「うー……」
ここはガールズバンドの聖地、CiRCLE、の受付。受付の目の前にあるガラス戸の向こうではとうに空が赤らんで、1日の終わりを暗示している。そう、俺はあと少しでシフトも終わるから、上がり、というこの微妙な時間の虚無を生きているのである。
この時間ともなると、もう正直スタジオを借りに来る客は来ないし、今スタジオを借りている団体が帰るのを見届けるだけなのである。使用済みのスタジオの機材の片付けなんかは全て終わっているので、要は本当に暇。暇オブ暇。こんな暇でも給料は発生するというんだから、奇妙な世の中である。
「雄緋くんおつかれー。もう後は3番スタジオの片付けだけだろうから、上がっていいよ?」
「あ、まだあと10分ぐらいあるけど、いいんですか?」
「この時間だしねぇ、大丈夫だよ」
「じゃあお言葉に甘えて……」
俺がそそくさと控室に戻ろうとした時、ついでとばかりにまりなさんから声がかかる。
「そうだ、雄緋くんってお酒とかって飲む?」
「え? あー、まぁ飲みますけど。何かありました?」
「実はこの間知り合いから果実酒のリキュールを貰ったんだけど、私があんまり飲まないやつだったから、もし良ければ雄緋くんにあげようかなと思ったんだけど。どう?」
「果実酒か……」
お酒ね……。この間どこぞのBarに行った時は醜態を晒す程度には飲みすぎてしまったが、果実酒ならばそれほど強いお酒でもないし、晩酌というのもなかなか乙なものだろう。
「じゃあ折角なので、いただいてもいいですか?」
「良かったぁ。ロッカーの横の台の上に置いてあるから、持って帰っていいよ!」
「ありがとうございます」
そんな上司からの思いもよらぬご好意の酒瓶を小脇に抱え、俺はいつもより少し早めにバイトを上がる。とは言ってももう夜は夜なんだけどね。そんな夜の入りの道を急ぐのだった。
「どれどれ……、お、苺のリキュールか……。結構美味しそうだな」
包み紙を外すとかなり独特な形状の瓶が現れる。どうやら苺を漬けてあるものらしく、瓶の内部に遍く苺が漂っている。
「晩酌にするなら……。うーん、とりあえず冷やしとくか」
バイトの最中も控室に安置されていたことを考えれば一応は冷やして保存しておいた方が良いだろうと思い、冷蔵庫に寝かせて入れておく。まぁリキュールだけどアルコール濃度15%ってあるから、多少常温でも大丈夫だろうけど。とはいってもこれから簡単に晩飯を作るとなったら、30分はかかるか。おつまみはまぁ冷凍のフライドポテトとかをアテにすればいいや、ん? 空だな冷凍庫。何故。そんなことを考えているとインターホンの音が静かな部屋に鳴り響く。
「……うーん」
絶対これさぁ……デジャビュなんだよねぇ。配達を頼んだ覚えもないし、多分35人のうちの誰かかなぁ、なんて思いながら俺は玄関のドアを開ける。
「はーい、お、レイヤとマスキじゃん。どうした? もう夜だぞ」
俺は嫌な予感を感じながらもそう尋ねる。
「ご飯食べにきました」
「そんな約束した覚えないんですけど……」
「あれ? ガールズバンド向けの食堂をやってるんじゃないんすか?」
「初耳だよって人の話を聞けよ、まぁいいけども」
多分ここで簡単に家にあげてるから、こうやって1人の時間消滅する程度には誰かしらが入り浸ってたりするのかな。もう正直手遅れなので、俺は堂々と上がっていくマスキの後を追いかける。
「レイヤも、上がっていいよ」
「ありがとうございます」
「というか、親御さんとか大丈夫?」
「え? はい」
大丈夫なんだ……。
俺はとりあえず進めていた晩飯の準備を……。冷蔵庫開いても3人分の食材なんてないよ……そりゃそうだ。食堂じゃないもんここ。ついでにいうなら人を招いた時なんかの茶菓子とかそういう類もないよ。だって大学生の一人暮らしだもん。そんなの家の中にある飲食物なんざせいぜい缶ビールとカップ麺と……。あとはこの間のホワイトデーで使ったバターぐらい。うん、だめですねこれは。
「ちょっと、食材諸々ないから、買い出し行ってくるわ」
「え、そんなの悪いんで、私たちで買いに行きますよ」
「いやいや。ついでに買いたいものとかもあるし、夜も遅いし、俺1人で十分だよ。寛いでていいからな」
「それじゃあ……お言葉に甘えて」
「まぁ何にもないけど、冷蔵庫にお茶とか飲み物ぐらいは入ってるから、コップとか勝手に使っていいから飲みたかったら飲んでてくれ」
「ありがとうございます」
「んじゃちょっくら行ってくるわ」
まぁ家に置いといても、比較的常識がある2人だし多分大丈夫だろ。……比較的常識があるやつは多分この時間にアポ無しで人の家まで飯食いには来ないけど。まぁ、最低限やばいことさえしなかったらなんでもいいや。
そういうわけで俺は家から徒歩10分程度のところにあるスーパーに急足で到着した。買うものとは言ってもそんな大層なものは買わない。
「冷食も買わないとさっきすっからかんだったもんなぁ……」
買い物カゴに放り込んだのは冷凍のフライドポテトに枝豆。やっぱりお酒のアテと言えば枝豆だよな。いや、でもビールならまだしも苺のリキュールに枝豆ってそんな合わないな。ピーナッツとかも買うか。
「それと3人分の食材もね。何買おう……」
2人の食の好みとか把握してないけど、まぁふらっと訪れたんだからそのあたりは多少は許してもらおう。この時間だとタイムセール品とか多分あるだろ、なんて考えながら生鮮食品の売り場に行けば、大漁も大漁。パックには黄色い数字の書かれたシールがあちらこちらに。
「ムネ肉……モモ肉……? まぁ焼けば一緒か? うん……。最悪2人になんとかしてもらおう」
ちなみに言っておくと俺は料理ができない。全くできないわけじゃないけど。最低限自分が困らない程度しかできないから。そうだな、イメージしやすいように言っておくと卵焼きは作れない。スクランブルエッグにならできる。そんな感じ。料理は感覚。目分量こそ正義。この間のお菓子作りとはわけが違うんだ!
「こんなもんでいいや。野菜炒めも多分なんとかなるだろ……」
俺は大量に買い込んだ数日分の食材やらを両手に提げて、帰路に着くのだった。
「しょっと……ただいまー」
俺が鍵を開けて家に入ると、返事がない。電気自体はついてるから、部屋にはいるはずなのだが。まぁいいやと部屋のドアを開けると。
「……ん?」
どういうわけだか机に突っ伏す2人と、机にデカデカと自己主張の激しい苺リキュールにグラス。……んー?
「……はっ、ちょ。まさか……」
買い物袋をその場に下ろして、2人の肩を揺らすと、朧げながら反応が返ってくる。
「ふぇ……?」
「あ、おかえりなさい……すっ」
「おい、これ飲んだ?」
「苺美味しいっすね」
飲みやがったこいつら……。そういや俺出かける前に冷蔵庫のやつなら飲んでいいとか言ったっけ? 言ったけども、俺が良いって言ったのは炭酸の清涼飲料水とかそういうのなんだよなぁ。というかしかもこれ多分この2人ストレートでいったな。そりゃ無謀だよ……。……どうしよ?
「あー、えっとだな。とりあえず水飲め。そんな飲んでないだろうけど」
「んー」
俺はシンクの方に向き直り、新しくコップに水を注ごうとした時だった。
「……よいしょ」
「ちょ、どうした?」
ふと温かな感覚がしたので、振り返ると、よろけながらもマスキが俺の腕を触りながら、神妙な面持ちでいた。
「お、おい?」
「なんか……良い体してるんすね」
「ど、どうも。じゃなくて、いいから休んどけって、え?」
今度は横からと、これまた頬を赤くしたレイヤがマスキとは反対の腕を人差し指で突いていた。
「……固い」
「分かった、分かったから落ち着け、これ飲んで、な?」
2人は一応俺が手渡したグラスに注がれた水を、グイッと一気に全て飲み干す。……いい飲みっぷりだな。というかこの勢いであの酒飲んでたとしたら……。うわぁ、頭が痛い。いや、2日酔いのごとく頭痛の激痛が痛い。
「落ち着いたか?」
「……ううん」
「ちょ」
コップを流しに置くなり、体重を預けてきたレイヤの目はトロンとしており、完全に酔いが回ってしまっているようだった。マスキはレイヤに比べたら幾分かマシそうだが、それでもやはりいつもとは様子が違う。
「……雄緋さんっ、座って欲しいです」
「え? お、おう……」
俺が促されるままに座らされると、その両脇を固めるように2人が腰を下ろし、しなだれかかる。2人は少しだけ荒くなった息を吐きながら、こっちを見つめている。
「おい、酔って」
「……なんかポカポカする。脱いでもいいですか?」
「脱ぐな!」
上の服を豪快に脱ごうとするレイヤを慌てて止める。力が入っているわけではなかったので簡単に止めること自体はできたのだが、このままでは先が思いやられる。
「って、どうしたマスキ?」
「……脱がせてもいいですか?」
「脱がすな! 揃いも揃って酔ってんなお前ら!」
「というか、雄緋さんも飲みましょうよっ、それそれ」
「それそれって何だよ、完全に酔っ払いのノリじゃねぇか!」
既視感あると思ったら、これ、完全に大学でよく連むやつとの飲み会の時のそれ。1番酔いが回ってるやつが自分が倒れないために周りの人間にも酒を浴びさせるそれ。
「……飲んでくれないんですか?」
「そんな目で見るなよ……飲む! 飲むから!」
「やったぁ」
「私たちの勝ちだな、レイ!」
勝ち負けなんて存在しないからな、なんて説教がこの酔っ払いたちに通じるわけもないので、俺は諦めてコップを出してきて、なみなみとその苺のリキュールをコップに注ぐ。が、流石にこれをストレートでいくなんて無謀な真似はしない。無謀というほどキツイわけではないが、空腹のこの段階で煽られるがままにお酒を呷るなんて悲惨な翌朝を迎えることぐらい簡単に予想がつく。
とりあえずもう割るのは炭酸水でいいやと、ペットボトルに入った炭酸水を半分ぐらい入れた。
「ほらほら、飲んでくださいよ」
「はいはい……。……ぐ、はぁ……。思ったより甘くないんだな」
炭酸水を入れすぎたからか、将又元の味なのか、甘みはそれほど強くない。けどまぁ、これは本質情報なのですが、今重要なのは味ではない。俺の両脇を固めるこの酔っ払い2名だ。
「一気に全部飲まないんすか?」
「一気飲みとか悪いことばっか知ってんのな……。そんなバカなこと、しないっての」
「えー! コール要ります?」
「なんでコールとか知ってんの?!」
コールとか俺存在すら高校生の頃は知らなかったよ。あの頃は無垢だった。今となっては……。流石に居酒屋さんいってもコールなんて危ないからしないけどね。それはそうとどういう因果でマスキがコールを知っているのか非常に気になる。
「うちのバイト先のラーメン屋でもコールにあわせてスープを一気飲みするお客さんとか居るんですよ」
「ちょっと待ってそのお客さんめっちゃ気になるわ」
「じゃあますき、コールよろしくね」
「任せなっ」
「任せなじゃねぇ?! コールとか危ないからな?」
「えー、じゃあ、飲んでください」
「文句言うなよ……。で、ん、んぼぉっ?!」
「きゃぁ豪快」
「ん、ん。豪快じゃねぇ?! 一気に人が飲んでるグラス傾けんな?!」
「アッハッハ! 良い飲みっぷりっすね!」
「お前のせいだわ?!」
ダメだこの酔っ払いども。タチが悪いとかそんな言葉で収まらないレベルだった。
「惚れ惚れするぐらいの飲みっぷり……」
「お、レイもいくか?」
「これ以上飲むな?!」
神様助けてください……。そっか……酔っ払いの相手するのってこんなにも面倒なんだな……。
「えー、んー、雄緋さんが飲まないなら飲んじゃおうかな?」
「くっ……姑息な?!」
「……飲まないんですかぁ?」
そんな目で見るな……。普段レイヤにしろマスキにしろそこそこ身長高いせいで立ってても目線の位置もそんな変わらないからか、いざこうやってもたれかかって上目遣いされた時に瞳が揺れるのがちょっとドキッとするんだよ……。こんなの流石に口には出さないけども。
「えー、なら私も飲んじゃおうかな? レイには負けてらんないしぃ?」
「だから勝ち負けなんてねぇから?! あーくそ飲めばいいんだろ飲めばぁ!!」
「いったぁぁぁっ?!」
お酒は節度を持って楽しむものなんです。あとは皆さん、お分かりだな?
「折角だしゲームしましょう雄緋さん!」
「おっいいぞ! やろうぜぇっ!!」
酒が回ってきた。テンションアゲアゲ卍。
この時間は無敵なんだよな。何やったって笑えるし、何をやるにしても理性が上手いこと働かないので、怖いもの知らずになれるのだ。
「ゲームって、ゲーム機結構あるんすね……」
「ん? まぁやるときはやるからな、って、ゲームそっちじゃねぇぞ?」
宴のゲーム? まさかテレビゲームや携帯ゲームじゃあるまい。お酒のゲームとか多分良くないけど酔ってるから分かんない☆
「あ、私、こういうの知ってますよ。負けたら飲むんですよね?」
「あーそうそう、ってー、お前らが飲んだらあかんやないかい!」
「コテコテのエセ関西弁……。りみちゃんに怒られますよ?」
「すいませんでした……」
まぁ流石にこいつらに俺が酒を飲ませると、俺がお縄についちゃうから自重してやろう。が、俺は飲むぞ。まだまだ余裕だからな。
「ほら、雄緋さん! グイッと、グイッと!」
「んっんっ……ぷはぁ! 酒がうめぇっ!!」
どうにか酔いが覚めた2人を家に帰した俺は翌朝二日酔いで苦しんだのだった。
え、ゲーム? 外来語禁止ゲームをやった上で、R・I・O・Tを歌わされたんだよ。1人で丸々一本開けちゃったよ。気持ちよかったですね。ほぼ(喉と意識が)逝きかけました。