ガールズバンドの恋する日常   作:敷き布団

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Bar Hakanight【薫&千聖】

バー【Bar】。それは、太陽が沈み、街に夜の帷が下りる頃に、日々の疲れや鬱憤を忘れようと大人たちが集う場所。人間という生き物は日々、煩わしい柵に縛り付けられて生きている。かのアリストテレス【Aristotle】曰く、——人間はポリス的動物である、と。人は社会的生活を営むことを本来の自己が自然本性的に持つ目的と捉えているのであると……。意味? つまりそういうことさ。

 

……とにかく。人という生き物は他でもない人間同士の関わり合いで傷つき、喜び、そして苦しむ。……俺たちはそんな人生を、強いられているんだ! ……そんな強制された人生のその苦しみをほんの僅かにでも癒すために、人間には逃避する場所が必要なのだ。その場所はきっと人によって異なるだろう。自室の布団の中かもしれないし、ゲームをするためのパソコンかもしれない。それとも趣味に没頭するためのスタジオかもしれないし、はたまた観衆渦巻く会場に浮かぶ壇上かもしれない。

 

え、俺? 今の俺の気分は……そう。

 

かぁっ、喉が灼ける、これだよなぁ!

 

酒がうめぇ。

 

 

 

いや待て。これだけだと俺が単に大学デビューして酒イキリしてるだけのダサい大学生と思われるかもしれない。それは誠に心外で遺憾であります。

酒イキリしてる大学生をどう思うよ? 居酒屋で後輩に無理やり酒を呷らせ、仲間内でイッキコール飛び交う、そんな地獄も地獄。酒が飲めないやつからしたらそれはまさに弾丸で人の命が軽く弾け飛ぶ戦場に他ならない。じゃあ俺はそんな奴らと一緒なのか?

 

否! 断じて違う!! 俺はそう……大人の嗜みとして、このバーでその階段を、いや、もっと大胆に言ってしまおう。大人としての登竜門に臨まんとしているのだ。上品に酒に溺れ、辛く苦しい現世を憂い、儚くその尊さに酔いしれる。そんな崇高で、格式高い嗜みに興じようとしているのだ——。

 

 

酒うめぇ!!

 

 

 

……ごほん。大丈夫だ、まだ酔っていない。え、酔ってるやつはみんなそう言う? そんな戯言を吐くやつも大抵酔ってる時にそんな言葉を聞くものだから多少脚色されてしまうのさ。俺は酔ってない。だってまだ一軒目を終えたばかりだ。

大学の連れとの飲み会。そうそれはまさに俺にとって戦場で……。

彼らにとっては辛く苦しかったテスト期間を乗り切った自分たちへの祝杯かもしれない。しかし違う……俺が求めている祝杯はそんなのじゃない……! 勝利の美酒に酔いしれるなら、それはこんな無粋な空間でなくていい。だから俺は1人抜け出し、この二軒目の大人の空間に飛び込もうとしているだけなのだ……。

 

「ここだな……」

 

俺が訪れた路地裏の隠れた名店。それはいかなる地図にも載っていない、まさに知る人ぞ知る名店。大人のための秘密の社交場。看板に縁取られた艶美な文字が俺を呼んでいる……。

 

 

Bar Hakanight

 

 

 

「おや……今宵は珍しい子猫ちゃんのようだね」

 

「……マスター、空いてるかい?」

 

「大歓迎さ……」

 

俺はぼんぼりのような優しいオレンジの灯りに視界を歪められながら、その少し高めのチェアに腰掛ける。カウンター奥にあるシェルフを見れば、古今東西、客が望む如何なるお酒でも出してくれるのであろうコレクション。最早そのラベルなんかに記された文字は酷くうねって読めそうにない。

 

「最初の一杯はどうするんだい?」

 

「マスター」

 

俺の蕩けそうな声に、中性的な顔立ちをした、名状し難い儚さを持つマスターの視線がこちらを向いた。

 

 

「……水をくれ」

 

……氷の浮いたグラスがことりとテーブルの上で音を立てた。

 

 

 

朦朧としていた意識が一つの音の到来とともに覚醒する。混濁とした意識に凛としたその声が、どこか遠くから内側へと反芻し続けているようで酷く気持ち悪い。吐きそう。

 

「そこの方、……すごく酒臭いのだけれど」

 

「おや……君がそんなに人を気遣うだなんて、珍しいじゃないか、千聖」

 

「失礼ね」

 

「それに、他人を気にかけるなんてね」

 

「嫌味かしら? まぁ……あなたのお店に来るお客様なら、悪い人ではないと知っているから。女のカンなんていう、アレよ」

 

「ふっ、その通りさ。君のカンは抜群に冴えているようだね。……後は素直になれば完璧みたいだ」

 

「……素直になっても、気づいてくれないんだもの」

 

俺の視界がはっきりとしてきた頃、俺とマスターしか居なかった店内にはいつのまにか客が増えていた。擡げた首の向きを僅かに変えれば、そのうら若き乙女、凡そこのような場所にいるのが似つかわしくない幼さと、凡そこのような場所にいるのがこの上なく似合う妖艶さを兼ね備えた乙女が、そこに座っていたのだ。視界の端にしか写っていないものだから、それらはオーラでしかわからない。けれど、その表現が1番納得いくのである。彼女は俺が目覚めたことに気がつくと、甲高いヒールの音を響かせながらこちらへと近づいてきた。

 

「顔色が悪そうだけれど、そこの方、よければご一緒しないかしら?」

 

「……そんなお美しい方から誘われちゃ……て、へ?」

 

「ねぇ雄緋。何してるのかしら、こんなところで」

 

「は、千聖? それはこっちのセリフ……てか未成年だろお前」

 

「おやおや、私の店で諍いはよしてくれないか……」

 

「ってマスター、薫じゃねぇか!!」

 

「……五月蝿い」

 

「『儚い』みたいに言ってんじゃねぇ……」

 

酔ってた時は全くもって気がつかなかった。カウンターの中にいる紫髪のマスターは、紛れもなく瀬田薫であった。そして俺に話しかけてきたこの女は、紛れもなく白鷺千聖であった。

 

「まぁ、折角だから隣同士で座ったらいいじゃないか……儚い……」

 

「えぇ、お邪魔するわね」

 

「それで、子猫ちゃんたちは何を求めるのかな?」

 

「まずは、カシスオレンジで」

 

「あら、案外可愛いお酒頼むのね」

 

「うるせぇ」

 

「薫、オレンジジュースを」

 

 

 

テーブルの上に置かれたグラスには、柑橘類の鮮やかな橙が輝きを放つカシスオレンジが。クレム・ド・カシスというリキュールをオレンジジュースで割ったものだ。きっとお酒をほとんど飲んだことのない人にも比較的飲みやすかろう。俺も飲み会で周りが頼んでいるのを見て、取り敢えずこれからこのアルコールの魔力に取り憑かれたのだ……。

 

「千聖も、どうぞ……君のためだけの特別なオレンジジュースだ……」

 

「そう、ありがとう」

 

「ドライだな」

 

「えぇ。これぐらいが丁度いいもの」

 

「……儚い」

 

哀しげな声がうっすらと店内の照明に溶けてゆく。そして暫しの間沈黙が挟んだが、俺がグラスを手に取ると。

 

「「乾杯」」

 

水源から水が湧き出すように喉の奥へとゆっくりと橙色の液体が流し込まれてゆく。喉を酸味の混ざる苦味が薄らと灼いていくのだ。

 

「……くぅ」

 

「前から疑問に思っていたのだけれど、お酒ってそんなに美味しいの?」

 

「……微妙」

 

「じゃあどうしてみんなそうやって挙って酒を浴びるのかしら?」

 

「……ふっ、お子ちゃまだな」

 

「は?」

 

「マスター、カルーアミルクを」

 

「薫、コーヒー牛乳」

 

「……承った」

 

 

 

次にやってきたのはコーヒー豆をメインとするカルーアというリキュールをミルク、即ち牛乳で割った、カルーアミルクというカクテルだ。イメージとしては本当にそう、コーヒー牛乳をイメージしてくれればよい。いわゆる酒の中ではかなり甘い。そう、この隣の金髪の世間知ら「は?」……まだお酒の味を知らない純朴な少女のような甘さ。だがこのカルーアミルク、思ったよりもアルコール濃度が高いので、酒が弱い人間が飲みすぎると普通に酔い潰れる。

 

「ほら千聖。君だけのためのコーヒー牛乳(シロップたっぷりver)だ。受け取ってくれ……」

 

「……貴方は私を世間知らずだなんて言うけれど、自分ではそうは思わないのだけれど」

 

「……だろうな。少なくとも同世代の人間の中ならよっぽど年m「は?」……深い教養と経験に裏打ちされた聡明さには敵いません」

 

「……少し馬鹿にされている気がするけれど、まぁそれでいいわ」

 

少しどころか全部皮肉だけどね。

 

「きっと芸能界の闇の深さは俺の知るところではないようで」

 

「えぇ。貴方が想像するよりもきっともっと深くて、底が見えないと思うけれど、……ズズ、っ?!」

 

「どうした?」

 

「おや千聖。どうしたんだい?」

 

「……はぁ」

 

「おいなんでこっちを見る」

 

「飲みなさい」

 

「えっだってさっき口つけ「飲め」はい、甘っ?!」

 

いや、そんな俺も間接キスが蜜の味、みたいなそんな吐き気を催すレベルの感想を述べてるわけじゃないよ。そもそも俺こいつと直接そういうのした経験あるし。あ、誑し? 俺は悪くねぇ!

 

「あら、お酒ぐらいもっと静かに飲めないの?」

 

「静かに飲んでるっつーの。というかそれは酒じゃねぇ」

 

そいつはあくまでただのコーヒー牛乳だ。くっそ甘いけど。……だが口直しにしようにも俺のカクテルグラスに注がれたカルーアミルクはすっかり飲み干されてしまっている。いやまぁ、こっちもそんな苦くないし口直しになんないだろうけど。まぁ、この無駄な甘さだけ飲み込めればそれでいい。むしろ適度な甘さで薄めたいんだ。

 

「……マスター、モスコミュール」

 

「薫、ジンジャエールを」

 

「ふっ……儚い」

 

 

 

さっきから比較的甘めのカクテルばっかり飲んでるけど、別段甘口が好きだと言うわけではない。ただなんとなく……今日は甘さを体が欲しているだけだ。心がきっと疲れているのだろう。辛口なんて人生だけでいい。ふっ、決まった。儚い。

 

「……どういうわけだか、今日の雄緋は一段と大人に見えるわね」

 

「そらぁお前らよか大人だぞ」

 

「呂律回ってないじゃない」

 

「わざとだってーのわざと」

 

「お待たせ、モスコミュールだ……。千聖には、この愛の込めたジンジャエールを」

 

「そう。それで、モスコミュールって?」

 

「……そんな態度すらも、儚いなんて」

 

「モスコミュールってのは、ウォッカをジンジャエールで割ってるんだよ」

 

「ウォッカ……、なんとなく聞いたことはあるけれど」

 

「ロシアなんかの蒸留酒さ。モスコはモスクワのことだからね」

 

「……そう、解説ありがとう薫」

 

「お安いごようさ……」

 

あぁ、やはりこの薄黄色が揺れる様はこの橙に暗いバーでは独特の雰囲気を醸し出している。そしてこの舌を、喉元を、通り過ぎる快感は何者にも代え難い……。

 

「……はぁ、ジンジャエールでも、酔えるのかしら」

 

「無理だろ、精々雰囲気止まりだ」

 

「夢のないことを言うのね」

 

「……というか、酔いたいのか?」

 

「……まぁ、少しだけ経験してみたいという好奇心ならあるわね」

 

「飲むか?」

 

「犯罪よそれ」

 

「……すんません」

 

空気おっも。酒の席の空気じゃないっしょこんなの。

 

「えっと、なんか悩んでるのか?」

 

「……貴方には分からない気苦労もあるのよ」

 

「どしたん? 話きこうか?」

 

「貴方のせいじゃない……。というかもっと犯罪よそれ」

 

「ごめんなさい……」

 

なんか分からんけどめっちゃ怒られた。すっかり叱られてるな俺。あー、今なら空飛べそう。

 

「はぁ、これだから少女の気持ちに気づかない雄緋(バカ)は」

 

「……君も大変だね、千聖」

 

「……あら、そんな他人事でいいの? かおちゃん?」

 

「なっ?! そ、その呼び方はやめてよちーちゃん……」

 

「え、何今の」

 

「ふふっ、雄緋は見たことないでしょう? 薫、カウンターから出てこっちに来てくれないかしら」

 

「……な、何をする気だい? 子猫ちゃん」

 

「……はぁ、取り繕わなくていいのよ? かおちゃん?」

 

「も、もぉっ?!」

 

「えっ何今の」

 

「可愛いでしょう?」

 

「めっちゃ可愛い」

 

「〜〜!!」

 

あ、カウンターへと帰っていった。もうちょっと拝みたかったな今の……。

 

「そ、それで、何を頼むんだい?」

 

「そうだな、マティーニを、かおちゃん?」

 

「も、もうその呼び方はダメだよ!」

 

 

 

カクテルの王様。それこそがマティーニだ。ジンとベルモット。ただそれだけでその王様は表現されるのだ……。これぞ一つの頂点。ウォッカティーニもいい。しかし、やはり大人の男と女が儚き恋夜に狂い咲くためにはジンベースこそ至高。少なくとも俺はそう思ってる。イギリスはロンドンに通ずるドライ・ジンとフランスで花開いたドライ・ベルモット。雁字搦めの現世(うつしよ)で溺れるほどに一夜を狂わせるにはこれほど最適な酒はないだろう。少なくとも俺はそう思ってる。

 

「……マティーニって何?」

 

「知らなくていい……くっ……」

 

こんなの未成年に飲ませたらそれこそ大問題、というか普通に俺と薫が捕まるからな。それにこんなの飲ませた日には千聖とてぶっ倒れかねん。

はぁ、これまでの甘い口当たりを全て覆していくような辛口が、俺をドロドロに溶かしていくんだ……。

 

「私はもう今日は飲めないから良いかしら」

 

「そ、そうかい、千聖」

 

「あら、不満かしら、かおちゃん?」

 

「もぉっ!」

 

「ぐっ……はぁ。どうした、顔赤いぞかおちゃん」

 

「やめてよぉ……」

 

「顔赤いのは貴方も大概じゃない……。そろそろやめておいたら?」

 

「……うるせぇ。一晩ぐらい酒に溺れさせてくれてもいいだろ」

 

「って、無理に立とうと、ってえっ?!」

 

あー、ダメだ視界がぐわんぐわんしてる。

 

「もう……」

 

「……か、顔が赤いのはちーちゃんだって一緒じゃないか!」

 

「そ、そんなことにゃ……ないわよ!」

 

「耳元で、叫ぶなってのぉっ」

 

頭が割れそう、だが、これがいいんだよこれが。

 

「ちょ、ちょっと本当に大丈夫なの?」

 

「……んぁ?」

 

「だ、だって息も荒いし、さっきから私の肩とかそんなにペタペタ触って……」

 

「……ふっ。ちーちゃんも、嬉しいんじゃないか、素直に喜べばいいのに」

 

「なっ?! ……かおちゃんだって、本当は羨ましがってるくせに!」

 

「えっ?! そ、そんなこと!」

 

「えー? そっかそっかかおちゃん、どーしたんだ?」

 

あー頭がガンガンする。あとガチで足が見えない。

 

「ふふっ、雄緋? かおちゃんはキスして欲しいんですって」

 

「な、え、ちょ?!」

 

「そっか、本当だな?」

 

「えっ、う、うんっ、……んっ……」

 

冷たいのってくっそ気持ちいいな。脳みそが熱暴走してるみたいな。

 

「んっ、ストップぅ! わ、私はみんなの瀬田薫、だからね……」

 

「……わぁ」

 

「くっ、はぁ……」

 

「……千聖、君だって、その、足りないんじゃないかい?」

 

「な、何を?!」

 

「ほぉら、雄緋。プリンセスを待たせちゃいけないじゃないか」

 

「……あぁ、そうだな。こんなお美しい姫君……、放っておけるわけが」

 

「へ、へ?! ちょっと、雄緋?! ちか……え、んっ、んっ……」

 

「ふっ……。あぁ、なんて儚いんだ」

 

「んっ、ぷはぁ……。雄緋ぃ……」

 

「恋に溺れるプリンセスなんて、……あぁ儚い」

 

「こっ?! ……恋に溺れたプリンスに言われたくはないわ」

 

「……何のことだか分からないよ」

 

意識は混濁として。かき混ぜられて、その視界はすっと立ち消えて。祝杯に眩まされた高揚が俺の意識を刈り取って、安眠へ誘う。大人たちの集うBarで、こうして俺は大人の嗜みを、危険なカオリの立ち込める一夜を明かしていく。

 

「負けないわよ? かおちゃん?」

 

「あぁ。私だって負けないさ、ちーちゃん?」

 

聞こえていた声もいつしか薄れていった。勝利の美酒はこうやって静かにもの思いに耽ってこそ、甘美にロマンスに溶けて混ざり合うのだ。

……儚い。

 

 

 

 

 

Closed

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p.s.大学のツレと祝杯に興じた、などと言う一部報道がありましたが、私、北条雄緋は追試に引っかかったので、飲んだお酒は「祝杯」や「勝利の美酒」などではなく、正しくは「自棄酒(やけざけ)」でした。お詫びして訂正いたします。

 

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