ十中八九偽名なんだろうが、何者だありゃ?」
「目下調査中。けれど、ヌクテメロンの書を持っているというのが事実なら、もうほとんど答えは出ているのかも知れないわね」
再び三人は真剣な面持ちになる。それほどまでに、ヌクテメロンという魔導書は重大な代物なのだ。
より正確には、それを書いた人物が。
「ヌクテメロンの著者、テュアナのアポロニウス……想像したくないけど、それが一番考え得るケースね」
織愛の表情は優れない。その大きな理由は、先程彼女が挙げた人物にある。
アポロニウスとは、かつて存在したという『ピュタゴラス教団』を再興すべく生まれた学派、新ピュタゴラス派の一員だ。また、十字架にかけられ死した後に復活したというあの『救世主』と同等の力を持つとも言われている。
表向きにはその力と書物の真偽や本人の実在性については疑わしいとされているが、少なくとも過去のLOTの調査によってアポロニウスという人物が存在した事は記録されている。
カリオストロやモルガンが付き従っているのもその信憑性に拍車をかけており、加えて本当に逸話通りの力を持っているのだとすれば、ロゴス・シーカーは想像以上の脅威となる事は疑うべくもない。
悪い想像ばかりが織愛の頭を駆け巡るが、そこで晴明が待ったをかけた。
「そうとは限らないんじゃないかな。無視できない話ではあるが、我々の認識が違っている可能性も捨て切れない」
「では、日本支部長はどうお考えなんですか?」
尋ねられると、晴明は首をもたげて思索し、また尻尾をパタリと振ってから答える。
「この場で完全な結論は出せない。が、彼があのアポロニウスだとすれば不可解な部分がいくらかある」
「そりゃなんだい?」
「本来ピュタゴラス教団という組織の方針は我々と似ていて、それは『研究成果の秘匿』のはずだ。しかしロゴス・シーカーは秘匿主義ではなく、むしろ神秘を暴いて人目に晒そうとまでしている。明らかな矛盾点だろう」
灰矢は得心した様子で頷く。所属しているアダン自身もロゴス・シーカーの目的を語っていたため、この点については疑う余地はない。
とはいえ教団を母体にしていたとしても、現在は方針が大きく変わっているという事も十分に考えられる。
そう思って織愛がそこについて指摘しようとすると、先んじて小狐が口を開く。
「加えて、アポロニウスにはラミア退治のような戯我と敵対する逸話が残っている。そんな男が、神々を蘇らせて世界を混沌に陥れるなんて事、考えると思うかい?」
「そう考えると、確かに不自然ですね」
腕を組んで考え込む織愛。結局のところバルトが何者で、ヌクテメロンの書を持っている理由も、テュアナのアポロニウスとの関連も不明なままだ。
現状で結論を出すには情報があまりにも足りない。ロゴス・シーカーの本拠地や彼らの所有していた船に積んであった遺物とラジエルの書のページの行方も含め、いずれにしても追加の調査が必要だ。
となれば、敵の居場所を知らない彼らの取れる方法はひとつ。度々現れるあの双子や、アダンを捕縛して情報を吐かせるのだ。
「問題は……今までもそうだったが、敵が行動するまで受け身でいなければいけないところだ」
「唯一の例外と言って良いのは遺物オークションの一件でしたが、それが空振りに終わってしまいましたからね」
「機会を逸してしまったのが悔やまれるねぇ」
小狐がそう言って溜め息を吐く。すると灰矢は、額を押さえて「悪かった」と目を伏せる。
「そう考えると、もう少し慎重に行動するべきだったな。面目ねぇ」
「良いよ、もう過ぎた事だから。それに君が持ち帰った物には十分な価値もある」
そう語ると、晴明は楽しげに尻尾を丸めた。
灰矢が船で手に入れた、英雄ペルセウスの髄液。解析の結果、これを紫乃の持つソニックペガサスのリキッドと併用できれば、高い性能を保った状態で振り回される事なく使用できる可能性があると分かったのだ。
問題はその利用方法である。
磐戸支部の研究者たちが死力を尽くしているものの、今のところソニックペガサスに組み込む手段は確立できていない。
「とんでもねぇ暴れ馬だったが、そんな悩みともじきにおさらばか。アイツも風邪引いた甲斐があるってもんだな?」
「そうね。あとはどうにかして完成させれば……」
織愛が言いかけたところで、突如として着信音が室内に響く。
慌てる事なく、織愛はすぐさま通話に応じる。
「私よ、何があったの? ……なんですって!?」
織愛の驚く声に、残る二人も反応を示した。
そして、通話を終えた彼女に向かって視線で何事かを問う。
すると織愛は、憮然とした表情で灰矢に向き直る。
「緊急事態よ」
「またロゴスの連中か?」
「いや、まだ分からないけど。近隣の支部がいくつか壊滅した、戦闘エージェントは全員意識不明。事態を引き起こした脅威が磐戸にも向かってるって」
「……ん? は? え、なに……なんだって!?」
あまりにもさらりと言い放たれたので目と耳を疑い、灰矢は当惑する。
当然ながら、全てがそうではないとはいえ他支部にも有力な封魔司書は在籍している。それがいくつも、さらに短い期間で連続して起こるなど考えられない事だった。
「何が起きたんだ!? 相手は誰だ!?」
「それが……向こうからは『ワイルドハント』だって」
またも、灰矢がその発言に耳を疑う。
ワイルドハント。
それはヨーロッパ全域に流れている古の伝承であり、死の世界の彼方より吹き荒れる、猟団の名を持つ『遺物』だ。その性質上、対処は発生源の付近にある西欧の各支部が全勢力を以て実行する。
無数の亡霊や妖精の戯我が空と大陸を縦断し、狩猟道具を手に『色』を食らい尽くして蹂躙するのだ。それはさながら、風害のように。その先頭に立つのは、かつて世界に名を馳せた王や英雄、あるいは神でさえあるという。
本来なら結界によって日中は力を抑え込まれるのだが、ワイルドハントはその現象そのものが移動する遺跡であり、戯我の軍勢は異界の瘴気を纏いながら現出する。つまり、進路が一時的に結界の効果が及ばない世界へと上書きされる事を意味する。
ただしこれらはあくまでも西欧の話で、しかもこの恐怖の行軍が開催されるのは毎年10月31日から4月30日。今はもう既に5月、既に調伏もされており、シーズンを過ぎているのだ。
「今、この日本で起きたってのか? 何かの間違いだろ、まだ次のハロウィンには速すぎるぞ?」
「私にも分からないわ。だけど、支部を襲った悲劇は紛れもなく現実なのよ」
灰矢もそれを聞いて口を閉ざす。
一方、黙して耳を傾けていた晴明は、やがて唸りながら天井を見上げる。
「このままでは磐戸にも到来する……これは、マズいね」
現在この支部の戦力は、仮面ライダーブリューナクのロゼと仮面ライダーユーダリルの灰矢のみ。
紫乃も無理を押せば加わる事もできるだろうが、敵が多勢であり本調子でない以上、過度な期待は禁物だ。
「俺とロゼで、できる限りの事をするしかねぇな! 避難誘導の方は頼むわ!」
「待った」
机に座っていた小狐が床に向かって跳ね、直後にその外見が長身の黒い髪の男のものに変わった。
スーツではなく白い狩衣を纏った、晴明の戦闘装束である。事態を重く見て式神と自身の肉体を入れ替える形で現場に参戦したのだ。
細い目に確かな決意を宿し、彼は織愛に語りかける。
「状況は深刻だ。こうなった以上、私も動こう」
「日本支部長が自ら!?」
驚く彼女を尻目に、晴明は懐からあるものを取り出す。
黒い盤上に金字で無数に刻印された占術道具、風水太極八卦盤である。
晴明は続けて、12個のモンストリキッドをその上に配置した。
「私の結界術と召喚術によって、敵軍の侵入経路と数を絞り込み、妨害する。それでも全てを堰き止め切れないだろうが、勢いを弱めて行軍の軌道を逸らす程度ならできるはずだ」
そう言った後、晴明は指で印を結ぶと、小さくしかし素早く呪文を唱え始める。
リキッドは詠唱が進むと共に、ひとりでに浮かび上がった。そして内部の液体が溢れ、八卦盤へと浸透していく。
すると、彼の周りを取り囲むように十二の光が灯った。
「急々如律令。今こそ現出し、磐戸の地を守れ。我が十二の式神――騰蛇! 朱雀! 六合! 勾陳! 青龍! 貴人! 天后! 太陰! 玄武! 太裳! 白虎! 天空!」
晴明の生み出した十二の灯火は、その命令を聞いて一瞬の内に散開。
さらに晴明自身の姿も、煙のように消えていった。
「先に行って待っているよ。織愛くん、住民の避難は任せた」
「了解!」
去る間際の彼に頷いて、この支部の長である織愛は、地下施設にいるメンバーに連絡を行う。
言われた通り、住民と街を守るべく避難活動を開始するのだ。
そして灰矢に対しても指示を飛ばした。
「日本支部長の援護と戯我の対処、お願いね。ロゼちゃんには私から連絡しておくわ」
「おう。でもよ」
「ん?」
「ワイルドハントの進軍、やれるなら俺らで全滅させちまっても良いんだろ?」
呆気に取られたように織愛が目を丸くし、灰矢の顔を見やる。
その表情からは冗談や悪ふざけのような意図は全く読み取れず、むしろ本気の発言であるように思えた。
織愛はその思いに応え、真剣な眼差しのまま頷く。
「心強い言葉だけど、絶対に無茶はしないでね」
「あいよ!」
フッと微笑んで彼女に向かって親指を立てた後、灰矢は部屋を出てすぐにAガジェットで通話をかけた。
通信先は、魔祓課の安藤 長宗だ。
「よう、俺だ」
『用向きは察している。先程、そちらの日本支部長から聞いた。まさか……こんな事が起こるとはな』
「相変わらず話が速くて助かるぜ。じゃあ住民の避難を手伝ってくれ、俺の方は全力で戯我どもを潰しに行く。急いでくれよ、こっちは今から『あの装備』を引っ張り出さないといけないからな」
『あの装備?』
機器を手に話しながら、灰矢は歩き続ける。その足が向かった先は、封魔司書たちの武装を管理している倉庫だ。
内部にある8m近い巨大な人型を模した鎧のような機械を見上げ、薄く微笑みながら質問に答える。
「対大規模神的災害専用兵装、封魔司書が持つ最大の禁じ手……『
灰矢が見上げながら語るこの装備、Aパワーアーマーとは、緊急性が高く敵があまりにも巨大あるいは多勢であり、かつ戦闘の秘匿が非常に困難である状況に限り投入が許可される。
知っての通り、封魔司書の本分は真実の秘匿。人々に戯我の存在や戦いの様子を明かす事なく、迅速に状況を終了させるのがLOTの方針、故にこの兵装の使用は禁じ手とされているのだ。
だが今は日本の存亡が左右されるほどの危機的状況。事ここに至っては、世界の裏側を隠すよりも人類と世界を護る事が優先されるのである。
《
「今しかねぇだろ、こいつの使い所はよ」
《狙い射る岩土の狩人! ガイアトータス!》
ユーダリルへと変身した灰矢は、颯爽とアーマー胸部のコックピットに乗り込む。
そして、通話を切って操縦桿を握り、動かし始めた。
「そんじゃ……行くぜ!」
こうして、かつてない危機に対向すべく、ユーダリルと共に強大な兵器が出動するのであった。
灰矢が出撃したのとほぼ同時刻。
リキッドの開発室でソニックペガサスの調整の手伝いをしていた駿斗は、にわかに支部内が騒がしくなり始めたので、ひとり首を傾げていた。
「どうしたんだろう?」
職員のひとりに話を聞いてみたところ、どうやら戯我による大規模な災害レベルの行軍が引き起こされるという。
それを聞いて、駿斗は徐々に青ざめていった。実は若葉が買い出しに出掛けている途中なのだ、そんな状況下では彼女の身に危害が及ぶ。
しかも、今は支部の仮面ライダーが一人動けないのだ。
「行かなきゃ……!」
意を決した駿斗はそう呟いて、すぐに駆け出した。
手中にソニックペガサスリキッドとペルセウスの髄液を握ったまま。
※ ※ ※ ※ ※
「フフフ。何やら、愉快な事になっているようで」
ワイルドハント到来の報せが磐戸支部に回り、エージェントたちが行動を始めた頃。
磐戸を訪れていたカリオストロは、街に迫る戯我の大群の気配を感知して、密かに笑っていた。
彼がここに来た目的は、船上オークションでの汚名を雪ぐこと。
先日の戦いで封魔司書により船を沈められ、せっかく用意した遺物を喪失してしまった。成果も得られず、力を与えた双子も為す術なく倒されている。
その報復も兼ねて、彼は行動を起こしたのだ。
「このまま大人しくしているだろうと思ったら大間違いだ、封魔司書どもめ。今度は私が直々に斬り刻んでやりますよぉ……!!」
憎悪を全身から噴き出しながら語るカリオストロの背後には、多数の戯我の姿がある。いずれも下級・中級ばかりだが、それでも戦意は十分。
カリオストロの作戦はひとつ。LOTと猟団が接敵し、戦闘している最中、頃合いを見て割り込む形で横合いから殴りつける。
たったそれだけだが、猟団の対処に追われるLOTの戦意を削いで倒し切るには、シンプルながらこれが最適解であると判断したのだ。
「それにしても、一度にこれほどの戯我の攻勢が起こるとは……ヒャッキヤコウ、というヤツですかねぇ?」
不思議そうに呟き、眉をしかめる。
だが遠く先の空で突然に暗雲が立ち込めるのを確認すると、すぐにフッと口元に笑みを戻し、鞘に収めた剣を握って歩き出した。
「まぁ、いいでしょう。どうでも」
足を進めると共に、剣に施されたサフランの装飾から、黄色い靄のようなものが溢れ出す。
それがカリオストロの全身を覆い尽くすと、靄の奥にある彼の姿は、人ならざるモノに変わり始めていく。
「いざ進軍! ガイウス・ユリウス・カエサル曰く『賽は投げられた』のですからねェェェーッ!」
背後の戯我たちの鬨の声を浴びながら、カリオストロは歩みを進めた。
――そんなカリオストロたちを、建物の陰から見つめる者が一人。
「今のって、戯我……!?」
若葉だ。買い出しの途中で異常な気配に気づき、嫌な予感がして密かに尾行していたのだ。
カリオストロが去った後、彼女は急いで織愛たちへと通話をかけようとする。
だが。
「え!?」
そんな彼女のN-フォンが、真っ二つに斬り落とされてしまった。
見上げれば、目の前には剣を持った異形の影がある。未だ靄に包まれて判然としないが、その得物からして先程去ったはずのカリオストロのようであった。
最初から全て気づかれていた。カリオストロは立ち去ったフリをして、騙して遊んだのだ。
若葉の表情は、一気に恐怖で引き攣っていく。
「誰だか知りませんが、これはいけませんねぇお嬢さん」
ずるり、と靄の中から怪物の手が伸び、若葉の口を塞ぐ。
「一緒に来て頂きましょう。力を持たない人間は、封魔司書にとっては良い人質になるでしょうからねぇ」
カリオストロの表情は、見えなくとも分かる。
笑っているのだ。この先の戦いの、勝利を確信して。
若葉には、震えながら助けが現れるのを待つ事しかできなかった。
そして。
空が黒くなり始めた頃、ビルの屋上でじっと八卦盤を見つめていた晴明は『丑・寅・卯』の方角に光が点くのを確認すると、それを懐に仕舞って視線を上げる。
「貴人・青龍・六合が接敵したか……さて」
晴明はそう言って印を結ぶと、呪文が書かれた折り鶴を放り投げる。
すると紙の鶴は巨大な姿へと変化し、紫色に燃える瞳で前を睨みながら、嘶く声を上げた。
これもリキッドのインクを使って作られた式神のひとつである。
「私も向かうとしよう」
続いて彼が右の手に取ったのは、一振りの剣。刀身に北斗七星の意匠が施された、儀礼用と思われる輝く宝剣だ。
これはかつて日本において三種の神器に次ぐ宝物として王に献じられた、二振りの霊剣の内のひとつ。
その名も『
鶴に乗り、目的地を目指す晴明。
特に妨害されるような事もないまま、文字通りに現場まで飛んでいく。
「あれは!?」
近づくにつれて、晴明の表情は段々と苦いものに変わる。
街を襲撃せんと接近するボロボロの旗を掲げた戯我の猟団、その先頭で馬を駆って疾走するモノの姿を、その正体を認識したからだ。
「まさかあなたとはな。最悪の相手が来てしまったようだ」
鶴の背から飛び、地上に降り立つ晴明。
彼が神妙な表情で見上げた、その竜の如き異形の黒騎士の正体は――。
「古きブリテンの王……アーサー!」
名を呼ばれ、大軍を率いる
直後に赤き瞳を輝かせ、剣を掲げて配下の戯我たちと共に一斉に突撃を開始。
かくして、街全体を戦場とした封魔司書と竜王の猟団による大戦の幕があがるのであった。
付録ノ二十[七星剣]
中国の道教思想に基づく破邪や鎮護の力が宿った、北斗七星が意匠された剣。日本と中国に存在が確認されている。
安倍晴明が鋳造したものの他にも、聖徳太子が佩いていたものや、中国において曹操が董卓暗殺の際に使用する手筈だったものがある。
名称も破敵剣や護身剣以外に様々に名付けられており、形状も時代や国によって異なる。