仮面ライダームラサメ   作:正気山脈

26 / 48
「が……ぐ……」

 ウロボロスによって、洋館のある世界から別の空間に繋がる穴へと蹴り飛ばされたアダン。
 そうして彼が放逐されたのは、辺り一面に氷雪と青海が広がる場所。
 北極。皮肉にもそこは、かつて存在したオリジナルのフランケンシュタインの怪物が、自ら選んだ墓場である。

「お、のれ……俺は……生き延び、て……必ず、ヤツらを……!」

 バルトによって瀕死の重傷を負わされた体を引き摺りながら、アダンは海氷の上を往く。
 このままただ歩き続けたところで、辿り着く場所は海だ。万全の状態でも厳しいが、このボロボロの身体で泳いで脱出できるはずもなく。
 食糧もない以上、原生動物に捕食されるか、凍えて死を待つしかない。それはアダン自身も理解しているものの、彼は苦境に屈さず執念を燃やし続ける。
 だが、やがてその執念も、疲労の中で雪に沈む。

「……」

 雪を握り締めて倒れ伏したアダンの右手を、漆黒のドレスを身に纏った一人の女が取った。

※ ※ ※ ※ ※

 同じ頃。
 とある社の中に、正座する晴明の姿があった。
 彼の前には、複数名の男女が座っている。

「まさか(わらわ)を呼び出すとはな、晴明。如何に人間界の状況が切迫しているとは言え、気軽に我々の手を借りるべきではないと思うが」

 対面側に座る女性がそう言った。黒髪のストレートで、額を出す形で髪を真ん中に分けており、目鼻立ちの整った美しい顔をしている。
 太陽のように神々しい雰囲気を纏い、肌は輝かんばかりに白く、唇は紅い。
 そんな彼女の右隣で、男が笑い声を上げる。

「素直じゃないのう姉者は! 人間は我らの子も同然、本当はあやつらが好きなクセに!」

 ガッハッハッ、と男は笑って酒を呷る。
 アマテラスと似た顔立ちであり、しかも同じく黒髪だ。
 だがこちらはウェーブがかかっており、武骨な外見も相まって、どこか野性味を感じさせる。

「余計な事を言うでないわスサノオ。今は人の時代で我ら神は隠居の身、力を借りる必要はないと人の子らも自ら言っておったのじゃぞ」
「拗ねておるのう、そんなに前の事をいつまで拘っとるんじゃ姉者」
「うるさい。ツクヨミも何とか言うてやれい」

 アマテラスは続いて、晴明の隣に座る人物に言い放った。
 ツクヨミと呼ばれた件の人物は、スサノオと同じくアマテラスと良く似ているが、中性的な顔立ちだ。一見しても、声を聞いても性別がどちらなのか全くわからない。
 髪も長く、後頭部の辺りでひとつに纏めてポニーテールにしている。
 彼らは日本の神。それも『三貴神』と呼ばれる、多くの信仰を集め最も高い力と権威を持つ者たちだ。

「それで晴明。用件とは」

 静かに問うツクヨミ。
 すると晴明の目付きが真剣味を帯び、それを見た三柱の神々も、神妙な顔つきになった。

「あなた方の神血を、少しだけ譲って頂きたい」

 口元は微笑みつつも、しかしその眼光は鋭いままに晴明が言う。
 ツクヨミが最初にスサノオとアマテラスに視線を送り、スサノオがすぐさま快く頷いた後、アマテラスも渋々と言った様子で首肯した。
 それを受け、ツクヨミの方も首を縦に振った。思わず晴明は、息をつきそうになる。

「ただし、条件があるがの」

 安堵しかかった晴明の耳に、アマテラスのそんな声が聞こえた。

「妾たちも協力自体はやぶさかではない。なんだかんだ、日本は可愛い子供たちの故郷じゃからな」
「しかし、半端な者に力を分けるというのも……これはまた神としてどうかと思うのです」
「故に! ひとつ試練を与える事にしよう!」

 恐る恐る、耳を立てながら晴明は尋ねる。
 その試練の内容とは――。


第二十六頁[緑芽吹く神秘の島]

 

 日の照りつける磐戸の夏空、その雲上にて。

 一機の白い飛行機が、関西は兵庫県を目指し空を泳いでいた。

 その広々とした豪奢な座席に、紫乃やロゼ、灰矢の姿がある。

 

『皆さんには、これから厳し~い修行を受けて頂くために遠征して貰います。謂わば強化合宿ですね。まずは淡路島の港まで向かって下さい、必要な準備や支払いは私の方でやっておきますので』

 

 磐戸で晴明から伝えられたのは、そのような内容だった。

 そうして現在に至り、ファーストクラス全席が買い取られて貸し切り状態の機内にいるのは、LOT磐戸支部の三人の封魔司書の仮面ライダーたち――。

 

「案外狭いわねぇ。おまけに地味だし、もっとマシなのはなかったの?」

 

 だけではなかった。

 紫乃たちの他に二人、より正確にはさらにもう一人、封魔司書ではない者がそこにいる。

 影の内のひとつは若葉だ。いつになく真剣な眼差しで、真っ直ぐに紫乃たちを見据えていた。

 もうひとりは菫。彼女は情報屋であるが、本部から来たアレックスたちを快く思っていないようで、灰矢の方について行く事にしたのだ。

 しかし、先程の発言は彼女らのものではない。

 さらにもうひとつ、若葉の傍で霊のように漂っている半透明な女がいる。飛行機に対する苦言はその人物、イシュタルから出たものであった。

 

「なんでこいつがいるんだよ……っつーかどうやって生き返りやがった?」

 

 眉に皺を刻みながら、イシュタルを睨む灰矢。

 以前の戦いでこの女神は、自身の復活を目論んで磐戸を襲撃し、さらには紫乃を狙った事もあった。

 そして封魔司書たちの手で倒されたはずであったが、何故か今復活し、しかもこの遠征に同行しているのだ。

 疑うな、と言う方が無茶な話である。

 

「あら? 何が不満なのかしら、全ての女神の中でも最も美しく可憐なこの私を前にし……いだだだだだだだだだだー!!」

 

 いつものように傲慢な物言いをしようとした瞬間、彼女は金の環が嵌められた頭を抱える。

 何事かと思い、灰矢は訝しんだ。彼には、イシュタルが突然苦しんだようにしか見えなかったのだ。

 痛む頭を押さえて涙目になった彼女を尻目に、苦笑いしながら若葉が口を開く。

 

「そんなに怪しまないであげてくださいよ、ちゃんと今から一緒に説明するので」

 

 若葉とイシュタルの言によると。

 イシュタルは敗北後、彼女が居住していたメソポタミアの神々が住まう世界にある、冥界へと堕ちてしまったらしい。

 そしてすぐに現世に戻るため、冥界を管理する神であり自らの姉でもあるエレシュキガルに会いに行ったという。

 

「でもね、私たち姉妹ってあまり仲良しじゃないのよ」

「だろうな」

 

 メソポタミア神話には『イシュタルの冥界下り』と呼ばれるものがある。

 これは要約すると、野心から冥界の支配権を奪い取るために現地へ降り立ったイシュタルが、エレシュキガルの『死の眼差し』で返り討ちに遭い死んでしまうという逸話だ。

 何やかんやあってその後ちゃんと蘇生されたのだが、この一件が原因で姉妹仲が悪化したのは語るまでもない。

 

「で、まぁまた死んじゃったからエレシュキガルに『復活を手伝って欲しい』って頼みに行ったのよね」

「ワガママっつーか厚顔無恥っつーか。バカか?」

「うっさいわね! とにかく、会いに行ったんだけど普通に怒られたの。しかも……」

 

 イシュタルの美しい顔が、深い溜め息と共にしおれていく。

 

「なんというか、玄奘三蔵だっけ? すごく間の悪い事に、そいつが『各神界の冥界行脚』だとかで偶然ウチに来ててさ。エレシュキガルと一緒に何時間も説教して来たのよ」

 

 そこまで話を聞いて、紫乃は合点が言ったように声を上げた。

 

「なるほど、どこかで見たと思えばその頭の環は緊箍児か?」

 

 名前を耳にした灰矢は納得した様子だが、ロゼはピンと来ていないようで、首を傾げている。

 

「ねぇ紫乃くん。きん……なんとかって何?」

「緊箍児は、西遊記で有名なあの孫悟空の頭に着けられた環の事だ。特定の呪文を唱えると、この環を装備した者の脳を刺激して激しい苦痛を与える。三蔵法師はこれを使って傍若無人な孫悟空を戒めていたという話だ」

「へぇ~、つまりケルトの誓約(ゲッシュ)みたいな感じ?」

「用途は大体同じようなものだろう。まぁ、そっちと違って神の恩恵を受ける事はないがな」

 

 なるほど、とロゼが頷く。

 そして、その話をしている間に説教された時の事を思い出したのか、イシュタルは深く長い溜め息を吐いていた。

 

「蘇生は許して貰えたんだけど、条件がついて。今後はLOTに協力する事と、人を襲って色を食べたり無闇に誘惑しない事。あとエレシュキガルを含めて他人の悪口を言わない事とか、無闇に高飛車な自慢話しないとか他にも色々。破ったら即この緊箍児が起動するって……」

「さっき悲鳴を上げていたのはそれが原因か」

「ほんと窮屈ったらありゃしない! 大体ね、一途で真面目ぶってるけどエレシュキガルだって、あのムッツリ顔で相当な面食いのドスケベなのに……あだだだだだだだだだだぁ!!」

 

 今の発言が悪意のあるものだと判断されたようで、緊箍児がイシュタルの頭をメリメリと締める。

 車内に彼女の悲痛な絶叫と切なる謝罪の言葉が響くと、ようやく解放された。

 そして不本意な謝罪が相当女神のプライドを傷つけたのか、痛みが薄れると共に彼女はしくしくと涙を流し始める。

 

「なんつーか」

「ああ」

「そうね」

 

 三人とも、今のイシュタルの醜態を目の当たりにして全く同じ事を思う。

 なんて駄目な女神なんだ、と。

 それはさておきとでも言うかのように、灰矢が咳払いし尋問を続ける。

 

「お前、自分がロゴス・シーカーに協力してた事は覚えてるのか?」

「朧気だけど一応。でも、そこの二人にも聞かれたけど詳しい事は答えられないのよ。いつ誰と会って知ったとか、全然覚えてないし。本拠地だって分かんない、そもそも行ってないのかも知れないから」

「……緊箍児が反応してないところを見ると事実か。なんだよ、使えねぇなぁこの女神」

「本人の目と鼻の先で言わないでよ! シンプルに傷つくわ!」

 

 覚えていないとはいえ悪事を働いた事実を棚に上げて、イシュタルが憤る。

 ちなみに紫乃たちがこの話を晴明に伝えたところ、彼も現地でイシュタルを尋問するとの事だ。

 そうして話し終えた後、今度は若葉が口火を切った。

 

「私、イシュタル様と一緒に自分を鍛える事にしたの」

「本気か?」

 

 紫乃が問いかけると、若葉は迷う事なく頷いた。

 

「駿くんは、私の目の前で消えて行った……傍にいたのに、何もできなかったんだよ、私は。あの事件の後も、ただ泣いてばかりだった。だから、強くなりたい!」

「危険な道だぞ」

「それでもやる! みんなに任せるだけの、何もできない自分のままなんて、嫌!」

「そうか」

 

 三人とも厳しい目つきをしていたが、やがて紫乃はフッと微笑む。

 

「そこまでの覚悟があるのなら止めはしない、この遠征で成果を出してみろ。共に並び立てる程に強くなれたら、その時はオレから日本支部長に進言する」

「うん!!」

 

 ようやくいつも通りの元気が湧いて来たらしく、若葉はパァッと明るい笑顔を取り戻した。

 そんな彼女とは裏腹に、協力者のはずのイシュタルは未だにメソメソと泣いている。

 

「……本当にあの駄女神で良いのか?」

「あはは」

「駄女神っていうなぁぁぁー!! うわーん!!」

 

 顔を真っ赤にして悲鳴を上げるイシュタル。

 車内が笑い声に包まれる中、菫は微笑みながら密かにN-フォンでメールを操作していた。

 

 

 

 それから約一時間の後、飛行機は無事に空港に到着。

 だが彼らの目的地はここではなく、また別の場所へ移動する事になる。

 予め用意されたマイクロバスを利用して、淡路島まで着いたところで続いては船。それも今回は飛行機のような公共の手段ではなく、封魔司書たちが扱う秘されたクルーザー船だ。

 これから向かうのはそれだけ機密性の高い場所、という事である。操舵者も何も言わず、船を動かす。

 

「急々如律令。轟け、サンダーハウンド」

Calling(コーリング)!》

 

 途中で海中から現れた水棲型の戯我を軽く蹴散らしつつ、船はどんどん進み続ける。

 

「随分移動するのねぇ。一体どこまで行く気?」

「船が最後のはずだ」

 

 また文句を垂れそうになるイシュタルを紫乃が諌めた、その直後。

 クルーザーの周囲に突然霧が立ち込め、波の音さえ聞こえなくなる程に静まり返る。

 まるで海のその近辺のみ、人の世から隔絶されたかのように、空気が変わった。

 その場所は万が一にも人間たちが迷い込まないための仕掛けがされており、たった今それを通り抜けたのだ。その証拠に霧が徐々に晴れていき、今まで何もなかったはずの視界に目的の島が見えて来る。宿泊のためのに建てられた大きな白いホテルが目印だ。

 ここは日本神話の始まりの地、神々の作りし創世の島――。

 

「あれが『オノゴロ島』……!」

 

 青々とした木々が生い茂り、砂浜を波が行き来する様子を眺め、紫乃が呟く。

 

「噂に聞いた事がある。人間世界から切り離されたこの島は、今は封魔司書の修練場かつ休息の地になっていると」

 

 都会とは違う広く澄んだ青空と爽やかな空気の味に、幻想的な雰囲気を残す光景に、ロゼも思わずほっと溜め息を吐いていた。

 灰矢も来るのは初めてのようで、言葉には出さずとも見入ってしまい、圧倒されるばかりだ。

 そのままクルーザーは船着き場に停まり、紫乃たちは荷物を持って一人ずつ上陸する。

 

「待っていましたよ。オノゴロ・リゾートホテルへようこそ」

 

 すると、すぐにそんな声がかかって晴明が一行を出迎えた。

 いつもの小狐の式神やスーツ姿、狩衣ではなく、涼しげなアロハシャツを纏っている。

 ロゼが不思議そうに首を傾げ、問いかけた。

 

「なんというか、随分くつろいでますね? 特訓なのでは?」

「ははは……実は今回、特別なゲストを何人か招いておりまして。準備にまだ時間がかかるので、本格的な訓練は明日からになります」

 

 なので、と晴明が言葉を区切ると、若葉やロゼの目が期待で輝く。

 

「今日は丸々自由時間です。ホテルに荷物を置いて、思い切り楽しんで下さい」

『おおおおおー!』

 

 旅の疲労も忘れ、ロゼも若葉も灰矢もイシュタルも駆け出して行く。紫乃も遠目に見ながらも、楽しそうに微笑んでいた。

 封魔司書としての修行だけではない、彼らの夏休みが今、始まったのだ。

 

 

 

 到着後、宿泊部屋の割り振りは各人自由に行う事になった。よって紫乃とロゼで一部屋、灰矢と菫で一部屋、若葉とイシュタルで一部屋という振り分けで決定される。

 ロゼは「流石に自分たちが相部屋はまだ速い」と抗議していたが、灰矢はどうしても菫と同室が良いと言うので、結局は丸め込まれた。

 また、ここは厳密には人間界ではないため、神は制約付きで擬似的な肉体を得ている。これには、リゾート施設で一部の日本の神々が仕事を与えられている事も関係しているのだ。八百万も揃ってしまえば同じ役割を持つ神も現れるため、やる事がなくて何かと暇なのだろう。

 ともかくイシュタルも肉体を持つ故、ここでは存分に羽目を外せるのだ。緊箍児の存在さえ忘れなければ。

 

「夏と言やぁ海、海と言やぁそりゃもう女の水着だ。なぁ紫乃」

 

 ホテルで荷物を置いた後、紫乃たち一行は砂浜の方に来ていた。

 そして更衣室で持ち込んだ水着に着替え、女子組を待つ間に灰矢はそう言ったのだ。

 彼はシンプルなグレー迷彩の丈の長いサーフパンツを履いており、上半身は筋肉をそのまま見せつけている。

 紫乃の方は、黒と紫で彩られている、フィットネス用のピッタリとした生地で作られたスイムウェアだ。上半身には、その水着とセットの袖の余った白いラッシュガードパーカーを羽織っていた。

 

「そういうものなのか?」

「おうよ! まぁ俺はガキ二人にゃ興味ねぇが、菫の水着が楽しみなんだよ! イシュタルもアレで美の女神だからスタイルは抜群だしな!」

 

 一体どんな妄想をしているのか、ニヤついて顎を撫でる灰矢。

 直後、二人を呼ぶ声と共に彼女らはやって来た。

 

「お待たせ、灰矢」

 

 そう言ったのは、先頭に立つ菫だ。

 彼女が選んだ水着は、肩紐などのないオフショルダータイプのビキニだ。色は黒で、美しいデコルテラインが際立っている。

 ボトムスはローライズタイプで、彼女の引き締まったスマートなウエストが特徴的だ。

 

「ふふん! どうやら私が一番目を引いて美しいようね!」

 

 菫の隣を自信満々で歩くのは、イシュタルである。

 こちらは白のスリングショットで、布地が局部を隠す程度のため肌がほとんど露出しており、自身の言っている通り非常に注目を集めていた。

 二人のそんな蠱惑的な水着姿を見て、灰矢は「眼福眼福」と満足気に頷いている。

 続いて、学生組がやって来た。

 

「ほらロゼちゃん! 速く速く!」

 

 若葉が着用する水着は、薄い緑色のフレアビキニ。

 トップスのひらひらとした可愛らしいフリルの下には、形の良い膨らみがチラリと覗く。

 ボトムスにも同様にフリルが施されており、まるでスカートを履いているかのような印象も与える。

 

「せ、先輩……ちょっと待って、あまり引っ張らないで……!」

 

 その背後で若葉に腕を引かれて、背後を気にした様子で遠慮がちにロゼが現れた。

 紅いクロスホルタータイプのビキニで、布から溢れ出んばかりの大きな胸が強調されつつも、位置がズレたり解けたりしないようしっかりフィットしている。

 細くくびれた腰には薄紅のパレオを巻いており、高校生とは思えないプロポーションと色香をより引き立たせていた。

 若葉は明らかに見惚れている紫乃の前まで来ると、サッとロゼの背後に回り込んでその背を押す。

 

『あっ』

 

 転びかけたところを受け止めると、二人の声が重なる。

 互いの顔の距離が、息も掛かりそうな程に近い。鼓動が高鳴り、頬も紅潮していく。

 二人とも慌てて身を引き、恥ずかしそうに視線を逸らした。

 そんな初々しい反応を見て、若葉は紫乃の脇腹を肘で小突いてニマニマと笑う。

 

「ほらほらほら紫乃くん、ロゼちゃんに何か言う事あるでしょ~?」

「う、うるさいな。分かっている」

 

 ロゼに向き直った紫乃は、一度咳払いをしてから、小さく一言呟いた。

 

「……キレイだ」

「あ、ありがと……ふふふっ」

 

 相当その言葉が嬉しかったらしく、最初は狼狽していたロゼも、表情を緩ませる。

 微笑みながら紫乃たちの様子を眺めて楽しんだ若葉は、続いて灰矢たちを振り返った。

 

「二人の邪魔しちゃいけないから、ここは一旦別行動しましょうか!」

「は? おいおい、俺だって菫と一緒に……」

「私とイシュタル様だけじゃ危ないじゃないですか。女の子二人だなんて」

「いやそいつ(イシュタル)を女の子と呼ぶのはちょっと」

「良いから黙って向こうに行く!!」

 

 今度は抗議する灰矢の背中を押し、若葉は振り返って二人に向かってウインクする。

 あっという間に二人っきりになってしまった。

 呆気に取られつつも、紫乃はどうするべきか考えた後、ひとつの提案を口にした。

 

「……せっかく海に来たし、まずは泳いでみるか?」

 

 紫乃はそう言いながら、ロゼを手招きして波打ち際に歩き出す。

 すると、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべ、隣に寄って顔を覗き込むように首を傾げる。

 

「賛成。ところで、そのパーカーって濡れても平気なものかしら」

 

 意図は分からないものの、紫乃は小さく頷いて一緒に海に入っていく。

 直後にロゼは両掌に海水を掬い取るように溜め、それを紫乃に向かって浴びせた。

 

「えい!」

「んおっ!?」

 

 驚く紫乃。顔や身体に海水がかかり、しっとりと濡らす。

 それを見てロゼは子供のように無邪気な笑顔を見せ、またパシャパシャと海水を浴びせる。

 

「ふふ! こういうの一回やってみたかったの! それ、それ!」

「だからっていきなり……う、目に海水が」

「え、大丈夫?」

 

 手を止め、ロゼが駆け寄る。

 瞬間、紫乃は海水を片手で掬って彼女にかけた。

 

「ひゃっ!?」

「お返しだ」

 

 紫乃もまた悪戯っぽく舌を出す。

 それを受け、ロゼは少し頬を膨らませると、再び紫乃に水をぶちまける。

 しばらく二人はそうして水遊びに興じ、泳いだり、飛び込んでみたり。

 だが流石に疲れが出始め、どちらから言い出すでもなく砂浜の方に戻って行った。

 

「そういえば、昼食がまだだったわね。皆も呼びましょう」

「ああ。オレも腹が空いて……ん?」

 

 話している途中。ふと紫乃の視線が前を歩くロゼの下半身に注がれる。

 動き回ったせいなのか、パレオが解けそうになっているのだ。紫乃は背後から声をかけ、注意を促そうとするが、遅かった。

 パレオが水面に落ち、あらわになった彼女の水着の背面を間近で目の当たりにして、紫乃は瞠目する。

 

「な!?」

 

 ロゼの水着、その下半身のバック側はTの字にカットされており、美しく大きな臀部が露出している。いわゆるTバック水着だったのだ。

 思えば、彼女は自分たちの前に現れた時、しきりに背中を気にしていた。これが原因だったのか、と紫乃は考え、そしてすぐにパレオを拾って半ば抱きつくような形で巻き直す。

 そこでロゼも、パレオを落としてしまった事に、そして背中側を見られた事に気付く。

 たちまち、羞恥から頬が紅潮し始めた。

 

「あ、ありがとう」

「いや……気にするな」

「えと、その、やっぱり引いた? この水着は若葉先輩と選んだのだけど、これなら紫乃くんも絶対喜ぶって言うから……」

 

 焦った様子で言い繕うロゼ。しかし、紫乃は首を横に振る。

 

「驚いたが別に引いてない。ただ、あー……オレ以外にも人はいるんだ、恥ずかしいなら見られないようにした方が良いだろう」

「紫乃くん……?」

 

 何か様子がおかしいと思って、ロゼは振り返ろうとするものの、その前に紫乃は「まだ振り向くな」と静止をかけた。

 ロゼからは見えていないが、彼もまた顔が真っ赤に染まっているのだ。

 それも、彼女の水着姿を見た時や、恋心が芽生えた時のものとは、また違った息苦しさのようなものを感じているようである。

 

「とにかく、その……また取れたりしないように、気を付けていくぞ」

 

 言いながら紫乃は、返事を待たずにロゼの手を取って繋ぎ、足速に歩き出す。

 そして合流し、海の家で昼食。その後は全員でバナナボートやビーチバレーで遊び、休息を満喫するのであった。

 

 

 

「はぁ~流石にくたびれたね~」

 

 ホテルのロビーまで辿り着くと、遊び疲れた若葉はふらついた足取りでそう言った。

 イシュタルもかなり疲労しているようで、眠たげに瞼を擦っている。そして二人とも、床の掃除をしている老人にぶつからないようにしつつも、ふらふらと部屋へ向かおうとする。

 そんな彼女らを覚醒せしめたのは、続くロゼの一言だ。

 

「先輩、ここ客室の露天風呂以外に大きな温泉があるみたいですよ」

「それ聞いたら入るっきゃないじゃん!?」

 

 途端に元気が蘇っていく。

 海水と潮風で身体も髪もベタついている紫乃たち一行にとって、それは朗報だった。

 だが直後に、一人の男の声が紫乃を呼び止める。

 

「君……封魔司書なんだってね」

 

 床の掃除をしていた老人だ。白髪頭だが顔には皺が少なく、若々しさを感じる。

 彼に声をかけられると、紫乃は自然と背筋が伸びてしまった。

 

「は、はい。何か用ですか?」

「大した事じゃないんだ。ここでの修行は中々厳しいというから、お節介かも知れないが応援してると伝えたくてね」

 

 言いながら、老人は紫乃の手に小さな袋を手渡す。

 御守りのようだ。怪しい気配は一切なく、むしろ本当に御利益がありそうな、神聖さを感じさせる。

 紫乃は、自然と頭を下げていた。

 

「ありがとうございます」

「うんうん。あぁ、それから……彼女、大切にね?」

 

 小さくウインクしながら笑う老人に、紫乃は照れ臭そうに頬を掻く。

 そうしている間にロゼたちが呼ぶ声が聞こえ、紫乃は急いで彼らの元へ向かうのであった。

 

※ ※ ※ ※ ※

 

「ぐ……う……?」

 

 時を同じくして、アダンは覚えのない真っ白な天井を仰いで目を覚ます。

 痛みを堪えて身を起こし、体を見下ろすと、全身が包帯だらけになっているのが分かる。

 

「どうなってるんだ? 俺は、雪の中で死んだはずでは……」

 

 簡素なベッドの上で、痛みに呻きながらも疑問の答えを探すアダン。

 その時、室内にある木造りの扉が開いて、二つの影が入り込んだ。

 

『アダン教官!』

「ロッソ、ヴェール!? それに……!?」

 

 赤と緑の服を纏った双子たちに驚き、そして続いて現れた女の姿に息を呑む。

 そしてアダンは、自分に抱きつく双子の後頭部を撫でながら、その女に質問した。

 

「お前が俺を助けたのか、モルガン・ル・フェ。何故だ」

 

 黒衣の魔女、モルガンは問いに対し、アダンを見据えながら静かに答える。

 

「では単刀直入に。アダン、あなたは私の仲間になりなさい」

 

 薄く微笑むモルガンとは対照的に、再びアダンが愕然とし、沈黙する。

 その魔女の傍らでは、クリスがじっと睨んでいた。




付録ノ二十六[エレシュキガル]

 イシュタルの姉にして、メソポタミアにおける冥界の女神。
 彼女に出会うためには冥界の七重門を通る必要があり、イシュタルはそこを抜ける度に装備をひとつ剥がれ、最終的には全裸にされたという。
 そして無防備の状態になった時、エレシュキガルの一撃で即死した。冥界というテリトリーの中ではイシュタルといえど、主たる彼女に勝てないのだ。

 イシュタル程ではないが、実は彼女も同様に性愛の神としての側面も持つ。
 ネルガルが冥界に堕ちて彼と夫婦になった際、情熱的にベッドを共にしたというのだ。
 冥界は陰鬱な場所で、良い出会いがなかったのかも知れない。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。