「わぁ……このクッキー美味しい……!」
「千聖ちゃんと行ったお店で買ってきたんだよ?」
「ふふっ。彩ちゃんも、今度のライブが終わったら一緒に行きましょう?」
「千聖ちゃんの笑顔がなんだか怖い……」
「……こちら、紅茶になります」
「あら、ありがとう雄緋」
あの。
ご報告が。
なんだか俺の部屋が優雅な感じになっています。いい感じの音楽が流れて、いい感じの匂いが漂う。昼下がりのティータイムとでも言おうか。俺の部屋のど真ん中で卓を囲って、持ち合ったお菓子や紅茶、コーヒーなんかでティータイムと洒落込んでいるのだ。
「あ、注文いいかな?」
「……店じゃないんだけど」
「コーヒー、砂糖たっぷりで!」
「店じゃないんだけど」
「あ、私も注文いいかな?」
「店じゃないんだけど?!」
「知ってるよ? 早くー」
「あっはい」
無駄です。例え俺が何を言おうと何を持ち出そうと決定権はないのです。
「飲み物さえ出してくれたら、席についてくれてもいいわよ?」
「なんてやつらだ……」
勝手に家に訪問しておきながら占領するやつ。慣れたからと言って心の底から許せてるわけじゃないからな。
「あ、雄緋くん。これ貰い物なんだけど、折角だからはい!」
「お、ありがとう。クッキー?」
「うん、こころちゃんがくれたんだ」
「折角だからお皿出してくるから今食べるか」
こうやって手土産のようなものを持ってきてくれるだけでもありがたいのかもしれない。花音からの手土産のクッキーを大袋から出す。しかし内容量は結構あるようで半分ぐらいを皿に盛って、テーブルの真ん中に置いて席に着く。
「こころちゃんのクッキーかぁ。……外国のクッキーとかかな?」
「うーん? たしか試作品がどうって言ってたような……?」
「試作品?」
俺からの問いかけの声と同時に、彩と千聖の方からクッキーを噛み砕く音が聞こえる。その反応を見るに。
「美味しいわね……。香ばしくてまろやかな味がするわ」
「私のは甘いチップみたいな……、うーん、チョコ……? 花音ちゃんも食べないの?」
「ありがとう、もらうね? はむっ……。ん……、甘いけどチョコじゃないような……?」
「まぁ味が色々あるんじゃないか? 袋に味とか書いてあるかな?」
俺はキッチンの方に置いておいた袋を見に行こうと立ち上がる。
袋にはよくある成分表示のようなものが書いてあるシールはないが、その代わりに文章の書かれた紙みたいなものが入っている。
「えっとな……味は、ん?」
『このクッキーは弦巻財閥が開発した、性質転換クッキーの試作品になります。食べた人間(以下、『試食者』と呼びます。)の特定の異性に対する感情の発現の性質が変化します。味と変わる性質がそれぞれ対応しており、以下の通りです。』
「ふぁっ?!」
「どうしたの? 雄緋くん」
「……よくわからんけど性質転換クッキーだって」
『味と性質
バター → ツンデレ
チョコ → ヤンデレ
ミルク → クーデレ
※なお、 ——』
「おいちょっとお前ら何食べ「雄緋くん」え?」
不穏な文字列を見てしまって焦った俺が振り向いた瞬間だった。俺の視界はどういうわけだか白塗りの天井を向いていて、すぐさま視界が何かに覆い隠された。揺れる視界の端を包むのは髪のようであり、その僅かな隙間から差し込む光が桃色を反射している。
「あ、彩?!」
「……最近、雄緋くんって私に対して、冷たいよね?」
「いや、え? そんなことは……」
「私以外の女の子といっぱいイチャイチャして楽しかった? 私のこと蔑ろにしてガールズバンドの女の子と遊ぶのは楽しかった?」
「ちょ……離……」
「どうして私以外の女の子と仲良くするの? 雄緋くんには私がいれば十分だよね? 私以外の女の子なんて……必要ないでしょ?」
「ぐ……ってうわっ」
腕ごと押さえつけられていた俺の体。しかし、突然視界に入る光が明るくなる。彩の体がいつのまにか起こされていた。
「何が起きて……え?」
「……雄緋くん、大丈夫?」
「花音……千聖?」
「彩ちゃん? 気持ちは分かるけれど、乱暴はダメよ?」
「……うっ」
「起き上がれる?」
「ありがとう花音」
「……このぐらいなんてこと」
「お、おう? 千聖もその、ありがとうな」
「べ、別に雄緋のために助けてあげたわけじゃないわよ? 勘違いしないでくれるかしら?」
「えぇ?」
「彩ちゃんが怪我しても大変だから。貴方はあくまで副次的に助かっただけだから。良いわね?」
「え、あ、はい」
「た、ただ。もしも雄緋がそんなにも感謝の気持ちを示したいならき、キスぐらいならしてくれても……」
「……千聖ちゃん? 抜け駆けは、良くないと思う」
「ぬぬぬ抜け駆けじゃないわよ花音?! つ、つまりそういうことだから!」
「アッハイ」
んんん?
「……ねぇ、お茶会、続けよう?」
「そうだね」
「え、えぇ。それに雄緋もそのクッキー食べて良いのよ?」
「あ、遠慮しときます……」
えっと……つまりえっと、え?
混乱しすぎてて何が起きてるのか良くわからんけどつまりこういうこと?
性質転換クッキーを3人が食べる。
↓
彩 : チョコを食べた結果ヤンデレに
千聖 : バターを食べた結果ツンデレに
花音 : ミルクを食べた結果クーデレに
……なるほど? 分からん。分からんぞ。何が起きているのかまったくもって理解できないぞ。どうしたんだ弦巻財閥。何のための商品開発だ?
とにかく今確実なのはこのクッキーを俺が食べたらやばい。というか、他の人も食べたらやばいということだ。俺はすぐさまテーブルの上に置かれたクッキーの皿をキッチンへと持ってきて、他の適当なスナック菓子を代わりに盛って誤魔化す。
「クッキーは食べないの?」
「……私が食べさせてあげるから、食べようよ雄緋くん」
「スナック菓子で我慢してくれ! 頼むから!」
「そ、そんなに雄緋が頼むなら……仕方ないわね」
感覚が狂いそう。あと何より彩からのオーラが怖すぎる。
「……雄緋くん。食べさせてあげようか?」
「か、花音? 自分で食べられるからいいぞ?」
「……いいから」
「口数少ない花音ちょっと怖いから!」
「……怖いかな」
「あ、いやそういう意味じゃなくて可愛いけどなんか慣れないかなー! って」
「雄緋くんが、また私以外の女の子口説こうとしてる……。……ユルセナイ」
「彩が一番可愛いと思ってるぞー!」
「ば、バッカじゃないの?! 雄緋なんか……雄緋なんか……ッ!」
「いや、千聖も可愛い! 一番なんて決めれない!!」
どうすりゃ良いんだよ!!!!
いつもの俺ならここで『三十六計逃げるに如かず!』って逃亡を決め込む流れなんだが、今このクッキーをこの場に放置したまま逃げ去るのはナンセンスすぎる。もし仮にクッキーを持ち逃げしたとしても俺の運命力というか巻き込まれ力的に間違いなく誰かと遭遇する。これが日菜とかこころとかその辺りに見つかったらまず間違いなくこのクッキーを食べようとするだろう。二次災害発生間違いなしなんだ。
というかそもそもこのクッキーの効果時間はいつまでなんだ? それを見るためにはあの袋を取りに行かないといけないが、如何せんこの3人から目を離すのが怖すぎる。
「……ねぇ。雄緋くん。彩ちゃんと千聖ちゃんと私。誰が一番?」
「……ノーコメントで」
「そっか……。私たち以外なんだね。……消さなくちゃ」
「いないという可能性は?!」
「私も気になるわ? 答えなさい、雄緋」
「……私も気になる、かな」
「逃げちゃダメだよ? ちゃんと答えてくれるまで逃さないから」
誰か……助けてください。私に救いの手を差し伸べてください。
超絶ブラックな雰囲気を纏って自分たち以外を排除しようとする彩も、なんだかんだツンツンしつつも優しくしてくれる千聖も、素っ気ないフリをしながらも和やかな声をかけてくれる花音も、誰が一番かだなんて選べません。運動会じゃないんだからみんなお手手繋いでゴールインとかで良いと思うんです。優劣なんてないさ! って言いたいけど今ここでそんなことを言った暁には私の意識は天に召されることでしょう。
「……選ばないんだね?」
「……いや、その……」
並々ならぬ3人のオーラに俺は思わず後ずさる。どうにかして逃げようと玄関の方を確認し
俺が玄関の方を見た瞬間、逃さないぞと冷たい表情をした花音が立ち塞がる。やばい……この部屋の出入り口なんて玄関しか……。そこで俺は背後にあるベッドの横、窓の存在を思い出した。
「うおっ窓から……」
「逃さないわよ」
「え」
後ろから腕を掴まれ、無理やりそちらを振り向かせられる。
俺の腕を掴んでいる千聖の腕は震えていた。
「……雄緋、私は悲しいわ。私のこと……嫌い?」
「そんなことは……」
「なら……選んでよ。私のこと……!」
俺は返す言葉もなく沈黙をするのみだった。続け様に花音が俺のことを一心に見つめ、口を開く。
「ねぇ雄緋くん。千聖ちゃんや彩ちゃんには、やっぱり私、勝てないのかな?」
「そうは言ってない」
「……私じゃダメ?」
選ぶなんて出来ない。そんな言い訳を垂れることもできないでいると、彩がゆらりと立ち上がった。
「雄緋くん……。私ね、いっぱい我慢したんだよ?」
「……うん」
「だから……私のこと……選んでよ……っ!」
3人の悲壮な表情が視界に入るだけで俺の心がキリキリと締め付けられる。けれどきっと3人の苦しみや辛さに比べたらこんなの……。
そう考えていたうちに、急に俺の腕を掴んでいた力が抜けた。
「え? ちょっ、おい!」
3人の力が抜けたかと思うと、詰め寄っていた3人は気を失ったように思わず倒れそうになる。
「ぐぉ……おぉ……」
3人分の体重はかなりだったが、どうにか勢いよく倒れないように支えになった。しかし1秒とたたないうちに、またも3人は目を覚ました。
「え……? あれ……私」
「何して……」
「あ、ありがとう雄緋くん……」
「え? ……戻った?」
倒れそうになる寸前はまるで焦点の合っていなかった瞳が今はしっかりとこちらの目線と重なり合っていた。3人は何が起きたか分からないといった表情のままキョトンとしている。
「よかった、3人とも気を「雄緋くんっ!」うわぁぁっ?!」
意識が戻ったと思った瞬間に、気がついたらいつぞやのように、しかし先ほどよりもより体重がかかり俺の体は流石に支えきれずにベッドの方へと倒れ込んだ。視界を埋め尽くす三つの影。
「え……?」
「雄緋……。なんだか今日は貴方を見ているといつにも増して、ドキドキするの」
「ち、千聖? どうした?」
「雄緋くんのことを考えてるだけで……、もう体の疼きが止まらないんだよ?」
「いやちょ……彩も……ストップ」
「えへへ……。雄緋くんと触れ合うだけで、幸せな気持ちで一杯になるんだぁ」
「花音……待っ、何が起きて……」
そう。あの件のクッキーの説明書の続きにはこう書かれている。
『
※なお、効果時間は検証中ですが、効果が切れた後の試食者は特定の異性に対する感情をより率直かつ直接的に表現するようになります。また、当該性質の転換は試食者自身に僅かでもその性質がある場合のみ発現します。ハッピー! ラッキー! スマイル! イエーイ!!
ここで重要なのは、前者である。
彼女たち3人は、効果が切れたために、雄緋に対して、より直接的にその好意を示しているのである。
ところがどっこい。
誰も……、説明書を読んでいないのである!!!
とても恐ろしい集団心理だからね、仕方ないね。兎にも角にも、誰も読んでいないので、副作用の発生に気づくことができない。現実は非情である。
「ちょ……あの、みんな? どうしたんだよ?」
俺は押し倒されたところから慌てて抜け出そうとするが、彩も千聖も花音もみんな馬乗りになっていて流石に抜け出すことは敵わなさそうであった。思い切り暴れたら可能かもしれないが、この3人を傷つけるわけにはいかない。
「どうしたもこうしたも、私たちは自分の気持ちに素直になってるだけだよ? さっきの彩ちゃんを見たら、なんだか勇気が出てきたんだぁ」
「どんな勇気だよ?! 不要な勇気は捨てろぉ!!」
「ねぇ雄緋……。私はこの胸の高鳴りに素直になってもいいのかしら? 雄緋が受け入れてくれたら、私はもっともっとこの気持ちを大事にできる気がするの」
「この気持ちって何?!」
「あはは。雄緋くん……。抵抗する意味なんてないんだよ? 大丈夫……、私たち3人でいっっっぱい雄緋くんのこと満足させてあげるから……」
「何の話?! 抵抗するわ?!」
3人の端整な顔が迫る。少しでも身動ぎをすれば唇同士が触れ合ってしまいそうな距離感。熱の籠る吐息が肌を擽る。そんな至近距離から漂う女の子の甘い誘惑の香り。ふと気を抜けば堕ちてしまいそうな甘い声色。俺を見つめる3人の瞳ははんなりと濡れて、俺の心を溶かし切ってしまいそうなほど熱く燃えてもいた。
「ちょ……近……」
「えへへ……。雄緋くん、好きだよ……」
「私だって……大好きよ……。誰にも負けないぐらい」
「負けないよ? 私だって……ずっと好きだったもん」
青は進んでよし。
黄は止まれ。
赤は絶対に止まれ。
……そんな信号機が暴走したらどうなるか?
「雄緋くん……キスしよ?」
「花音だけじゃ嫌……私も……」
「ずるいよ2人とも……私だって」
青も黄も赤も、全部ノンストップ、止まらなくなるのだ。
……俺はその暴走をどうにかして受け止めるのだった。どうやって受け止めたか? お察しください。