二人はロゴス・シーカーのモルガン派を伴い、船を使ってオノゴロリゾートホテルに来ていた。
「……ようこそ、モルガン・ル・フェ。まさか本当に来るとは思いませんでしたよ」
玄関先で一行を出迎えたのは晴明だ。日本支部の島から、この場に来るという連絡を受けて待機していたのである。
晴明だけではなく、アマテラスら三貴神に、ヤマトもエントランスのソファに座って様子を窺っている。
一時共闘したとはいえ彼女らロゴス・シーカーとは本来は敵対関係。そう簡単に警戒が解けるはずもなく、客として来ていた他の日本の神たちも今は隠れていた。
「既に紫乃くんから電話である程度の事情は聞いています。早速会議を、と言いたいところですが。こちらも戦闘と事後処理で皆疲労しているので、明日までお待ち頂けませんか?」
「ええ、構いませんよ。私もそう提案するつもりでいましたので」
「話が速くて助かりますよ。では、部屋は空いているそうですから、受付で鍵を受け取っておいて下さい」
そう言って、晴明は道を開ける。
モルガンの後にクリス、菫が続き、さらにその後ろにはアダンが歩く。
その一団を監視するように、紫乃とロゼも続いて行った。
「なぁなぁモルガン! ここ温泉あんだよな温泉! 入ろうぜ!」
「ふふ、そうですね。菫、あなたもどうですか?」
「もちろん御一緒させて頂きます……あ」
返事をした菫の視線の先にいるのは、壁を背にして佇む灰矢だ。
彼は菫が気づいても顔すら合わせる事なく、その後ろにいるアダンを睨みつけて肩を掴む。
「ちょっとツラ貸せよ」
「……フン」
明確な敵意。しかしアダンは臆せずそれに応じ、灰矢についていく。
向かう先は恐らく中庭辺りだろう、紫乃は目で彼らを追いながらそう思った。
「オレたちも少し休むか」
「ええ。新山先輩とイシュタルにも顔を見せておかないとね、心配してるだろうから」
ロゼの言葉に頷き、紫乃も一緒にホテルに向かうのであった。
モルガンらを見送った後、紫乃とロゼは若葉・イシュタルの部屋に到着する。
扉をノックすると、彼女はすぐに顔を出した。
「紫乃くん、ロゼちゃん! おかえり!」
安心したような、ぱぁっと明るい笑顔で若葉が二人を迎える。
しかし徐々に瞳が潤んでいき、堪えられなくなったのかロゼに抱きついた。
「無事に帰ってくれて良かった……!」
「お前も息災で何よりだ。で、あいつはどうしたんだ?」
部屋の奥にいるイシュタルは、物憂げな表情で窓の傍にある椅子に腰掛け、夜空を見上げている。
普段は野良猫のように騒がしいあの女神が、今は見る陰もなく大人しい。紫乃もロゼも、それを怪訝そうに見ていた。
が、若葉にもどういう事情か分からないようで頭を振っている。
「まぁでも、何かあるんだったらきっと私たちに話してくれるよ」
「そもそも緊箍児もありますから隠し事できませんしね。それじゃあ、私たちはそろそろ」
「……あ、ちょっと待ってロゼちゃん」
若葉はにやけながら、ちょいちょいと彼女にだけ手招きをしている。
何事かと思い、ロゼは耳を傾けた。
「どうなの? 結局、紫乃くんと……進展あった? 最後までいけた?」
「んぇ!?」
瞬間、ボッと顔が真っ赤に染まってしまう。
この修行期間中、添い寝をしたりキスをしたりということはあった。しかし、若葉の言う『最後まで』というのは間違いなくそれらの話ではないだろう。
ロゼの様子からまだそこまでには至ってないと察したようで、若葉はニマニマとして囁きかける。
「今夜辺りにさ、こう……良い感じに誘ってみたら?」
「ちょ、ちょっと先輩ったら……! 他人事だと思って!」
慌てふためくロゼと、ニヤける若葉。
そんな二人に、紫乃が首を傾げつつ声をかけた。
「おい、まだか?」
「ご、ごめん紫乃くん! 今行く!」
頬を赤らめたまま、慌ただしくパタパタと紫乃の隣にロゼが並んで歩く。
その背中を見送って、若葉の方は大きく伸びをしながらイシュタルに向かって声をかける。
「イシュタル様! 私は大浴場の方に行こうと思うんですけど、一緒に行きませんか?」
「ごめん、ちょっと今はそういう気分じゃないかな」
「うーん、そうですか……」
「……ね、若葉」
空を見ていたイシュタルの頭が、ふと若葉に向けられた。
「駿斗って子、若葉にとってどういう存在なの?」
「え……な、なんですかぁいきなり、あはは」
「ちょっと気になったの。実際のところどう思ってるのよ、その子のこと」
イシュタルに促されるまま、若葉はひとつひとつ記憶を思い出すように語り始める。
「駿くんは……昔からみんなに優しくて、私の頼みも断らないくらい大人しくて。ちょっぴり弱気なところもあるけど、でも本当は友だちのためならいくらでも頑張れて」
「その子がよっぽど好きなのね」
「あ、と……えへへ。そう、なのかも。っていうか、きっとそう」
ほんのりと赤くなった頬を両手で押さえてはにかみながら、しみじみと若葉が小さく呟く。
「私って、駿くんのことこんなに好きだったんだ」
自分で自分の気持ちに、ようやく気づいたかのように。
その気持ちを、必ず駿斗に打ち明けようと決意を新たにして、若葉は自らの両拳をギュッと握った。
「あ、でもイシュタル様のことも忘れてないですよ!」
「えっ?」
「だって、いつまでもその輪っか付けたままなんて嫌じゃないですか? ロゴス・シーカーとの戦いが終わったら外して貰うようにお願いしましょうよ、イシュタル様が自由になれるよう私も頑張りますから!」
言われてイシュタルは目を見張り、元気に手を振って温泉へ向かう若葉の背を見送る。
そうして誰もいなくなった部屋の中でひとり、悲しげな声で囁く。
「……ごめんね、若葉」
※ ※ ※ ※ ※
「うおぉぉぉ~、すっげぇ! マジ広いなぁ!」
オノゴロリゾートの大浴場、その女湯にて。
素裸になったクリスは、その肢体を恥ずかしげもなく晒しながら、まるで小さな子供のように目を輝かせてはしゃいでいた。
そんな彼女の後ろからゆっくりとついて来るのは、ボディタオルを腕に下げたモルガンだ。灰色の髪を束ね、淡く湯気を浴びた白い肌の胸元を自らの腕で隠して歩くその姿は、まるで一枚の絵画のようだ。
「あまり大声で騒いではいけませんよ、クリス。迷惑になりますから」
「わーってるよ」
モルガンに諌められて唇を尖らせつつ、クリスは手早く体と頭を洗って、ざぶんと温泉に浸かる。
「あ゛~、極楽ってのはこういうのを言うんだなぁ」
熱い湯が身体を芯まで温め、疲れを発散させるような感覚がして、思わず顔を綻ばせる。
目を閉ざして鼻歌でも歌いたくなるような気分だ、とクリスが考えていたその時。
「あっ、あなたは確かクリスちゃん?」
「あん?」
隣で湯に誰かが浸かる音がしたと同時に、声がかかる。
そこにいたのは、神の類などではなくクリスと同じ人間の少女だ。
不思議に感じていると、左側に座った少女の方が頭を下げて自己紹介を始める。
「はじめましてだよね! 私は若葉、紫乃くんの友だちなの!」
「友だち……あいつの」
しげしげと若葉の姿を見つめるクリス。
あどけなさの抜けない表情。自分と違い、明らかに戦いとは無縁であるのが見て取れる。
クリスにとって、若葉のような人物と紫乃が交友関係にあるのは意外に感じられた。
「友だち、友だちかぁ」
「え?」
「結局アタシは、あいつの何なんだろうなぁ……」
ぼーっと遠くを見つめ、クリスはそう呟く。
直後、湯煙の向こうからいきなり何者かが近づいて、話しかけて来た。
「少なくとも姉でないことは確かよ」
「うぉわっ!? な、なんだよ菫もいたのかよ!」
驚きのあまり思わず若葉の肩にしがみついてしまい、クリスは咳払いをしてから離れる。
「そういえばあなたに聞きたい事があったんだけど、あの子……昔はどんな感じだったの?」
「キュクロプスの眼にいた頃の話か。そうだな……会ったばかりの頃のあいつは今とは全然違うぜ、髪が背中くらいまで伸びててさ。前髪も両目が隠れるくらいで、いつもアタシの後ろに隠れるし泣き虫だし。怪我したらその場では我慢するけど、二人になったら耐えらんくなって泣き出すし。だからマジでその時は女だと思ってたんだよ」
確かに今の紫乃からは考えられないと思い、若葉も菫もただ黙って頷きながら話に耳を傾けていた。
「でもさ。みんな訓練でボロボロになって、アタシも死ぬかもって諦めそうになった時でも……アイツ、絶対逃げねぇの。挫けねぇんだよ」
回顧している最中、クリスは自分でも気づかない内に瞳を潤ませて微笑む。
その様子を見守っていた若葉は、彼女を見つめ嘆息した。
「好きだったんだ、紫乃くんのこと」
「ばっ!? ち、ちが……やめろって! ただ妹みたいに思ってただけだ! いや結局男だったワケだけどな!」
「えええ~? ほんとかな~?」
「ぐ、こ、こいつ……大体、アタシは多分アイツに嫌われてるだろ」
キョトンと首を傾げる若葉に対し、クリスは話を続けた。
「逃げないはずのアイツがクーデターに反発して脱走を選んで、勝手にガッカリして強行して……結局アタシが被害を出しちまった。アタシのせいで……みんな死んだし、アイツの心も傷つけた」
「クリスちゃん……」
「だから嫌われて恨まれてもしょうがねぇんだよ、アタシは」
どこか諦めたような、そんな口振りで語るクリス。
すると若葉は頭を振って、彼女の肩にそっと手を乗せた。
「紫乃くんは恨んでなんかないと思うよ?」
「え?」
「そりゃ、今はお互いに別々の組織にいるから争う事になってるんだろうけど。本当は紫乃くんだって、昔みたいに戻りたいんじゃないかな。優しい子だから」
「昔みたいに……か」
「うん。だって家族同然みたいに育ってやっと再会できたんだよ。嬉しくないなんて、絶対ないはずなんだからさ」
にっこりと笑って見せる若葉を前にして、クリスも一瞬笑みを浮かべそうになるが、すぐに唇を引き結んで俯いてしまう。
「本当にそうだったら良いな」
なんと声をかけるべきか若葉が迷い、菫も神妙な顔つきでクリスを見つめている。
そして迷っている内に、今度はクリスの右隣からモルガンが入浴した。
「ふぅ……本当にいい温泉ですね。ちゃんと肩まで浸かるんですよ?」
まるで母親のようにクリスに向かって言い、モルガンはほっと息をつく。
それを聞いてクリスは笑みを作り、言われた通りに両肩を水面の下まで浸けるのであった。
そして、四人は浴衣に着替えて大浴場から出た後、それぞれコーヒー牛乳やフルーツ牛乳などを持って娯楽場に向かっていた。
卓球台やアーケードゲームやマッサージチェアなどが置かれている場所で、若葉からの提案でそこで遊ぼうという話になったのである。
だが到着してみると卓球台では二人の男が激しい対戦を繰り広げており、客の神たちはそれを観戦しているのが見えた。
しかも若葉たちには、その男らに見覚えがある。灰矢とアダンだ。
「あの二人何やってんだ……?」
思わずクリスが呟く。すると、近くで試合を見ていたツクヨミが若葉に声をかけてきた。
「若葉さん。来ていたんですね」
「はい! で、あの二人はどうしたんですか?」
「彼らは先刻まで中庭で変身して戦闘していたんですが、イザナギ様に見つかりまして。庭を荒らしたということで正座させられた上でこっぴどくお説教を受け、こうして穏便に卓球で勝負する事になったんですよ」
「なるほど!」
何が『なるほど』なんだろう、とクリスは思いながら、瓶入りのイチゴ牛乳を開栓して飲み始める。
「うっま」
「いいでしょ、お風呂上がりの牛乳!」
甘いイチゴ牛乳をくぴくぴと飲みながら、クリスは若葉たちと共に灰矢とアダンの卓球勝負に目をやった。
ツクヨミ曰く、相手に三点差をつけた方が勝利するというルールで行っているらしい。
しかし現在は全くの同点状態をキープしており、一向に差が開く様子がなかった。
「てめぇ、この……いい加減負けろっての!」
「それはこっちのセリフだ!」
灰矢は打ったピンポン玉を正確無比にアダンが打ち返せないであろう狙い通りの場所に当て、得点をもぎ取る。
だがアダンの方も自慢のパワーで打球しており、あまりの速度に灰矢は反応が追いつけずに点を取り返されてしまう。
先程からこの繰り返しのようで、まさに拮抗状態だった。
しばらく打ち合っている中、灰矢は苛立った様子で叫ぶ。
「俺の家族はてめぇの作ったキュクロプスの眼に殺された!」
「……!」
「たとえそこにお前の意思がないとしても、ウロボロスの仕業だったとしても! 俺にはどっちだろうと関係ねぇ! 俺は……お前が憎いんだよ!」
先程とは打って変わって、今度は灰矢がパワーショットを放つ。
アダンはそれに反応できなかったが、ピンポン玉は卓から外れて床に落ちてしまう。
これでアウトとなり、アダンが1点リードとなった。
「チッ!!」
「……言い訳をするつもりはない。お前の言う通りだ」
「このぉ!」
再度、灰矢の打球。狙いは乱れており、アダンは簡単にそれを返し、点を得る。
これで2点先取、アダンがリーチを掛ける形になった。
「仮に全てがウロボロスやバルトの仕組んだ事であったとしても、俺がキュクロプスの眼として子供たちを戯我に変えて弄び、多くの人間の命を奪った事実は消えない。全て俺の責任だ、俺の罪だ」
「くっ!」
「だからこそ俺は戦わねばならん。どうせ、俺はそのためのみに作られた怪物だ。全ての罪を背負い、戦って戦って……そして、死んで償う」
筋肉から汗が散り、アダンのパワーショットが再び炸裂する。
しかしその打球に対し、灰矢は素速く正確に返球して得点した。
「む!?」
「ふざけんじゃねぇぞ、どいつもこいつも……刀になるだとかどうせ怪物なんだとか、死んで償うとかよ……!」
さらに次の打球も、パワーを高めながらの精密なコントロールショットにより、灰矢が点を勝ち取る。
これで再び、二人に点差はなくなった。灰矢は歯を軋ませながら、アダンと打ち合う。
「良いかクソ野郎! 人間を殺すってのは、てめぇ如きひとりの命でなぁ! 今更償えるような重さじゃねぇんだよ!」
「ぐっ、だったら貴様は俺にどうしろと言うんだ!」
「ンなモン俺が知るか! とにかく、死ぬのがてめぇの望みなら俺が生きてる内は死なせねぇ! それが俺の復讐だ!」
ラリーを制したのは灰矢。優位に立って勢いづき、逆にアダンは段々と劣勢になっていく。
そして――。
「そこまで! この勝負、3点取得で灰矢の勝利じゃ!」
いつの間にか審判を務めていたアマテラスの宣言と共に、試合は終わる。
汗だらけの灰矢はその場に座り込み、アダンの方は深い息をついて卓球台に両手をついていた。
そんなアダンの元に、自分用とは別にコーヒー牛乳の瓶を持ったモルガンが駆けつける。
「お疲れ様です。いい勝負でしたよ」
「……ああ」
「明日の会議でもあのくらい張り切って、よろしくお願いしますね」
「ああ」
短い返答の後、アダンは蓋を開けて冷たいコーヒー牛乳を呷った。その様子を見ながら、モルガンは彼の肩に寄り添う。
一方、菫は不満そうな表情で灰矢を見つつも、声をかけられずにいる。
そのまま灰矢は休憩を終え、菫とは話さないまま自分の部屋へと帰るのであった。
※ ※ ※ ※ ※
時は少し遡り、紫乃とロゼが部屋に戻った後。
紫乃は温泉に向かうために準備を進めていたが、その途中でロゼから声がかかる。
一体どういう事なのかと思い振り返ると、彼女は顔を赤くしながらこう言った。
「え、えっと。ここ、客室の中にも露天風呂があって……だから、その」
「なんだ?」
「い、一緒に入らない!?」
「……えっ?」
思わず目を丸くする紫乃。しかし、恥ずかしがりながらも勇気を出して言葉を振り絞ったらしいロゼの提案を断って突き放す事はできず。
「……なぜこうなったんだ……!?」
更衣室で服を全て脱いで、ひとり先に木製のイスに座って待つ事になっていた。
タオルを腿の上に敷いて局部を隠しつつ、紫乃は周囲を見回す。
石造りの浴槽の先には窓がなく、星空の浮かぶ夜景と静かに波打つ様が広がっているのが見て取れる。
大浴場も快適だったが、この景観も素晴らしいものだと感じられた。
「それにしても」
ロゼは、なぜあんな提案をしたのか。
頭の中でぐるぐると考えが巡り、理由を探そうとするが全く見当もつかない。
しかも一緒に風呂に入るということは、それはロゼも紫乃と同じように素裸になるということ。
「……!?」
その事態を想定した途端、ワケも分からず紫乃の顔が真っ赤に染まった。
さらに続いて思い起こされるのは、この島に来てからのロゼの行動。
少々過激な水着を着たり、添い寝をしたり、キスをしたり。
可愛らしい彼女の言動や柔らかい感触を思い出して、紫乃の思考は半ば混乱状態になっていた。
そして、ついに。カラカラ、と後ろの方から扉の開く音が聞こえた。
ロゼが入室したのだ。
「はっ!?」
「し、失礼します……!」
後ろから聞こえる声を聞き、思わず振り向きそうになる紫乃だが、それが他でもないロゼが待ったをかける。
「ちょっと、まだ振り向かないで……心の準備ができてないの……!」
「そ、そうか」
咳払いし、紫乃は緊張しながらもそのまま前を向く。
背中越しにボディソープを泡立てる音が聞こえ、息を荒くして緊張した様子のロゼが声をかけて来た。
「じゃ、じゃあ……背中から、洗うわね」
「あ、ああ……頼む」
紫乃も同じく緊張で声を震わせながら返答し、彼女の行動を待つ。
直後、紫乃の背中へと、明らかにボディタオルではない滑らかな感触が伝う。
指と掌だ。ロゼは今、素手で紫乃の背中を洗っている。
「ロッ!?」
何をやっているんだ、と尋ねる前に、両肩がロゼの手に引き寄せられた。
今度は柔らかく大きなものが背中に触れ、その刺激で紫乃はより強く混乱する。
「ど、どうしたんだ本当に!? 一体何をしている!?」
「ごめんなさい……いきなりこんな事して。こういうのあなたは嫌かも知れないし、それにびっくりさせてるよね」
でも、とロゼは続け、正面に回り込んで来る。
ボディソープの泡に濡れた艶めいた裸体が視界に飛び込み、紫乃は心臓の鼓動を高鳴らせる。
「愛してるの。クリスとか菫さんとか、他の誰にも渡したくないの」
「あの二人の事なら、別に……心配しなくてもオレだってロゼを愛している」
「それだけじゃない。今からする事は、その……お互いにとって必要だと思うから」
「ロゼ……?」
二人は見つめ合って、やがて徐々に互いの顔を近づけていく。
そして身体が触れ合い、抱擁の後――。
少年と少女はその日、大人の階段を登った。
※ ※ ※ ※ ※
翌朝。
LOTの面々とロゴス・シーカーのモルガン一派は、大部屋で一堂に会していた。
彼らだけではなく、ヤマトタケルや三貴神、若葉やイシュタルの姿もある。今は磐戸支部にいる織愛とアレックスが映像通話の準備を終えて連絡して来るのを待っている状態である。
全員が座椅子に腰掛けて待つ中、紫乃とロゼは何やら頬を染めて落ち着かない様子だった。
それに気づいて、クリスが声をかける。
「お前らどうした? 妙にそわそわして」
「え、いや……別になんでも」
「っつーか良く見たら二人して首ンとこになんか赤いの付いてんぞ。虫刺されかぁ?」
指摘を受けると、紫乃もロゼもカァッと顔を紅潮させる。
すると、その様子を見ていた若葉や灰矢が詰め寄り始めた。
「ロゼちゃんまさかついに!? 一線を!?」
「なんだ紫乃、お前もとうとう一人前の男に成長したワケか」
若葉から尋ねられるとロゼはますますしどろもどろになり、ニヤつく灰矢の言葉に紫乃は口を噤んだまま俯いてしまう。
さらに三貴神やヤマトが微笑ましげに見守り、モルガンは「あらあら」と楽しそうに眺め、菫は複雑な面持ちで腕を組んでいる。
何も分かっていないのはクリスくらいで、アダンに至ってはどうでも良さそうに欠伸を噛み殺していた。
「え、えぇい! 後にしろこの話は! もうすぐ会議が始まるんだぞ、少しは緊張感を持て!」
片手で自らの頬を覆いながら紫乃が言い、それと同時にホログラムモニターがその場に投影される。
そこに映っているのは、織愛とアレックスの姿だ。
『……お集まり頂いているようですね。それでは、準備はよろしいでしょうか?』
「いつでもどうぞ」
織愛の言葉に晴明が代表して返し、会議が始まった。
始めに、日本支部と磐戸支部、そしてモルガンたちの現状把握のために情報共有が行われる。
ヒノカグツチがオノゴロ島に出現し、天海も京都に現れたこと。
ロゴス・シーカーの反バルト勢力と合流し、敵幹部の天海を撃退したこと。
磐戸支部のAオートマータはロッソとヴェールによって鎮圧されたこと。
そして、モルガンたちはLOTとの同盟締結を望んでいること、などを。
『……あの双子の言っていたことは本当だったのね』
「ロッソとヴェールは元気ですか?」
『縄で縛り付けて監禁してる』
「は?」
突如、モニター越しに織愛とモルガンの視線がぶつかり合って火花を散らす。
いきなりの一触即発かと思われたが、同席中のアレックスが仲裁する。
『織愛くん! いきなり派手なジョークを飛ばすのはやめたまえ、心臓に悪い! 念のため監視はつけているが五体満足だ、何事もない!』
「そうでしたか、それは良かった。冗談ではなかったらこちらも敵対しなければならないところでした」
「フン、だがそうしたい支部長の気持ちも分かるぜ。あいつらは磐戸の人間を、フォージバイザーで消滅させやがったんだからな」
今度は灰矢がモルガンをねめつけた。
その言い分は紫乃も同意見らしく、数度首肯している。
対してモルガンは、一転して哀しそうにその眉根を寄せた。
「そのことに関しては私も聞き及んでいます、彼らが人々に何度も危害を加えた事があると」
『知っていてどうして仲間に加えているのかしら?』
「……あの双子たちはカリオストロの手によって作られ、クリスやそこにいるムラサメと同じようにウロボロスに教育されたのです」
それを聞くと、紫乃はハッと目を見張った。
ウロボロスがどれだけ劣悪な環境で、どれほど辛い目に遭わせるのかをよく知っているからだ。
そしてあの双子は『その環境で得た知識こそが常識である』と刷り込まれて育ったということになる。
しかもキュクロプスの眼が滅んだ後であれば、今度は反抗も逃走もできないように、たとえ従順であったとしても過酷な日々を過ごしたであろうことは容易に想像がつく。
「あの子たちもまたバルト・アンダースの理想に翻弄された被害者の一部だと、私は考えています。他者の命を奪う事の意味を……バルトたちが理解させなかった」
「だから割り切れってのか? そんなもん虫が良すぎるだろ、ふざけんなよ」
『灰矢くんの言う通りね。あの双子を戦力に加えた上で本当に同盟を組みたいというのなら、私たちを説得してみなさい』
「では、あなた方があの子らを『危険な存在ではない』『戦場を共にしても良い』と信用できるまで、彼らの持つモンストリキッドを全て預かっておいて下さい」
その発言に拍子抜けした様子で、織愛もアレックスもモルガンを見る。
同盟のためとはいえ、ここで自軍の戦力を減らしてしまうのは、彼らからすれば悪手にしか思えなかった。何かを企んでいるのではないか、という疑いも浮かぶ。
灰矢も怪しむように眼差しを向けている中、紫乃はモルガンに警告めいた言葉を投げかける。
「良いのか? 一度リキッドを手放してしまえば、オレたちが返すとは限らないだろう?」
「その発言が出てくる時点で、少なくともあなたはそういう行動を許す人間ではないと思っていますよ。それに我々はどうあってもバルトを倒さなくてはならないのです。一時的に彼らの力を失うのは辛いところですが、信頼を得るためならやむを得ないでしょう」
極めて冷静にモルガンが指摘し、紫乃は言い返せなくなってしまう。
実際、LOTがそのような行動に出れば彼としては不信感を募らせるだろう。そして、そんな精神状態でロゴス・シーカーとの戦いを生き抜けるはずもない。
「お前お人よしだって言われてんぞ」
眼の前で灰矢にからかうような口振りで言われ、紫乃は「うるさい」とバッサリ切り捨てる。
そうして話していると、今度はヤマトが口を開いた。
「モルガン・ル・フェよ。そこまでお主が警戒するバルト・アンダースを、一体何者と見ておるのじゃ?」
バルトの正体。
駿斗が手に入れた情報により、その答えはギリシア神話の神の中にあるというところまでは突き止めている。
しかし、具体的なところまでは分かっていない。少なくとも、紫乃たちLOTの情報のみでは特定できない。
故にモルガンの情報が必要なのだ。答えを待っていると、モルガンは静かに口を開く。
「まだ確定的な証拠があるワケではありません。しかし、既に候補を一柱に絞り込んではいます」
そう言うなり、モルガンはアダンにアイコンタクトを送り、彼女に代わってアダンが話を始めた。
「仮面ライダーの三人、遺物オークションに来ていたのなら俺が撃たれた時の事を覚えているか?」
「銃を持ち込んで乱射していた戯我が、確かにいたわよね」
ロゼが答え、他の二人も頷く。それを確認してから、アダンは話を続けた。
「不自然だと感じなかったか? 肉体が再生するだけではなく、衣服や机まで元通りになっていただろう」
「それはオレも不思議に思っていた。あの時は考える暇もなく事態が進行してしまったから答えが出なかったが……まさか、そこにバルトの正体に繋がるヒントが?」
「ああ。ウロボロスと融合していた俺だからこそ断言できる、ウロボロスは『時間』を巻き戻して再生させたのだ。俺の肉体だけではなく講壇や焼け跡が戻ったのも、その能力によるものだろう」
瞬間、その場に集った全員が目を見張る。
これまでLOTはウロボロスの能力は肉体の再生であると思い込んでいたが、アダンの情報通りならばそれは誤認という事になるのだ。
加えてウロボロスが遺物オークションの時に構造物まで戻したのは、LOTが潜伏していないと思い込んだ油断のせいだと考えられる。
だがここで、灰矢から待ったの声がかかった。
「ンな能力があるなら、俺が船の底に穴を開けた時に野郎は船を再生できたはずだ。素性を隠すにしたってリスキーだろうに、なんでやらなかったんだ?」
「これは推測になるが……恐らくヤツはそこまで大規模に時間を戻す事ができないのではないか? そんな事ができるというのなら、お前たちももっと苦戦しているはずだろう」
「……まぁ、確かに筋は通るか」
アダンの言葉に納得しつつも、自らの腕を組む灰矢。
そしてウロボロスはバルトを父と呼んでいる事も分かっている。ここから到達できる結論は、ただひとつ。
「バルト・アンダースの正体、それは時間を司るギリシアの神……ゼウスの父、
アダンの提示した答えを聞いて、一同は緊張した面持ちを見せる。
正体が分かった反面――神話に伝わる巨神を率いた魔皇のその強大さを、理解しているからだ。
そんな折、若葉が首を傾げながら挙手した。
「あれ? ちょっと待って下さいよ、変じゃないですか? 前に勉強したんですけど、父神のクロノスっていうのは農耕神であって時の神様の方とは別なんでしょ?」
「あぁ……それは飽くまでも表の世界の常識だ。真実についてはLOT内でも未だに結論が出ていない、そもそも時間神のクロノスには謎が多いからな」
「そうなの?」
「出生すらも明確ではないくらいだ。
「じゃあ、どうして農耕神の方が時間を司る神なの?」
「農耕を司るという事は、即ち作物の運命を……『季節』や『数』を司るという事でもある。季節を操る事ができるのなら、時間の操作も可能……というか、そもそも時の神だからこそ季節を操る事ができるというべきか。ヤツはそうやって神や民を欺き続けていたのかも知れないな……」
そこまで言った後で、紫乃はハッと息を呑んだ。
「まさか、ヤツは自分の分体を作って過去に飛ばしていたのか? 原初神と共に生まれたように見せかけ、民からの信仰を集めて力をつけるために?」
紫乃の口にした推測を聞くと、再び会議場がどよめく。
アレックスも、どこか興奮気味になっていた。
『かつてティタノマキアにおいて、クロノスはゼウスに敗れた……それも力が分散していたせいだというのか!』
「ですがなんのために? それが事実なら、最初から全力を出してゼウスを倒す事も不可能では……いや……!」
晴明は言葉にしている途中で、疑問を氷解させる。
クロノスは自身の父・ウラノスを去勢して王権を簒奪した際、呪いのようにある予言を与えられていた。
曰く『お前も自分の血族によって敗れ、王の座を失う』と。
その予言に逆らうため、あえてゼウスに敗れて隠遁したように見せ、いずれ王権を再度奪うつもりでいるのではないか。
一同は、その結論に達した。
「思えば、ウロボロスだけじゃなくてバルトアンデルスもヌクテメロンも時間に関連した事物だわ。そういう力を束ねて、より強くなろうとしているのかも……」
『まだ推測の域を出ないけど、あり得る話ね。全く、一体何になるつもりなんだか』
ロゼと織愛がそんな話をしていると、アマテラスが目を細めてぽつりと呟く。
「『神の敵』……」
瞬間、イシュタルが目を剥く。
しかしすぐに表情を戻し、若葉とアマテラスの話に耳を傾けた。
「なんですか、それ?」
「超獣戯我の中でも特に強大で、同時に邪悪でもあるモノを総じてそのように呼ぶのじゃ。その名はかつて創造主の御遣いであった反逆者『サタン』から来ている。サタンと同じに見られている悪魔や神がおるのは、これが理由なんじゃよ」
サタンという名には聞き覚えがあるようで、若葉は納得したように声を上げている。
クリスですら表情を強張らせる中、一度会議場を落ち着かせるためか、晴明はパシッと両手を打つ。
「バルトの正体を踏まえた上で、ひとまず同盟の件に戻りましょう。私はこのまま、モルガンさんとの同盟関係を受け入れても構わないと思っています」
その発言に一部不満の声が上がりかけるが、それを遮って晴明は「ただし」と付け加える。
「先に確認したい事があります。モルガンさん、あなたはどうやってゲイボルグやクラレントのレリックライザーを手に入れたのか。なぜアダンがゲイボルグを使えるのか。そして、あなた方は何を成し遂げるつもりなのか。これらを明らかにしなければ、先のステップには進めません」
「順番にお答えしましょう。ゲイボルグもクラレントも、破損状態ですが現在私が所有している遺物です。だからその一部を使ってレリックライザーを製造する事ができた。これが真実です」
「ふむ……では彼がゲイボルグを扱える理由は? レリックライザーの状態とは言え、ゲイボルグは人間に扱える代物ではありません。下手をすれば死の危険すら――」
「それは簡単です。深手を負っていた彼にクー・フーリンの培養骨と髄液を移植したので」
「……えっ?」
晴明は間の抜けた声を発して目を丸くし、話を聞いていたアダンとクリス以外の面々も同様に驚く。
そしてようやく我に返った晴明が、大声で彼女を問い詰めた。
「クー・フーリンの遺体を保管しているんですか!? あなたは!?」
「はい。クリードとコインヘンの骨も一緒に、地下で」
「な、なんという……というか、あなたもよく適合できましたね?」
言って、晴明はアダンにも問いかける。
するとこともなげに、アダンの方も質問に答えた。
「元々ウロボロスに英雄の髄液を何度も接種させられていたからな、いなくなった後でも体が慣れていたのかも知れん。それに、モルガンから聞いたが俺はどうやらそのクー・フーリンの伝承を元に造られたようだからな」
「カリオストロに相談を持ちかけられたので、私も設計図の作成を手伝ったんですよ」
「ん? おい待て。それは俺も初耳だぞ」
「……」
「なぜ黙る!?」
まるで夫婦漫才のような二人のやり取りを見て、若葉やスサノオは笑っている。
すると、晴明は再び手を打って静寂を作った。
「……なるほど。では、あなたの目的についてお聞かせ願いたい」
モルガンは目を閉ざした後、数刻の間を置いて発言する。
「私は神がこの世界には必要だと考えています。それがロゴス・シーカーの理念でもある……しかし、神の時代に回帰する必要性までは感じていません」
「ほう?」
「人は神に知恵を求め、神は人に信仰を求めて与え合う。人や神に仇をなす者には罰を下せば良い。そこは一貫するべきです」
「それは今の時代と何が違うのですか? 現代でも我々は神を信仰して助けを求め、半ば共存関係にある」
「人にして人ならざる者たちが肩身の狭い思いをしている。今の事はともかく、あなたも昔苦労したのではありませんか」
不意を打たれたように、晴明だけではなく紫乃や灰矢までが目を見張った。
モルガンの言う人にして人ならざる者とは。それは即ち、アダンやロッソ・ヴェールのような人造人間、さらに晴明のような半人半魔。
そして、神の血を継ぐ駿斗の事を指すものだ。
今は表の世界に露見していないとは言え、その事実を明かされてしまえば駿斗はそれまで通りには生きていけないだろう。今でもその事実に苛まれているのかも知れない。バルトによって人間が命を奪われている事で、彼を憎む者もいるだろう。
LOTの敷いた人間の秩序の世界では、彼らは切り捨てられる可能性もある。
だからこそ、神秘を暴きつつそう言った者たちを広く受容する場が必要なのだと、モルガンは言いたいのだ。
「もちろん、私も自分の意見が全てまかり通るとは思っていませんよ。その辺りの事もできる限り擦り合わせて行ければと考えています、もちろん戦いの後で」
「……あなたのような人物がロゴス・シーカーのトップに立つなら、そういう組織も存在すべきなのかも知れませんね」
晴明は静かにそう呟くと、モニター越しにアレックスに目を向けた。
「日本支部はモルガン派との同盟関係を受け入れるべきだと考えます。本部の意見は如何ですか、ブラウベルク卿」
『そうだな……うむ、私としても正式に認可したいところだ。本部にも話を通す必要はあるが、それはそれ』
深く頷くアレックスの姿を見て、晴明もまた微笑んで頷く。
そして晴明とモルガンは向かい合って、堅い握手を交わした。
「我々の手でバルトを討ちましょう」
「ええ、必ず。和平を望むのは私も同じですから」
こうして無事にLOTとモルガン派の同盟は成立。
今後の方針については、磐戸に戻ってから決めるという事で話が纏められ、この場は解散となった。
紫乃とロゼも立ち上がって部屋に戻ろうとした時、ヤマトが「ちょっと」紫乃に声をかける。
「なんです?」
「儂が紹介状を書いてやるから、あのブラウベルクとやらに話してできる限り速く本部へ向かえ。そして、本部長のヘルメス・トリスメギストスに会え」
「え?」
話が見えてこない、と紫乃もロゼも首を傾げる。
しかしそれに構わずヤマトは紫乃の肩に手を乗せ、凛とした表情で言い放つ。
「お主ならば、必ず『万色の力』に至る。バルトたちを倒すのならば手に入れるべきじゃ」
万色の力。
初めて聞くその単語に、紫乃は当惑しつつも、その言いつけを頭の中に留めた。
※ ※ ※ ※ ※
――一ヶ月後。
夜の磐戸市の港で、ビヨンデッタは静かに佇んでそこに待っていた。
そこに姿を現したのは、一柱の女神。
イシュタルだ。
「決心したか? 我が妻よ」
「ええ、バアル様」
プライドの塊であるはずのその女神は、すぐにその場で跪く。
「私をあなたのお傍に置いて下さい」
次回、最終章
[神戦ノ章]
付録ノ三十五[サタン]
創造主の反逆者として呼び声高い、堕天使にして大悪魔。
楽園でアダムとイヴを唆した張本人であるためか、巨大な龍や蛇のような姿をしているとも言われる。
強大な超獣戯我である事を示す称号でもあり、ルシファーやサマエルやベルゼブブと言った堕天使・悪魔も
余談であるが、ギリシア神話のクロノスと同一視されているローマの神サトゥルヌス(サターン)がサタンと混同される向きがあるが、これは誤り。発音も綴りも異なる。
しかし『我が子を食らうサトゥルヌス』に代表されるような恐ろしい絵画も存在するため、邪悪なイメージがついているのは間違いではないのかも知れない。